●ゆっくりと、文字を綴ろう

あなたは一日に、何度、手書きで文字を綴るだろう。クレジットカードのサインだけ? それともスケジュール帳に書き込む程度?

私は24歳になるまでワープロを使わなかった。1980年代、出版業界においても、まだワープロは普及しておらず、当時編集者だった私は原稿用紙に書かれた文字を、赤ペンと修正液と付箋紙を駆使して校正したものだ。

デザイナーにしても、コンピュータを使わず、手書きのレイアウトを入稿してくれたものだ。この手の話をすると尽きないのでこの辺にしておくが、ともかくここ十数年で紙媒体の製作過程は、思い切り変わった。

1990年代に入り、あっというまにワープロはライターの間にも浸透し、マッキントッシュなくしてデザイナーの仕事は存在し得なくなった。

私自身も、ワープロでの「フロッピー入稿」を余儀なくされ、昼夜となく「入力の練習」をしたものである。その甲斐あって、今では手で文字を書くよりも遙かに速く、文章を文字にすることができるようになった。

しかし、世間でもよくいわれるように、ワープロ(パソコン)依存による弊害も少なくない。その最たる物が「漢字を忘れる」。

編集者が漢字を知らないのでは話しにならないのだが、とっさに書けないとわかると焦る。情けない。

私は中学生の頃から日記を付けていて、必ず一日の終わりに手書きの文字を記してきた。しかし最近は、手書きの日記は滞りがち。手書きの日記は、ホームページに掲載しているような公に出来る内容ではなく、絶対に人には見せられないものだから、汚い字で書いてもかまわないのだが、自分が読み返して気持ち悪い。ことにここ数年の、自分の文字の乱れにはあきれる。

多分毎日、一定量を綴らなければ、文字は下手になる。それに加えて、キーボードで入力するのと同じスピードで文章を書き上げようとするから、自ずと走り書きになってしまう。結果、汚い。

昔、私は「文字を書く」ことが好きだった。だから、できるだけ、きれいな文字を書きたいと思っていた。きれいな文字を読むのも好きだった。バランスの美しい文字を見ているだけで、すがすがしい気分になった。

ファックスの送信用紙や手紙などは、もちろん今でも手書きだ。でも、省みるに、いずれも文字が走っている。

もう少し、ゆっくりと、丁寧に、文字を綴ろう。(2/28/2002)

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