移動中、夫の携帯に電話が入り、午後のミーティングがキャンセルに。 その方とは縁がなかったということで、午後は気分を切り替えて遊びましょう。 その前に、ランチを。と、彼方に見えるは見覚えのあるホテル。 あそこでランチにしよう。 日本勢は、このホテルの朝食ブッフェを大いに気に入り、 母や妹は、パンケーキやワッフルを焼いてもらうのが楽しみで、 しかし、父がなにかとナンナン言っていた声が、今でも耳に鮮やかで。 「こりゃうまい! やっぱり小麦粉が違うね」 「小麦粉が違う!」も、インド滞在時、父の常套句と化していた。 あれは初めてマルハン家を訪れた日のディナーの席。 ケータリングの兄さんたちが、バルコニーに釜を用意して焼く、 チキンを、ナンを、咀嚼しながら、父の命は、ほとばしっていた。 「ミホ。これは前菜だから、お腹いっぱいにならないように、家族の人にお伝えして」 父は本当に、よく食べる人だった。
これが思い出ホテル。
DELHI SEPTEMBER 12,
2005/ DAY 14
とあらば、グルガオンに行く必要はない。
「急にキャンセルだなんて」と夫は少々憤慨気味。
2001年7月、わたしたちが結婚披露宴をしたホテルであり、
日本の両親と妹夫婦が宿泊したホテルである。
朝からたいそう、あれやこれやと食べていたものだ。
父は「ナンはないね? ナンは?」といいながら、ひたすら好物のナン関係を食べていた。
いや、朝食に、ナンはなかったか。
タンドーリ・チキンやケバブのそのおいしさに、
日本勢は食欲が全開で、あれこれ頬張り、
こと父に関しては、それはどう見ても、末期癌が一時的に癒えていた人の様子ではなかった。
と、スジャータが心配して耳打ちするほどで、思い出すだに泣き笑いの、懐かしい光景。