■朝食の後、土産物屋を巡り、帰路へつく
早朝のタージ・マハル観光を終えた我々は、ホテルに戻って朝食をとる。ダイニングでは一足先にヴィンとトムがテーブルについてお茶を飲んでいた。
トムは小さな器にほんの少しのシリアルを食べている。ヴィンはお茶を飲んでいる。わたしと夫はいつものように、ブッフェからフルーツやヨーグルトを選ぶ。胃の調子があまりよくない夫は、量を控えめに。
ヴィンは朝食をあまり食べないのかしら。そうね、表面的には元気でも、きっと疲労が重なっているだろうし、食べ過ぎないように注意しているのかもね。
と思いきや、背後からウエイターが「イクスキューズミー・サー」と言いながら、ヴィンの前に大きな皿を置いた。うわ。朝からアラカルトをオーダーしてたのね。ブッフェがあるのに。
彼はパコラと呼ばれる野菜のフリッター(揚げ物)に、カレー風味のソースを付けながら食べはじめた。
「ミホも一つ、食べてご覧」と、わたしにも1切れ勧める。一口食べてはみたものの、朝から揚げ物はかなりヘビーだ。
と、またしても、「イクスキューズミー・サー」と背後からウエイター。
今度はイディリと呼ばれる米の粉でできたパンケーキ状の食べ物が大きな皿に盛られて出てきた。パコラを平らげたヴィンは、次いでイディリを食べ始める。朝から食欲全開なのである。びっくりなのである。
そんなこんなで朝食を終えた我々は、ホテルをチェックアウトして、ホテルを出る。目指すは土産物店。前回の旅でも訪れた、一大デパートで、インドのカーペットやシルク製品、大理石細工などの工芸品が揃っている店だ。
ここでは、タージマハルの大理石象嵌と同じ技術で作られるテーブルなどの「実演販売」が行われていた。こういう場所はとっとと切り上げたかったが、ヴィンはテーブルを買うらしい。なんでも、自宅に巨大なガネイシャ(象の神様)の象があり、そのスタンドに大理石の丸テーブルを買いたいというのだ。
それは、つやつやと輝く黒い大理石に、色とりどりの花模様の象嵌が施されたとても美しいテーブルだった。それを選んで、値切って、購入するまでに、彼は「一時間強」を要した。パッションである。わたしたちは、ただ、ふらふらと土産物屋をうろつきつつ、待つばかりである。
それから、「アグラ城」を外から望んで一応「観光」し、帰路に就いたのであった。
■たどりつかないニューデリー。エンドレスドライブ。
「前回よりはましだろう」と思っていた。
確かに、前回よりはましどころか、すてきなホテルに滞在できたし、早朝のタージ・マハルを眺めることができたし、ハトにフンを落とされたことを差し引いたとしても、とてもすばらしい体験ができた。
でも、帰りのドライブは、しみじみとした旅情を吹き払って余りあるほどの、やはり辛さである。しつこいようだが、メルセデスだろうがなんだろうが、狭苦しいと何の意味もない。インド産のアンバサダーやマルティでいいから、ゆっくりと後部座席は2人で座りたいものである。
帰路はヴィンが前に座り、トムが後ろに移った。トムの方が心無しか細いので、シートも心無しか余裕がある気がしたが、気がしただけで、気のせいである。エコノミークラス症候群になりそうである。
一刻も早く、喧噪のアグラから脱出して、逆走トラクターが来ようとも、ハイウェイに入ってほしいものだと願った矢先に、踏切停車につかまった。
この踏切の待ち時間がも〜う、長い。長いっ! 長いっっ!! 長いっっっ!!!
わたしたちの前に数台の車が待っているところからして、踏み切りが降りてしばらくのちに到着したはずのわれわれなのだが、電車が来ない。なかなか来ない。10分経過しても来ない。壊れているのかこの踏切よ。
しかし周辺の人々は騒ぐ様子も見せず、エンジンを切って待機しているから、珍しいことではないのだろう。
そのうちにも、対向車線、つまり右側に、背後からバイクが続々と押し寄せはじめた。踏切の向こうを見やれば同じ状況だ。つまり、踏切を挟んで双方、道路全体に、進行方向の車がひしめいているのである。これじゃ、たとえ踏切が上がったとしても、向こうに渡れないではないか!
いったいどうなるんだと気を揉みつつ、いや、インドでは気を揉むなんて徒労だ。と思いながら列車を待つ。ようやく15分経過ののち、貨物列車が通過した。石炭をたくさん積んだ貨物列車だった。やれやれこれでようやく対岸へ渡れるというものだ。
と思ったのだが、一向に踏切は上がらない。……上がらない。…………上がらない。どうしたんだ?
結局、更に15分待った後、次の列車がやってきた。列車が行き過ぎてからようやく、車やバイクがいっせいにエンジンをかけはじめる。排気ガスが一面に巻き上がる。
こうしてようやく30分ののち、踏切が上がった。が、当然ながら、車は前に進めない。騎馬戦もしくはラグビーのタックル等々を連想させる光景だ。
予想通り、まずはバイクが走り出す。無数のバイクが際どくすれ違いながら走り抜けたあと、ようやく自動車の番だ。が、ここはインド。車線をないがしろにする人々の国である。どう考えたって、どう見積もったって、1台ずつしかすれ違えない道幅なのに、後ろから強引に突っ込んでくる車が後を絶たない。
統制がとれず、混乱は際だち、ホーンの騒音が渦巻き、立ち往生だ。
やがてじりじりと、我々の車が踏み切りに入った。しかしここでも数分間の停車である。次の電車がすぐに来ることはないだろうが、とはいえ踏切のただ中でじっとしているのは気分が悪い。
踏切の中央では、白い髭をはやし、白いクルタパジャマを着用し、片手に杖を持った、仙人のような風情の老人が、役に立っているとは一向思えない「交通整理」をしている。
その外見から察するに、鉄道関係者ではなかろう。近所に住んでいる暇を持て余した老人がボランティアを買って出ている様子である。そんなこんなで、踏切を渡りきったときには、40分が経過していた。
いい加減にしてほしいと思う。
相変わらず、仕事を終えた農民らによる逆走トラクターが次々とこちらへ向かってくる。トムは、
「座席は前の方がいいけれど、後は危険な光景を間近に見なくていい分、楽だな」とつぶやく。
そしてようやく中間地点にたどりついたときには、すでに出発してから2時間以上が過ぎていた。100キロしか走ってないのに。
中間地点で、軽くランチ。トムはダイエットコークとビリヤニ。わたしはドサ。夫はチャイニーズのコーンスープ。ヴィンはチャイニーズのコーンスープに加え、なにやらラムのカレー料理。みなの顔に倦怠感が滲むものの、会話は尽きない。
■夫、体調不良の兆し……
旅を始めて以来、普段よりは明らかに食べ過ぎている我々。特に夫。外食は胃に負担をかける上、旅の疲れも影響するから、なるたけ軽めの食事が望ましいのだが、ついつい図に乗って食べ過ぎてしまいがち。
夫は普段、わたしと同じ程度の量を食しているのに、旅を始めてからというもの、わたしの1.2倍から1.5倍を記録している。明らかに通常よりも摂取カロリーが過剰だ。しかも太りやすい彼は、早くもズボンのウエストがきつくなり始めていた。
そんなここ一両日。彼の胃腸の具合が芳しくない。しかも長距離ドライブの間、中央の席で前方からのエアーコンディションが彼のお腹に直撃している。冷房を切ると暑い上、風向きもうまく変えられない。自動車に積まれていた新聞を、こっそりと彼のお腹に当てながら、
「ホームレスは新聞で暖をとるんだよ。意外に温かいんだよこれが」
と、彼に耳打ちをする。これでひとまずは冷風の直撃は免れた。
しかし、明日からのハードスケジュールを前にして、彼の体調が急降下していることを、このときは誰も知る由はなかった。
体調が悪いとはいえ、男性陣は、基本的に間断なく、仕事の話をしている。途中、沈黙が続いたとき、ヴィンが全部座席で目を閉じてうとうととしていた。
そのとき、トムと込み入った話をしていた夫が、ヴィンが寝ているとは知らずに質問を投げかけた。わたしが夫に「彼は寝てるよ」とささやくと同時にヴィンが目を閉じたまま、夫の質問にすらすらと答え始めるではないか。
あ〜びっくりした。うとうとしてたのに、話はきちんと聞いていたのね。しかも、半ば眠りながら、声だけは覚醒した歯切れのよさで。彼には本当に、びっくりさせられるばかりだ。
結局、われわれがニューデリーのホテル、マウリヤ・シェラトンに到着したのは7時過ぎだった。
カリフォルニアから続々と到着している面々と、8時からディナーミーティングの予定が入っている。休む暇はない。結局、そのミーティングは数時間に及び、皆がディナーを食べ始めたのは夜10時を回ってからのことだったとか。
夫は胃の調子が極めて悪くなっており、夕食は辞退して部屋に戻ってきた。
明日からの「出張本番」に向けて、体調を崩すとは何事ぞ。明日は皆でニューデリーにある企業を数社巡った後、夕方の便でバンガロールに入る。かなりハードなスケジュールである。今夜は熟睡するべし。いや、わたしは別段、過酷なスケジュールではないのだけれど。
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