ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー
Vol. 13 10/29/2000
メールマガジンの発行をはじめて1カ月がたちました。最初はホームページに書く記事をメールマガジンに掲載しようと思っていたのが、途中からメールマガジンが主役になってホームページが脇役になってしまいました。メールマガジンの読者には、確実に届いているはずだし、レスポンスも高いから、そちらに気を配ってしまうのは、仕方がありません。 お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「である調」で書いている文章はホームページと共用、「ですます調」の文章はメールマガジン単独のものです。前号などは全部「ですます調」でしたから、ホームページの更新が怠られつつあります。 ま、そんな話はどうでもいいとして、今は土曜日の朝。ワシントンDCに向かう途中の電車の中です。爽やかな秋晴れで、車窓からは青い空と流れる白い雲、そして黄金色のススキの平原や、それはそれは美しい紅葉が、次々に目に飛び込んできます。この季節、自然の織りなす色の美しさには、本当に心を奪われます。 ところで昨日、こんなことがありました。
★ささやかな出会い 背中に気配を感じて、キーボードを打つ手を休めて振り返ると、窓の向こうに見えるビル群が、それはそれは鮮やかな茜色を反射して、光り輝いていた。 今日のマンハッタンは、晴れてはいたものの、街全体にガスがかかっていて、ぱっとしない天気だった。ところが夕暮れ時になって、光が絶妙な加減で交差し、言葉にし難い、美しい色彩を呈している。その色はまた、胸を締め付けるようでもある。 沈み行く夕日を見ようと、ジャケットを羽織り、エレベータで屋上へ向かう。屋上へは、51階のペントハウス(最上階)のフロアから、階段で出られるのだ。エレベータは、途中2度止まり、1度目は若いビジネスマン風の男性を、2度目は中年の女性をのせて上昇する。2人ともボタンは押さない。彼らも夕日を見に屋上へ行くのだろうか……。 エレベータを降り、3人が屋上へ向かうドアへと歩き始めた時、互いに微笑みながら「今、夕日がとてもきれいよね」と話し始めた。4基あるエレベータのうちの1つに、同じタイミングで乗り込んだ3人。同じことを考えている人がいて、照れくさいような、うれしいような、何とも言えない気分である。 西向きのドアを開くと、視界のすべてに夕暮れが飛び込んできた。ハドソン川とその向こうに広がるニュージャージー州の景色だ。北の方に、ライトアップされたジョージワシントンブリッジが見える。マンハッタンとニュージャージーを結ぶ橋だ。すでに太陽は沈んでいたけれど、夕焼けが、深紅、オレンジ、黄色と混じり合った微妙な色彩を残して、藍色の薄暮に溶け込もうとしている。 南に視線を移すと、マンハッタンの南半分が見渡せる。エンパイアステートビルと、それを取り巻くように林立する摩天楼。更に視線を遠くへ飛ばすと、超高層ビルが二つ並んだワールドトレードセンター。目を凝らして彼方を見れば、自由の女神が小さく小さく見える。屋上の反対側へ行き、東側を見おろすと、今度は、セントラルパークの全容が見渡せる。夏の間は木々の緑が鮮やかで、上から見ると、まるで一面ブロッコリーのように、緑がモコモコとしているのだが、秋になると赤や黄に色づく木々が、違った美しさを見せる。 3人はしばらく、それぞれに黙ってそんな光景を見つめていた。やがて、中年の女性がこちらへ近寄って来、話し始める。 「私、来週、祖国へ帰るの。だからこれが、ここから見る最後の夕日……」 彼女の中で、思いが去来しているのか、その口調は静かで淡々としている。2年半暮らしたマンハッタンを離れ、祖国イスラエルへ帰るのだという。相変わらず不安定な情勢のイスラエル。そこで新しい仕事を見つけなければならないけれど、前途は多難だと深いため息をつく。 どんな事情があって、この国に来て、どんな事情があって故国へ戻らねばならないのか、気軽に聞けるような状況ではなかったけれど、少なくとも彼女はこの街が大好きで、離れがたく思っていることは確かだった。 「あなたはこのビルに何年住んでるの?」 「日本から来てすぐに越してきたから、4年たつわね」 「あら、そんなに長く住んでたの。私たち、一度も会わなかったわね。それもそうよね。このビルはたくさんの人たちが住んでるから……」 途切れがちな会話をしている私たちに、もう一人の彼が近づいてきた。夕日がきれいだからと見に来るだけあり、温厚で優しげな口調の、白人男性だ。彼はミッドタウンのアパートメントから先週引っ越してきたばかりだという。2人とも、私と同じ東に面した部屋に住んでいて、ビルに反射した夕焼けを見て、日没を見に来た。 瞬く間にあたりは夕闇に包まれ、吹く風が心なしか冷たくなってきた。摩天楼の、窓という窓の明かりが、際だち、きらめき始める。 3人一緒に、屋上から階下へ降りる。エレベータに乗り、最初に彼女が降りる。その瞬間、彼女の背中に向かって、 "Good luck!" と言ったら、彼女は少し寂しそうに微笑んで、 "Thank you..........You, too." と答えた。 エレベータに残った私たち2人は無口だったが、彼は降りる間際、照れくさそうにこう言った。 「さっきから思っていたんだけど、あなたのマニキュアの色は、本当にきれいですね」 おととい、ネイルショップで、深紅のマニキュアを塗ってもらったばかりだったのだ。その瞬間、それは、夕日のしずくのようにも見えた。 こんなささやかな出会いがあるたび、どんなにいやなことがあっても、やっぱり私はニューヨークが好きだ、と心の底から思うのだ。 ------------------------------------------------------- ところで、先ほど、電車に乗る前に、駅のショップでドーナツとコーヒーを買おうと並んだ。私の前に並んでいた若い白人女性が60セントのドーナツ一つを買うのに20ドル紙幣を出した。朝早かったせいか、レジには十分なお釣りがないらしく、若い黒人の男性スタッフが彼女に尋ねる。 「1ドル札かコインはもってないの?」 「ごめんなさい、今、これしかないのよ」 「そう。じゃあ、ドーナツ持って、行っていいよ」 「えっ? ほんとに?」 「気にしないで。じゃあね」 ドーナツの数と売上金との計算を厳密にしているとは思えないから、特に問題はないのかも知れないが、日本ではただで商品を渡すなど、考えられないことである。でも、ニューヨークではこういうことが少なくない。 たとえば、ドラッグストアなどのレジで、3セント、4セントが足りず大きなお札(20ドル)を出そうとすると、レジを売ってるスタッフが、自分のポケットからコインを出して、 「おれが出しといてやるよ」 ということもある。もちろん、彼と私は何の面識もない。 また、逆に、お店側が数セントのお釣りが足りないとき、 「ここは私の借りにしておいて」 と頼まれることもある。ちなみに、"I owe you"という表現を使う。「私の借り」とは言うものの、その場限りの話で、将来返してくれるわけではない。 ドーナツはともかく、いったん商品の値段を入力しているの場合は、レジを閉める時に数字が合わないと問題にならないのだろうか、と余計な心配をしてしまう。ニューヨークに来たばかりの頃、そのような場面に遭遇したときにはとても驚いた。 小銭に関して大ざっぱなのは、チップの習慣も理由のひとつだろう。レストランやタクシーなどの支払いで、請求金額をきっちりと払うことはないし、デリバリーを受け取るときにもチップを払う。少しぐらいの金額の誤差に対しては鈍感なのかも知れない。 そういえば、以前、A男とタクシーに乗っていたとき、こんなことがあった。タクシードライバーにはインドやパキスタン系の移民が多い。その日乗ったタクシーのドライバーもパキスタン人だった。後部座席に張られているドライバーの写真と名前を見て、A男がドライバーに「どこから来たの?」と話しかける。 隣接するインドとパキスタンは政治的に敵対しているが、マンハッタンではそんなことを気にしてはいられない。以前のA男のボスはパキスタン人だったし……。国は違えど、彼らの母国語は同じヒンディー。途中から英語をやめてヒンディーで話し始め、私はさっぱり理解できなかったが、2人とても楽しそうに話をしていた。 さて、タクシーを降りる段になって、A男がお金を払おうとすると、ドライバーは手を横に振り、 「いらないよ。楽しかったから」という。 恐縮して払おうとするA男を制して、結局お金を受け取らないまま、黄色いタクシーは去っていった。 私自身は、チップはいらないよ、と言われたことはあっても、ただでタクシーを乗せてもらったことはない。ところが、A男は、これまでにも数回、こんなことがあったのだという。マンハッタンのタクシードライバーは、悪い形容をつけられがちだが、当然ながらいろんな人がいるものだ。こんなことがあると、とても温かな気持ちになる。 それにしても、生活が苦しくて少しでも多く稼ぎたい人たちがほとんどのタクシードライバーに、運賃をなかったものにしてもらうA男というのもまた、変わった魅力を備えた人物なのかもしれない。 ただで物をもらう、と言うことに関して、去年の夏の出来事を紹介したい。 ------------------------------------------------------- ★ひまわり 夏に生まれたせいか、私はひまわりの花が好きだ。太陽に向かってすんなりと伸びる茎、鮮やかな黄色い花びら。元気いっぱいの姿がすがすがしくていい。 その日はわたしの誕生日だった。ボーイフレンドは祖国に帰省していたし、友人に祝福を強要するわけにもいかず、華やかさに欠けていた。子供じゃないんだし、そう大げさに祝うこともないわよね、と思いつつも、せめて花ぐらい買おうではないかと思い立ち、近所にオープンしたばかりの花屋に足を運んだ。 いちばんに目に飛び込んできたのは、ひまわりの花束。すぐにも花瓶に生けられるよう、短めに切りそろえられている。15ドルほどのその花束を抱え、レジに持っていった。店のマネージャーらしき女性が尋ねた。 「これはプレゼント用? それとも自宅用?」 「プレゼントといえば、プレゼントだけど……。今日はわたしの誕生日だから、自分への贈り物なの。だから包装は簡単でいいわよ」 そう言ったあと、なんだかわたしって寂しい女かも、などと思っていると、彼女はその花束に、きれいなリボンをかけてくれた。そしてこう言った。 「はい、お誕生日おめでとう! これはわたしからのプレゼント」 えーっ、そんなつもりで言ったんじゃないのに! いいの? 本当にいただいて? うれしいやらびっくりするやらで、もうたいへん。ありがとうを連発して店を去った。 帰り道、花束を抱えて、私はもう、幸せである。ああ、なんてやさしい人なんだろう。わたしはこれから、ずっとあの花屋で花を買おう、などと思いをめぐらせた。 透明の花瓶に生けたひまわりを窓辺に飾った。マンハッタンの澄み渡る青空をバックに、満開のひまわりは微笑んでいるようだった。(M) ------------------------------------------------------- 多くの人が思い描くマンハッタンのイメージには、喧噪の大都会で、みんな歩くのが速くて、なんとなく冷たいという印象があるのではないだろうか。少なくともここに暮らし始める前、私はそう思っていた。しかしながら、実際のマンハッタンは、その善し悪しは別にして、本当に人間臭く、そしていい加減な人たちでいっぱいなのだ。 そんないい加減さに耐えかねる日本人も少なくなく、そのような人たちはこの街を早々に去っていく。一方、この空気が波長に合っている人は、離れがたくなるのである。 |