母は父の片腕となってビジネスにも力を注ぎ、

世界各国を旅していました。

 

 

最近の家族写真。右から姉のボニー、ボニーの夫、姪、アルバート、姪、母のジュリー、父のハリー、アーサー、兄ジャックのフィアンセ、ジャック


今回のニューヨーカー
台湾出身 アーサー・ツァイさん
Arthur Tsai (蔡鎮宇 Tsai Zheng-yu)

1974年台湾の首都、台北生まれ。12歳のとき、家族とともに渡米。現在は妻の奈美さんと二人暮らし。


僕は、台湾の首都、台北で生まれ育ちました。兄のジャックと姉のボニー、双子のアルバートとの4人兄弟です。父は当時、台北にテキスタイルの工場を持っていました。母は裕福な家庭の出身で、大学を卒業後は、台北にあった日本の会社で経理の仕事をしていました。

僕が物心ついたころから、両親は二人で海外へ出張するようになり、僕ら兄弟はしばしば祖母やおばの家に預けらていました。当時の台湾にしては珍しく、ハウスキーパーやナニーが僕らの世話をしてくれたこともありました。

母は学歴があり英語も話せたので、父のビジネスの片腕となっていたようです。アフリカやヨーロッパなど世界各地を旅していた両親からは、よくポストカードが届いていました。イラン、エジプト、ドイツ……と、いろんな国の切手が送られてきたものです。

家族がそろったときは、台湾国内のあちこちを旅しました。台湾北部にある新北投温泉に行ったり、東部の太魯閣峡谷をドライブしたり、台湾一高い山、阿里山に登ったり……。9歳のときだったか、台湾南部の高雄へ行くのに初めて飛行機に乗ったときには緊張して、ドキドキしたのを覚えています。

両親の最も長い出張は、僕が10歳くらいのときで、2年ほどナイジェリアに行っていました。そのときはおばの家にアルバートとともに預けられました。1970年代の後半から、台湾では貿易の仕事がはやり始め、僕の両親や親戚を含め、周囲には海外にビジネスチャンスを求めて国を出る人が多かったんです。だから、自分もいずれは外国で生活することになるのだろうと感じていました。

学校では歴史の勉強が好きでした。特に台湾は政治情勢が複雑ですから、興味をもって学びました。学校は、他の国もそうでしょうけれど、厳しかったですね。

ただ、今でも忘れられないのですが、おかしな習慣があり、僕らは毎日「昼寝」をしなければなりませんでした。机の上に突っ伏して、1時間ほど寝なければならないのですが、暑いし、眠くないし、みんないやがっていました。昼寝の時間は先生たちの自由時間でもあって、学級委員が見張りをするのです。頭を動かしたりして寝ていない子がいたら、黒板に名前を書いて、先生に報告します。アルバートは学級委員だったので、昼寝をせずにすんでいました。

両親がナイジェリアから帰って来たあと、80年代前半、父がハイチに工場を持ったのをきっかけに、僕ら家族6人は移住しました。ハイチは台湾と国交のある数少ない国の一つだったのです。

そのころ父はカナダのトロントとフィラデルフィアでも取り引きをしていて、僕らはその直後、フィラデルフィアに移る予定だったのですが、不動産関係のトラブルが起こり、足止めを食ってしまいました。ジャックとボニーはトロントの親戚の家に預けられ、僕とアルバートはハイチのおじの家に残りました。

ハイチでは学校に行かず、1年ほど遊んで暮らしました。釣りをしたり、ココナッツやマンゴーなどを取って食べたり、映画を見に行ったり……。とても楽しい毎日でした。ハイチでクーデターが起こる直前の86年、僕ら一家はアメリカ合衆国に上陸、ニュージャージーで一緒に暮らし始めました。

僕はそれまでは英語を話せなかったのですが、ニュージャージーで暮らした半年間でずいぶん身につけました。その後クイーンズに引っ越し、ハイスクールに行った後、子供のころから好きだった美術を学ぶためにアートスクールに行き、油絵や彫刻を勉強しました。さらにその後、父がロングアイランドに家を買ったので、一家はまたもや引っ越しました。

現在、父はドミニカ共和国とブルックリンに衣料品の工場を持っていて、普段はアルバートと一緒にドミニカで暮らしています。2週間に一度はロングアイランドの実家に戻って来ています。長男のジャックはカリフォルニアで働いていて、近々台湾出身の女性と結婚する予定です。

姉夫婦と二人の娘はロングアイランドで母と一緒に暮らしています。母は今59歳。週に2日、仕事をするほか、孫の世話をしたり、旅行へ出かけたりと、とても元気です。

僕は、以前アルバイトをしていた日本料理店で出会った日本人女性と結婚し、二人でブルックリンに住んでいます。普段は、電気関係の仕事をしていますが、自営業なので、時間を見つけては作品を作り、ギャラリーで展覧会を開いたりしています。

写真やペインティングのコラージュが中心です。アートはこれからもずっと続けていこうと思っています。今は、アフリカのドラムにも夢中で、週に2回、レッスンに通っています。この間、台湾の友達が遊びに来たとき、ドラムを教えたらすっかり気に入って、台湾に買って帰りました。クラブなどで演奏しているようですよ。

台湾へは95年に一度、いとこの結婚式で帰ったきり戻っていません。妻の奈美はまだ台湾に行ったことがないので、近い将来、一緒に遊びに行きたいと思っています。

家族、親戚とともに国内旅行へ出かけたときに。後ろに立っているのが両親、中央が祖母


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