国際結婚だからこそ、うまくいったことの方が多い気がします

 


尾崎いづみさん Izumi Ozaki 
1960年名古屋市生まれ。ミッドタウンのIZUMI SALON経営

ジェームズ C. チャンさん James C. Chang 
1963年シンガポール生まれ。グラフィックデザイナー


 

 小学生のころから、いづみさんは、映画やテレビを通して見知ったニューヨークに憧れていた。どんな職業につくにせよ、いずれはニューヨークで働きたい、男女の差別なく実力が発揮できる仕事をしたいと考えていた。

 高校1年の夏休み、そんな彼女の将来を決定づける出来事があった。

 「忘れもしない、近所の美容室に行ったときのことです。人気アイドルの松本ちえこみたいにしてと頼んだのに、当時の和田アキ子みたいな、裾のところがクルンと外巻きの、キノコみたいな髪型にされちゃったんです」

 文句もいえず、鏡を見ながら今にも泣き出しそうな彼女に、その美容師は言った。  

 「いづみちゃんは、将来何になりたいの?」

 そう聞かれた瞬間、まるで天啓を受けたように、彼女の脳裏に将来の夢が浮かんだ。

 「私、美容師になりたいんです」

 以来、自分の髪は自分で切るようになった。友達からほめられるたび、「自分が美容室を開いたら、絶対にはやる」と確信した。

 高校卒業後、地元名古屋の美容室で働く傍ら、通信教育で免許を取得。5年後、上京し、有名なヘアサロンを転々としながら、実地でさまざまな技術を身につけた。

 そして1989年、28歳のとき、ついにニューヨークへ。ヴィダル・サスーンなどのサロンで修業した後、ヒルトンホテルのサロンで椅子を1個借り、お客さんを確保していった。

 いづみさんが、友人の紹介でシンガポール人華僑のジェームズと知り合ったのは、93年のことだ。彼はパートナーとともにグラフィックデザインのオフィスを経営していた。

 「英語を話せる友達がほしかったこともあって、一緒に美術館に行ったりしているうち、自然と付き合い始めるようになりました」

 3年後、ジェームズのビジネスパートナーが亡くなった。それを機に、それまで何年も帰国の機会を逸してきた彼は、家族の住むシンガポールに帰ろうと思った。

 「彼から、一緒にシンガポールに来ないか、と言われたんです。君ならシンガポールでも美容師としてうまくやっていけるよって。でも、私は、ずっと憧れ続けてきたニューヨークを離れるつもりはありませんでした」

 最終的に、彼は帰国を諦めた。

 「私はニューヨークを選び、彼は愛を選んだんです(笑)」

 そんな二人にも、ちょっとした波乱があった。進展がないままの二人の関係に、将来のことを考えたいづみさんは、彼に尋ねた。この先、私と結婚するつもりはあるのかと。

 "I'm not sure."

 それが彼の返事だった。しばし考えた後、彼女は言った。

 「それなら、別れましょう」

 5年も付き合っていて結婚するつもりがないのなら別れるしかないと、いづみさんは思ったのだ。一度決めたら行動が早い彼女。思いを断ち切るように、早速新しいアパートを探し始め、引っ越しの段取りを整えた。いざ引っ越し、というときになり、ジェームズは、慌てていづみさんを引き止めた。しかし、彼女の気持ちは、すでに「新しい人を探そう」という方向に向かっている。せめて、以前から決めていたイタリア旅行だけは一緒に行こうというジェームズの提案をのみ、一緒に行くことにした。

 ローマ、フィレンツェを経て、最後に訪れたベネチアで、ジェームズはいづみさんにプロポーズ。彼女もそれを受け入れた。98年のことだ。

 その直後、いづみさんが勤めていたヒルトンホテルのサロンが突然閉店することになる。それを知ったのは閉店のわずか1週間前。余りに急なことで、独立するための具体的な準備は何もない。身の振り方を大いに悩んだ。そんな彼女の背中を、ジェームズが押した。

 「いづみはいつも店を持ちたいと言ってたじゃないか。今、独立しなかったら、後悔するに違いない。最悪の場合でも、ホームレスになることはないから、がんばってみたら?」

 そんな彼の言葉に、店を持つ決心をした。

 店の設備、内装など、何から何までジェームズが手伝ってくれた。家族や親戚はもちろん、友達同士の結束力も強い華僑の人々。彼の友達も、いづみさんを妹のようにかわいがってくれ、親身に手伝ってくれた。そして99年8月、晴れて自分の店を開くに至った。

 「サロンのすべてを、彼と私の二人で作り上げました。だから、私たちにとっては、この店そのものが、子供みたいなものなんです」

 二人が結婚したのはプロポーズから1年後の99年2月。シティホールで入籍した後、いづみさんは仕事に舞い戻った。

 開店当初は、さまざまなストレスで怒りっぽくなっていた彼女。折に触れ、普段は穏和なジェームズから厳しい口調でたしなめられると、ハッとして、感謝の気持ちがよみがえったという。

 「彼は私の帰りがどんなに遅くなっても、店まで迎えに来てくれて、一緒に夕食に出かけます。私の愚痴や不満をすべてユーモアで切り返す懐の広さに、救われています」

 彼女の店に来る日本人男性客の多くは、異口同音に「自分の妻には仕事をしてほしくない、地味にしていてほしい」と言い、日本人女性客は異口同音に「いづみさん、仕事ばかりして、ご主人は怒らないの?」と尋ねる。

 「そんな言葉を聞くたびに、私のような女性は、日本人男性とは結婚できなかったと思うんです。もちろん、お互いの性格や相性もあるけれど、私たちは国際結婚だからこそ、うまくいっているのかもしれないと思います」

 ジェームズとの結婚を通してカルチャーショックを受けたことといえば、彼の両親がニューヨークに遊びに来て、4カ月間も二人のアパートに住んでいたことくらい。

 「最初は、4カ月も一緒にいるなんて! と驚いたけれど、彼の両親は私のことを実の娘のようにかわいがってくれて。お母さんは3食作ってくれるし……。お弁当まで持たせてくれたんです。本当にいい人たちです」

 来年は、時間をとって、きちんと結婚式を挙げる予定だ。

 「ジェームズは、僕の人生は、いづみに捧げたようなもの、捨てたも同然だ、と冗談めかして言うけれど、いつか、ジェームズに、いづみと結婚してよかった、と思われるようになれればと思っています」


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