坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 129 2/18/2005 


●たとえ、砂糖が入っていたとしても。

●半ばインド人となりて。


2月18日金曜日。時折、暖かな日が訪れるものの、今日はまた摂氏0度前後で、青空が美しい午後ですが寒いです。今週はずっと家に籠って作業をしていたので、今日は寒いとはいえジョージタウンまで歩き、今、バーンズ&ノーブルのスターバックスカフェでiBookを 開いているところです。

●たとえ、砂糖が入っていたとしても。

いつもはカフェ・ラテをオーダーするのだが、今日は新しいメニューを見つけたので試してみることにした。その名もTAZO MATCHA LATTE(抹茶ラテ)。抹茶のほかにチャイ・ラテがある。日本にもあるのかもしれないが、TAZOというティーブランドの商品が、スターバックスで販売されているのだ。

甘さの加減は自分で調整したかったので、店員の男性に「これは最初から甘いんですか?」と確認したところ、「甘くないですよ」とのこと。

ところが、出来上がりを一口飲んでみると、甘い。おまけに言えば、抹茶の風味にかなり遠い味わいだ。尤も、最初から本来の抹茶風味を期待してはいなかったし、これはこれでおいしい。記憶をたどれば、日本にいたころ、自動販売機で買った温かい「午後の紅茶」みたいな味がする。そこはかとなく、懐かしい。けれど、甘いのは納得がいかないので、店員に言った。

「あなた甘くないっていったけど、これ甘いわよ。砂糖が入っているんじゃない?」

「いや、僕は飲んだことがあるけど、甘くなかったですよ」

そう言いながら、彼はパッケージの成分表に目を走らせる。この商品は、すでに調合された商品を店頭で加熱するだけのようである。カフェラテ のようにお茶の葉もしくは濃縮液やパウダーに、温かなミルクを注ぐものと思っていたわたしは、パック入りなら甘味入りが普通だろうと思う。彼は、成分表を見つめたあと、言った。

「確かに、砂糖は入っていますね。でも、砂糖は入っているけれど、これは甘くありません。甘くない飲み物です!」

確かに米国における他の加糖飲料に比べると、午後の紅茶程度の甘さだから甘さ控えめといえようが、甘いには違いない。でも、作り替えてもらうの も面倒だし、まずいわけではないので、妥協した。

以前、友人から聞いた話を思い出した。彼女がマンハッタンのチャイナタウンにあるベーカリーで買い物をしていたときのこと。白人男性がたいへんな剣幕で店に入ってきて、怒鳴った。

「僕は昨日、ここでバースデーケーキを買ったんだが、砂糖が入ってなかったぞ!」

チャイナタウンのベーカリーのスポンジケーキはきめが細かく甘さ控えめなのだ。

取るに足らない出来事だが、アメリカ的な強引さが、象徴的でもあり、おかしくもあったので、記した。

 

●半ばインド人となりて。

「国際結婚」というカテゴリーに自分たちが該当しているということを、普段はほとんど意識しないくらい、わたしはA男と極めて自然に、生活を共有している。

A男自身に、わたしが思うところの人間的な魅力があるのも一因だろうが、国籍が異なることで困ることよりも、異なるからこそのおもしろさを感じることのほうが多い。

そうやって異質であることを楽しめるのは、互いにとって第三国である米国に住んでいるからこそでもあるだろう。日常生活においては、家族や親戚のしがらみをネガティブに意識することなく、二人のペースで生活していけるのは、幸運なことだと思う。

そんなわたしたちが、国籍の違いによる隔たりを痛感させられる場面は、互いの国を行き来するときである。父が他界した折、A男が日本へ行こうとした際の、日本大使館での苦い経験については過去に記したかと思う。

急に母国へ帰らなければいけない、というときは大抵、なんらか「よくない出来事」があった場合で、そんなときこそ夫婦が一緒にいたいときである。しかし、急だからこそ入国ヴィザの問題で足止めを食うのであり、それは大変なストレスである。

インド国籍の保持者はたいていの国に入国する際、ヴィザを申請しなければならないのに対し、米国や日本の国籍保持者は、ヴィザなしで多くの国に入国できる。その一方で、インド入国にはヴィザが必要となる。

従って、わたしはインドに渡米するたびに、インド大使館に足を運ばねばならない。

ワシントンDCのインド大使館の場合、平日であれば、午前中に申請すると、午後発行されるが、その時間帯が4時半から5時までの30分間と決められている上、午前中の申請時、長時間待たねばならない。簡単といえば簡単だが、面倒と言えば面倒である。

そもそも旅行前というのはなにかと気ぜわしいわけで、だから一日をヴィザ関連の手続きで費やすのは、気分のいいものではない。

インドへ行くたびに大使館へ出向くのは面倒なこともさることながら、将来、インド在住となった場合のステイタスについても考える必要がある。

ところで、わたしたちは、米国で結婚の手続きをしたので、米国の結婚証明はあるけれど、実際に結婚式を挙げたインドでは、書類上、結婚の手続きをしていない。

一方、日本に関しては、米国での婚姻を日本の戸籍に反映させる義務があるとのことで、わたしが世帯主の戸籍が作成され、そこにA男の名前が記入されている。しかし、そこに彼の名前があるからと言って、日本入国の際、ヴィザの取得が免除されるわけではない。

ひとまず、A男のことはさておき、わたしは自分の便宜を整えたいこともあり、インド大使館のホームページで各種滞在ヴィザについて調べてみた。そのとき、PIO(Persons of Indian Origin Card)カードの存在を見つけた。

これは、世界各地で生まれ育ったインド系移民らが、母国インドに自由に入国できるよう設けられたヴィザの一種で、遡って四世代以内がインド生まれであれば発行してもらえる(パキスタン、バングラデシュの国籍保持者は除外)。

インド系移民だけでなく、インド国籍保持者の伴侶も申請資格があるとのことが記されていた。これはいわば、条件の違いはあれ、米国における永住権、グリーンカードのようなものである。

15年間自由にインドに出入りできるうえ、学校にも通えるし、仕事もできる。選挙権はないものの、不動産の購入も可能だ。

無論、半年に一度は海外に出るか、あるいは書類の手続きが必要とのことだが、インドに移った暁には、年に2回は日本へ帰国するだろうし、アジア各地や欧州への旅も増えるだろうから、わたしにとっては問題ない。

さっそく、PIOカードを申請することにした。

インド大使館のホームページに掲載されている情報に基づき、資料を集めた。順調にことが運べば、[申請]→[約1カ月の待ち時間]→[受け取り] の3ステップですむはずだった。しかし、案の定、そうは問屋が卸さないのであった。

書類を整え、最初にインド大使館を訪れたのは、去年のある夏の日のことだった。我が家は大使館通りであるマサチューセッツ通り沿いにあり、インド大使館まではバスで5分、徒歩20分と近い。 緑がいっぱいで、散策にも好適なルートなので、わたしは帽子をかぶり、ウォーキング気分で大使館を目指した。

その査証課の待合室は、半地下にあり、そこにインド人を中心とする人々がひしめいており、かなり空気が悪い。窓口で番号が記されたチケットを受け取り、隅に置かれていたインドコミュニティのフリーペーパーなどをめくりながら、待つ。

30分ほどたってようやく窓口へ。必要書類は万全にも関わらず、窓口の女性曰く、

「あなたの名前がご主人のパスポートに記載されていませんから受理できません。まずはご主人のパスポートにあなたの名前を記入するための手続きをしてください」

そんなこと、知りませんでした。ホームページにはなかったし……。ここに結婚証明書があるからいいでしょ? 主張してみるが、だめらしい。

日本のパスポートには、最終ページに伴侶の名前を自分で書き込めるようになっているが、インドのパスポートはそのページもラミネート加工されていて、勝手に書き込めないようになっているのだ。

変なの。と思いながら、徒労に肩を落としながら、歩く気力も失せてバスで帰った。

夫のパスポートに自分の名前を記入してもらうべく資料を整え、改めて大使館へ。そしてまた、改めて、自分の名が記入された夫のパスポートを受け取りにいく。

それからまた出直して、いよいよPIOカードの申請である。窓口の女性が書類を確認する。ちなみに手数料は310ドルである。

「資料はこれで整いましたから、手続きをしますが、稀に、発行されない場合があります。発行されなくても310ドルは返金されませんのでご了承ください」

「えっ? それはどういうことですか? 稀に発行されない理由はなんですか?」

「わたしにもわかりませんが、発行されないことがあるんです。理由はわからないから、言えません」

なんだか腑に落ちないが、仕方がない。

「あなたの場合、日本大使館にも問い合わせをする必要がありますから、2カ月から3カ月、かかります」

「え〜!? 1カ月じゃないんですか? わたしは10月末のインド行きに間に合わせたくて申請しているんですけど、間に合わないのかしら?」

「間に合わないかもしれませんね。いずれにしても、2種類以上の手続きを同時進行するのは不可能ですから、では、PIOカードは改めて申請してください」

またしても、無駄足を踏んだ形となった。かなり気分が腐る。腐ってみるが、仕方がないので、またしぶしぶ、家に帰る。

その後、改めて「観光ヴィザ」を取るために大使館を訪れた。永遠にここへ通い続けなきゃならないんじゃないか、という気分にさせられた。しばらくは、来たくないと思った。

そして2005年が明けた。またいつインドへ行くとも知れないから、早いうちにPIOカードを取得せねばと、再び大使館へ。その日は今までで最も込み合っていて、わたしの番が来るまで1時間以上も待った。そしてようやく、書類の申請である。

窓口の女性はこの間の女性とは違う。書類とわたしを見比べて、

「このカードはインド系の人しか申請できません」と一言。

「そんなことはありません。これはインド人の伴侶も申請できるんです。ちゃんとホームページにも書いてありますよ。資料はすべて整っていますから、受け取ってください」

「それでは、オフィサーが来るのを待ってください」

「どれくらい待てばいいんですか」

「わかりません。今、打ち合わせ中ですけれど、すぐに戻ってくると思います」

「わたしはもう、これ以上待ちたくないし、あなたが知らないだけで、確実にわたしにも申請資格があるのだから、受け取ってくださいよ!」

「でも、わたしは、外国人の伴侶に関しての手続き方法を知らないんです。だから受け取れないんです!」

知らないことを得意気に言わないでよ。と言いたいが、言えるわけもなく。どうして大使館やら領事館の職員には、自分の仕事内容をよく把握していない人が多いのだろう。わたしが単に、運悪くそういう人に出くわすだけなのか?

もう出直したくなかったので、仕方なく、オフィサーの登場を待つことにした。10分。20分。30分。50分待っても現れない。もうすでに午前中の申請受付は終わり、待合室は数名を残すのみ。

業を煮やして受付に行き、これ以上待てないからオフィサーを呼び出してくれと頼むが、「呼んだらすぐ来ると言いました。だから待ってください」

わたしは家が近いからまだいいけれど、普通、大使館には遠方から訪れる人が大半で、仕事を休んだりの便宜を整えてなければならないのだ。なのにも関わらず、このいい加減な対応はないだろう。

近所に住んでいるにもかかわらず、遠くに住んでいる人の気持ちになって、より怒りが増してくる。だんだんお腹もすいて来て、いらだちも加速し、もう待っているのもいやだからどうすりゃいいのか、と窓口に詰め寄ると、「直接オフィサーに電話をして、 アポイントメントを取ってください」とのこと。

わたし以外にも別の件でオフィサーを待つ人が数名おり、みないら立ちの表情を隠せない。何なのだもう、この領事業務は! とわなわなしながら、もう帰ろうとコートを羽織ったところで、にこやかにオフィサーの登場だ。更に1時間が経過していた。

オフィサーの個室に通される。人のよさそうな初老の紳士は、わたしの資料を一瞥しながら、親しげに話をはじめる。

「あなたの名前は、ミィホー、サカーター ですね。僕の発音は正しい?」

「ええ、正しいです」

「おう、君の住所は3700 Massachusetts Avenue.ずいぶん近所に住んでるんだね」

「ええ。」

彼は資料に記入されている一つ一つを指で追いながら確認していく。

「生まれは日本のクマモト、アラオ・シティ。生年月日は……ふむ。で、ご主人は、アルヴィンド・マルハン。彼の仕事は?」

「君たちはどこで結婚したの?」

「ほう! ニューデリー。いつ? 2001年の夏?! そりゃあ暑かったろう。なんでまたそんな季節に結婚したの?」

「日本のご家族はいらしたの? そりゃあよかった」

「子供は? まだ?」

「サリーは着られるの?」

「料理はどんなものを作るの? 日本料理? へえ、インド料理も作れるんだ。それはいいなあ。どんなインド料理が好き?」

「ところで、日本のヴェジタリアン料理でおすすめって、何がある? 僕は日本にときどき行くんだけど、ヴェジタリアンの店をなかなか見つけられなくてね」

申請とは全く関係ない(はず)の質問が、次々に発せられる。

わたしは、一刻も早く手続きをすませたいし、世間話をしたいわけじゃないし、そもそも資料を渡すだけですむはずなのに、なぜこんな面接もどきを受けねばならないのかも意味不明だ。

しかもわたしのあとにもイライラしながら待ってる人がいるのに、気にならないのかこのオフィサーは。と思いつつも、反抗的な姿勢を見せて申請が滞ったら(そんなことはないだろうが) いやだから、ひととおりにこやかに応えた。

その最中、彼に電話がかかり、「ちょっと待っててね」と言い残して彼はどこかへ消えた。そうして待つこと更に30分。もう、途方に暮れそうになる。

ようやく再登場した彼は、

「あ、君、もういいから。その資料を窓口に渡して、お金払ってください。それじゃあ!」

わたしはへなへなとした気分で窓口へ行く。窓口の女性が資料を受け取りながら言う。

「では、来月2月3日の午後4時半から5時の間に取りに来てください。念のため、事前に電話確認することをお勧めします」

「え? 2、3カ月かかるんじゃないんですか?」

「いいえ、3週間ちょっとで取れますよ」

なんなんだろう、この情報の格差は! 

「あの、パスポートは返していただきたいんですけど。コピーでいいんですよね」

「いえ、ダメです。オリジナルが必要です」

「でも、前回の受付の人はコピーでいいと言いましたよ」

「オリジナルでなけば、いけません!」

パスポートを1カ月近くも手放すのはいやだったが、もう、これ以上ややこしいことになるのもいやだったので、諦めてそのまま去った。

そして2月3日。受け取りにいく前に、もらっていた電話番号に連絡した。

「PIOカードの申請が下りたかどうか、確認したいんですけれど」

「お名前は?」

「Miho Saka….」

名前を言い終えないうちに軽やかな返事が帰って来た。

「ああ、日本のパスポートね。大丈夫。用意できてますよ!」

小雪が舞い降るその午後、わたしは大使館へ赴いた。窓口で受け取ったとき、それは、日本のパスポートに挟まれ、輪ゴムで繋がれていた。

カードというよりは、ページ数の少ないインドのパスポートのような体裁である。A男のパスポートと同様、紙の質がごわごわとしたものだ。

表紙の上部にPERSONS OF INDIAN ORIGIN CARD、下部にREPUBLIC OF INDIAと記してある。それを受け取った瞬間、思いがけず、胸が熱くなった。それは米国の永住権を手にしたときの「安心感」とは異なった感情だった。

これでA男の祖国へ、自由に出入りできる。仕事もできる。その資格を手に入れたことが、とてもうれしかった。さらには、日本、米国、インドという三つの国に、住むことが許された自分の立場もまた、うれしく思う。

手続きが面倒だったとはいえ、米国の永住権(グリーンカード)に比べると遥かに簡単に、短期間に手に入れられた。

帰宅してA男に見せた。

「ミホはインド人でもないのに、インド人のカードをもらって、変だよね〜」

といいながらもうれしそうだ。

「結婚」という行為は、一瞬の式典により完了するものではなく、そこから少しずつ、互いの距離を縮めたり、溝を埋めたりしながら、体裁を整えてゆくものなのだな、と、それは当たり前のことなのかもしれないけれど、実感した。

(2/18/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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