坂田マルハン美穂のDC&NY通信 Vol. 123 9/30/2004 |
昨日はヒンディー語のクラスでした。授業の前に先生がインドのスナック菓子「サモサ」をふるまってくれました。6時から9時という「夕食時まっさかり」の時間帯につき、みんな空腹で、手や口の周りを油っこくしながらもおいしくいただきました。 授業は計9回のうちこれで3回目。わたしは来月インドに行くため最後の3回は出席できません。つまりすでに半分が終わってしまったというのに、今ようやく、音節文字表と大まかな発音(正しくはまだマスターしていない)を覚えたくらいです。 日本語の平仮名、片仮名、漢字を覚えることに比べれば遥かに楽だけれど、でも、日本語や英語とは全く異なる仕組みと文字なので、何度も「書き取り練習」をしなければ覚えられません。 単語も、簡単なものは読めつつありますが、読めても意味がわかりません。インドに行ったら、きっと看板の文字を追って発音してしまうことでしょう。まるで幼児のように。いったい、どれほど勉強すれば会話ができるようになるのだか……。 今日の授業では、ヒンディー語に取り入れられた英単語の発音の練習をしました。英語での正しいアクセントをこそ正しく学ばねばと思っている矢先に、わざわざヒンディー訛の英単語の発音練習することの、なんて変てこりんな感覚。何かが間違っているような……。
●ボルティモアへ、メジャーリーグの試合を見に行った A男の勤務する会社の本社はボルティモアにある。ボルティモアはワシントンDCから車へ北へ1時間弱の場所にあるメリーランド州最大の都市。200年以上の歴史を持つ、米国の中では「古都」の部類に入る町でもある。 毎週月曜日、A男はボルティモア本社に出勤するので、わたしもいつか一緒に行って観光をしようと思いながら、早くも2年以上が過ぎてしまった。 そうしてようやく先週の月曜日、彼の同僚カップルと夕食をとることになったのをきっかけに、わたしも初めて、ボルティモアを訪れた。夫を会社の前でおろした後、地元のマーケットなどを散策し、インナーハーバーへ車を走らせる。 ボルティモアはチェサピーク湾に面する港町で、インナーハーバーと呼ばれるウォーターフロントは、新旧の建築物がバランスよく立ち並び、再開発が活発な一帯だ。 見事な青空が広がっていたその日、港を望むカフェレストランでランチを食べ、水族館を見学し、かつて工場だった煉瓦造りの建物を用いて建築されたバーンズ&ノーブル(大型書店)で読書をし、楽しいひとときを過ごした。 友人カップルと4人で、彼らお勧めのフレンチで満ち足りたディナータイムを楽しんだのちの帰路。美しい半月を眺めながら、ベースボール・フィールド「カムデン・ヤード」の傍らを通り過ぎたとき、A男が尋ねた。 「美穂はベースボールの試合を見に行ったことがある?」 「うん。1985年の夏に、カリフォルニアのドジャーズ・スタジアムに行ったよ」「どうだった?」 「ものすご〜く、楽しかった。なんかね、試合そのものも、もちろん楽しいんだけど、雰囲気がね、エキサイティングなの。ほら、MCIセンターにNBA(バスケットボール)の試合、見に行ったでしょ。あんな感じの高揚感があって、でもスタジアムはもっと広いし開放的だから、よけいにわくわくするよ」 「僕、一度も行ったことがないから、行ってみたいな」 そもそも我々は、メジャーリーグにはさほど関心を寄せておらず、たまにイチロー選手や松井選手など日本人選手の活躍を小耳に挟む程度。とはいえ、ベースボールの試合には、「事情通」でなくても楽しめる魅力がある。 そろそろシーズンが終わるはずだ。行くならば今がチャンス。翌々日の水曜日、インターネットで調べたら10月の第一週で試合が終了するとの予定だった。ならば早いうちにと、早速その週の土曜日、つまり先週の土曜日のチケットを購入した。 試合はボルティモアのホームチーム(アメリカン・リーグ)の「ボルティモア・オリオールズ」対「デトロイト・タイガーズ」。両者の勝敗状況その他、何の情報もないけれど、ともかくは地元チームを応援するのが筋だろう。というわけで、当日、オリオールズのチームカラーである「オレンジ色のシャツ」を着ていくことだけは決めた。 ちなみにオリオールとは、メリーランド州の州鳥で、オレンジ色のムクドリのこと。「ムクドリたち」。かわいらしすぎるチーム名だ。勝てるんだろうか「虎たち」に。
【夕暮れのボルティモアへ向けてドライブ】 試合の開始時間は4時35分。土曜日の今日は、日中の明るさとナイター気分を両方楽しめる時間帯だ。2時過ぎに家を出て、ルート95を北上する。 道中、車内では歌の練習する。曲目は「Take me out to the ball game」。 ニューヨーク時代、KDDIアメリカの広告関係の仕事をしていたころ、利用者への請求書に同封する「アメリカ生活ハンドブック」なる印刷物を制作していた時期があった。あるとき、アメリカの4大スポーツを紹介し、「Take me out to the ball game」の楽譜も歌詞も掲載しておいたのを、持参していたのだ。 まるで小学校の音楽の時間のように、わたしが何度か歌ったあと、A男にも追って歌ってもらったのだが、度肝を抜かれるほど音痴なA男は、わたしの歌う正規の旋律を全く無視して、自己流の歌を作り上げる。 「違う違う!」の声も聞こえぬふりで歌い続け、それは最早、頭痛を催すほどであったが、こういう機会は滅多にないから我慢する。 ボルティモアの市街に近づくと、左手にカムデン・ヤードが見え始めた。なんだかわくわくしてくる。試合開始まではまだ1時間ほどあるので、インナーハーバーの駐車場に車をとめて、埠頭を散歩しながらフィールドまで歩くことにした。 すでに一帯は、オレンジ色のシャツを身につけている人、ムクドリの刺繍入りキャップを被った人など、フィールドを目指す人々の波ができている。わたしはオレンジ色のシャツ、A男はオレンジ色のキャップ(たまたま持っていた)を被って波に溶け込む。
【そしていよいよ、カムデン・ヤードに入場】 カムデン・ヤードは1992年に誕生した新しい球場だ。しかし、昨今見られる宇宙基地みたいなメタリックな球場ではない。 ちょうど4年前の今ごろ、取材で出かけたベースボールの故郷「クーパースタウン」で見た、世界最古のフィールド「ダブルデー・フィールド」を彷彿とさせる、「懐かしい温もり」のようなものが漂っている。 建物は煉瓦の茶色、スタジアムの鉄筋部分は濃緑と、クラシックな印象を与えるレトロ(復古調)スタイルの建築。かつて操作場だったという煉瓦造りの倉庫が隣接し、フィールドの景観づくりに一役買っている。全米一美しいスタジアムとも言われているらしく、他のフィールド建設の際の参考にもされているとか。 1954年に「ボルティモア・オリオールズ」の名でチームがスタートし、今年は50周年。場内のあちこちに掲げられたバナーに「50」の文字が踊る。 フィールドの外には、ピーナッツやホットドッグ売りが並んでいる。ホットドッグやビールは中で買うとして、A男はさっそく、茶色い紙袋に入ったピーナッツ(殻付きの南京豆)を購入する。 チケットをスキャンにかけてもらい、ゲートを抜けたら、まずはホットドッグの露店をチェック。おいしそうなホットドッグを選ぶ。A男が順番待ちをしている間、わたしはショップへ直行。 今日は出発前から、記念にキャップを買おうと決めていたのだ。ナイロン製の安っぽいキャップもたくさん売ってはいたけれど、せっかくだからカウンターの奧に並べてある、自分にぴったりのサイズを選べる「仕立てのよい」キャップを買うことにした。 "59/50"というメーカーの、メジャーリーグの選手たちがフィールドで被っているというキャップ。帽子の部分は黒、鍔の部分はオレンジ、そしてエンブレムは「ムクドリ」の刺繍。それは「今後愛用しよう!」と思わせるかわいらしいキャップなのだ。 キャップを被って店を出たら、ちょうどA男も食料の調達が完了していた。大きなソーセージの上に、ピーマンやタマネギのスライスを炒めたものが載った、ボリューム満点のホットドッグにフライドポテト。もちろんビールも忘れずに。ちなみにビールのボトルは「スタジアム仕様」のプラスチック製だ。 食べ物のトレーを抱えて、自分たちの席を探す。せっかくだから、できるだけバッターボックスに近い席がいいと、いくつかのチケット販売のサイトをチェックして「フィールド・ボックス席」のチケットを購入していた。 ちなみに、オリオールズの公式サイトでは、すでにフィールド・ボックスは完売で、しかも値段が全体に高かった。 ぐるりとフィールドを半周し(周囲には飲食店の露店が点在)、ようやく自分たちの座席近くにたどりつく。雑巾を片手に持ったスタッフのおじさんにチケットを示すと、席へ案内してくれ、その雑巾で椅子をささっと拭いてくれる。 日本の野球場で観戦したことがないので比較できないが、19年前に初めてドジャーズ・スタジアムに行ったときに感じたときと同様の、何とも言えぬ高揚感、爽快感に包まれる。 大リーグのフィールドはフェンスがないから、より一層、開放感を覚えるのかもしれない。鮮やかな緑色の芝生と黄土色の土の部分の色合いが美しい。見上げれば、夕暮れの柔らかな青空が広がり、なんとも気分がいい。 さっそくホットドッグを頬張る。普段は食べないジャンクフードが、この上なくおいしい。しかも普段は「薄くて嫌い」なんて言っているバドワイザーが、妙においしく感じるから不思議だ。 「おいしいねえ」 「おかしいねえ」 「なんでだろう」 と、言い合いながら、飲んだり食べたり。 家族連れ、カップル、グループと、老若男女さまざまに、しかし手に手にホットドッグやビールを携え、周囲の座席を埋めて行く。そんな様子を眺めているだけでも無性に楽しい。 ところで、かのベーブ・ルースはボルティモアの出身で、彼が初めて入団したチームは、当時マイナーリーグだったオリオールズだったという。ボルティモアには彼の生家やミュージアムもある。ベースボールファンにとって、ここは特筆すべき町なのかもしれない。 カムデン・ヤードのウェブサイトを見ていたら、カムデン・ヤードに関する十数項目のトリヴィアが記されていた。 「このフィールドは、ベーブ・ルースの生家の2ブロック先にある」 「ベーブ・ルースの父は、かつてこのフィールドの中心部に位置する場所で、カフェを経営していた」 「カムデン・ヤードに属する隣接の倉庫は、東海岸で最も長いビルディングである」 などなど。 その雑学集の中に、次の一文があった。 Hideo Nomo threw the only no-hitter ever pitched here on April 4, 2001. 野茂選手は2001年4月4日、カムデン・ヤード初のノーヒッターを記録したとのこと。ちなみに野茂選手にとって、メジャーリーグにおけるノーヒット・ノーランはこのときが二度目だったという。 最近ではイチロー選手や松井選手の話題で花盛りだけれど、野茂選手を含め、多くの日本人選手がこの国でがんばっているのだなあと感慨深い。
【国歌斉唱のあと、試合開始】 ちょうどホットドッグを食べ終わったところで、いよいよ試合開始。両チームの選手たちが次々にフィールドに現れ、みな一斉に拍手。 直後、みな起立、脱帽して国歌斉唱。バッターボックスのあたりに、紺色のジャケットを着た男性合唱隊数名が、"The Star Spangled Banner(星条旗よ永遠なれ)"を歌う。胸に手を当て、歌う人々。 そしてようやく、試合が始まった。 「ベースボールを見たい!」と言いながらも、実はベースボールのルールをよく知らないA男に(なにせインドはクリケット一筋なので)、「選手は9人だ」に始まる初歩的なルールをかいつまんで説明する。A男はスポーツ・芸能関係に弱いのだ。 ある程度の情報を把握したら、もう「僕は十年来のオリオールズファン」という風情を漂わせながら、応援を開始する。 平凡なプレイにも"Great!!"とか叫んだりして、その単純さがちょっぴり恥ずかしいけれど、とても楽しそうなので、わたしも意地悪を言わないよう我慢する。でも、そういう事態が何度か続いたので、つい一言、口を挟む。 「ねえ。ああいうボールはね、凡打(easy fly) って言って、簡単にキャッチできて当然なのよ。だから、別段、ファインプレーでもなんでもないからね」 「でもさあ。選手にとっては簡単かもしれないけど、美穂や僕にはキャッチできないでしょ? やっぱり、すごいよ」 そりゃ〜そうだけどさあ。相変わらず、いい味出してるマイハニー。 初回でオリオールズが2点を先取。場内が一気に盛り上がる。しかし、ゲームは比較的単調で、誰もホームランを打ってくれないのが寂しい。わたしは観衆がウェーブを作るのを、とても楽しみにしているのだけれど……。 とはいえ、選手の名前を覚えたり、電光掲示板の意味を検討しあったりと、退屈することはない。 わたしたちの後の席では、父親と息子が楽しげに話をしている。こうして試合を見ながら、ふだんは話さないようなことを、話す親子がきっとこの観客席に満ちあふれていることだろう。 試合の間中、オレンジ色のTシャツに身を包んだ食べ物売りがひっきりなしにやってくる。ピーナッツにクラッカージャック、綿菓子、ホットドッグにビールにジュース、シャーベット……。 ピーナッツがひゅんひゅんと飛び交う様を見るのも楽しい。 途中、席を立ち、写真撮影をしにバッターボックスの近くに接近した。選手らが実に間近に見られて、こんなことなら、9月上旬のヤンキーズ戦に来たかった、と思う。ここから、「松井さん、がんばって〜!」と叫びたかったなあ。 しかしその際は、オレンジ色のシャツ着用じゃまずいな。ムクドリのキャップを被っている場合でもない。 ある選手が、ある回で、立て続けに5、6本のファウルボールを打った。ボールはあちこちに飛び交い、そのたびに客席は大騒ぎ。ファウルボールをキャッチするためにグローブやミットを持参している人も多く、一人のおじさんがしっかりとミットでキャッチしたときには、一段と座が沸いた。 「僕もボールを取りたい!」と切望したA男だったが、わたしたちの席には残念ながら飛んでこなかった。
【そして7回。みんなで歌う】 ♪Take me out to the ball game. Take me out with the crowd! 7回裏、ホームチームの攻撃が始まるまえ、観客たちは立ち上がって、みんな一緒に"Take me out to the ball game" を歌う。そう。この瞬間のために、道中の車内で歌の練習をしたのだ。 電光掲示板に歌詞が映し出される。 Take me out to the ball game. Take me out with the crowd. Buy me some peanuts and cracker jack, I don't care if I never get back, Let me root, root, root for the home team, If they don't win it's a shame. For it's one, two, three strikes, you're out, at the old ball game. この歌が作られたのは1908年のこと。一度もベースボールを見に行ったことのなかった詩人ジャック・ノーワースが、マンハッタンの地下鉄に揺られているときに閃き書いた歌詞だという。 「ベースボールのゲームに連れていって といった、カジュアルなノリの楽しい歌なのだが、何よりもわたしが感動したのは、ベースボールのゲームでは、100年前からすでに、ピーナッツはまだしも、「クラッカージャック」(キャラメルがコーティングされたポップコーン)が定番で、今でも同じ物が売られている、という事実だ。 その「変わらなさ」が、ものすごくいい。 次々に新しいものに飛びつかない、理由はともあれ「変わらなさ」は、世代を繋ぐひとつの絆にさえなる。わたしも思わず、そのクラッカージャックを買った。 善し悪しはともかく、米国では、日本のように次々と新しいお菓子(だけでなくあらゆる消費商品全般において)が登場することはない。 何年経っても同じパッケージや同じデザインのお菓子が店頭に並んでいる。ハーシーチョコレートにM&M、フリトレーのポテトチップ、e.t.c...それは、何もかもが目まぐるしく移り変わる世の中にあって、最早、安心感すら与えてくれる。 祖父も父も僕も息子も、ボールゲームで食べるはクラッカージャック。歌うはTake me out to the ball game。同じ色、同じ匂い、同じ音した懐かしさ。 最終的に、ゲームは3対0でオリオールズの勝利。試合時間は2時間15分と、あっというまだった。 試合開始時にはまだ明るかった空も暮れて、照明のまばゆさがまた美しい。これといったファインプレーもなく、誰もホームランを打ってくれず、だから楽しみにしていたウェイブもできず、ゲーム展開そのものは、ちょっと物足りなかったけれど、雰囲気は十分に楽しめた。A男もとても、喜んでいた。 カムデン・ヤードを出ると、特設の野外ステージではライブが行われていて、とても賑やか。インナーハーバーでも、土曜の夜とあって、ストリートミュージシャンや大道芸人がパフォーマンスをしている。 本当は、夜景でも見ながらディナーを食べて帰る予定だったけれど、もうホットドッグやビールやスナックでお腹いっぱい。 来年もまだ、ワシントンDCに住んでいたら、今度はヤンキーズ戦を見に来ようと思う。そのときは、あらかじめ、ニューヨークヤンキーズのキャップを用意して。濃紺のTシャツを着て。 ※「片隅の風景」(9/25/2004) に写真を掲載しています。 (9/30/2004) Copyright: Miho Sakata Malhan |