坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 120 8/17/2004 


日本各地の、異常なほどの暑さも少しずつおさまりはじめているようですね。前回のメールマガジンを出してから、またしても、早くも1カ月近くがたとうとしています。その間、A男の誕生日など、小さなイベントごとがあったものの、この夏は、まとまった休みを取ることなく、過ぎていきそうです。

日本の実家では、「宗教に囚われない葬儀」をしたものの、「初盆」ということで、多くの方々がご来訪くださったようです。まだまだ、父の記憶が鮮明で、思い出にできるような状況ではありませんが、母も少しずつ、一人の環境に慣れるよう、努力をしているようです。

さて、わたしも「一人初盆」を行おうと、白檀のお香をあげ、父が生前、なぜか何冊も購入していた「おまもり般若心経」というとても小さな冊子をもらって帰っていたのを取りだして、読み上げてみました。

おまけに「筆ペン」で「写経もどき」もやってみました。昔、書道をやっていたので、そのときの心を思い出しつつ。

般若心経はそもそも、インドから中国を経由してやってきたということで、A男も知っているかと尋ねたけれど、よく知らないようでした。インドは最早仏教ではなく、ヒンドゥー教が多数の国ですからね。

わたしは、「遠離一切顛倒夢想」という言葉の響きと文字の連なりが気に入りました。ちなみに「般若」とは、梵語(サンスクリット語)の「パンニャー」という語の音からきた語で、「智慧」という意味だそうです。

インターネットなどで般若心経の意味を調べた上で読むと、内容がより現実的に感じられました。

 

●アテネ・オリンピックと我が家

普段はあまりテレビを見ないわたしたちだが、オリンピックのときには、さすがに注目してしまう。週末借りてきたDVDは、結局見ないまま、テレビのスイッチが入っている間は、オリンピックを流していた。

わたしはアメリカに暮らして8年、A男は十数年たつが、とはいえ、アメリカチームを応援しようという気持ちにはあまりならない。出場者の少ないインドはともかく、わたしは当然、日本人選手の動きが気になる。しかし、ここはアメリカ。なかなか日本人の試合が見られないのはもどかしい。

ということを書きながら、前回のオリンピックのことを思い出した。このことは、4年前も書いた気がする……と。今、ホームページを遡ってみたところ、シドニーオリンピックのことを書いているのは、このメールマガジンの「2号目」だった。

発行当初から読んでいただいている方は、もう4年以上のお付き合いなのですね。

さて、開会式の模様が放映された日。いつ日本が登場するだろうかと、夕食の準備をしながらテレビをちらちらと気にしていたところ、まるで我が家のための順番、とでもいおうか、「米国」「日本」「インド」が続けて登場した。

ものすごい数の選手たちが連なる米国。その選手らを、当然ながらしっかりと、なめるように撮影する米国放送局のカメラ。次いで日本。どれどれ、と身を乗り出して見るが、カメラは「あ〜っ!」と言うまに視線を外す。

次いでインド。オレンジ色のターバンを巻いた男性、サリーを着た女性らによる、「すかすか」の隊列は「あっ!」というまもなく画面から消えた。

「ああ、インドは人口がたくさんいるのに、どうして、あれだけなんだろう!」

前回と同様のぼやきが、A男の口からもれる。インドのスポーツといえば、あの「クリケット」だもの。クリケットにはじまり、クリケットに終わるインドのスポーツ。

それにしても、あのオープニングの花火はしかし、派手だった。あれはきれいと言うよりは怖ろしく、爆撃のようにさえ見えた。聖火台なんて、巨大な砲台みたいだったし。きれいと怖ろしいは紙一重だとさえ思った。

それはともかく、わたしよりも熱心に観戦しているA男は、日本人が登場するたび、書斎にいるわたしを大声で呼ぶ。

「ミホ〜! 日本人!」

男子の水泳の「準決勝」で北島選手が1位だったときは、自国の選手がいないこともあってか、我が国のことのように喜んでいた。日本のニュースで彼が後日、金メダルを取ったことを知り、そのことを彼に告げたら、「ああ、もう、結果を教えないでよ! 今夜観るのを楽しみにしていたのに!」と怒られた。

体操の男子団体総合における日本人の活躍にも感嘆していた。そして、わたしは今現在(米国東海岸時間の8月16日夜)、すでに結果を知っているのだが、A男には教えておらず、あと数分後には決勝の様子が映し出されるはずである。

わたしはここ数日、リビングでテレビを観たり、コマーシャルや興味のない競技の間は書斎でコンピュータに向かったり、ともかく行ったり来たりと何かしら落ち着きのない夕べなのである。

さて。日本人選手を褒めながらも、なにかしら、わたしの前で「意地悪」を言いたいところもまたA男である。

「ミホ。日本の体操選手さあ。どうしてあんな、ピンピンはねた、不揃いな髪型なの? アテネに行く前に、ヘアカットに行って、トリム(切りそろえ)するべきだよねえ」

と、競技とはまったく関係のない部分に注文をつける。あれが、多分、今時のファッションなのだろうけれど、そういうことは、彼にはわからない。ちなみに、わたしにもよくわからない。

女子の水泳や飛び込みを見ているときは、

「みんなビキニにすればいいのにね」とか、

「東洋人はスリムでキューティーだけど、胸がなさすぎるよね」

とか、やはり競技とは関係のない、「余計なお世話」な部分に関心が寄せられる。

更には、中国チームが出ると、独り言が増える。そもそも、インドと中国は政治的に対立していることもあるが、近年は中国のめざましい経済高度成長が、どうも気に入らないらしい。スポーツとは関係のない面で、いちいち競争心を燃やす。

「中国経済よりも、インド経済の方が可能性がある」だの、

「だいたいさ〜。インド人の方が賢いよね。ミホもそう思うでしょ?」だのなんだの。もちろん、冗談半分ではあるが、何かしら、悔しいらしい。

ともかく、彼にしてみれば、なぜ中国がここまで選手を輩出しているのに、近い位置づけにある(と本人は思っている)インドが、こんなに地味なのか、どうにも合点がいかないのだ。

「中国は、なかなかやるよね。国のイメージ向上に貢献しているよね。オリンピック出場による経済効果もはかりしれないな」

「ぼくがもしもインドの政治家だったら、スポーツ振興に投資するんだけどな。オリンピックって国力を示す、ひとつの大きな舞台だし。でもインドの政治家はダメだからなあ……」

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さて。上記を書きあげた直後に、男子体操の決勝の様子が放映された。今、夜の11時半。見終わったところだ。結果を知っていたのにも関わらず、見るときに、とても緊張した。ルーマニアの選手が失敗したのもまた、痛ましかった。

アメリカの選手ばかりがきちんと映され、日本選手はなかなか現れない。しかし、最後の種目の鉄棒になり、ようやく、すべての選手が演技している様子が映された。

米国、ルーマニアに続き、日本チームは最後である。結果を知っていても緊張する。

A男は、競技する選手の名前が映し出されるたび、

「ガンバッテ! ツカハラ サン!」

「ガンバッテ! カシマ サン!」

と、声をかける。わたしは体操に詳しくないけれど、彼らの演技は本当に、美しいと思った。他の国の選手にはない、動きの滑らかさに目を見張った。「クリーミー」とでも表現したくなる、しなやかな身のこなしが印象的だった。目頭が熱くなった。

最後の演技が終了するまで、常に感情を抑えた続けていたその表情もまた、ぐっと心に迫った。こちらで生活をしていると、感情炸裂型の人々を主に見ているせいか、あのように淡々と、しかし「心の中で炎をメラメラと燃やしている」という感じの動作が、とても新鮮でかっこよく見えた。ほれぼれした。

いつも思うことだけれど、世界中が注目している中、競技に挑戦するというのは、どれほど緊張することだろうか。見ているだけで、これほど緊張するのだから、実際の緊張感は計り知れないだろう。

最近は、インド行きやら何やらで、本人にとっては「人生の荒波まっただなか」にいるらしいA男。端から見れば問題なく思われるのだが、あまり「打たれ強い」方ではないので、何かと煮詰まりがちである。

そんなA男は、彼らを見ながら、「ぼくの仕事のストレスやプレッシャーなんて、彼らのそれに比べると、本当に、なんでもないね」と、いいながら、珍しく自省していた。

思わぬところで、オリンピックは、我が家の日常にも変化をもたらしてくれたようだ。オリンピックが終わるとともに、その気持ちがなくなってしまわないことを祈る。

さて、話題は変わって、今日は日常のことを少し書こうと思う。

 

●最近の暮らし(1):健康について

身の回りで病を患う人々を見るに付け、まずは「健康管理が大切」という気持ちが強くなってきた。以前なら無理ができたことも、年を重ねるとともに、そうはいかなくなる。だからと言って、過剰に意識しすぎるのもよくない。だから、あくまでも自然に、「面倒」と感じない程度に、健康維持のための努力をしている。

ニューヨークにいたころは、栄養のバランスを考えていたとはいえ、外食やデリバリーが主で、決してヘルシーな食生活とは言えなかった。しかしDCに移ってからは、平日はほとんど料理をするようになった。それだけでも、従来に比べれば健康的だ。

食材は、以前ニューヨークのことを書いた号で記したが、ホールフーズというスーパーマーケットで、できるだけオーガニックの食材を購入することにしている。一般の食材に比べると少々割高になるが、外食をすると思えば格段にリーズナブルだ。しかも、そんなに大量に食べるわけではないから、買い物を工夫すれば、無駄がでない。

さて、わたしたちは、どんなときにも朝ご飯を食べる。ヨガをして、シャワーを浴びて、ハーブティー(ハチミツやジンジャーのすり下ろしを加える)を飲んだ後、フルーツやパンやシリアルなどでの朝食だ。

そこに最近、加わったのは、日本の雑誌でレシピを知った「ニンジンジュース」。ニンジンとリンゴ、レモンやライムの絞り汁、それにありあわせのフレッシュジュースを少量加えてブレンダーにかける。

これは、ジュースというよりも、器に入れてスプーンで食べる「離乳食的」な食べ物であるが、これは体内をきれいにしてくれる感じがして、とてもいい。A男もとても気に入っている。

1回(2人分)につきニンジン3本、リンゴ1個を使うため、買い物の際にはそれらをたっぷり買いだめる。以前は大きな袋に山ほどのニンジンが入ったのを見るに付け、「だれがこんなにニンジンを買うだろうか」と思っていたが、わたしが買っている。

最初は準備が面倒に思えたが、慣れれば3分もかからない。このジュースをはじめてからは、ランチタイムに野菜があまり取れなくても、さほど気にならなくなった。おすすめです。

 

●最近の暮らし(2):美容について

「美容について」なんてことを、素人のわたしが語るのも気恥ずかしいが、ま、たまには、いいだろう。「等身大」ということで、許していただきたい。

先日、日本に帰国した折、数多くのカルチャーショックを受けたが、そのうちのひとつが、化粧品の種類の多さだった。ともかく、ブランド数、商品数が多い上に、栄枯盛衰、つまり流行の変遷が目まぐるしい。

そんな中で、消費者たちはどうやって、自分に合ったプロダクツを見つけるのだろうかと不思議に思う。使い切れない化粧品が山ほど残っている人も、きっと多いに違いない。ちなみに我が家の場合、わたしが購入して肌に合わなかった化粧水などは、A男のアフターシェーブローションとして再利用される。

わたしは、日本にいたころ、基礎化粧品は「カツウラ」とか「アルソア」とか、刺激の少ないマイナーなブランドのものを使用し、口紅などは、特にメーカーの拘りなく、気に入ったものを使っていた。

ところが米国に来てからは、水や空気との相性の問題で、肌のトラブルが増えた上、ある時期は、スパのエステティシャンに勧められて数回使用したフランス製のプロダクツにダメージを与えられ、一気にニキビ(吹き出物)が出るなどの被害に見舞われた。皮膚科に行き、薬をもらったほどだ。

それからは、プロダクツ選びにも慎重になり、できるだけ刺激の少ないものを探してきた。そうして数年前にたどりついたのが、AWAKEの商品だった。これは、日本のコーセーがニューヨークで販売開始したもので、低刺激で香料もごく弱く、化粧水や洗顔などもわたしの肌に合って、気に入っている。値段も、さほど高くないと思う。

最近では日本でも手にはいるようになり、米国で買うよりも日本で買う方が安いので、帰国した際、まとめて購入した。

ところが、このAWAKEをしのぐ、「激安」かつ「高品質」のプロダクツに最近、遭遇したのである。その出会いは、前回のインド旅行であった。

バンガロールで「A男の父の友人の娘」が経営するスパに行ったのだが、まず、その女性(インド人とフランス人の混血)の肌が感嘆するほど、見事に美しいことに驚いた。

オーストラリアで修業したというその彼女のフェイシャルのスキルがまたすばらしく巧みで、「毎月、ここに来たい!」と思ったほどだ。物価が安いこともあり、1時間以上のフェイシャルが10ドルもしないところも魅力で、毎月どころか、毎週でも行きたいくらいだ。

その彼女が勧めてくれたのが、以下のプロダクツだった。

まず洗顔は、ジョンソン&ジョンソン社のCLEAN&CLEARというもの。これは米国にも売っているが、インド産とは内容が違うかも知れない。あくまでもインド製がお勧めである。これが1本42ルピー。つまり約1ドル。約100円である。

この洗顔は、今まで使ったどの洗顔フォームにも勝るとも劣らないクオリティで、現在わたしは買いだめきたものを愛用している。

化粧水やパックなどは、BIOTIQUEというブランドの商品。これらはアーユルヴェーダのレシピに沿って作られた商品で、肌質に合わせてさまざまなタイプがある。ここの化粧水が1本2ドル程度。

それからわたしがとても気に入っているのが、やはりBIOTIQUEフルーツのパック。これはたっぷり入っていて4ドル程度。週に一度、これを使用すると、肌が柔らかくなる感じがする。

インド滞在中、別のスパでヘッドマッサージをしてもらったところ、インド人に比べると日本人は髪の毛が少ないせいか「あなたは抜け毛が激しいから、ココナツオイルで週に一度マッサージしなさい」と勧められ、おすすめのオイルを購入してきた。

それはPARACHUTEというブランドの100%天然ココナツオイルで、500ml入りが2ドル弱。値段はさておき、これがもう、まさにココナツの香りで、これで頭皮や足などをマッサージするたび、自分が「お菓子になって焼き上げられる」ような気分になる。本当に、甘くておいしいココナツクッキーみたいな匂いなのだ。

それからバンガロールでは、国営の土産物店で、サンダルウッド(白檀)のオイルも買ってきた。バンガロール近辺はサンダルウッドの産地で、政府のコントロール下、数量限定で商品が生産されている。

店の人にものすごく勧められて小さなものを2瓶(これは高くて1つが20ドル程度)購入したが、あとでインターネットで調べたら、同じ量だと日本では数万円で売られていることがわかって、ちょっとうれしかった。

この白檀のオイルは、他の無香性オイルと混ぜてマッサージに使ったり、バスタブに垂らしていい香りの入浴を楽しんだりする。1本は母にあげた。

このほか、ニューデリーでは、義姉スジャータに連れられて、国営のソープ&石鹸のショップへ行った。そこでKHADIというブランドの、やはり格安のナチュラルソープ(ミントやストロベリー、ローズなどのグリセリンソープ)や、ローズウォーター、レモン、ミントのシャンプーなどを購入した。

このグリセリンソープがまた自然な香りで、泡がまるでホイップクリームのようにきめ細かく、気持ちいいのだ。

なんだか、インド商品自慢になってしまったかしら。インドに縁のある読者の方々も少なくないので、今回、具体的な情報を書き記してみた。

というわけで、前回、インドから戻ってきて以来、ことさらにスキンケアに目覚め始めた次第である。今までは、たまにフェイシャルには行ったりしていたものの、さほどスキンケアに力をいれているわけではなかった。

しかし、わたしもまもなく39歳になり、これはいよいよ、お肌の曲がり角で、これから先はなんらかの努力をしなければ、くすんでいく一方だと自覚したのだ。A男も、わたしが「おばば化」するのを恐れているから、フェイシャル行きを奨励してくれる。

本来ならば、「月に最低1回でもフェイシャルに行くと、肌の若々しさの維持に貢献する」と、表現すべきところを、敢えて、

「月に最低でも1回はフェイシャルに行かないと、顔がどんどん、年取っていくらしい」と、少々(かなり)脚色した表現してみたところ、何か怖ろしいことでも言われたかのような顔をして、

「ミホ、フェイシャルには、ちゃんと行ってね」と頼まれた。ふふふ。

わたしは、できるだけ若々しくありたいと思う。けれどそれは「若く見られたい」とか「若作りをする」ということとは違って、精神も風貌も、年相応の余裕や品性を兼ね備えた上で、若々しく、溌剌としていられたら、と思う。

わたしは今回、日本に帰って、二十代、三十代の成人した女性が、過度に子供っぽいしゃべり方をしたり、無闇に媚びていたり、若作りをしすぎて不自然だったりするのをみて、思いを新たにした。

今までは漠然と、「老けて見えるよりは若々しいほうがいい」と思っていたけれど、そうではなく、年齢を重ねているからにじみ出るものを大切にしながら、媚びることなく、溌剌としていたいものだと、少々具体的にイメージするようになった。

とはいえ、口で言うのはたやすいが、実際にそれがどういう状況を示すのか、実はよくわからない。今後のテーマである。

よく言われるように、見かけの輝きは、内部を反映するわけであるから、心を穏やかに持つ暮らしを実現するよう心がけてもいこうと思っている。

ストレス、というものを、なるだけ感じないように努力し、毎日のヨガや半身浴や瞑想などで、心身をリラックスさせ、自分のさまざまを「ふりだし」に戻す。そんな毎日を、今過ごしたいと考えている。

今、ライフワークとなる仕事について、自らに問うことの多い日々だが、まずは、こうして心身の健康があってこそ。と思う。そのライフワークについてはまた、別の機会に、改めて書きたい。

(8/17/2004) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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