アートセラピストの仕事は、自分がやってきたすべてが集約された、
まさに天職だと思っています。
Nozomi Kitagawa 北川のぞみさん1966年生まれ、北海道旭川出身。91年渡米、ニューヨーク州立大学ニューポルツ校で女性学を専攻。その後、ニューヨーク大学教育学部大学院にてアートセラピーの修士号を取得。現在、ニューヨーク州立精神病院に勤務。
「女は、特別な才能でもない限りは、いい男を見つけて結婚し、家庭に入るのが一番」と考えていた父と、「女は経済力がないと、一生男の奴隷」と思っていた母との間で育った。
小学校低学年のころから漫画家になりたくて、毎日、朝から晩まで漫画を描いていた。しかし、高校1年のとき、自分にレイアウトの才能がないということに、突然気づいた。その日を境に漫画はやめたが、好きな絵をやめられず、イラストなどを描き続けていた。
高校2年のとき、母親が家を出た。それを機に、6つ年上の姉は東京に、父親は札幌に引っ越すことになる。旭川を離れたくなかったのぞみさんは、アパートでの一人暮らしを始めた。電話も風呂もないおんぼろアパートは、やがて友達の溜まり場になる。深夜に麻雀をするなど、決して健全な高校生活とは言えなかったが、勉強はきちんとやった。英語と美術が得意で、将来は旅行関係の仕事に就こうと思っていた。
高校卒業後、札幌の短大に推薦入学。父親と二人の生活が始まった。学校が終わってからアルバイト、帰宅後は家事をする生活。学費を出してもらっているという負い目があったから、嫌いな家事も我慢してやった。
短大では英文科に在籍。アメリカ文化、実践英語、教職課程を専攻した。アメリカ文化のクラスでフェミニズムについてを学び始めたころから、女性問題に興味を持つようになり、アメリカへの留学を考え始めた。英語も勉強したかった。とはいえ、自分には留学資金がない。卒業後は旅行会社に就職した。
「働き始めたころ、父親から、私がもし男だったらどんなことをしても4年制大学に行かせた、と言われたんです。その言葉を聞いたとき、怒りが込み上げてきたのと同時に、絶対に自力で大学へ行こうと決意しました」
会社では、カウンターでの接客業務を担当。人と話をするのが好きだったので、仕事は楽しかった。お客さんから旅の土産をもらうこともあった。一方で、社会における性差別や上司からのセクハラなどを経験する。
「中学生のときから、『何かおかしい』と思っていたことが『絶対におかしい』という確信に変わっていき、女性問題を学びたいという気持ちはますます強まりました」
働き始めて4年余り。ようやく資金が整い、1991年、晴れて渡米。マンハッタンは刺激が多すぎるだろうからと、あえて郊外にあるニューヨーク州立大学ニューポルツ校に編入学した。専攻は女性学。副専攻にアートを選び、黒人学のクラスもいくつか取った。
白人の学生ばかり、あるいは黒人の学生ばかりが参加しているクラスに、唯一アジア人として参加することが多かった。そのときのさまざまな経験を通して、女性問題から人種差別問題に関心が移り、さらには「最も抑圧されている人々」に対しての興味が頭をもたげ始める。卒業論文のテーマは「タイとフィリピン女性の性的搾取」。売春の歴史的な変遷などを研究した。
大学卒業後は日本へ帰国するつもりだった。しかし、アメリカで何かやり残しているような気がする。大学院へ行き、さらに人種問題などを学びたいと思ったが、資金はない。
自分の方向性が明確に定まらないまま、ひとまずマンハッタンに出て日系の旅行会社でアルバイトを始める。ある日、日系誌求人欄の「カウンセラー募集」という広告が目に留まり、面接に行った。日本人対象の電話相談サービスだった。採用された彼女は、電話を通してカウンセリングを行う傍ら、心理学についても勉強した。
あるとき、ニューヨーク大学の大学院のプログラムにアートセラピー(芸術療法)というコースがあることを知る。調べてみると、これまで自分がやってきたことすべてが集約されているようなプログラムだと感じた。
96年よりアートセラピーの修士号を取るべく、大学院に入学。2年間の在学中、市立病院の精神科病棟でインターンとして勤務。日本と関わりを保つために、日本芸術療法学会に入って学会誌に投稿をしたり、日本語のホームページを作ったりと精力的に活動した。
修士号を取得後は、私立の精神病院勤務などを経て、現在、イーストリバーに浮かぶワーズアイランドにあるニューヨーク州立精神病院で働いている。ここは「精神病患者の終着駅」と言われているところで、凶悪な犯罪歴を持った患者も多い。「絶対患者には背中を向けるな」と言われるような環境にありながら、しかし彼女は、今の仕事に心からやりがいを感じている。
「『父親は殺害され母親は薬物中毒』『実の父親にレイプされた』『全員父親が違う兄弟が12人いる』『生きるために子供のころから犯罪に手を染めてきた』『7歳のときに両親からドラッグを教えられた』……といった、激しい過去を持つ患者さんばかりです。そんな彼らが、アートセラピーを受けているとき、天使のような無垢な自分をさらけ出すこともあり、かわいいとさえ思えることがよくあります」
最も抑圧された人たちを助ける仕事がしたいと考えている彼女は、アートセラピストの仕事を天職だと自覚している。将来の目標である個人開業にむけて、博士号取得をはじめ、開業に必要なさまざまな資格を取るべく、現在プランを立てているところだ。
さて、日本に住む母親は、現在3人目の夫とともに元気で暮らしている。時々ニューヨークに遊びに来ることもあるが、実際の年齢よりはるかに若く見え、生き生きとしている。
一方、父親もその後再婚。二人が経営している小さな居酒屋を妻が切り盛りしているため、父は家事を担当しているという。
「今年実家に帰ったとき、昔は何もしなかった父が食事を作ってくれたのには驚きました。私の仕事についても、やるならとことんやれ、博士号も取れ、とまで言うのです。再婚の影響もあるのか、別人のようでした」
これまで彼女を取り巻いてきた出来事のすべてが、今、彼女の未来へ向けて、温かく後押してくれているようだ。
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