興味を持ったことは、ためらわずにやってみる。
旺盛な好奇心としなやかな行動力が、自分の世界をどんどん変えていく……。

 


Miho Nakayama 中山美穂さん

1970年群馬県生まれ、東京育ち。高校3年の時、モンタナ州の高校に留学。フィラデルフィアのテンプル大学で心理学を専攻。卒業後、日本へ帰国し音楽出版社に勤務。1997年に再渡米。


 

 やりたいことは、やっていい。ただし自分で責任を持つこと。そんな両親の教育のもとに育った中山さんは、子供の頃から独立心が強く好奇心が旺盛だった。高校1年の頃、洋楽が好きだった彼女はアメリカに憧れ、何としても留学したいと思うようになった。アルバイトで資金を準備する一方、交換留学制度を持つボランティアの組織などを探し、高校3年から米国モンタナ州の高校に編入する準備を整えた。両親への報告は、留学へのめどがついた頃。映画や音楽が好きだった父、華道など多彩な趣味を持っていた母は、彼女の可能性に水を差すようなことは決して言わず、気持ちよく送り出してくれた。好きなことを自由にやらせてくれるということは、自分が信頼されているということでもある。そう思うと両親を裏切るようなことはできないと感じていた。

 アメリカで暮らし始めた当初は英語ができなかったので、ひたすら勉強した。その一方、ホームステイ先の家族たちとの交流を通し、アメリカの文化を吸収していった。高校卒業後はフィラデルフィアの大学に入学、心理学をはじめ、哲学、社会学などさまざまな分野のテキストを開いた。未知の世界に踏み込むことができる勉強が、とても面白かった。やりたいことが次々に出てくる。将来への希望が募る一方、生活していくためにはきちんと就職をしなければならないとも思っていた。

 大学を3年で卒業した彼女は、帰国して音楽出版社に就職。音楽誌の編集者を経て、社長秘書に。秘書といっても堅苦しいものではなく、社長が有名なミュージシャンたちを接待するときに同行するなど、洋楽が好きな彼女にとっては夢のような仕事もあった。

 「大好きなミュージシャンに会えて、サインやギターをもらったりして。友達にもうらやましがられるような、楽しい仕事でした」

 プライベートでは、パラグライダーやスキューバなどの資格を取るなど、興味のあることには次々と挑戦していった。

 ある時、友達と長野を旅行した折、ガラス博物館に立ち寄った。病気を患っていた母を元気づけるようなお土産を探すためだったのだが、数々のガラス製品を眺めているうちに、その美しさに強く心をひかれた。早速、自宅の近くにあったガラス工芸の教室に通い始めた彼女は、瞬く間にガラスの虜となる。ほどなくして、今度は吹きガラスに興味を持ち始め、週末、ガラス専門学校の一般人向けコースに通い始める。ガラスの世界に触れるほどに、その魅力に引き込まれていった。

 中山さんに転機が訪れたのは、就職して3年目の25歳の時。これまで税理士として仕事を続けてきた母が、これからようやく自分の好きなことに専念できる、という矢先に、乳ガンの再発でこの世を去った。それまでは、好きなことをやりつつも、生計をたてるための仕事はきちんと続けなければ、と思ってきた。しかし、母の死を契機に自分を見つめ、今、自分がやりたいと思うことだけに力を注いでいきたいと、強く思うようになった。

 まもなく会社を辞めた彼女は、石川県の能登島にあるガラス工房の職人養成コースで、半年間の修行を始める。ここでしっかりとガラス作りの基礎能力を身につけた後、ニューヨークを訪れた。1997年12月のことだ。日本や欧州諸国では、ガラス作りは「職人の仕事」としての文化が根付いている。弟子入りして、修行をして、一人前になって……、という世界だ。しかしアメリカでは、ガラスを学問として専攻できる大学もあるなど、「アーティスト」としてガラス製品を作ることができる土壌がある。そんなアメリカの気風の中で、ガラス触れ合ってみたいと感じたのだ。

 まずはブルックリンにあるニューヨーク市運営のワークショップの扉を叩いた。ここではガラスに関するクラスが受けられるほか、アーティストへの工房のレンタルも行っている。中山さんはここで授業を受けながら、アーティストたちのアシスタントとしてガラス作りの現場に立ち会い始めた。入念な準備に始まり、的確なフォロー、後片づけに至るまで、作業の環境を完璧に整える彼女に皆、驚いた。日本では師匠の作業に立ち会う場合、当然のこととして行ってきたことが、こちらでは高く評価されたのだ。やがて、多くのアーティストからアシスタントを頼まれるようになる。アシスタントは、人の作業をフォローしながら、自分も学ぶことができる有意義な仕事でもある。

 1999年8月には、チェルシーのギャラリーで友人たちとグループ展を開いた。

 「実用性とか、ほどよい大きさ、などは一切意識せず、自分の作りたいと思うものを自由に作りました。そうしたら、予想以上に作品が売れて。自分でも驚きました」

 今は、がんばった分だけ次々にチャンスが訪れるニューヨークが気に入っている。世界中からアーティストが集まってくる刺激的な環境もこの街ならではだ。

 「私は、好きなことをやっているだけで、特に野望というものはないんです。今は、私のガラスを気に入って買ってくれた人が、部屋に飾ったり、花を生けたりして楽しんでくれることが本当にうれしい」

 日本的な職人の世界も、アメリカのアーティストたちの世界も、それぞれによさがある。両方のよさを取り入れながら、自分の世界を築いていくこと。それが現在の彼女の理想だ。


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