『街の灯』イベント報告 ニューヨーク編
(2002年11月13日〜17日)

クリスマスのネオンに彩られた五番街。
宙に浮かぶ雪の結晶は57丁目との交差点。

 

●11月13日(水) 紅葉の海をすり抜けながら、DCからニューヨークまでドライブ

明日の夕方、ニューヨーク紀伊國屋で開催される「レクチャー&サイン会」のため、前日の今日からマンハッタン入りする。本当は一人でアムトラックで出かける予定だったが、A男が休暇を取ってくれると言うので、一緒に車で行くことにした。

昼過ぎにA男が帰宅。家でランチを食べたあと、車にたくさんの荷物を積み込んで、いざニューヨークへ。いつもは一人で行くニューヨークだけど、今回のようなイベントは夫が一緒だと心強い。

無論、休暇とは名目ばかりで、A男はわたしが運転している間、電話で打ち合わせをしたり、メールを送ったりと、忙しそうにしていた。

A男は、電話で話す相手に、いちいちうれしそうにニューヨーク行きの事情を説明する。

「ロックフェラーセンターで、妻がブック・サイニング(サイン会)をするんですよ。それでぼくも同行しているんです」

この間、A男の会社主催のパーティーに参加した際の、「ぼくの妻はノベリスト(作家)なんです」発言に続き、今回も誇大広告的妻紹介。わたしにとっては少々恥ずかしい。

(あんまり自慢するのはやめてよね)と、小声で突っ込みをいれる。

確かに日本の書店とはいえ、「ロックフェラーセンターでサイン会」というのは事実だから、過剰に謙虚になることもないのだが、でも少々居心地が悪い。

それにしても、「妻の仕事をサポートするために会社を休む夫」というのが、前向きに捉えられるアメリカの社会というのは、実にいいものだ。それを目の当たりにして、少々感動的でもある。誰もが、「奥さんにおめでとうと言ってください」と伝言してくれる。

間違っても

「A男さんは、奥さんの尻に敷かれてますなあぁ〜あっはっは〜」

などと冷やかしたり笑ったりする人はいない。心の中でそう思っている人はいるかもしれないけど。

さて、今日は片道5時間ほどのドライブだった。特に渋滞はなかったけれど、途中で2回休憩したのと、A男に運転を代わった途端、ハイウェイの分岐点で違うルートを選んでしまい(案の定)、時間を少々ロスした。

今回の滞在先はセントラルパークの南、カーネギーホールの向かいにあるホテル。かつての住まいからも近く、到着するなり、とてもリラックスした気持ちになる。

ホテルの入り口あたりで、ドアマンに荷物を車から降ろしてもらっているとき、A男がかつてマッキンゼーで働いていたときの同僚にばったり遭遇した。夜、飲みに行く約束をしたりなんかして、とてもうれしそうだった。

チェックインのあとは、20分ほど歩いてコリアタウンへ。色とりどりの光が洪水のように押し寄せてくるタイムズスクエアの辺りを通過しながら、本当に、この街は、特殊な街だ……と痛感した。離れてみると尚更それがよくわかる。

「なんてイカした、イカれた街なんだマンハッタン」

字あまりながらも、われながら的を射たコピーが思い浮かんだ。

コリアタウンでは、友人のT口君と待ち合わせていたコリアン家庭料理(豆腐専門店)に行った。3人で、飲んで食べて語っての数時間。思えばT口君とは今年に入ってすぐに会ったきり。久しぶりの再会だった。

ドライブの疲れも忘れ……、と言いたいところだが、韓国のお酒「清河」を飲んだA男、終盤、睡魔が襲って来たようで反応鈍く。だから強いお酒は飲んじゃダメだってば。帰りはタクシーで戻る。

 

●11月14日(木) 今日のレクチャーに来てくれた人のことは、生涯忘れないだろう。

なんだか大げさな本日のタイトル。でも、本当にそれくらい、わたしにとっては大切な出来事だったのだ。

今日、紀伊國屋でレクチャーとサイン会があることは、友人・知人にメールでお知らせしていた。また、muse new yorkの読者だった人のなかで、アンケートに答えてくれていた約500名の人たちには、郵送で『街の灯』の案内を送ると同時に、レクチャーの件もコメントしておいた。

さらには、読売アメリカ、ジャピオン、US. FrontLineといった日系紙にはあらかじめイベント情報として記事を載せてもらっていたし、OCSニュースに掲載される紀伊國屋書店の広告にも、今日のことは記されていた。

それでも、今日集まってくれた人の大半は、友人・知人が主で、顔を合わせたことのない人は2割弱だった。有名な作家やライターのレクチャーであれば、あたりまえだが友人・知人の助けを借りずとも席が埋まる。しかし、わたしはそうではないから、今日ほど、来てくれた友人らに感謝の気持ちを感じたことはなかった。

「絶対に行くからね」と言ってくれる友人の一言が、どれほどうれしかったことか。

数回しか会ったことのない人が、「ロンドン出張と重なって、行きたかったのに残念だ」と連絡をくれたり、やはりさほど親しくはない人が、「どうしても行きたかったけれど、日本からクライアントが来ていて、はずせなくて」などとわざわざ電話をくれるのさえ、たとえ来られないとしても、これがわたしにとって大切なイベントだということを理解してくれていることがわかって、ありがたいと感じた。

レクチャーの直前になり、「ひどい風邪をひいた」「急な出張が入った」などと、来られなくなった人からの連絡ばかりが入る。最終的に、いったい何人来てくれるのかよくわからず、一抹の不安を抱えたまま、A男と一緒に5時過ぎに紀伊國屋書店に向かった。

すでにロックフェラーセンターではクリスマスツリーの設営が始まっていた。いよいよ今年も終わるのだな……と束の間感慨に浸る。スケートリンクでは人々が気持ちよさそうに滑っている。そんな様子を横目で見ながら店内に入る。

まずはニューヨーク紀伊國屋書店のマネージャー市橋氏にご挨拶。コーヒーを飲み、A男が買って来てくれたスイス・チョコレートをかじりつつ(血糖値を上げて脳をしっかり働かせるため……というのは単なる口実か)、資料などを整える。

従業員の皆さんが店内カフェ周辺の書棚を移動し、椅子などを並び始めるのを見ながら、「せめてこの椅子が全部埋まるくらいに来て欲しいものだ」と思う。そう思っていた矢先、早くもエステティックサロンSHIZUKA new yorkのシズカさんが来てくれた。そして、6時近くなり、友人たちが次々にやって来た。

DCに移ってからも、NYに来るたびに顔を合わせる友人、あるいは、数年会っていない友人……。見覚えのある顔がこちらに向かってくるのが見えるたび、うれしくなった。

我が友人の多くは、声が大きく賑やかで存在感が強いうえ、別々に知り合ったはずの友人たちが、思いがけず共通の知り合いだというケースがあちこちで発覚し、ニューヨークはやっぱり狭いわねえなどと口々に言い合いながら、レクチャーが始まる前から、すでに会場はずいぶん賑やかな雰囲気に包まれる。

よく顔を合わせる友人たちの訪れがうれしかったのはもちろんだが、数回しかお会いしたことのない方々が来てくださったことにも感激した。

来てくださった人の多くは女性で、しかも独立して仕事をしている人たちが多かったから、自分のことを偉そうに話すのは少々照れがあった。とはいうものの、今回は市橋さんと相談したところ、自分自身のことを話すのがいいだろうということになっていたので、ニューヨークに来てからの6年間のエピソード、それから日本にいたころの大学生活にはじまり、広告や出版業界で働いていたときのことなどを話す。

五番街にあるランジェリーショップの店長、アキミさんは、スタッフと店番を交代しつつ、顔を出してくれた。また、近くでヘアサロンを経営しているイヅミさんは、「今、お客さん、シャンプーしてもらってる間に抜け出してきたの!」と言いつつ、急ぎ、サイン入りの本を2冊買って行ってくれた。

不動産会社を経営しているノブコさんは、ここしばらく疎遠にしていたにもかかわらず、駆けつけてくれた。かつて会社案内のコピーを書かせてもらったものの、一度しかお目にかかったことのなかった人材派遣会社経営のT畑さんが来てくださったことも感激だった。

また、体調は大丈夫だろうかと心配していたスミコさんも、とても元気そうな様子で登場してくれた。それから梅光の同窓生でフォトジャーナリストのマユミさん、台湾人のハズバンドを持つデザイナーのナミさん……。コンピュータのメンテナンスをお願いしているMさんは、バラの花束を持ってきてくれた。

ミュージック・ライターのミナコさんや、以前「国際結婚をした日本人」の取材に応じてくれたヨウコさんの姿も見える。かつてKDDIの広告の仕事を一緒に仕事をしていたグラフィックデザイナーのエイコさん、その夫で建築デザイナーのヨースケさんも、レクチャーの途中に「合いの手」をいれて賑わいを添えてくれた。

画家のノリコさんには2年ぶりに、その友人で弁護士のシズカさんとは3年ぶりだろうか。ずいぶんご無沙汰していた。

OCSNewsの営業H野さんや、US FrontLineのY本さんも、忙しい時間を縫って顔を出してくれた。T口くんとF島さんは、のんびりとレクチャーが終わったころにやって来た。でもちゃんと『街の灯』を買ってくれたので文句はいわない。

読売アメリカのN子さんも、忙しい中、打ち合わせの前に一瞬顔を出してくれた。

そして、その友人知人が連れてきてくれたその友達、さらにmuse new yorkやメールマガジンの読者の方々……。

わたしが改まってレクチャーをするよりも、ここでパーティーよろしくお互いにおしゃべりした方がいいのではかしら、という雰囲気と面々だった。

レクチャーが終わってサイン会の段になり、次々にみんなが『街の灯』を買ってくれた。市橋さんがテーブルに積み上げて準備していた本は全部売り切れて、奥から在庫を取り出してきてくれた。

予想以上の売れ行きを、市橋さんも喜んでくれている様子だったので安心した。レクチャーの開催が決まったとき、

「本、たくさん取り寄せますから、買ってもらってくださいね」

とプレッシャーを与えられていたので、肩の荷がおりた気分だった。

実は、来てくれた人のうち何人かは、すでに『街の灯』購入済みだったのに、改めて家族や友達のためにと購入してくれたのだ。一度読んでくれた人が、「いい本だったから」と他の人にも勧めたり、贈り物にしてくれたりすることは、このうえなく幸せなことだと感じた。

今日のためにあらかじめ考案・練習しておいた「創作サイン」を持参の「筆ペン」でサラサラと、何度も書いた。むかし、書道をしておいてよかった。

「ここで開くサイン会は、出版記念パーティーみたいなものなんですよ」

市橋さんにそう言われて、本当にそうだと思った。あいにく都合が付かない友人も多かったけれど、こうして久しぶりに友人・知人に会えたことは、日本に帰ったときに思ったことと重なるけれど、本を出版した事実を超えて、意味があることにも思えたし、いろいろと自分にとって大切なことを見極めるきっかけにもなった。

ところでA男は最前列に座り、イベントの模様を写真撮影してくれた。レクチャーが終わってからは、

「ああ、辛かった。全然言葉がわからないから、本当に、苦痛だったよ。だけど、ぼくは美穂の夫として、きちんとサポートしてやりたかったから我慢したよ」

「言葉がわからないと、たいくつで、なんだかセーターがちくちく感じたり、おしりがかゆくなったりしてさあ」

A男がわたしの「すばらしい」レクチャーを全く理解できないのは至極残念ではあるが、こればかりはどうしようない。第一、『街の灯』も読めないし。来年は何としても『街の灯』を英訳したいものだ。

そういうわけで、無事にイベントを終え、夜の予定があいている人たちばかり8名で夕食を食べに行く。

そろいもそろって個性が強い&声が大きい7名プラスA男で、日本食を食べながら、笑いがたえない、賑やかで本当に楽しい夜だった。

今日、来てくれたみなさん、本当にありがとうございました。以下、勝手ながら写真を掲載させていただいております。万一、不都合がある場合は、お手数ですが、ご一報いただけると助かります。
(写真撮影:丸半A男)

 

レクチャー&サイン会は、紀伊國屋店内の一画にあるカフェ付近で行われた。
ここでは有名・無名を問わず、作家やライター、ミュージシャンらの
講演やイベントが毎週のように催されている。

かつて大江健三郎氏の講演をここで聞いたことがある。
そのときは、自分がここで話すことになろうとは想像していなかった。

 

お越しくださった方々には、紀伊國屋よりアイスコーヒーが差し入れられた。

 

坂田、『街の灯』を一部朗読中。

 

レクチャーが終わってサイン会。真剣な表情で筆ペンを滑らす坂田。

 

レクチャーが少々長引き、サイン会でもみんなおしゃべりをして、
紀伊國屋さん、後かたづけがなかなか進まず。
しまいには急かされる。

 

きれいなバラの花束もいただきました。

 

サイン会のあと、食事に行きました。
なぜか坂田に降り注ぐスポットライト。顔がより大きく見えるのは気のせいか。
(写真撮影:レストラン梓の店員さん)

 

●11月15日(金) クリスマスの雰囲気に包まれたマンハッタンを歩く。友に会う。飲む。語る。

今日は、『街の灯』関連のイベントはない。

午前中、A男はホテルにこもって電話でのミーティング。その間、わたしは買い物などに出かける。57丁目の7番街とブロードウェイの間にあるお気に入りだった文房具屋がすっかりリノベーションされていたので、しばらくここに入り浸り、あれこれと見る。

新しいサンクスカード、それから来年のスケジュールブックを買う。

この近所は、以前住んでいたところの近くだ。見慣れた風景だけれど、1年の間に店がいくつも変わっていたりして、歳月の流れとマンハッタンの移り変わりのはやさを目の当たりにさせられる。なんだかおセンチな気分になる。

ランチタイムはA男と合流し、かつてよく「出前」を取っていたジョーズ・シャンハイへ。ここで小籠包と白菜の干しエビのあんかけ風を食べる。ふたりして、久しぶりだねえ、懐かしいねえと言いながら。

午後はセントラルパークを散策。今年、紅葉はDC周辺でたっぷりと眺めたけれど、セントラルパークの紅葉もまた違ったすばらしさがある。ただ、木々の谷間を歩いているだけで幸せになるような彩り。池ではカモが泳ぎ、木々の間ををリスが駆け抜ける。

立ち止まり空を見上げる。

澄み渡る青空に、すーっと伸びる飛行機雲が幾筋も幾筋も交差する。

風が吹くたびに枯れ葉が雪のように舞い降りてきて、わたしたちを包み込む。

のんびりと歩く観光馬車。スケートに興じる人々。

大きな木の袂で語り合うカップル……。

ああ、大好きなニューヨーク!!

こういう風景のひとつひとつを、しっかりと心に焼き付けておきたいと思う。

シープメドウまで足を運び、一面緑の芝生のうえに、二人して腰かける。

なんていい気分だろう。

……。

……?!

おしりが冷たい! あわてて飛び上がるとジーンズが濡れている! わたしはジーンズだから目立たないけれど、A男はチノパンだから、おしりに大きなシミが出来てしまった。

「美穂が大丈夫だって言うから座ったのに! こんなに汚れちゃ、友達に会いに行けないよ!」

また人のせいにする! せっかくの平和な空気がま〜た台無し。数日前に雨が降っていたのが、きっと残っていたのね。そういや、座っている人が少ない。

水飲み場でハンカチを水に浸し、かがみ込んで、A男のおしりを拭く。かなり危険な光景。人々が不思議そうにこちらを眺める。

「はい、これで大丈夫。乾けばわからないから!」

 

秋の午後のシープメドウ。
紅葉と、芝生の緑と、青空が……

 

アッパーウエストサイドを望む。

 

ゆっくりとリズムを刻む観光馬車のひづめの音もまた心地よい。

 

 

そのあと、五番街を散策し、友達と待ち合わせしている44丁目5番街と6番街の間にあるロイヤルトンホテルへ。

最初に会うのはわたしの友達、宝石関係の仕事をしているホノカさん。わたしの婚約指輪をコーディネートしてくれた例の彼女だ。彼女は今、ニューヨークと東京、そしてお母さん(アーティスト)が住んでいるバリを行ったり来たりする生活をしている。

実はかつて、彼女から婚約指輪を受け取ったのも、このロイヤルトンホテルだった。あの日も、ここのマティーニや白ワインですっかり酔い、おしゃべりが盛り上がったことを思い出した。

ちなみにここはブティックホテルで、外観にはホテルの名を冠したサインなどは何もなく、とても見つけにくい。インテリアはとてもモダンでシンプル。ラウンジバーもいい感じでくつろげる。今日もまたマティーニを飲みながら、3人で2時間ほど楽しいおしゃべり。

ちなみに彼女は、最近電子メールのアドレスを変えたとかで、わたしが送っていた昨日のレクチャーの案内が届いていなかったらしい。よりによって夕べ、彼女から「久しぶり〜」という内容のメールが届き、今日、会うことになった次第。

「もう一日、早くメールを出してれば、昨日、行けたのに!」と残念がってくれた。

別れ際、近くにある日系の書店(旭屋)で、『街の灯』を2冊購入してくれた。外で筆ペンを取り出しサインをし、彼女に託す。

彼女と別れてから、こんどはA男の友達に会うためにハドソンホテルへ。

友人が提案してきたこのホテル、覚えている人もいるかもしれないが、わたしがかつて住んでいたアパートメントの近くのやはりブティックホテルで、建築家の一人は、ロイヤルトンホテルと同じフィリップ・スタルク氏だ。ここのバー(テラス)はわたしがDCに移ることを決意した場所でもある。思い出深いホテルなのだ。

すっかりと日が暮れた五番街の、クリスマスのネオンの渦の中を二人で歩きつつ、アッパーウエストサイド方面へ向かう。

ハドソンホテルのレストランは、味はまあまあだけれど雰囲気がいい。ちなみに会ったのはA男がマッキンゼーで働いていたときの同僚。ジュイッシュのアメリカ人だ。ちなみにジュイッシュの夫やボーイフレンドを持つ日本人女性は多い。ホノカさんもそうだ。

ジュイッシュの男性は一般に、温厚で思慮深く、優しく穏やかな印象の人が多い。そういうところが、何となく日本人の女性と合うのかもしれない。すごく大ざっぱに書いて恐縮だけど。

3人で、アペタイザーをつまみに飲み、語り合う。彼の家族はワシントンDC郊外に住んでいて、たまたま今日、こちらに来ているらしく、夕食は家族で食べるからと一足先に帰った。

わたしたちはそのまま残り、さらにアントレをオーダーし、食事をすませてホテルへ。明日は雨だという話だが、晴れてほしいものだ。

 

11月16日(土) ホワイトプレーンズのサファリブックスでサイン会。寒い。でもうれしかった。

いやあ、雨が降るとは予測していなかった。寒い分には構わないが、雨が降っては外に机を出せない。即ち、お客を呼び込めない。

ホワイトプレーンズには「大道」という有名な日本食料品店があって、そこは週末、かなりの盛況となる。一方、その数軒隣にある小さな日系書店「サファリブックス」。ここはかなり地味で、なかなかお客が入ってこない。

だから本当は、大道のところまでテーブルを出させてもらって、そこで露店サイン会をするつもりだったのだ。ところが雨だし寒いし、外に出ようものなら、『街の灯』、濡れてふにゃふにゃになってしまう。

毎週立っている読売新聞衛星版の営業のお兄さんと一緒に、わたしもセールスしようと思っていたのだが、どうにも無理そうだった。

でも、A男がなんだかがんばってくれて、寒い中、チラシを持って、店に入る人にサイン会をやっているから来てくださいと、しばらく声をかけてくれた。

結論から言うと、1時から3時頃まで2時間ほど粘った。で、最終的に合計3冊の売上げだった。これって……寒い? 確かに「数」だけを見ると極寒だ。しかし、その3冊はとてもうれしくて温かい3冊だったのだ。

まず最初の1冊はお隣コネチカット州のグリニッジから雨の中、わざわざ来てくださったご一家4名様がご購入。メールマガジンの読者で、サロン・ド・ミューズの会員でもあるご夫婦で、いつもわたしのエッセイやダイアリーなどを読んでくださっているのだとか。小さいお子さんをそれぞれ抱いて、来てくださった。

それから、もう一人、やはりグリニッジから車を飛ばして来てくださった女性。彼女もメールマガジンを楽しみに読んでくれているとのことだった。

わたしはもう、わざわざ来てくれた人が5人(お子様含む)もいただけで、うれしかった。地道にメールマガジンを書いたり、ホームページにあれこれと書いていてよかった、と思った。

 

家族総出で来ていただいて、どうもありがとう。

 

みちさん、お話しできてよかったです。

 

あと、A男が大道の入り口で「勧誘」した女性が、書店まで足を運んでくれて1冊購入してくれた。もう一人、A男の勧誘によるお客がいたが、ひとしきり世間話をしたものの、「今日は、子供の本を買いに来たので、またの機会に」と笑顔でさよなら。

またの機会はもうないのよ〜! わたしはもう、来ないのよ〜! 愕然としているわたしに、サファリブックスの店長さんが一言。

「お客さんは、シビアですよ」

含蓄のあるお言葉。

それから近所に住んでいる友人のレイコさんも顔を出してくれた。でも彼女はすでに10冊も『街の灯』を購入してくれているから、さすがのわたしももう1冊買ってとは言わなかった。

2時を過ぎると、雨足がどんどん強くなり、寒さが増してきた。A男に、「もう寒いかえら、店に入っておいでよ」というのだが、なんだか妙に頑張って「もうちょっと配る」と粘ってくれた。

「ぼくが、コンニチワ〜、ドウゾ〜っていっても、みんな目を合わせようとしないし無視するんだよ。感じ悪いよね」

まあね。しかしそれは仕方のないことね。どうでもいいチラシを配っているとしか思われないだろうし。

雨だし寒いしで、そそくさと買い物をすませて帰ってしまう人が多いようで、本屋に立ち寄る人はごく稀。店内は、ほぼ閑散としている。入ってくるのはコミックや雑誌の立ち読みが目的のお客さんがばかりだ。

「『街の灯』いかがですか〜?」 

と声をかけても、目をそらされる。本屋で英語の教材を販売しているお姉さんになった気分だった。いや、まさにそれだった。

一応、壁や机に「『街の灯』著者 坂田マルハン美穂 サイン会」って貼り紙出してるけど、誰も見てないもん。

(こりゃ、だめだな)と思いつつも、しばらく粘ったが、しーんとしたまま時間が流れて、もう、誰も来そうになかったので、3時ごろ引きあげた。

帰りにレイコさんの家に寄ってワインやスナックをごちそうになった。暖かな家の中に入り、とてもほっとした。彼女の生まれたばかりのベイビーにもご対面した。小さくてフワフワで、すごくかわいかった。

A男は生まれて初めて小さな赤ちゃんを抱くという経験をさせてもらい、肩に力が入って緊張していた。赤ちゃんが小さな声で「クー」とか音をたてるのを、なんか具合が悪いんじゃないかと怖がっていた。

レイコさんの夫はソニー・ミュージックの駐在員で、さまざまな日本のミュージシャンの米国内でのイベントなどを手がけている。ミュージシャンがCDをセールスするのもまた、実にたいへんなことなのだということを聞いたりして、わたしも考えさせられるところがあった。まだまだ甘いね。

夜、ホテルに戻ったあとも、まだ雨が降っている。風も強い。本当は、アッパーウエストサイドを散策して映画でも観ようと言っていたのだが、この天気じゃ風邪をひく。二人とも歩く気力なく、しばしホテルの入り口で立ちつくす。

結局、道路を挟んでホテルの真ん前にある、ギリシャ料理店Molyvosでディナーをとることにした。ここも昔、よく来ていた店だ。まずはギリシャのワインで乾杯する。わたしはサントリーニという島の名が冠された白ワインを飲んだ。これはほんのりと甘く、深みのある味わいで、とてもおいしいワインだった。

ベイビー・オクトパス(小さいタコ)のグリルやアサリのワイン蒸し、ラム肉など、アペタイザーばかりをオーダーして軽いディナー。お互いに、今日の健闘をたたえ合う。

わざわざサイン会のために来てくださった方にお会いできただけでも、今日は本当によかった。A男も「労働した成果」が1冊出たことが、とてもうれしかったようで満足していた。

それにしても今回は、A男が一緒に来てくれてよかった。やっぱり車がなくちゃ移動が大変だったし、雨の中、一人でサイン会じゃ、相当寂しいものがあったに違いない。

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翌日の日曜は、昼過ぎにマンハッタンを離れ、DCへ向かった。ドライブしながら歌を歌ったり、あれこれととりとめもないおしゃべりをしながら。

「今回は、ミニ・バケーションみたいで、楽しかったねえ」とA男。確かに、小さな休暇のようでもあった。