●それは明らかに汚いやり方

私は、日本の文化や習慣の悪しき部分を取り上げ、さらにはアメリカの慣習を引き合いに出してやみくもに、「アメリカでは**なのに、日本じゃ##」という新聞や識者やその他あらゆる人々のいい様が好きではない。

同じ土俵に立っていないものを、アメリカと日本じゃ比較できない場合が多いからだ。ましてや自分がアメリカに住んでいる上で、「アメリカは**なのに、日本はまったく##でなってないわ」などと否定的な発言をすると、疎ましく思われ、真意を理解されない場合もある。

そう常日頃考える私ですら、日本のやり方はまずすぎる、日本でも絶対に取り入れるべきだと思う慣習がある。それは「ビジネスを行う上で、必ず契約書を交わす」ということだ。たとえどんな小さなプロジェクトでも、自分がすべき仕事の範囲を紙に落として明確にし、その請求額を書き込んだ「見積書」を作成し、それに取引先のサインをもらう。

サインをもらってはじめて、仕事を開始するのだ。

これまで同じようなことを何度も言ったし書いてきたけれど、今日、改めて書いているのは、昨日電話で話した友人が、日本の出版社と仕事をしていて、最終的に原稿料を値切られたという話を聞いたから。

私は東京で8年間働いていた。そのうちの3年間はフリーランスだった。だから日本の出版や広告業界での仕事のやりとりについてのあいまいさはよくわかっている。

それが百万円を超えるプロジェクトでさえ、口約束で遂行し、銀行振り込みがなされるまでなんの保証もなく仕事を進める。

たとえば最初ページ1万円の契約で進めたとする。取材を終え、原稿を書き上げ、すべての入稿が終わった後で、

「やっぱり予算がたりなかったので、ページあたり8000円にしてもらえますか?」

「予算の都合が付かなかったので、取材費と経費は込みにしてもらえますか」

そんな要求をしてくる編集者は存在し、それをのむクリエイターがいるのだ。私も日本にいるころ数回、そんな目にあった。断固として「話が違う」と主張した。でも必ずそういうとき、彼らはこう言うのだ。

「坂田さんとは今後もおつきあいしていきたいと思っているんですよ。今度はまたいい仕事を出しますから、今回のところは何とか、よろしくお願いします」

これ。このなーなーな精神がすべて、日本の腐敗を物語っているのよ。それに屈するのは、本当に屈辱的だけど、当時、駆け出しのライターだった私は、くやしいけどその話をのんだ。今は絶対に受け付けないけどね。

結局、これは弱い物いじめの何者でもないのよ。フリーランスとは吹けば飛ぶような稼業だと思っている人間がいるから、「敬意」をしめさない。たとえば個人にとっての数万円と会社にとっての数万円じゃ、価値が違うのよ。

数万円を値切って払わない会社なんか、腐ってるにもほどがあるね。

96年に渡米して、97年にニューヨークで会社を興して、こちらのやり方でビジネスをはじめて、何が感動したかと言えば、すべてが契約書の世界だったと言うこと。そこには「次回お願いしますから」とか「今回は予算が足りなくなって」とか「交通費も込みで」なんていう、ゴチャゴチャとした後々の交渉がない。

契約書に5000ドルと書かれていたら5000ドル。送料は別、と書かれていたら送料は別にレシートをつけて請求する。それがあたりまえなのだ。万が一、トラブルなどがあり支払わないクライアントがいたら、取り立て屋(コレクションカンパニー)に依頼することもできる。

状況によるが、最低でも半額は取り返せる。完璧な英語をしゃべれない、永住権のない人間ですら、たった一人でも会社を運営していけるだけの土壌が用意されているのだ。仕事の結果はお金。そのお金に関する制度があいまいでは報われない。

そういう意味で、日本のビジネス社会はあまりにも、不可解な慣習によって稼働している。

私はアメリカに来てからも、日本人のクライアント、もしくはクライアントとも呼べない知り合いの知り合いたちから、嫌な目に何度も会った。日本人は情報を「無料」だと思っているから、人の時間を割いておいて、必要な情報を吸い取っていって、「これも何かのご縁ですから」と言って去っていく。

こちらに住んでいると「与えるばかりのご縁続き」で、「得るご縁」は遙かに少ない。それを与えられた人間から「これもご縁ですから」って言われるのは、どうにも釈然としない。でも、そういうケースは本当に多い。

「日本的」を主張する人間なら、せめて手土産の一つでも持ってこいと言いたい。手ぶらで来て、ただで話を聞いて帰るというのは理解できない。日本から来て手ぶらで来る人も、ごく稀だけどね。だいたい、そういう人に限って、その後、一切音沙汰がない。

私は別に物が欲しくて言っているのではないよ。もちろん。なんというか、お金を出せないのであれば、食事をごちそうするとか、お土産を持ってくるとか、そのあたりでお互い、曖昧にでも「フェア」にしておくべきだと思うのだ。とにかく、先々のご縁は置いておいて、「その場で完結」すべきだと思う。

だから、こちらのアメリカ社会で、たとえば私のような仕事をしている人は、日本人と仕事をする場合、非常に警戒している。多くの人間が100ドルで500ドル分の仕事をさせよう、くらいのことを考えているとしか思えない行動をとるからね。

この慣習は、善し悪しの問題でなく、明らかに間違っていると私は思う。たとえばレストランに行く。メニューに本日のコースは50ドル、と書いてあるとする。で、それをオーダーし、デザートまで食べて、コーヒーを飲んでいる最中に、

「お客様、すみません。本日、予想以上に材料費がかかったので、コースは70ドルとさせていただきます」

っていうのと、いっしょよ。はっきりいって、詐欺です。

だまされる方もだまされたくないなら、自己防衛をせねばならない。だから、私は日本の会社と仕事をするときでさえ、こちらの書式を使って契約書を発行し、サインをしてもらってファックスで返信してもらってから初めて、仕事を開始する。

きちんとした編集者なら、サインをいやがったりしないし、今まで拒否されたこともない。

多少、面倒なやつだと思われてもいいのだ。私は受けた仕事は責任をもって、スケジュール通りにこなすし、クオリティにだって自信を持っている。だから、主張もする。値段の交渉もする。そのあたりは、厚かましいくらいの根性と積極性が必要なのだ。さもなくば、結果的に自分が腐ることになる。

お金のことをはっきり口に出すのは恥ずかしいことだとする慣習はよくない。本当にのちのちトラブルを招く。

ま、賛否両論あるだろうけど、私はこう思っている。(3/8/2002)

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