●まばゆい青空。凍て付く朝。ホテルで過ごすクリスマスの一日。
二日目の25日は快晴。澄み渡る青空を背景に、白がまぶしい。それにしても、外は凍て付くほどに寒くて、今日は一日ホテルのなかで過ごすことにした。
午前中はスパの予約を入れている。だから休日だというのに早起きをして、一番乗りで朝食を食べ、スパへ行く。
スパのあとは、ラウンジでゆっくりと過ごしたいところだったが、「ダイニング・エチケット」のセミナーが開かれるというので、渋る夫を説得して、参加することにする。パーティーやディナーに招かれたときのマナーは、知っておくに越したことはない。
セミナーでは、パーティーでの会話や挨拶の仕方などについて、それから基本的なテーブルマナーについてを教わった。
「顔見知りだけれど、その人の名前を思い出せないとき、どう切り出したらいいのか」ということについて、さまざまな角度から同様の質問をするゲストが多いのに驚いた。どうもみなさん、パーティーに参加するたび、名前を思い出せない人との会話で居心地の悪い思いをしているようだ。
また、パーティーのとき、どうしても話をしたい人が、他の人としゃべっている場合に、どういう風に「割り込んだら」いいのか、とか、あるいは、つまらない話を延々と聞かされて、早く退散したい場合にはどう切り出したらいいのか、とか、パーティーの達人にも見える中高年、老人らが、似通った質問をするのも、意外だった。お陰でわたしたちは、勉強になったのだけれど。
最初は関心がなさそうにしていた夫も、何度も手を挙げ、質問をしていた。
「会食の際、フォークを幼児みたいに握る、"原始人"みたいにマナーの悪い友人をいつも忌々しく思うのだが、注意すべきだろうか」という老紳士もいて、苦笑してしまう。
外食の際には、そこそこのマナーで食べているものの、家で食事の際は、それが箸であろうが、ナイフとフォークであろうが、食事の終盤になると、それらを放棄して、「手で食べていい?」とインド式になる夫。
「そんな、原始的な食べ方はだめ!」と言おうものなら、「僕の国を侮辱する気?」と言われ、更には、「これはインド式じゃなくて、江戸前式、とも言うの!」と屁理屈を言う。それはにぎり寿司を食べるときに限ってのことだ、と何度も説明するのだが、聞く耳を持たない。
つい最近まで(といっても19世紀あたりまで)は、イタリア人だって、パスタを手で食べてたんだし、まるで武器みたいで、金属的な舌触りが味わいを損ねるナイフとフォークをうまく使えることが至上だとは、決して思わないけれど、途中から手で食べ始めるのはよしてほしいというものだ。
ちなみに、エチケット・クラスのあとからの食事の際には、講師のアドバイスに忠実に、ナプキンの折り目を内側にして膝に載せ、カトラリーの扱いも丁寧になった夫。わたしがうっかり、フォークの向きを間違えようものなら、指摘する始末。実に感化されやすい男である。
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