Vol. 1 - 30
1. FIGUERAS, SPAIN, 1994 幼児期、書棚にあった世界美術全集を開いた。 これは、もう外観からしてそそられる、サルバドール・ダリ・ミュージアム。 |
2. LEIPZEG, GERMANY, 1994 東欧の寂れた街のたたずまいに引かれていた。 どこまでも沈鬱に浸らせてくれる重苦しさが、よかった。 早朝は快晴だったのに、ホテルを出た途端、空に厚い雲が立ちこめはじめ、 雲はものすごい勢いで通り過ぎ、また青空が見えてきた。 |
3. ASSISI, ITALY, 1994 サン・フランチェスコが、教えを説いた、アッシジ。 アッシジには、特別な風が吹いていた。 |
4. KEELUNG, TAIWAN, 1993 台北から基隆へ向かう列車の、吊革。 1988年、初めて台湾を訪れたとき、たいへんな懐かしさに襲われた。特に西門町を歩いていると。 |
5. BUDAPEST, HUNGARY, 1994 旅の間、大切なのは、カフェ。ブダペストで見つけた、19世紀の面影を残すカフェ。ここに数回通った。 このカフェレストランは、NEW YORK、という名前だった。 |
6. SAN GIMIGNANO, ITALY, 1995 かつて人々は、富や権力を誇示するために、高い塔を建てた。次々に、建てた。 14-15世紀の全盛時代、この小さなサンジミニャーノの街には、70本を超える塔が林立していた。 ワールド・トレードセンターが消えた日、わたしは、この城塞の街のことを思い出していた。 |
7. TAIPEI, TAIWAN, 1993 台湾には、中国本土の料理に加え、台湾独自の料理がある。 二度目の訪問時は、母と妹を誘った。「選りすぐりの店」を巡り、食べて、遊んだ。 |
8. PRAHA, CZECH REPUBLIC, 1994 中学のとき、スメタナの「我が祖国」を聴いて以来、プラハは特別な場所になった。 そして、忘れ難きは、カレル橋から滔々とゆくヴルタヴァ(モルダウ)川を見下ろすひととき。 |
9. NEW YORK, U.S.A., 2000 アッパーウエストサイド。住み慣れた街。 |
10. COMILLAS, SPAIN, 1994 ビスケー湾を望む、北スペインの、静かな村。 この村でのことは、幻。 アントニオ・ガウディの建築物と、彼のブロンズ像が、ここにはあった。 一面に、ひまわりの花が埋め込まれた、建物だった。 |
11. FREIBURG, GERMANY, 1994 バーデン・バーデンというドイツの「温泉地」から、列車で約50分走った先にあるフライブルク。 古い石畳の間に、まるでチョコレートみたいなコールタールを流し込んで、補強工事をしている人たち。 |
12. KYOTO, JAPAN, 1994 それがどんな食べ物であれ、店頭で職人さんが作っている様子を眺めるのは、本当に楽しい。 月刊誌「旅」の取材で、京都を訪れたときに立ち寄った望月本舗。 |
13. AYERS ROCK, AUSTRALIA, 1994 オーストラリアの先住民アボリジニが、聖なる山として仰ぐエアーズロック。世界最大級の一枚岩。 雑誌の取材で出かけた。新婚旅行に好適な場所を紹介する特集。当時のわたしには縁遠かった企画。 |
14. KOTA BELUT, BORNEO, MALAYSIA, 1991 海外ドライブ特集を毎月のように編集していたころ。 |
15. VENEZIA, ITALY, 1994 「ヴェネツィアだけは、男と行くべきよ!」 地図を閉じ、しばし目を閉じ、それから歩き出す。思うままゆき、わざと道に迷ってみようとした。 |
16. PARIS, FRANCE, 1994 パリは、ヨーロッパの旅をするときの、起点だった。 このときは、パリのアパルトマンに住む友人の家に、しばらく泊まらせてもらった。 マルシェで買ってきたアボガドに、醤油をかけて、二人で食べた。 |
17. BROADWAY, COTSWOLDS, U.K., 1995 イギリスのワージングという海辺の町で、語学留学をした。雑誌の仕事も引き受けて来ていた。 |
18. UBUD, BALI,
INDONESIA, 1992 オーナーのMr. A.J.
Maesと、雨を眺めながら、テラスで話をした。 |
19. WARTHING, U.K., 1995 こうして、窓から覗き見るわたしのために、 |
20. BEIJING, CHINA, 1992 モンゴル旅行を終えて、北京経由で日本へ帰る途中。 彼女の自転車の荷台にのって、彼女の家族の自転車隊に連なって、団地まで走る夕暮れどき。 |
21. STOW ON THE WOLD, COTSWOLDS, U.K., 1995 デボンシャークリーム、というものが、こんなにも、おいしかっただなんて。 なんて幸せな、味なんだろう。 熱い紅茶を飲みながら、ゆっくり、ゆっくりと、食べた。 |
22. NEW YORK, U.S.A. 1999 マンハッタンが、いちばん美しいのは、朝焼けの時刻と、夕焼けの時刻。 ダコタ・ハウスのあたりを歩きながら、 「ここに住むには、いったいどうすればいいんだろう」 と、本気で考えたこともあった。 |
23. PARIS, FRANCE, 1999 パリに来るときにはいつも、このオルセー美術館に来てしまう。 それは多分、この美術館が、そもそもは駅だったからだ。 ヨーロッパの、大きな駅は、ともかく、理屈抜きに、とてもいいのだ。 |
24. ASSISI, ITALY,
1994 迷路のように入り組んだ小路や階段は、時間の経過と共に表情を変える。 玄関の脇に「PAX(平和)」と記されたタイルがはめこまれた家々。 |
25. KYOTO, JAPAN, 1994 「食」の取材をしていたわけではないのに、 どうしてだか、食べ物の写真がとても多い。 行儀よく並んだ、たっぷりの八つ橋もまた、魅惑的で。 |
26. CADAQUES, SPAIN, 1994 カダケスという漁村には、サルバドール・ダリが住んでいた家がある。そこを訪れたかった。 青空が広がる。太陽が照りつける。坂道を上る。息を切らせて上った丘の上。 |
27. MURANO, VENEZIA, ITALY, 1994 ヴェネツィアから、連絡船に乗って、ムラーノ島へ行く。 ガラスの島。 無数のガラス工場や、ガラス工房が、島のそこここにある。 長いひとり旅の間は、しばしば、鳩とランチを分け合った。 |
28. PARIS, FRANCE, 1994 3月。まだ春早く、肌寒いパリ。 決まり事のように、グラニュー糖とグランマニエをまぶしたクレープを食べながら、 |
29. TAIPEI, TAIWAN, 1988 社会人になって初めての海外は、台湾だった。23歳のときのこと。 早朝の中正紀念堂。編集者は、ときにモデルとなり、 あのころは、本当に、毎日が無我夢中だった。 |
30. KYOTO, JAPAN, 1994 吉 願望叶ふ 待ち人来る その言葉を、心の寄る辺にしたいほどだった。 しかし、いくら待っても、待ち人は来なかった。 その2年後。まさかインド人が来ようとは。 |
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