坂田マルハン美穂のDC&NY通信 Vol. 130 2/25/2005 |
●懐かし(?)のフィラデルフィアへ週末旅行 ワシントンDCは、ここ数日雪が降ったりして、寒さがぶり返しています。せっかく芽吹き始めた木々の新芽が、また引っ込んでしまいそうな寒さです。 21日月曜はプレジデンツ・デーでしたので、先週末は三連休でした。わたしたちはデラウエア州のブランデーワイン・ヴァレー、そしてペンシルベニア州のフィラデルフィアに1泊ずつ滞在し、楽しい休暇を過ごしました。今日はそのときのことを書きました。長くなりました。 つい先ほど、A男がインドのバンガロア(バンガロール)へ出張することが決まり、またしても、わたしも同行することになり、急遽明後日、日曜日から1週間、インド行きとなりました。早速、PIOカードの出番が来てうれしいです。
●懐かし(?)のフィラデルフィアへ週末旅行 最近、A男(夫)がカリフォルニアへ出張することが多いため、連休の予定は直前にならなければ立てられなかった。遠出しない限り、冬の間はどこへ行っても他の季節ほど楽しめないから、森の中のB&B (Bed and Breakfast) にでも出かけて、のんびり暖炉の傍らで読書をしたり書き物をしたりして過ごすことになるだろうと思っていた。 ところが連休の数日前に、A男が「フィラデルフィアのミュージアムでサルバドール・ダリ展をやっているから見に行こう」と提案した。彼はわたしが子供の頃からサルバドール・ダリの作品に興味を寄せていることを知っているのだ。 展覧会があることは知っていたが、まだ先のことだろうと思っていたところ、2月16日が初日で、5月まで開催されているという。早速、フィラデルフィアの観光サイトを調べてみると、町中がダリ展で盛り上がっている様子が伝わってくる。ミュージアム見学なら寒い季節に好適な過ごし方だと思い、出かけることにした。 実はA男は1998年夏から2000年夏までの2年間、ビジネススクール(MBA)に通うため、フィラデルフィアに住んでいた。わたしたちは96年に出会って、97年には一緒に暮らし始めたのだが、わたしがちょうどミューズ・パブリッシングを立ち上げたばかりのころ、彼の進学が決まった。 二人で暮らし始めて一年足らずのアパートメントから、再び一人暮らしに戻るため(同じビルディングではあったが)狭い部屋に移ったりと、あのころは実に慌ただしかった。 彼がフィラデルフィアに越してからは、お互いが週末、行き来していたものの、彼は常に膨大な宿題を抱えており、一方のわたしは仕事をこなし、生計を立てていくことで精一杯で、二人してずいぶんストレスの高い状況にあった。喧嘩ばかりしていた。 フィラデルフィアは米国建国の歴史を語る上で欠かせない町であり、訪れるべき見どころも少なくないのだが、ニューヨークを気に入っていた当時のわたしにとっては、地味で退屈なところだとしか思えなかった。 そんなわけで、懐かしさも、いい思い出も、ほとんどないフィラデルフィアではあるが、最近は新しい店舗が増え、街が活気づいているとの噂を聞いていた。更には、 「ミホ、アイアンシェフ(料理の鉄人)のモリモトの店に行こうよ!」 とA男が言うので、予約をいれた。 以前も書いたが、米国のFood NetworkというTVチャネルで、日本の「料理の鉄人」の再放送を、もう何年もやっている。更には最近、日本版をそっくりそのまま模倣したアメリカ版の"Iron Chef"の放映も開始された。 3人の鉄人のうちの一人は森本氏である。多分彼は、日本でよりも米国での知名度が高いのではないかと思う。その彼が、3年前にフィラデルフィアに店をオープンしていたのだ。 さて、ミュージアムの見学だけなら1泊で十分だから、もう1泊は、どこか途中の町に滞在しようと地図を広げてみる。ワシントンDCから地図を北へたどる。メリーランド州を過ぎて、小さなデラウエア州を横切り、フィラデルフィアのあるペンシルベニア州に至る。 フィラデルフィアにほど近いデラウエア州に、BrandywineValleyという、魅惑的な地名を見つけた。いかにもおいしいワインやチーズ、パンなんかが味わえそうな地名だ。インターネットで検索してみたところ、ガーデンやミュージアム、由緒あるマンション(大邸宅)など、なかなかに見どころもありそうである。 無論、冬のガーデンは殺伐としているだろうけれど、ともかくは途中に立ち寄るには便利なロケーションなので、ここに1泊することにした。 数あるB&Bの中から雰囲気のよさそうなところを選び、予約をいれる。最近はオンラインで空室状況の確認ができるうえ、予約を受け付けているところが多くなったのでとても便利だ。 出発前日の金曜日、ニューヨークタイムズのARTのセクションを見ていたら、サルバドール・ダリ展の広告が出ていた。そこに「すぐにチケットの予約を!」とある。たいていのエキシビジョンは、前売り券がなくても当日並べばチケットは入手できると思っていたのだが、せっかくだから予約しておこうとインターネットでチェックする。 すると、3連休のうち、すでに最初の2日間は売り切れで、3日目は3時半からのチケットしか残っていなかった。慌ててそれを予約する。開催期間は長いのだから、最初から人々が大挙することはないだろうと思っていたのだが、そうではないようだ。
●まずはブランデーワイン・ヴァレーへ。花咲き乱れる大温室で春に酔う 「明日は9時ごろ出発だ!」 と言いながらベッドに入ったにも関わらず、のんびりと朝を過ごしてしまい出発は11時。相変わらずランチにおむすびと卵焼き、サラダなどを持参して、車に乗り込む。 ランチ休憩をしたり、道に迷ったりしているうちに2時を過ぎたので、B&Bにチェックインする前に、ロングウッドガーデン(Longwood Gardens)に行くことにした。この界隈は、化学工業で有名なデュポン社の本拠地で、デュポン家にまつわるプロパティ(不動産など)が点在している。 このロングウッドガーデンは、デュポン社の社長であり、ジェネラル・モーターズ社の社長でもあったデュポン家の四代目ピエール・S・デュポン氏 (Pierre S. Du Pont) によって、1920年代に造られた大庭園だ。 1050エーカーの広大な敷地には、木々や花々、池や噴水などがあるほか、大温室や邸宅跡もあるという。夏には花火が打ち上げられたり、音楽の定期演奏会が行われ、ガーデニングやフラワーコーディネートなど、社会人向けの多彩な教育プログラムも用意されている。 インフォメーションで地図や資料を受け取る。「今の季節は、温室を見学なさるのが一番ですよ」と、受付の老婦人にアドバイスを受ける。すばらしい庭園とはいえ、冬枯れの今の時期は、敢えて散策するのも寂しいと思い、温室へ直行することにした。 地図を見る限りでは、春から夏、秋にかけては、一面花々に彩られて、さも美しいことだろうと想像できる。わたしたちは青空の下、冷たい風が吹き付ける遊歩道を歩き、巨大なトピアリーの庭を抜け、温室へ向かった。 その大温室の扉を開け、一歩、足を踏み込んだ瞬間、甘酸っぱい花の香りと、瑞々しい緑の香りに包また。一瞬のうちに、季節が冬から春に変わったようで、思わず感嘆の声を上げる。 目の前に広がっているのは、まさに春の花園だった。 その広々としたオランジェリーの、高い高い天窓からは、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、緑の木々や芝生にやさしげな陰影を落としている。地上には、ピンク色のチューリップ、白い金魚草、黄色い水仙、薄紫のシクラメン、黄緑の百合、青いスミレ、カラー・リリー……と、無数の花々が咲き乱れている。 思いもよらなかった春真っ盛りの光景に、驚くやらうれしいやら。二人して感激しながら、次々に目に映る花々の様子を眺める。ポケットからデジタルカメラを取り出すも、もう、どこから撮ればいいものやら。 ブルー・ポピーと言う、まさに青い花びらのポピーを初めて見た。 それから、ミモザのような花をつけた黄色い花のトンネルを歩いた。淡い黄色と淡い緑のそのトンネルは、まるで春に続く小道のようで、このうえなく優しげだ。ミモザに比べると、花の密度が浅いこの花はいったい何だろうとサインを見たら、アカシアとある。 「この道はいつか来た道……」 と何度となく口ずさんだことがあるのに、ミモザとアカシアが同種の花だということを今の今まで知らずにいた。 ミモザのトンネルの向こうには、無数のオーキッド(蘭)が花開く園。色鮮やかな紫、ピンク、黄色、白の、さまざまな形をしたオーキッドを一つ一つ眺めるのも楽しい。 続く熱帯園にはバナナの木や椰子の木が生い茂り、艶やかなハイビスカスが咲き、ローズガーデンでは優美なバラが香り立ち、シルバーガーデンでは大小さまざまなサボテンがそびえ立つ。 メディテラニアン(地中海)・ガーデンには赤に白が溶け合いそうな、可憐なアマリリスが咲き誇っている。 今は閉ざされているものの、広々としたパティオ(中庭)の池には、6月から10月にかけて、蓮の花が咲き誇るのだという。 盆栽コーナーでは1904年から剪定が始められたという、日本産の大きな(全長1メートルくらい)の盆栽もあった。 にかく、言葉では表現しがたいすばらしい温室で、A男と二人、閉館するまでの数時間、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、束の間の春を味わった。ワシントンDCを離れる前に、また必ず来ようと約束した。 LONGWOOD GARDENS B&Bへの道すがら、ワイナリーを見つけたので立ち寄った。いくつかテイスティングをさせてもらったけれど、いずれもピンとくる味のワインがなかったので、買わずにおいた。 地名のせいか、いかにもおいしいワインがありそうだと思い込んでいたが、それは大きな誤解だった。ガイドブックの中に、地名の由来の記述を発見した。それによると、"Brandywine"は、この地域に初めて製粉所を設立した初期のオランダ移民"Brainwende"氏の名前から来ているらしいとのこと。がっくり。 ブランデーワイン・ヴァレーの観光案内
●グレース・ケリーの甥の別荘だったという、B&Bへ そのB&Bは、田園風景の中のアップダウンを繰り返す丘陵地のただ中にあった。あたりを牧草地に取り囲まれた、古い石造りの建物だ。 ダイニングルームやリビングルームは、英国調のクラシックなインテリアでまとめられており、非常に落ち着いた気品ある雰囲気が漂っている。 B&Bはともすると、ファンシーな花模様に包まれすぎているところや、あるいはアンティークなんだかガラクタなんだかわからないこまごまとしたものが飾られているところなどがあり、「ここはすてき!」と思えるところを見つけるのは難しい。 また、たいていのB&Bは、古い建築物を改築して宿にしていることが多く、たとえ雰囲気がよくても、水回りが不便だったり、空調設備が整っていなかったり、ベッドがギシギシと音を立てて眠りづらかったりする場合が少なくない。 それでも、宿のクオリティを問わず、特に繁忙期はかなり高い宿泊費を設定していたりして、これならモーテルの方がましだ、なんてことも何度となくあった。その点、このB&Bはとても快適だった。 B&Bは、たいていプロパティの所有者、つまりオーナー夫妻により運営されている場合が多いが、ここは所有者に雇われている管理人夫妻が切り盛りしていた。そのせいか、ゲストとの距離感もほどよくあっさりとしている。 わたしたちはしばらくラウンジの暖炉脇でお茶を飲み、焼きたてのチョコチップクッキーをいただく。ここは、そもそもグレース・ケリーの甥が所有していた建物で、グレース・ケリーもまたここを訪れたことがあるという。 ラウンジには乗馬好きな甥の乗馬姿の写真、それからグレース・ケリーの写真集や自叙伝なども本棚に置かれていた。 夕食は、車で10分ほどのところにあるメディアという小さな街へ、管理人夫妻に勧められたタイ料理を食べに行った。店にはリカーライセンスがないというので、途中、大きなショッピングモールのスーパーマーケットへワインを買いにいく。 米国では、リカーライセンス(酒類販売の免許)を取得するのは簡単ではなく(近くに教会があったりすると酒を売ったり出したりできないなどの条件もある)、ライセンスのない店は、お酒の持ち込みを許可しているのだ。 そのスーパーマーケットは、予想外にも高品質な品揃えの店だった。ディーン&デルーカやバルドッチ、サットンプレイス・グルメといった、輸入食材を取り扱う高級食料品店の巨大版、という感じである。 こんな田舎にこんなスーパーマーケットがあるなんてと、またしてもA男とふたり感嘆しながら、店内を散策する。魚介類や肉類も新鮮で、チーズや生ハムの種類も相当に豊富、ケーキを試食してみたら、びっくり、甘さも控えめでおいしい。 「なんでこんな田舎に、こんな洒落たスーパーマーケットがあるんだろうねえ」 などと言いながら、はたと思い当たった。デラウエア州は消費税が0%だから、お買い物天国なのである。そのため、ショッピングモールも多い。このスーパーマーケットも、近所の人たちだけを対象にしているのではなく、周辺の州から買い物に来る人をターゲットにしているのだろう。 ちなみにデラウエア州は会社設立の手続きや税法に関しても他州に比べると有利な点が多いため、多くの企業の「本社」がこの州に置かれている。 明日のダリ展に因んで、スペイン産のリオハ・ワインを買い、おいしいタイ料理を味わって、帰路についた。 SWEETWATER FARM
(B&B)
●大邸宅を見学した後、フィラデルフィアへ B&Bで出された朝食は、フルーツにマフィン、オレンジジュース、それからエッグベネディクトという典型的なアメリカンスタイルだった。 エッグベネディクトとは、二つにスライスしたイングリッシュマフィンをトーストし、その上にハム、そしてポーチドエッグを載せ、オランデーズソース (Hollandaise sauce) をかけた、高カロリー、だけどおいしい朝食メニューである。 ちなみにオランデーズ・ソースとは、溶かしバターと卵黄を泡立て、レモン汁、塩胡椒を加えたこってり風味のオランダ風ソースで、魚料理やアスパラガスなどにかけて食べるとおいしい。 朝食のあとは、寒さに震えながらも150エーカーもあるという広大な敷地の、ごくごくごく一部を歩く。馬小屋で馬に触れたり(とても人なつこい馬で近寄って来た)、鴨やヤギを眺めたりと、なかなかに楽しい。 チェックアウトをすませた後、フィラデルフィアへ行く前に、デュポン氏のカントリーハウスだったというエステート(邸宅と土地)、ウィンターサーを見学する。欧州各国から取り寄せられた家具調度品、数々の陶磁器類など、豪邸内に展示されているさまざまを眺め歩く。 ここもまた、春から夏にかけては、花々が咲き乱れるであろう広大な庭を散策するのが楽しそうだ。 WINTERTHUR
●雪が舞い降る夜、森本さんの料理で至福のひととき 午後、フィラデルフィアに到着する頃、粉雪が舞い降り始めた。ホテルにチェックインしたあと、本当は周辺を散策したかったのだが、あまりに寒かったので部屋でくつろぐことにした。 そして夜、予約しておいたMORIMOTOへ。 「森本さん、お店にいるかな〜」と、鉄人ファンのA男。 「テレビ番組に出てるし、忙しそうな人だから、いないんじゃない?」とわたし。 ニューヨークに比べると、ワシントンDCはおいしい日本食が食べられる店が非常に少ないから、何はともあれ、二人して期待に胸を膨らませつつ、店へ入る。 天井が高く、非常に奥行きの深いその店内は、まるで深海のようなイメージの斬新なインテリアだ。わたしたちは壁際の二人席に通された。 と、隣席の四人席を見ると、日本人の若い女性が4人、そして彼女らと親しそうに話している森本氏がいる。 「あら、森本さん! こんばんは!」 テレビで見慣れているせいか、まるで知り合いのようについ声をかけてしまったところ、彼もフレンドリーに「あ、いらっしゃいませ」と答えてくれ、鉄人自ら、ナプキンなどをテーブルに用意してくれる。 A男、ものすごくうれしそうである。 わたしたちは日本酒のカクテル(酒マティーニ)、料理はおまかせコースを頼んだ。 ツナ(マグロの刺身)のタルタルに始まり、オリーブオイルと醤油風味がいい塩梅のスズキの刺身、胡麻油がほんのり利いたカンパチのマリネ、お口直しのシャーベット、香ばしく焼かれたフォアグラが載った西京焼き風のサワラ、グランマニエ・シュリンプ(薄い衣をつけて揚げたエビがグランマニエ風味のマヨネーズソースであえられている)など、盛り付けも繊細で、どれも美味! 食事の最後はにぎり寿司、そしてデザートはチョコレートムース。おいしい日本茶ですっきり締めくくり、とても幸せな食事だった。 彼の料理はもちろん「純日本風」ではなく、独自のアレンジが効いた「ニューヨーク的ジャパニーズ」だけれど、奇抜すぎない味付けで、すんなりと素材の旨味を楽しめた。少なくともわたしたちの好みに合う味わいだった それにしても、森本さんは、隣のテーブルの女性らとかなり親しいのか、寿司バーに戻って調理していたかと思えば、彼女たちのコース料理を自ら小走りで何往復もして運び、更には何種類ものお酒やら焼酎やらを振る舞っている。メニューにはなさそうな鍋料理なども次々に運ばれてきて、気になってしょうがない。 「この雑炊、おいし〜! え〜 これ何の味〜?」 「パルミジャーノ(パルメザンチーズ)、入れたんだ!」 なんて会話が聞こえてきて、わたしも味見させて、と思う。 食事を終えたわたしたちに、フレンドリーな森本氏が「料理はいかがでした?」と声をかけてくれたので、とてもおいしかったと感想を述べた。A男は、 「僕はムンバイのタージマハル・ホテルにできたばかりのあなたの店、WASABIにも行きましたよ! あそこの料理もおいしかったですよ」 と満面の笑顔で話す。前回のインド旅行の折、A男はビジネスミーティングで彼の店に行ったのだ。 わたしは、森本氏は名前とレシピだけを提供しているものだろうと勝手に思い込んでいたのだが、彼は5、6回ムンバイへ訪れたとのこと。 彼曰く、食材はすべて日本から送らなければならないから送料がかかるし、しかもインドの関税は67.5パーセントも取られるから、まったく儲からない、とのことだった。 WASABIという店名は、ちょっとなあ、と思っていたが、そのことは黙っておいた。 ちなみにその彼女たちは、サルバドール・ダリ展を見るためにわざわざマンハッタンから来たのだけれど、前売り券を買ってなかったため入れなかったのだという。それはなんて気の毒な! そりゃあもう、おいしい料理でも食べないとやってられないというものだろう。 わたしたちはぎりぎりで前売り券を購入しておいて本当によかった。店を出る前、森本さんと3人一緒に記念撮影をしてもらった。A男は笑顔が弾け飛んでいた。 おいしい料理を食べられて、それを作った人とお話もできて、とても思い出深いディナーとなった。 MORIMOTO RESTAURANT
●そしていよいよ旅のハイライト、サルバドール・ダリ展へ 雪の舞う午前中はホテルでゆっくりと過ごし、チェックアウトをしてからフィラデルフィア随一の生鮮食料品マーケット、"Reading Market"へ行く。ここをしばし散策した後、一画にあるフードコートで、野菜ジュースとクレープのブランチを楽しむ。 その後、フィラデルフィアミュージアムに行き、ダリ展以外の展示物をしばらく鑑賞し、待ちに待ったダリ展の見学である。予約チケットがあるにも関わらず、入り口前は長蛇の列で入場整理が行われている。 40分ほど待って、ようやく中に入ることができた。 サルバドール・ダリは衆知の通り、シュールレアリズム(超現実主義)の画家として世界に知られている人物だ。ピンと尖った口ひげをたたえ、奇矯な言動や行動で人々の関心を引いていたことから、「天才」であり「変人」だとも捉えられていたが、実のところは彼自身、作為的に奇人を装っていたところもあるようだ。 彼は今から101年前の1904年、スペインに生まれ、幼少期を地中海沿岸のカダケスやフィゲラス周辺で過ごした。彼の作品にはこの地の風景がしばしばモチーフとして登場する。 彼には兄がいたが、彼が生まれる直前に他界、両親は次男である彼に、死んだ長男と同じ「サルバドール」を命名し、そのことが彼の人生に影響を与える。幼い頃から彼は絵画における才能を発揮し、マドリードの絵画学校に通い始めるも、教授たちの「未熟さ」に幻滅、退学する羽目となる。 ピカソやミロら、他の芸術家との交流を深め、自らの作風に彼らの影響を反映させながら、一方、フロイトの影響も受けつつ、独自の世界観を築き上げていく。 彼が25歳の時、友人である詩人ポール・エリュアールの妻、ガラと出会い、恋に落ち、駆け落ちする。以来、ガラはダリの創作活動にとって不可欠な「ミューズ」として彼の作品にしばしば登場するようになる。 1982年にガラが他界してからは創作意欲を喪失し、翌年に描いた「ツバメの尾」が最後の作品となる。84年には火災で大やけど多い、89年に他界した。 わたしは、以前にも書いたが、幼児期、家にあった絵画全集を開いて、彼の作品に出合い、とても興味深く思った。その絵が意味することなどまったくわからなかったものの、そこには子供の好奇心をかき立てるに十分の世界が広がっていた。 溶けて歪んだ時計の絵(「記憶の固執」)や、楽譜に蟻が這っていて、ピアノの鍵盤に人の顔がある絵(「ピアノの上の六つのレーニンの幻」)、脚に引き出しがいっぱいあり、向こうで背中が燃えているキリンの絵(「燃えるキリン」)、ひょろ長い脚を持つ象や馬の行進(「聖アントワーヌの誘惑」)、宙に浮かんだ半裸の男性(キリスト)の姿(「十字架/超立方的肉体」)……。 どの絵も、他の巻に収められている絵画とは全く異なる迫力で、わたしの関心を引きつけた。 以来、ダリの絵を、部屋に飾りたいとは思わないけれど、そして「好きだ」とも言い切れないのだけれど、とても興味深く思っており、しかしだからといって、彼について詳しく調べるでもなく、中途半端なファンではある。 とはいうものの、1994年に列車で欧州を放浪した折には、地中海沿岸、南仏からバルセロナまで南下する途中にある彼の生まれ故郷、フィゲラスを訪れた。そして、彼の「まるでアミューズメントパークのような」ミュージアムを訪れた。 その臙脂色の建物の屋根には大きな卵がいくつものっかっていて、壁にはパンを模したオブジェがたくさんくっついている。そこはとても一言では書き尽くせぬ、真にユニークなミュージアムであった。 パンや卵をはじめとする「食べもの」は彼の作品にしばしば登場する大切なモチーフの一つで、頭にバケットを掲げたマネキン人形や彫像が数多くあるほか、彼自身もマタドール(闘牛士)の帽子を模したパンを被ってのパフォーマンスを披露したりしている。 またこのとき、フィゲラスから更にバスに乗り、峻険な山道を走り抜けた先にあるカダケスへも行った。ここは彼が愛した小さな漁村で、小さな漁船が停泊する静かな港町だった。ここにあるピカソ&ダリ・ミュージアムも訪れ、それからダリがガラと住んでいた別荘のあるポート・リガトまで歩いて出かけた。 長い坂道を上った先に、ふと視界が開け、ダリの絵の中で見た同じ青空と海辺の光景が目に飛び込んできたときの感激は、今でも鮮明に心に刻まれている。彼の住んでいた家もまだそこにあり、やはり大きな卵が屋根に飾られているのだった。 さて、前置きが長くなったが、サルバドール・ダリ展である。これはもう、想像していたよりも遥かに、すばらしいものだった。世界各国から集められた200点を超える彼の作品が、10代のころの作品に始まり、年代を追って展示されている。 若い頃、画風をさまざまに試みながら、独自の世界観を創り上げていった様子が手に取るようにわかった。 最初は「ダリって、変態だよね〜」とダリ好きのわたしをからかっていたA男だが、のっけから衝撃を受けたようで、それはもう大変な集中力で作品に見入り、解説を読み、没頭している。 彼の作品は緻密な上に数々の伏線を秘めているから、さっと見過ごすことができなくて、鑑賞するのにかなりの集中力を要するため、疲れる。とても数時間で見て回れ ない作品数と濃度である。 その上わたしたちは、互いに関心のある作品を見せ合おうと、「ちょっとこっちに来て」「あっちを見てよ」と、うろうろ歩くから、へとへとである。 食べ物に関する絵画で気に入ったものをいくつか。ちなみに以下は日本語でどのように紹介されているかわからないので、わたし自身で訳した。 Fried Egg on the Plate
without the Plate Portrait of Gala with two
lamb chops Balanced on her shoulder Soft Self Portrait with
Fried Becon Two Pieces of Bread
Expressing the Sentiment of Love なんだか、興味をそそられるタイトルでしょ? 作品のことを書き続けているときりがないのでこのあたりでやめておくが最後に。今回、最も衝撃を受けた絵のひとつは、"Station of Perpignan"(ペルピニャン駅)という非常にスケールの大きい作品だった。 この駅は、南仏からスペインにはいるときの国境駅で、わたしも何度か通過したことがある。 彼はこの駅を自分の全宇宙の中心と捉えいた。その作品には、彼の諸々の情熱や衝動、欲求、愛、陰影、理想、過去、現在、未来、森羅万象が表現されているようだった。言葉で表現するといかにも陳腐になるのでだめだ。この辺にしておこう。 そんなわけで、数時間、彼のエネルギーを全身に受け止めて疲労困憊となりながらも、すばらしいひとときを過ごすことができた。なかば放心状態でわたしたちは帰路についた。 5月までの開催なので、また改めて、平日の人が少ないときに見に来ようと思う。 更には、フィラデルフィアには、印象派の作品を中心に膨大な絵画のコレクションを誇るバーンズ・ファウンデーションがある。世界にその名を知られた完全予約制のミュージアムだ。東海岸を離れる前に、ぜひここへも訪れておきたいと思う。 PHILADELPHIA MUSEUM OF
ART 旅の写真はマルハン家のアルバムに掲載しています。 (2/25/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan |