11月6日(土)
■いざ、タージ・マハルへ! 饒舌な「ペンティアムの父」に圧倒される
ホテルのロビーに7時半に集合。ということだったが、ヴィンと同行者であるトムが現れたのは8時半だった。
「やっぱりインド時間ね」と思ったものの、話を聞いて驚いた。トムは昨日、サンフランシスコ発ち、フランクフルト経由でニューデリー入りしたのはなんと、今朝の2時だというのだ。ホテルにチェックインして寝たのが6時。1時間後に起床して、タージ・マハル行きである。なんて過酷な親睦旅行。
ちなみにトムは60歳前後と思しき初老の男性。睡眠不足で長距離ドライブに耐えられるのだろうかと、他人事ながら心配である。
空港にトムを迎えに行ったヴィンも同様に、ほぼ徹夜状態。にも関わらず、インド人にも関わらず、長身でテキパキとした、そしてとても非常にフレンドリーな男性である。
夫の仕事関連の人たちのことは、なるたけ書くまいと思っていたのだが、後日、ヴィンがわたしに、
「タージ・マハルの旅のことは、もちろん書くんでしょ? そこのところ、英語に訳してほしいよ」と言ってくれたので、差し障りのないことは書くことにした。
我々は、そもそも2台の車で行く予定だったが、参加者がわずか4名ということで、1台となった。
「みんなで話をしながらドライブした方が楽しいよね」
とはヴィンの弁だが、たとえメルセデスとはいえ、後部座席に大人3人は窮屈というものだ。しかも、そもそもヴィンが頼んでいたタイプとは異なる、ひとまわり小さいタイプのベンツが来てしまい(インドだもの)、しかし車を取り替えているとまた時間がかかるので、その車で出発したのである。
長旅のあとのトムは前部座席に、大柄のヴィンとおデブなマイハニーとわたしは後部座席にひしめき合うようにして。中央に座っていた夫は、当然ながらヴィンに寄り掛かることができず、従ってわたしと夫は狭い車内で身体を寄せあい、鬱陶しいことこのうえない。
「あなた、太りすぎ。痩せてよ、今すぐ!」などと小声で言い合いながら、押し合いへし合いだ。
道中のヴィンは、いきなり饒舌だった。睡眠不足によるハイテンションか、と思ったが、そうではないことを後に思い知らされる。
一方、インドは初めてのトムは、のっけからインドの乱暴運転と牛と人と排気ガスとホーンとゴミと混沌の洗礼を受け、衝撃を隠せない様子。口数の少ないトムが一言、質問を発すると、それにヴィンが10分ほどかけて答える、という会話が繰り返される。
一昨日サンフランシスコからニューデリーしたヴィンは、昨日インドのテレビ番組の取材を数本受け、その間にもミーティングがあり、非常に多忙だったらしいが、ちっとも疲れを見せないし、窮屈な車でも平気そうなところが驚きだ。
ヴィンはムンバイのプネの中流家庭で生まれ、ニューデリーで学生時代を過ごした。彼自身は米国に飛び出したかったが、父親をはやくに亡くしていた彼は、母親の要望に答えるかたちでインドに残り、数年間、ニューデリーで仕事をしていた。
一旦社会に出て、しかし希望を諦められなかったのだろう、やがて米国に渡りスタンフォードでPh.D(博士号)をとり、その後インテルというコンピュータ関連の企業に就職した。最初のころは、本当に貧しかったらしいが、とにもかくにもインテルで、彼は「死にものぐるい」で働き、キャリアを築いていったという。
そしてついには、チーフエンジニアとして、ペンティアム(マイクロプロセッサ)を開発するに至るのである。
ヴィンは「ペンティアムの父」とも呼ばれており、その業界では著明な人物らしい。しかし、エンジニアというイメージからは程遠い、快活で饒舌で押しの強い雰囲気で、だから、のちにインテルを離れ、ヴェンチャーキャピタル会社を立ち上げても成功をおさめ、マルチミリオネラーとなったのであろう。
ヴィンは、自分の子供時代の話、母親への思い、インドとのかかわり、妻や子供たちについて、それはもうたっぷりと話をしてくれ、とても心に残る話ばかりだったが、それらを書き連ねているときりがないので、取りあえず割愛する。
■逆走するトラクター。気の抜けないドライブルート
デリーの郊外を抜けるまでは、あちこちで渋滞にひっかかる。車やら牛やらリヤカーやらが、道路全体にひしめきあっている。
だいたい、インドの道路に「車線」は無意味だ。
片道1車線だろうが2車線だろうが何だろうが、道路に引かれた白い破線を、ドライバーらは「道路の模様」くらいにしか思っていない。いや、目にとまってすらいない。
車線の数に関わらず、隙間さえあれば、車と車の間にぐいぐいと割り込む。隣の車に乗る人の「毛穴が見えそうなくらい」まで接近する。いっそ、車線なんて引かなきゃいいのに。ペンキと人件費の無駄というものだ。
相変わらず、しばしば牛がのそのそと歩いてきて、そのたびに車が軽くブレーキを踏むから「がくん、がくん」と車体が揺れて、気持ち悪いことこのうえない。トムは前部座席で一部始終を見ており、それは「インド彷徨(1)」におけるマイソールドライブの際の、わたしの状況と似ている。彼もまた、ひそかに般若の形相をしていたのではあるまいか。
睡眠不足の身の上にホーンのけたたましさも堪えているようで、しかし彼は眠ることもなく(眠れなかったのであろう)、車窓からの風景に目を走らせている。
やがて町を出て、いちおう「ハイウエイ」と呼ばれる比較的速やかに走られる道路に出た。ここは片道2車線で、対向車が迫ってこられないような立体型の中央分離帯があるから安心である。
と思いきや! 前方から農家のトラクターがドドドドドドドドッと迫ってくるではないか! それをすかさず「ひゅいん」という感じで、避けて走るドライバー。なんでわざわざ、逆走するかね!?
ドライバー曰く
「一般的には、インドでは、車は左車線を走りますが、農民は右を走るって決めているみたいなんですよ。だからしょっちゅう、トラクターや牛車が正面から走ってきますよ」
なんでそういうことを決めるかな。確かにそれ以降も、何度となく、前方から車が迫ってくるのである。まったくもって、なんなんだ!
しかし、様子を見ていて、逆走の理由がわかった。
ドライバーは「農民は右を走ると決めている」と言ったけれど、見たところ、左を走るトラクターもある。つまり農民は、好きな車線を走っているわけだ。その原因は、立体型の中央分離帯にあるとみた。この中央分離帯、どこまでも延々と続いていて「切れ目」がないのだ。
町から町へと長距離を走る人間にとっては、Uターンの必要がないから、「切れ目」がなくても問題ないが、自分の畑から自宅まで、短距離を行き来する農民にとっては、Uターンをしていると相当の「遠回り」になるのだろう。だから、好きな方向を突っ走っているのに違いない。と思う。
いくらインド人だからって、意味もなく、あえてリスクを冒すようなまねはしないだろうから。多分。
道路の開発も、地元の人たちのことをちっとは考えてやるべきよね。
案の定、道中で交通事故に遭遇。牛車と軽自動車が衝突したらしく、軽自動車は路肩に滑り落ち、牛車を引いていたと思しき血を流した老人が道路の隅にうずくまっていた。なんとも痛ましい。
■動物らと戯れる我ら
全行程200kmのちょうど中間地点にあるドライブインで休憩である。すでに2時間以上が過ぎている。身体をのばす。ドライブインでお茶を飲み、しばらく語らったあと外に出たら、スネークチャーマー(ヘビ使い)の少年がいた。
コブラと毒のないヘビをそれぞれ1匹ずつ携えて、笛をヒョロヒョロ吹いている。ヘビが苦手な夫は遠巻きに見ているが、わたしとヴィンは彼に近付き、ヘビに触らせてもらう。ヴィンが少年にチップを払うと、少年は張り切って、「ヘビを首に巻け! ヘビのネックレスだ!」と勧めてくれる。
昔マレーシアのヘビ寺で、頭やら首にヘビを数匹巻き付けて写真を撮影してもらったこともある身としては、ヘビのネックレスもやぶさかではなかったが、みなが気味悪がっているのに率先してやるものエキセントリックすぎるか、と思い、腕に巻く程度にしておいた。
ドライブインを離れ、ハイウエイの料金所近くに来たところ、今度は、クマやらサルが登場。料金所の手前で渋滞する車をめがけて、物売りも殺到する。ヴィンが「写真を撮ろう!」と車をおりる。クマと一緒に写真撮影をしていたら、いきなり背後からサルが飛び乗ってくる。
クマ使いは「クマにまたがれ!」としきりに勧めるが、やはりそれも、女子としては憚られる。するとヴィンが嬉々としてクマにまたがり、晴れやかな笑顔! こちらを見ているサルの表情、疲れ切ったクマの哀愁、さらに金を乞うクマ使い……。生き物らのさまざまな表情をとらえた、これは気に入りの一枚である。
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