アクロポリスの丘のふもとが、ぼくらの遊び場だった。


今回のニューヨーカー
ギリシャ・アテネ出身  
チャールズ・レーンさん 
Charles Lane 

1964年ニューヨーク生まれ。1歳から17歳までをギリシャのアテネで暮らす。ニューヨーク州立大学卒業。現在、ニューヨークでコンピュータ関連の仕事をしている。日本人の妻、真弓さんと彼女の母と三人暮らし。写真は、お母さんを挟んで左がチャールズ、右が弟のジェームス。


 

僕の母はギリシャ人、父はアメリカ人です。両親はニューヨークのアートスクールで出会い、結婚しました。僕が生まれた翌年に、母の故郷であるギリシャの首都、アテネに渡りました。父は、アテネの学校で絵を教えていたそうです。ギリシャ語は話せなかったようですが……。

僕はまだ子供だったから、細かな事情はわからなかったけれど、当時、ニューヨークに住んでいた父の母親がしきりに戻って来るように言っていたらしく、ギリシャを離れたくない僕の母との間で揺れていたようです。父も実はニューヨークに帰りたかったのかもしれません。

僕が6歳のときだったかな、弟が生まれてまもない頃、両親は離婚し、父はギリシャを離れました。空港に見送りに行ったことを覚えています。離婚してからは、2年に一度くらい、会いに来てくれました。時々送られてくるプレゼントはうれしかったな。

父が去った後、当時まだ29歳だった母と僕ら兄弟は、母の両親の家で暮らすことになりました。祖父母もまたアーティストでした。特に祖父はジュエリーデザイナーとして成功を収めていて、僕らは広い家で不自由なく暮らすことができました。

ギリシャでは、たとえ子供が成人した後でも、何らかの事情があった場合、親が子供の面倒をみるというのは珍しいことではないんです。ですから離婚後も、母は絵を描き続け、学校にも通っていました。ビサンチンのイコノグラフィー(聖画、宗教画)について熱心に学んでいたようです。

当時、僕らが暮らしていたのは、アテネの旧市街、プラカ地区です。ここは、アクロポリスの丘のすぐそばで、僕らにとって、パルテノン神殿は日常風景の一コマでした。暮らしていた界隈は、19世紀の建築物がそのままに残る古い町でした。

当時は、遊ぶのに格好の場所がたくさんありました。近所の友達と一緒に廃屋を探検したり、彫像にいたずらしたり、日が暮れるまで遊び回ったものです。今はどうなっているかわかりませんが、あの頃は、どんな所でも安心して遊んでいられました。とても幸せなことだったと思います。 

僕も家族の影響からか、子供の頃から絵を描くのが好きで、アニメーションやフィルムに興味がありました。ですから家の中で過ごす時間も多かったですね。

子供の頃の出来事で忘れられないのはクリスマスキャロルかな。クリスマスイブの夜、子供たちが4、5人のグループを作って、トライアングルを鳴らし、クリスマスキャロルを歌いながら近所を練り歩くんです。一軒一軒、家を訪ねて、小銭やお菓子をもらいます。お砂糖たっぷりの甘いクッキーやケーキです。でも、僕らはお菓子よりお金をもらえる方がずっとうれしかったな。貯まった小銭は、あとでみんなで山分けするんです。

ニューイヤーズイブにも同じように近所を練り歩きます。子供にとって冬は楽しい季節でしたね。ギリシャは国教であるギリシャ正教の宗教的な祝祭日がたくさんあります。人の名前も聖人たちの名前から取ることが多いんです。僕のギリシャ名はCharalabos(ハララボス)で、これも聖人の名前です。charaは「喜び」を、labosは「一筋の光」を意味します。

母が僕の生活や勉強について干渉することは、ほとんどありませんでした。思い出すのは、絵を描いている姿ばかり……。全然、典型的な母親ではなかったんです。料理も余りうまくありませんでしたし(笑)。

一番記憶に残っている料理といえば、フライドポテトとハンバーグかな。よその家庭のことはわからないけれど、うちではこの料理が定番でした。ハンバーグはビーフの挽肉に、パン粉、タマネギ、オレガノ、塩、コショウなどを加えて味付けするのですが、焼くときに乾燥させたローレル(月桂樹)の葉を敷くんです。すると、いい香りがしておいしいんですよ。これにレモン汁を絞って食べるんです。なんだかギリシャらしいでしょ。ローレルの木は、庭にたくさんありました。

子供の頃の僕にとって、母は「強い人」というイメージでした。僕が母と深く関わっていた瞬間といえば、僕がモデルになって、ポーズをとっている時だったと思います。今でもギリシャの家には、僕が子供の頃の肖像画が無数にあります。それは写真には代え難い、大切な宝物です。

ギリシャは大学入試がとても厳しく、いい大学に入るのはとても困難です。ですから裕福な家庭の子供たちはドイツやイギリスの大学に進学します。僕の場合、父親がニューヨークに暮らしていたこともあり、18歳のときギリシャを離れ、ニューヨークの大学に進学しました。

イラストやデザインの仕事をしていた父とは仲良くやっていましたが、僕が25歳の時、癌で他界しました。僕自身は、コンピュータエンジニアとして仕事をする傍ら、NYUで大好きなフィルムやアニメーションを学びました。妻とはそこで出会ったんです。

最近、ちょっと頭を悩ませているのは、実は母のことなんです。あれだけ放任主義で僕たちを構っていなかった母が、急に「普通の母親」みたいになっちゃって(笑)、電話のたびにギリシャに帰って来い、一緒に暮らそう、って言うんです。実際、弟夫婦とは同居しているんですけどね。歳を重ねて、ちょっと寂しくなってきたのかな。僕としては昔のように放っておいてほしいんだけど……。

今後、どこを拠点に生活していくか、今、妻と話し合っているところです。

幼少時代を過ごしたギリシャで母とともに

 


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