January 31, 2004 柚子茶の夜。

久しぶりに、郊外のコリアン系「スーパーHマート」へ行った。キーブリッジを渡るとき、凍てつき雪が積もったポトマック川が見えた。スーパーHマートには、安くて新鮮な食材がたっぷりある。大豆モヤシやニラ、サトイモ、肉厚のシイタケ、大きな白菜、チンゲンサイ……。日本に比べると新鮮な魚介類が少ない米国だけど、この店はずいぶんいい。サーモンをはじめ、銀だらみたいなチリアンシーバス(西京焼き風にするととてもおいしい)、頭付きのエビ、バターフィッシュ、フラウンダー(ヒラメ)、サバ、アサリなどの魚介類をたっぷりと買う。魚は丸ごと買う。頼めば店頭で捌いてくれるけれど、ちょっと乱雑で背びれ尾びれまで切り落とされるのがいやなのだ(尾びれ背びれのない魚はなぜか不気味)。帰宅して、しばらくはキッチンにこもり、魚をおろす。1食分ずつをパックして冷凍保存。満たされた冷凍庫に達成感。ひと息ついたら、買ったばかりの「柚子茶」を飲む。柚子のマーマレードのようなものを、お湯で割って飲むもので、実際は「お茶」ではないのだけれど。美容と健康によさそうな味がする。ほのかな酸味と甘みと、柚子の懐かしい香りがして、おいしい。寒い夜には特に。

 

 January 30, 2004 

氷点下の朝。息を弾ませ上る坂道。空気のあまりの冷たさに、自ずと瞳が潤んでくる。
あまりにも寒いところでは、涙は流れ落ちる先から、凍てつくだろうか。
はらはらと、こぼれては凍り、ガラス玉のように、涙のしずくは飛び散るだろうか。

思えば、スペインの聖母マリアは、ぼろぼろと、激しく涙を流しながら、宙を仰いでいた。
その涙のしずくは、氷の粒のようにも見えた。
マドリードでも、セビーリャでも、そして
ロンダでも。
どうして、あの国のマリアは、あんなにもあからさまに、あんなにも痛々しく、あんなにもあでやかに、
涙を見せていただろうか。


Photo: Ronda, Spain 2000
ロンダ。闘牛発祥の地。
橋のそばに立つパラドール(国営の古城ホテル)に滞在した。断崖の街

 

 January 29, 2004 帰り道

ニューヨークからワシントンDCへの帰り道。

アムトラックに揺られて3時間と少し。

ゴトゴト心地よい振動と、ホカホカ心地よい暖房とで、ほとんど寝ていた。

ときどき、誰かの携帯電話の音や、大きな話し声や、子供の叫び声で目を覚ましたけれど、

ほとんど寝ていた。

 

 January 28, 2004 白い日

朝、外に出たら雪はやんでいた。けれど道路は雪に埋もれていて、雪かきの人が忙しそうだ。朝早い約束があったので、タクシーを拾おうと思うが、空車がなかなか見つからなくて、結局は歩いてしまう。足が冷たい。その用事がすんだらもう、自由時間で、カーネギーホールの近くのなじみのカフェでクロワッサンとカフェラテとフルーツサラダの遅い朝食。わたしは通りの角にある窓の広い店が好きなようで、そういう店を自然と選ぶ。TUMIというバッグの店で、夫のブリーフケースを買う。数年前はナイロンっぽい素材のバッグをプレゼントした。今回は、奮発して革製にした。多分、こちらの方が長持ちする。これはバレンタインデーのプレゼントにしよう。本屋に立ち寄ったり、いろいろするけれど、道はベチャベチャと汚くて、もう歩いていられないのでホテルに戻った。遅いランチを食べようと新しいところへ行こうとしたのに、最初の夜に行ったホテル近くのギリシャ料理店へまた行く。この店も、通りの角だった。午後3時の誰もいない店。凍える日のギリシャ料理。温かくてフワフワしたムサカのランチ。食後、コーヒーを飲みながら、黄色いノートを広げる。窓の外を見ては綴り、綴っては窓の外を見る。


パラマウントホテルは、ブティックホテルの一つで、確かフィリップ・スタルクの建築で、ロビーもクールで、エレベータフロアには天気を知らせるがあって、でも初日の部屋は冷房が壊れていて寒すぎて、別の部屋に移してもらったけど、おしゃれかもしれないけど、一人で寝るには、なんだか怖いんです。この巨大な顔。

 

 January 27, 2004 雪の結晶。

吹雪は夕方から、とのことだったが、昼間からみぞれまじりの雪がちらほらと冷たい街。午前中の打ち合わせのあと近くの日本食レストランで鍋焼きうどんを食べて、次の打ち合わせに行って、それから、ともだちにあいにいった。それはとくべつにたいせつなじかんだった。もっとはなしたいことがあったがそうもいかず、またくるね、といってわかれた。それから、ブルーミングデールズに行って、外に出たら、もう雪がどんどん舞い始めていて、夕食の約束をしていた友人と、ミートディストリクトの新しい日本料理店へ行った。まつりという名前だった。常に常にこの街は生き物みたいに変わっていき、新しい店の話を聞いたり、世間の栄枯盛衰を聞いたり、でも、なにもかもが、わたしはいまここにいるにもかかわらず余所事で、すでに閉じられた重くて厚い幕からのぞき見ているような心持ちがした。食事を終えるころには、街は吹雪いていて白く、ホテルのまわりも雪だらけで、息を切らしながらロビーに入って、携帯電話が鳴るのを取ったらそれは夫からだった。とても聞き慣れているのに、その声は遠くて懐かしくて、わたしにはこの声が大切なのだ。はっきりさせようと思えばはっきりすることがわかった。

 

 January 26, 2004 これだもの。

ニューヨークを離れて丸二年。その間、マンハッタンを訪れたこと十数回。
記憶にある限りでは、二回を除いて、いつもいつもいつも、ひどい天気だ。
豪雨、豪雪、強風、熱波、みぞれ、吹雪に大寒波。そんなに迷惑なのか、わたしが来ることが。
冬枯れの風景の奥に見える細長い島。大切な、拠り所だった島が、なんだかもう、遠いよ。

自分の心根を、冷静に顧みたくて、かつて住んでいた場所にある、エンパイアホテルを選んだのだ。
向かいのバーンズ&ノーブル、夫と出会った場所で、ひとりでしばらく、書き物をしたかった。
なのに、なのに、ホテルは先週から営業停止。なんだか倒産したみたい。ガランとしたロビーで茫然自失。
見張り番の兄さんが、タイムズスクエアのパラマウントホテルに行けという。無事に部屋はとれたけど。
ああ、街全体が冷凍庫。明日は夜から大雪らしい。わかったよ、マンハッタン。

 

 January 25, 2004 雪。

明日は、半年ぶりにニューヨークだから、少しでも暖かくなるように願っていた矢先、

こんこん、こんこんと雪が降り始めて、明日の朝まで降り続くらしい。

何かと脆弱なアムトラック(長距離列車)が、明日、ちゃんと動きますように。

それも、大幅に遅れたり、途中で立ち往生したりせずに。

駅で、車内で読む本を、多めに持ってゆこう。

 

 January 24, 2004 会合

凍える週末。予定のない週末。

友人を招いて、一緒に食事をしようよ、と夫。急だから無理かもよ、と言いながら、電話をする。

誘った夫婦のどちらもが、今夜、空いていて、よかった。

みなそれぞれに料理を持ち寄り、にぎやかに埋まった、6人がけのテーブル。

前触れのない、急な会合もまた、思いがけず、いい時間が舞い込んだようで、楽しい。

 

 January 23, 2004 これでも

サラダです。

 

 January 22, 2004 氷点下

このごろは、もう、毎日氷点下で、どうにかしてほしい。

例えばバス停で、バスを待っている間にも、凍結しそうだ。

「2分以内にバスが来なかったらタクシー!」と決めて、待つ。

いつもは、なかなか来ないバスが、行きも帰りもすぐさまやってきて、待たずにすんだ。

それだけで、ものすごくついてる気分になってしまうくらいに、寒すぎる。

 

 January 21, 2004 初めての記憶

26歳のころは、表参道にあるデザインオフィスに、よく出かけた。イワモトさんは、そこのデザイナーであり社長であり男性であった。打ち合わせのあと、色々な話をした。食べ物の話をすることが多かった。デメルのネコの舌の形をしたチョコレートのことや、マイユの粒マスタードのことを教えてくれたのは、イワモトさんだった。マスタードのことを教わった日の帰り道、わたしは紀ノ国屋というスーパーマーケットに立ち寄った。そこには、珍しくて、高くて、魅惑的な食べ物が並んでいた。わたしはマイユのマスタード1瓶だけを持ってレジに並んだ。アパートに帰ったら、「マイユ・粒マスタードを使ったマグロのマリネ」のレシピが、ファックスで届いていた。几帳面なイワモトさんの文字だった。わたしはそれを、マグネットで冷蔵庫に貼った。感熱紙が日に焼けて、レシピの文字が消えかけてしまったころ、わたしは日本を離れた。今、わたしの住む国で、そのマスタードは、少しも特別じゃなく、高くもない。けれど、わたしは、今でもその瓶を手に取る瞬間、ちょっと贅沢でお洒落な物を買う気持ちになり、少し、心が沸き立つのだ。

 

 January 20, 2004 melt-in-your-mouth

シカゴから遊びに来ていた友人が、お土産をくれた。
ペンケースみたいに小さな、その箱を開けたら、
半口サイズ、くらいの小さな
チョコレートが、行儀よく並んでいた。

指先で、こっそり、という感じでつまんで口に入れると、
爽やかなミントの香りと、まろやかで、なめらかで、濃厚なカカオの味。
いつもは敬遠していたミントチョコレートが、こんなにおいしく在るなんて!

この箱を、机の上に置いていたら、ふとした瞬間匂いがこぼれて、まるで質のいい、それは香料。

 

 January 19, 2004 飽き飽きだ!

2002年の1月に、この街へ来た。最初のころは、ニューヨークが恋しくて、不満炸裂だった。
でも、季節が暖かくなって、桜が咲いたり、新緑が芽生えたりするうちに、ここも悪くないかな。と思った。
そうして、それからは、この街のいいところを、見つけようとしていた。探そうともしていた。
だけど、最早、そういうことが、もう、いちいち面倒だ!
つまらないものはつまらない。好きになれないものは好きになれない。それはもう、どうしようもできない。

だいたい、好きなものなんて、探すものじゃないんだ。
好きなものは、突出していて、探さなくても目に飛び込んでくる。
だからわたしは、そこを目がけて、距離を超えて、走るのだ。

 

 January 18, 2004 名前。

恐竜の背中みたいなパン。もう、半分くらい、食べてしまったあとのようす。
これは、いつもとは違う店 -Sutton Place Gourmet- で、我が家のパン購入担当者が買ったCIABATTA。

いつもの店のそれとは、まったく別のパンとしか思えない形状で、いったいどちらが「本当」なのか、
それとも、どちらもが「本当」なのか、さっぱりわからないけれど、どちらも、それぞれにおいしい。

なので、ややこしいことは考えず、
自分たちが「おいしそう」と思ったものを買い、自分たちが「おいしかった」ものを、また買おう。

 

 January 17, 2004 暮らし

週末、夫と二人で一週間分の食料の買い出し。主にはわたしが商品を選び、夫がビニール袋に詰める。
けれど、いつも必ず買う、たとえばバナナや、ヨーグルト、牛乳、ボトル水、ワイン、パンは、夫が選ぶ。
バナナは、すぐに熟れてしまうから、前半用の黄色いもの、後半用の緑色のものを、混ぜて買う。
いつからか、そうして買うことが習慣になっている。

キッチンの果物かごに並ぶ、2色のバナナ。今日、なぜかそれが、とてもかわいらしく見えた。

たとえそれが、ささやかすぎる決まり事であっても、
わたしと夫との間で育まれたものの一つなのだと、気づいた瞬間訪れる、本当に小さいけれど幸せ。

 

 January 16, 2004 調和と均衡

ホテルのスパで、フェイシャルと、リフレクソロジーを、身体に施してもらう。
左の手首に触れながら、「あなたは今、左側の腰を、とても痛めてますね」と言うエステティシャン。
やはり、わかるものなのか。
調和の崩れは、思いがけぬところに表出する。

ラウンジで、炎を見つめながら、夫を待つ金曜の夜。外は、呆れるほどの寒さ米国東海岸。
サンデマンのポートワイン飲みながら、窓の向こうに凍える町並みを見やる。

まずは自分のこの身体の、どうすれば調和がとれるのかを、均衡がとれるのかを、考えなければ。

 

 January 15, 2004 水菓子

ルビーレッドのグレープフルーツ。どっしり大きなグレープフルーツ。
一房ずつ、皮を剥いて、器に盛る。

甘酸っぱい水分を、たっぷりと湛えた果肉は、はらはらと実を崩す。
木のスプーンで、すくい食べるうちにも、はらはらと崩れて、花弁のように。

艶やかな、瑞々しい、ルビーレッドのそれは、同時に飯粒に似た大きさで、
あたかも、丼物を食べるように、ガフガフと、食べる。

 

 January 14, 2004 街灯

脳が凍て付く。耳がちぎれる。
ガンガン打ち鳴る、カテドラルの鐘。

太陽が落ちる。窓ガラス弾く。
ガンガン打ち鳴れ、カテドラルの鐘。

沈黙の、家々よ!

かりそめの、街の灯よ!

 

 January 13, 2004 贈り物

教訓めいた言葉がたくさん連なる本を、読むことはない。たくさんの理想に埋没してしまうから。
けれど、ふと、偶然に見つけた言葉に、ふと耳にした言葉に、吸い寄せられることはある。
何気なくめくったページに、目が留まる。

"The past is history, the future is a mystery, and this moment is a gift.
That why this moment is called 'the present'."

過去は歴史。未来は神秘。この瞬間は贈り物。だから人は、今、現在を「プレゼント」と呼ぶ。
(訳:坂田マルハン美穂)

 

 

 January 12, 2004 乾き

水を飲む。お茶を飲む。コーヒーを飲む。炭酸水を飲む。

机の傍らに、グラスやコップが集まる。

書き連ねるうち、しばしば訪れる乾きは、何も空気が乾燥しているせいだけじゃない。

シンプルにありつづけるためにも、然るべき力が必要なとき。

 

 January 11, 2004 思い出

南インド。マイソールのグリーンホテルは、夫のノスタルジーをかき立てた。
そのホテルの、小さな売店に売っていた、北インドの操り人形。
「これ、可愛いから買おうよ」と夫。
「そうだね。でも壊れないように、持って帰らなきゃね」とわたし。

二つで3ドルの人形。丁寧に新聞紙に包んでもらう。
マイソールからニューデリーへ。ニューデリーからワシントンDCへ。
どんな荷物よりも丁寧に、夫は運ぶ。

海を越え、わたしたちの部屋に連れてこられた、3ドルの郷愁。

 

 January 10, 2004 激情

その広い部屋いっぱいに並べられた、色とりどりの、美しいガラス製品。花瓶、グラス、皿……。
それらを手当たり次第つかみとり、その日本の男に投げつける。
大変な凶暴さで、半狂乱で、投げつけて、投げつけて、投げつけても、
ガラスは、その男には当たらず、床に落ちる。
床に落ちても、砕けることなく、美しい形を保つガラス。
抑えられない、不条理な怒りが、体中を駆けめぐり、噴出していた。
……目を覚まして呆然とする。何をそんなに怒っていたのか我よ。

砕けぬグラスと、打ちのめされぬ男について考える。

  

 January 9, 2004 おいしい

23歳の時、初めの台湾。
茶藝館で飲んだ、上質の凍頂烏龍茶の、その香りと味わいに、目からうろこが落ちた。

35歳の時、初めてのインド。
ティーハウスで飲んだ、上質のダージリンの、その香りと味わいに、目からうろこが落ちた。

温めておいたティーポットに茶葉を入れ、熱湯を注ぐ。
ティーコージーを被せて保温しながら、しっかりと3分以上、葉が開き、味わいが湯に染み入るのを待つ。
軽やかな琥珀色。花のような甘酸っぱい香りと、ほのかな甘みのある味。

  

 January 8, 2004 主張するノート

渡米直後に見つけたフランスのノート。すべすべと、滑らかな紙がいい。
さらには、ほどよい罫線の間隔。ほどよい罫線の濃度。ほどよい紙の厚さ。
大きなもの、小さなもの、厚いもの、薄いもの、いろいろあって、もう何冊となく、使ってきた。
パープル、レッド、グリーン、ブルー。これまではその4色しか見たことがなかったのだが、
週末の文具店で、こんなにも鮮やかな色を見つけた。
太陽のような、オレンジのような、ひまわりのような色。
カバンの中でも、机の上でも、何に紛れることなく、在処を示す。
今年一番のノートはこれに決めた。

 

 

 January 7, 2004 見極める

クリスマスの日、バンガロールのホテルに、尼さんたちが、手刺繍の木綿製品を売りに来た。
わたしは、インドの素朴な風景が映されたナプキンを選ぶ。夫は、言葉を選ぶ。
それらを、大事な気持ちで買う。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can, and the wisdom to know the difference.

神よ、我に与え給え。自らの力では、変えられぬことを受容する、その静けき心を。
そして、自らの力で変えられることを、変える勇気を。
そしてその二つの違いを、見極められる英知を。(訳:坂田マルハン美穂)

  

 January 6, 2004 本能の声

あまりにも軟化しすぎていた、ここ十数カ月の自分に気づく、旅のあと。

あちこちに、思いを巡らすのは、最早、徒労だ。

もっと鋭く、もっと毒々しく、もっと正直に突っ走れ!

結果は走った先にあるはず。

鍛えて、鍛えて、貫ける強さを育てるのだ今年は。

 

 January 5, 2004 愛は国境を越えているのか?

ニューデリーのショッピングモールで、うんざりするほど時間をかけて、夫はインド映画のDVDを選んだ。
帰国以来、毎晩のように、それらを観ている夫。なにしろ騒がしい。なにしろうるさい。

「ミホ〜! 面白いから一緒に見よう!」 しつこく誘うので数分付き合う。
どこがどうおもしろいのか全然わからない。激烈にくだらない。どの映画も似たり寄ったり。区別がつかない。
脱力する私の傍らで、「うひゃひゃひゃひゃ!」と、ソファから転がり落ちんばかりに大笑いする夫。
映画そのものより、彼のその反応の方が興味深いというものだ。

この人は大丈夫だろうか……? 今夜もまた、そう思う。インドって、変な国。インド人って、変な人。

 

 January 4, 2004 賑やかな食卓

外で食事をするとき、家で食事をするときとは違う空気。
皿の模様や、パンの歯ごたえや、ナプキンの色や、窓の向こうを行く人の表情や、
そんなさまざまが緩やかに心を撹拌する。

「この間、この店に来たときは、**を食べて、そういえば、##の話をしたね」
「あのとき、あなたは、@@のことで悩んでたけど、今となっては大したこと、なかったね」
「そういえば、ここで一緒に食事をした**さんたち、元気にしているかしら」

料理と一緒に、それ以外のものごとも、食卓に運ばれてくる。

 

 January 3, 2004 遊牧民のように。

朝。書斎のソファーに腰掛け、お茶を飲みながら、ぐるりと部屋を見回す。
わたしを取り巻くこの部屋で、本当に、わたしにとって必要なものは、なんだろう。

知らず知らずのうちに、また、物に囚われている。
ここはわたしの、終の棲家ではないのだ。だからこそ、今はできるだけ、身軽でいよう。
いつでも、どこへでも、ひょいひょいと移動できるような身軽さで。まるで遊牧民のように。

投資すべき対象を、見極めよう。いつでも、軽く、笑いながら走り出せるように。


Photo: Gobi Desert, Mongolia, 1992

 

 January 2, 2004 垣根を取り払うための作業

今年は、自分の身の回りのいろいろを、日本語から英語に、英語から日本語に、する作業をしようと思う。

夫の母が他界して、10年がたつ。それをひとつの区切りとして、姉のスジャータが回想録を編集した。
そこには、知的で、繊細で、たくましくて、やさしかった、ひとりの女性が、
病と闘いながら、家族を思い、社会に貢献した人生が、凝縮されていた。

彼女とわたしは出会うことがなかったけれど、けれど、他人ではない。

英語を日本語にしながら、夫の祖国や、幼少時代や、そんなさまざまに、思いめぐらせてみよう。

 

 January 1, 2004 新しい年のはじまり

わずか14日間のことなのに、もう、随分長いこと、旅をしていたような気がする。

インドの喧騒が、耳に残っている。インドの匂いが、髪に染みている。

ゆうべは深い眠りの中で年を越した。

そうして静かに明けた2004年で一番最初の朝。

青空が、澄んでいて、澄んでいて、澄んでいて、どこかに向かって祈りたくなる朝。

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