『街の灯』営業報告 日本編 (2002年9月5日〜21日) ●9月5日(木) 久々の日本。夕方、四谷のホテルにチェックインした後、夫と共にポプラ社へ。編集の野村浩介氏、斉藤尚美氏と初の対面。と同時に、刷り上がった『街の灯』を手にする。ついにできあがったのだ! という感慨は一瞬。(どうにかして売らねば)と、次のプランに思いが走る。(もう少し、喜びに浸れ!)と心中にて自分に突っ込み。
●9月6日(金) 今日が『街の灯』の配本日。しかし流通その他の関係で、書店に並ぶのは数日後になるとのこと。特に地方の場合は遅れるらしい。東京にいる間に、書店で自分の本を見ることはできるのだろうか。 銀座の書店へ営業に行くが、玉砕、意気消沈。詳細には触れるまい。腰痛もひどく、やる気失せる。東京は何しろ、ただ歩いているだけでも疲労する。雨は降るし蒸し蒸しするし、気が滅入ることこの上ない。従って、営業は地元福岡およびニューヨーク、ワシントンDCにて集中的に行うとあっさり決意。旅の初めから徒労している場合ではないのだ。
●9月7日(土) 六本木のインド料理店で「出版記念&結婚披露パーティー」を開催。約70名ほどのゲストが参加してくれた。盛況で、とてもうれしかった。用意していた『街の灯』は50冊ほど売れた。初のご購入、である。みなさんありがとう。パーティーが終わる頃、外はバケツをひっくり返したかの如く豪雨。 ・西日本新聞東京支社報道部の記者、山崎健氏より取材を受ける。
●9月8日(日) 予定では書店巡りをする日だったが、やめ。ようやく晴れたので、表参道などを散策。ルイ・ヴィトン前の行列に、マルハン夫妻、おおのく。
●9月9日(月) 午前中、ポプラ社に伺う予定だったが、緊急事態発生とのことで編集部全体がお忙しい様子。社長にもご挨拶をしたかったのだが、そのような状況ではないことが察せられた。かなり残念。 午後、十数年前からの友人であるライター篠藤由里氏と夫の三人で、JALの機内誌などを制作しているウインズ出版へ。編集長の榊原淳子氏、これまで電子メールのみでやりとりをしていた古川有紀氏と対面。偶然にも篠藤氏はウインズ出版の仕事をしていて(帰国直前にそのことがわかった)、彼女が記事を書いている「JAL FAMILY LETTER」という在外日本人家族向けの季刊誌の国際結婚のコラムに、わたしたち夫婦のことを取り上げてくれるという。ランチを取りつつ取材を受ける。 また、「JAL FAMILY LETTER」のブックレビューの欄に『街の灯』を取り上げてもらえるようだ。なお、掲載は2002年冬号とのこと。
●9月10日(火) 午前中、東京を離れ新幹線で京都へ。ついに書店で自分の本を見ないままの移動である。発行部数は4000部なので、平積みにしてくれる書店は都内の大手書店に限られているだろうことを思うと、やや残念。 京都に着き、ホテルにチェックイン。西本願寺の境内で、靴を脱ぎ、ぼーっとしているところにポプラ社の斉藤氏から電話あり。いいタイミングである。14日か15日の読売新聞朝刊に、ポプラ社新刊の広告が出るという。うれしいニュースに喜ぶ。同時に、紀伊國屋のなぜか大阪梅田本店に、『街の灯』が大量に(30冊)入荷されるとの情報を得る。ううむ。平積みの様子を見たい。と思う。
●9月11日(水) 観光の合間に、京都の大手書店(丸善、ジュンク堂など)を巡るが、どこにも、片隅にも、『街の灯』見あたらず。目に飛び込むのは村上春樹の「海辺のカフカ」を筆頭に、山本文緒の「ファースト・プライオリティ」、吉田修一の「パーク・ライフ」などなど。あと、おじいさん(日野原重明)が表紙の本がやたら多いのに驚く。 ポプラ社の斉藤氏いわく、9月は新刊ラッシュで、発行としてタイミングが悪かったらしい。そうだろうなあ。村上春樹だけで、書店の入り口が埋め尽くされている感あり、だもんなあ。 ぽつねん、とした気分。『街の灯』、消えかかる。 わかってはいたけれど、自分の本が見あたらないと、結構、気分が腐るものである。そんな私に夫アルヴィンドは語り始めた。 「美穂、ベースボールのプレイヤーにたとえると、美穂は今、ようやくチームに入団できた状態なんだよ。まだまだヒットを打つか、ホームランを打つか、今後成功するかどうか、わからない。試合に出られるかもわからない。美穂はまだ、新人なんだから、これから少しずつがんばればいいんだよ。チームに入れたというだけでもすごいことなんだから」 上手いたとえじゃないのよ! と感心する。そうだ。確かに彼の言うとおりだ。わたしは今ようやく、スタートラインに立ったばかりだと、自分でもそう言っていたではないかよ、まったく。 無名のライターの作品が、何の賞を受賞することもなく、本になったのである。最初から、じゃんじゃか印刷されて本屋に並ぶわけがないのである。そうだそうだそうだった。腐ってる場合じゃないぜ。 気持ちを入れ替えて、夕食へ。「とり安」でおいしい鶏の水炊きとすきやきをたらふく食べて、幸せになる。
●9月12日(木) 午前中、渋るアルヴィンドを説得し、新幹線で大阪へ。そう、平積みにされた『街の灯』をどうしても見たくて、紀伊國屋の梅田本店に行くことにしたのである。正午ごろ、書店に到着。『街の灯』は、今まさに、店頭に並べられようとしているところであった。 紀伊國屋書店 梅田本店
昼過ぎ京都に戻る。 夕食時、串焼き屋で生ビールを飲み、串焼きを食べ終え、茶を飲んでいるところに西日本新聞の山崎氏から携帯に電話。いいタイミングである。早くも明日の西日本新聞朝刊に、わたしの記事を掲載してくれるらしい。さっそく実家に電話する。ポプラ社にも電話する。夜遅くにも関わらず、編集部は眠らない。斉藤氏は席をはずしていて、野村氏がいらした。やや酔いが回った状態にも関わらず、澄まして電話する自分に多少の罪悪感。お疲れさまです……。
●9月13日(金) 京都を離れ、下関(山口県)へ。当初、新下関で下りる予定だったが、新下関には新幹線「こだま」しか停まらず本数が少ないので、急遽、小倉(福岡県)にホテルを取ることにした。昼過ぎに小倉駅着。早速、駅の売店で西日本新聞を購入! うわ、2面だ! カラーだ! 大きい記事! でも、でもわたしの顔、変! 口が、タコ! それに髪の毛がしょぼしょぼしている! などと贅沢を言ってはいけない。こんなに大きく取り上げて下さった山崎さん及び西日本新聞に感謝。 「しゃべっている時、口がとんがる」とは、噂に聞いていたものの、こんなにとんがっていたとはつゆしらず……。髪の毛がぺしゃんとしているのは、取材の直前、雨に濡れつつ店に入ったままだったのがよくなかった。せめて鏡でも見て整えておくんだったよと、乙女心にてやや(かなり)後悔。 4時頃、母校梅光学院へ。十数年ぶりに恩師である安冨先生にご対面。試験中ということで学生は少なかったが、十数名の前で1時間ほど話をする。持参していた8冊の『街の灯』は、参加した学生たちが購入してくれた。
●9月14日(土) 昼頃、実家のある福岡に到着。博多駅近くのホテルにチェックインしたあと、実家へ。両親と妹で購入してくれた計250冊(!)の『街の灯』にサインなどする。ちなみにわたしは米国での販売用に350冊購入しているので、4000冊中、600冊は身内による買い取りなのである。なんともはや。熱いぜ、身内! 夜は近い親戚が集っての「結婚披露・出版記念パーティー」が催される。『街の灯』は引き出物と化す。
●9月15日(日) 博多・天神界隈を散策。というよりも営業行脚。 紀伊國屋書店 福岡本店(博多駅)
福家書店 博多店(キャナルシティ) 紀伊國屋書店 博多大丸店 積文館書店 新天町本店 紀伊國屋書店 福岡天神店(天神コアビル内) 丸善 福岡ビル店 福家書店 天神コアビル店 ジュンク堂 福岡店 この日、天神界隈の書店を巡ったが、大型書店が至近距離にひしめいているのには驚いた。どこかの店長が言っていたが、今、この近所は「書店戦争」らしい。なにしろ、紀伊國屋、丸善、ジュンク堂が徒歩5分圏内にあるのだから。 中でもジュンク堂の広さは印象的だった。ビルの1階から4階まですべて本で埋め尽くされている。また店内のレイアウト、書棚の雰囲気ははアメリカのバーンズ&ノーブルに似ていた。1階にスターバックス・コーヒーがあるあたりも、バーンズ&ノーブル的である。わたしが営業をしている間、アルヴィンドはここの洋書コーナーに浸っていた。
福岡の書店を巡って感じたのは、自分としては、ひとまず福岡を中心に営業を展開するのがいいかもしれない、ということだ。地元の方が格段にセールスしやすい。
●9月16日(月)〜18日(水) 長崎のハウステンボス、嬉野温泉などへ小旅行。につき、『街の灯』営業についてはしばし忘れる。いや、16日の夜は佐世保在住の『街の灯』宣伝隊なおさんにお会いし、『街の灯』見本を一冊託す。 長崎滞在中、ポプラ社の斉藤さんより電話あり。初の読者カードが熊本在住の女性から届いたという。電話で内容を読み上げてもらう。「どのページにも温かい活力があふれていて、感動しました。良い本に出会えて、うれしくてなりません。ありがとう」といった内容。とてもうれしい。わざわざ切手を貼って感想ハガキを送ってくださった方、ありがとうございます。
●9月19日(木) 午後早く、福岡に戻る。 生活情報部 リビング福岡 西日本新聞社 すでに紹介された記事を示すと「これだけすでに出ているから、書評で改めてご紹介することはないと思います……」といわれる。予期していたことだが、一応、お時間のあるときにお読み下さいと『街の灯』をお渡しする。お忙しいところに突然お伺いして失礼しました。「時間があれば、DCやNYの話をお聞きしたかった」と、いちおう名残惜しそうにしてくださったのが、うれしかった。 シティ情報ふくおか 夕方、ジュンク堂へ。『街の灯』が一冊減っていた。うれしい。ついでに近所の丸善へ。お客のふりして、 「ポプラ社の『街の灯』って本、入ってますか?」 「たくさん入るのかしら……。予約をしておいたほうが、いいかしら……」 飯尾チーフ、たっぷりの入荷を、ありがとう! 夜、大学時代の友人5名と夕食。十数年ぶりの再会に感激する。彼女たち用に『街の灯』を持参していたが(一応、買ってもらうつもりだった)、「本屋で買った方がいいやろ?」といわれ、確かに、ということで、本屋での購入を依頼する。ありがたい友の心配り。別れ際、「ちゃんと買ってよね」と一応、念を押しておく。 友人の一人が、福岡のメディア関係者に知り合いが多いらしく、各方面に宣伝してくれるとのこと。パブリシティの依頼もしてくれるとか。感謝。彼女には『街の灯』一冊、贈呈。
●9月20日(金) 日本の滞在最終日。かなり疲労の色濃く、頭ぼんやりしつつも、超地元香椎・千早・名島界隈の営業。途中「リゲイン」など、一気のみ。 24時間働〜けますか♪ のメロディを思い浮かべつつ。昔はよく、飲んだものよ、この手のアンプル剤……。なんと色気のない20代だったことか。空き瓶をガチャンと捨てつつ、東京時代の「酷労」を思い出し、一瞬、胸が締め付けられる。 午前中、父の車で両親と共に母校巡り。各校図書館にそれぞれ2冊ずつ、『街の灯』を寄贈する。
福岡市立千早小学校 福岡市立香椎第一中学校 ニューヨークより、ワシントンより、ヴァージニア州より南、とおっしゃるので、アルヴィンドと二人、ノース・キャロライナ? とかサウス・キャロライナ? とかフロリダ? とか例を挙げるのだがどれも当てはまらず。先生、職員室に地図帳を取りに行く。結局ボルティモア(メリーランド州)だということが発覚。校長先生、それはヴァージニアの北、ですぜ。ボルティモアを見つけ出すのに少なくとも5分は要したか。 福岡市立香椎第二中学校 だから、この中学校の校舎を見たとき、懐かしさよりも、苦い思いが蘇った。しかし校門をくぐると、玄関には花などが飾られ、とても整然としたいい感じ。それを母が誉める言葉を、うつろな気持ちで聞く。 他校同様、スリッパに履き替え、校長室に通される。それにしても、日本は靴を脱ぐ機会が多くて面倒だ。紐靴を履いて来るんじゃなかった。 きれいに整頓された校長室。入っていらしたのは女性の校長、妻鳥幸子先生だった。とにかく、感じのいい、とても優しい印象の先生だ。玄関の美しさの理由がわかった。 『街の灯』の説明をすると、非常に喜んで下さり、「時間があれば、生徒たちの前で話をしてほしかった」と言って下さる。先輩が頑張っていることを伝えれば、生徒たちの励みになるに違いないと。 妻鳥先生は、途中、お茶を入れて下さり、しばらくお話をした。この中学ではいい思い出はあまりなく、先生たちからも疎ましがられた存在だった旨を、正直に話す。しかし、作文コンクールと合唱コンクールの時だけは気合いをいれたことなども言い添えた。 中2のとき、県の作文コンクールで最優秀賞を受賞して、わたしは地元のテレビに出演した。ぐれつつもも、根が真面目だったから、冬休みの宿題の作文はきちんと仕上げたのだ。 セーラー服のウエストをピチッと詰めて(自分で縫った)、スカート丈はやたら長くて(自分で縫った)、ネクタイは短く結んで、学生鞄をお湯につけて(!)潰して、ラメをちりばめたサテンの巾着(自分で縫った)をぶら下げるという、思い出すに大笑いなファッションに身を包んでいた当時。 ああぁぁぁ〜、返す返すも、こっ恥ずかしいことよ! 現在、この中学では朝の10分を読書の時間にあてているらしい。落ち着いた校風が伺えた。子供たちにはもちろん、PTAの方々や先生方にも『街の灯』を宣伝してくださるとのこと。非常にありがたく思った。 「次回帰国する折にはあらかじめご連絡しますので、ぜひ生徒たちの前で話をさせてください」と告げて、校舎をあとにした。 福岡県立香椎高等学校 向こうからやってくる教頭先生……。うむ? 見覚えのある姿。あのころに比べると白髪混じりではあるけれど、和田先生、和田先生じゃあないの! 「和田せんせ〜い! お久しぶりです! 坂田です! 坂田美穂です! 覚えてます〜?!」 一応は敬語を使ってはいるものの、限りなく馴れ馴れしい口調のわたし。先生も、すぐに思い出してくれたようで、一気に場がなごむ。和田直樹先生、一時はこの高校を離れたものの、数年前から教頭として赴任したらしい。 和田先生はわたしが高校三年の時の現代国語の先生だった。彼の授業はとても面白く、無論わたしが国語が好きだったせいもあるが、かなり強く印象に残っている。森鴎外の「舞姫」、漱石の「夢十夜」、それに先生がプリントして持ってきてくれた「破壊者ウルトラマン」などなど。 3年の終わり、県の読書感想文コンクールに応募されたわたしの作品は、これまた県で一番の賞を受賞した。ちなみに題目はドストエフスキーの「地下室の手記」。なんだかなあ。無理してたなあ。恥ずかしいなあ。 その感想文を選んでくれ、応募にあたっての最終的な推敲をアドバイスしてくれたのが和田先生だった。わたしが梅光女学院大学に進んだことも覚えていてくれた。『街の灯』のことは、生徒や先生たちに宣伝してくれるという。頼んだよ、和田先生! ところで大げさなあの校門。同窓会により建てられたらしい。ちなみに建設費3000万円(!)だったとか。3000万円……。他になんか、もっと意義ある使途先があってしかるべきと思うのは大きなお世話か。よく、反対されなかったものだ。
大地の家族(有機野菜のマーケット) ご挨拶のあと、記念撮影。よろしくお願いします! ここで購入のヨモギ饅頭と大福、おいしかった。
宇美 そば処 松本 わたしはゴボウ天そば、アルヴィンドはエビ天そばを頼んで二人でわける。どちらもとてもおいしかった。特にゴボ天は懐かしい味わいで、身体に染みたね。アルヴィンドはスープをすっかり飲み干して、大満足の様子。 ここの店長さん(松本洋氏)も店に『街の灯』10冊置いてくださるとのこと。うれしい限りだ。糟屋郡周辺に在住の皆様、いざ、そば処松本へ!
------ 午後は妹の車に乗り込み、妹の運転で香椎へ。午後は地元の書店巡りである。 黒木書店 香椎参道店 積文館書店 フレスタ香椎店 ブックイン金進堂 妹と一時別行動をしている間、セピア通りをアルヴィンドと歩いていると、雰囲気のいいヘアサロンが見つかった。「日本人経営のヘアサロン好き」な彼、 「ここで切ってもらおうかな」 と立ち止まる。それはいいアイデアだ。店の雰囲気もよさそうだし、カット3500円とは安くていいじゃん、ということで、サロンに入る。担当してくれる男性に、要望をひとしきり伝え、一時間後に迎えに来ると残して去る。 直後、妹と合流。車でヘアサロンの前を通ると、大きな窓ガラスの向こうで、アルヴィンドが散髪されていた。やや、笑える状況。 黒木書店 名島店 「この本は、動きがあるみたいなんで」とのこと。しかも、今朝、どこのどなたかわからぬが、『街の灯』のフライヤーを持って買いに来てくれた人がいるという。おおお。地道な作戦が徐々に功を奏しているようだ。 どんな動きかわからぬが、それが超微動であれ、古賀氏の発言は大いにわたし及び妹の心に響く。 店を出たあと、妹から指摘さる。 「美穂姉(あね)! 名刺は両手で受け取って、両手で渡さなきゃ。しかも、受け取ったら2秒は名刺を見なきゃだめなのよ。美穂姉、片手で渡して片手で受け取って、ろくに見もせずに名刺入れに入れたでしょ!」 うげ〜、まいったな。こりゃ一本とられたぜ。「両手でおつり」なんてエッセイを書いておきながら、すっかり礼儀がアメリカナイズされているわたし。まずいねえ。日本では日本仕様に切り替えねば……って、旅の最終日に気付いてどうする! 香椎のセピア通りに戻り、アルヴィンドをピックアップ。さっぱりきれいにカットしてもらっていた。なんと担当の男性は下関出身で、元彼女は梅光の短大出身だったとか。そんな会話をアルヴィンドとしていたらしい。フライヤーを渡すと、その男性も、もと彼女も、わたしと同じ歳だとか。これも何かの縁、とばかり、フライヤー、数枚を託し「買ってね!」と頼んで、去る。 アシーネ 香椎店(ダイエー内) ……以上、日本滞在中の、『街の灯』営業報告でした! |