坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ
Vol. 109 2/13/2004
米国東海岸は、1月後半から2月の上旬にかけて、猛烈に寒い日々が続きました。しばしば「氷点下」の厳寒に見舞われ、バス停で立っていることさえ、あまりの寒さに身の危険を感じるほどでした。 【激寒ニューヨーク】そんな1月末、久しぶりにニューヨークへ行ったのですが、相変わらずニューヨークはわたしを歓迎してはくれず、毎度の如く、ひどい天気で迎えてくれました。わずか3泊4日の滞在だというのに、2日目は夜から大雪が降り始め、3日目は街中が雪景色。 ともかく寒いし、道は雪やら凍結やらでうまく歩けないし、散々でした。ともかく、やるべき仕事の打ち合わせと、友人との会合はできたのですが、もう、暖かくなるまでは行くものか! と決意を新たにした旅でした。 【またまたお勉強】2月に入ってから、週に2回、ジョージタウン大学の生涯教育プログラム(夜間)の英作文のクラスに通い始めました。去年のフルタイムに比べると、週に2回でしかも2時間ずつなので、極めて楽ですが、日ごろの積極的な学習が望まれます。これが実に難しい。 加えて、3月からは、日本の通信教育を利用して「日本語教師養成コース」の勉強を始めます。これは、インドのIT都市、バンガロールに行ったとき、地元の新聞で「今、最も望まれている外国語は日本語」の記事を読み、インドで日本語を教えることを一つの仕事にしようと思ったからです。 無論、日本語は、特に資格がなくても、知識と実力があれば教えられるのですが、やはりきちんと勉強をしておいた方が自分としても教える際に役立つと思われたので、始めることにしました。 そもそも、学生のころは国語の教師を目指していたし、日本にいたころから日本語教師の仕事に興味があって、少し勉強した時期もあったので、これはいい機会だと思っています。日本から教材が届くのが楽しみです。 【今週末は温泉へ】今週末は、プレジデンツ・デーにつき米国は三連休です。久しぶりに郊外の温泉に行くことにしました。以前も書いたかと思いますが、日本人の妻とアメリカ人の夫が経営する民宿です。大きな浴槽があって日本的な温泉浴ができるのが魅力です。 こちらに住んでいて、なにが恋しいかと言えば、情趣のある露天風呂。この温泉は露天ではないけれど、一面の窓から自然の風景を見渡せる「展望風呂」があるので、決して悪くありません。特に産み立て卵で食べる「卵かけごはん」の朝食が楽しみです。こちらの卵は普通、生では食べられないので。
●『muse Washington DC』をやめてしまった。 インドから帰ってきたときに、もう、『muse DC』を制作する気持ちがまったくなくなっていた。発行開始以来わずか1年。5号しか出していないのに、しかし、もう、熱意のかけらもなかった。 定期購読をしてくださっていた方々を除き、ワシントンDC首都圏以外に住んでいる読者には、ほとんど無関係なことだと理解しているが、廃刊に至る心情を、綴っておこうと思う。 『muse DC』は、『muse new york』と同様、利益のための仕事ではなかった。そもそも、広告を大量に取らない限り、フリーペーパーで利益を上げるのは不可能だ。 『muse new york』は、ニューヨークにいたわたしが、クライアントの仕事ばかりで、自分の視点が狂ってしまわないように、自分の特色を表現するために、そして更にはミューズ・パブリッシングの営業ツールとして使うために、存在していた。『muse DC』もそれに似ていた。 両紙とも、途中から広告料金で印刷経費は捻出できたから、あとはわたしが「無償労働」をすればいいわけで、数字として赤字になることはなかった。『muse DC』の方が広告は圧倒的に少なかったが、その分、発行部数もページ数も少なかったから、やりくりができたのだ。 去年、『muse DC』をはじめたとき、わたしはその前年、『街の灯』を出版し、次に何をやるべきかについてを模索していた。その後、フィクションを数本、書き始めた。しかし今の自分にはこの作業は向かないとわかったので筆を置いた。 数カ月、机に向かうばかりの日々を続け、息が詰まり、通気性の悪い暮らしを忌々しく感じ始めた。そんなとき、『muse DC』の発行を思い立った。『muse DC』を、ひとまずは自分がワシントンDCに肉迫するための、そして自分を煽って街に飛び込んでいくための、手段にしようと思った。 もちろん、何らかの形で日系のソサエティに貢献できればとも思った。でも、手応えは浅かった。 自分なりに、例えば「桜祭り」のイベントの折にも、積極的に『muse DC』に紙面を割き、わかりやすい情報を掲載した。イベントを仕切る団体にも働きかけた。日本大使館にも広報センターにも、わたしなりに働きかけをしたが、暖簾に腕押しだった。 ニューヨークと違ってDCには日系の無料誌がほとんどない。『muse DC』のようなクオリティの冊子は、多分ここ数年のうちで、初めて登場したのではないだろうか。自画自賛するようだが、それは事実だ。そしてそのことは、読者の人々からの反響も少しずつ得られ、それは充足感にも結びついていた。 けれど、つまるところ、わたしは、どうしてもこの街に興味が持てないのだ。もう、仕方ないくらいに。インドから帰ってきて、それが明らかになった。やりたくないことのために、何かを見つけだして、日系社会のためだけに何かをやることにも疑問を感じ始めた。 同時に自分の年齢のことも考えた。わたしは今年の夏で39歳になる。20代の大半は東京で突っ走っていた。そして30代の大半はニューヨークで新しい自分の可能性を試した。では、40代の自分は何をするのか。 30代と似たようなことを引きずりつつやるのはつまらない。新しいことをしたい。だからインドにも行きたい。インドで新しいビジネスを始めたい。その構想を練り、準備することの方が、『muse DC』の企画を考えるよりも遥かにエキサイティングだ。 無論、インド行きに関しては、わたしがどんなに「のり気」でも、ともかくはA男の仕事が優先だから、彼の状況次第だが、たとえば40代はインドで過ごすことになったとした場合のことを考えて、今はこの街でできる、自分のやりたいことだけ、そして自分にとって投資となることだけに専心しようと考えた。 それは、更なる英語の勉強であり、日本語教師になるための勉強であり、インドに関する情報収集である、あるいは、過去を整理する文章を書いたりと、さまざまである。それらを、やっていこうと思った。 ちなみに、「過去の整理」の一環として、ホームページで「一日一過去」というコーナーを設けた。これまで旅した場所の心に残る写真と言葉をセットにして紹介している。自分としてはとても気に入っている企画だ。「旅情を誘う」のも一つのテーマなので、ぜひともご覧ください。 http://www.museny.com/2004/past-cover.htm さて、現在の私は、A男のお陰もあって経済的な心配をすることなく、ある程度、自分がやりたいことをできる状況にある。ニューヨークにいたときに比べると、それは考えられないほどの精神的なゆとりだ。 「女性が真に自立するには、経済的に自立するべき」 それでも去年は、そんな言葉が耳にひっかかることがしばしばだった。けれど、そういう概念や理屈や意地はもう潔く捨て去り、自分の恵まれた環境を享受するべきだと考えるに至った。これは願ってもいないチャンスなのだから、ありがたく過ごすべきだと。 私たち夫婦が常に支え合って、二人で生活を営んでいることには、なんら変わりはないのだから。 『muse DC』を廃刊するにあたっては、広告主の方々にお礼とお詫びの連絡をし、やはり定期購読者の方々に、お礼とお詫びの手紙と差額分の小切手を郵送手配した。 色々と思うところはあるが、こんなにもきっぱりと次に進もうとしている自分に潔さも感じている。やりはじめたことが、すべて正しいわけではない。続かないこともある。なにもやらないままでいたのではなく、ともかく「やってみた」自分を評価しよう。 そしてまた、新しい日々を始める。
●まずいエビ。 年が明けたばかりの先月中旬、ダウンタウンに行く用があり、寒い中出かけた。用事をすませたころは、ランチタイムだったので、いつも『muse DC』を置かせてもらっていたオフィス街のただ中にある日本食レストランで食事をすることにした。DCの数少ない日本料理店の中でもよく知られている店だ。 昼時だというのに、客はわたし以外、日本人が一組しかいない。この店は夜が勝負なのだろうと思って、メニューを開く。ランチメニューはなく、定食物はどれも12、3ドル以上。界隈には10ドルを切るランチメニューを揃えた店が多いから、客が少ないのも当然かと思われる。 わたしはちらし寿司の「上」18ドルを頼んだ。日本の感覚だと18ドルは安いと思われるかも知れないが、アメリカで、それも高級でもない日本食レストランでちらし寿司18ドルは、結構、いい値段である。「並」だと、構成物が著しく地味なことが予想されたため、「上」を頼んだ。 しかし、予想は裏切られた。「上」でも「並」並みかそれ以下の地味さ。ちんまりとした、華のないチラシ。しかも、味噌汁さえつかない。だいたいランチなんだし、味噌汁くらいつけてくれればいいのに。と、不満げに思いながら、まずはマグロの刺身を一口。たいしておいしいわけでもなく、鮮度が高いわけでもなく、スーパーマーケットの寿司並みの味。 それにしても、何かが、匂う。 何か、腐った物が、まさか入っているわけじゃないだろうと思いつつ、ゆでたエビを口に入れて、思わず吐き出した。かなりの酸味と異臭。 なんだこれは! と思って、ナプキンにのせ、端によけた。従業員が来たら苦情を言おうと思いつつ、めげずに他の刺身を食べるが、なんだかもう、全体にまずい気がして、楽しめない。 ようやく奧から従業員(中年の日本人女性)が出てきたので、ナプキンに載せたエビを渡しながら言った。 「これ、すごく変な匂いがして、悪くなってる気がするんですけど……。とても食べられないです。板前さんに言ってもらえますか?」 しばらくして、奧から板前さんが出てきた。わたしはてっきり、寿司のイロハをよくしらない、日本人以外のシェフが出てくるものと予測していた。しかし彼は中年の日本人男性で、貫禄のある寿司シェフであった。(この人が、あんな寿司を出したの?)と思うが早いが、彼は言った。 「あの、エビがおかしいとのことですけどね。あれはちょっと、漬け込みすぎただけなんですよ。腐ってる訳じゃないですから」 そう言って、あっさり暖簾の向こうに去っていった。 予想外のコメントを投げつけられ、わたしは言葉を失った。では、漬けすぎていない、臭くないエビを持ってくるかといえばそうではなく、寿司の料金を割引するかと言えばそうでもなく、まるで苦情を言ったわたしが「お門違い」であるかのような対応にての、一件落着であった。 不愉快な気分で店を出て、思った。 まずくて食べられないエビは、腐っているも同然ではないか。 腐ってなければ、どんなまずいものでも、出していいのか? 歩いているうちに、だんだん腹が立ってきた。あんなエビを出して、板前として恥ずかしくないのか? お客においしいものを食べてもらいたいという気持ちは、まったくないのか? ただ収入が得られれば、仕事はそれでいいのか? わたしは、「仕事のありかた」と「自分の生き方」とを、はっきりと切り離して考えることはできない。収入の高低、やりがいがあるか否かに関わらず、どんな形であれ、いったん自分が引き受けた仕事は、自分自身と社会をつなぐ媒体でもあり、自分の表現の一部である。 それは、ライターであれ、ウエイトレスであれ、教師であれ、銀行員であれ、露店商であれ、同じことだ。どんな仕事であれ、各々が誠実に、責任とか誇りとかを意識しながら仕事をすることが、ひいては「平和」に近い社会を実現するのではなかろうか。無論、それはあり得ない絵空事だということも、わかってはいるが。 我ながら、相変わらず、やたら真面目なことを書いているが、ついでに言えば、「真面目にやる」ことを小馬鹿にするような風潮もわたしは嫌いだ。真面目で一生懸命のどこが悪い。 ともかく、「まずくて食べられないエビは、腐っているも同然だ」ということを、言いたかったまでだ。 埋没して、感性が鈍って、理想を見失うことは、惨めにも自分を欺いていることであり、周囲をも不快に引き込む。 あの板前は、実に見事な反面教師だった。 (2/13/2004) Copyright: Miho Sakata Malhan |