その9 アンダルシア一人旅:完結編


●12月27日(水) セビリヤ

 

ヘレスでの工場見学のあと、私はセビリヤに向かいました。

シェリー酒の工場見学で利き酒なるものをしていたためか、多少の酔払い運転になりながら、車でセビリヤに向かいました。予想外に工場見学が長かったために、お昼ご飯を食べ損なってしまい、この日は車の中でポテトチップスを食べることにしました。旅行中になんでこんなものが昼ご飯なのだろう・・・と寂しくなってしまいましたが。

ヘレスからセビリヤまではハイウェイをかっ飛ばして、約2時間程度でした。セビリヤの街に着いてからは、いつものように街の中を迷い、ガソリンスタンドを探すのに一苦労しながら、やっと目的地のレンタカーのオフィスに到着しました。そうなのです。ここで私の可愛いいプジョーちゃんとはお別れなのです。ここまでの苦楽(楽はあったかな?)をともにしてきた相棒にお別れを言う時がきたのです。私は、人はもちろん物にも愛情を感じてしまうタイプなのです。このときもレンタカーを返すときになって、なんだかとっても寂しくなってしまいました。

泣きながら(嘘!)レンタカーを返却して、次は予約してあるホテル探しです。今までは自力で探していましたけれど、今回はタクシーに乗って、運転手さんにお任せすることにしました。言葉が通じないので予約確認のレターを見せて、指でココって指しながらニッコリ笑ってみました。すると、タクシーの運転手さんは私のニッコリ笑顔を見て、ムッとしちゃいました。『あら!?なんで・・・・・?』

理由は20秒後に分かりました。ホテルはなんとそのレンタカーオフィスの目の前だったのです。運転手さんにしてみれば、長い客待ちの列を待ったあげくに、乗せた客は基本料金しか払わない!って感じなのですね。そりゃあ、怒るのも無理はないなと私も納得してしまいました。ちょっと悪かったなと思って、チップを余計にあげておきましたが、最後まで彼のムッとした顔は治りませんでしたね。

ホテルにチェックインした後、街に出てみました。街の観光スポットに向かって歩いている途中に、市内観光ツアーのバスガイドさんに声をかけられました。

彼曰く、まもなくここからバスが出発する。街の観光スポットには全て行く。そして乗り降り自由。更に、この時間にチケットを買ってくれたら、ついでに明日の分のチケットもあげちゃう。つまり明日も乗り降り自由ってこと。それで更に、日本語でのガイドも聞ける。というようなものでした。私は明日のチケットがついてくるなどということよりも、日本語でのガイドも聞けちゃうということに心引かれてしまいました。何故かって?それはシェリー酒工場見学で、日本語ツアーに参加できなかったからなのです。(今考えると、バカみたい・・・・)日本語ガイドという言葉につられて、バスのチケットを買い(彼は明日の分もくれました)さっそくバスに乗りこみました。

バスに乗ると、ヘッドフォンをひとつ手渡されました。なるほど、これでバスが走っている途中に日本語でガイドが聞けるのか!と納得して、席につきました。座席の前にはイヤホンを差込むジャックがあり、チャンネルがついていました。(まるで飛行機みたいな感じです。)私はさっそくガチャガチャとチャンネルを変えてみました。まだバスが走り出す前だったので何にも聞こえませんでしたので、しばらく待つことにしました。10分くらい経ったのち、バスは走りだし、最初の観光スポットの間近に迫りました。『ここならもうガイドが聞けるだろう。』と思い、またチャンネルをガチャガチャ廻してみました。するとどうでしょう。スペイン語、イタリア語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、そのあとは、ガーっという音のみ・・・・・・

そうなのです。日本語は聞こえないのです。というか日本語のテープは入っていないらしいのです。席を替わってみたところで結果は同じでした。さっきのチケット売りのお兄さんはバスに乗っていないので、運転手さんと話をしました。しかし、ここにも言葉の壁が・・・・・・・言葉の壁を感じずに観光を楽しみたかったのに、普段よりもさらに言葉の壁を感じてしまうとは・・・・・

『あーーやっぱりスペインなんか、大嫌いだーーー!!!!』

夜、ホテルにもどり、明日もあのバスに乗るかどうか考えていたとき、ふとひらめきました。『そうだ!セビリヤを発ってゴルドバに行こう。』そう思った瞬間、翌日のホテルをキャンセルしていました。ここまで1都市1泊というスケジュールを敢行してきていたので、何故だかセビリヤにだけ2泊するのに抵抗があったのも事実です。私って変ですよね。休暇で旅行にきているのだから、もっとゆっくりすればいいのに、このときはそうしたくなかったんです。とにかく“移動大好き旅行者”になっていました。(これってマゾ的かも?)

とにかく、朝起きたら電車の切符を買うぞと決めて、この日は寝ました。

 

●12月28日(木) ゴルドバ

ゴルドバ、そこは大雨でした。またしても大雨、とにかくオ・オ・ア・メ。なんとか観光もしましたが、今は雨のことしか思い出せません。

これは私が悪いのですが、セビリヤからゴルドバに行く途中、私は傘をなくしたのです。スペイン初日、マドリッドのデパートで買った“超高級傘”をなくしてしまったのです。その罰なのかどうなのか分かりませんが、ゴルドバに到着した頃から、雨脚が強くなり、私が街中を観光しているときには、雨絶好調!!(こんな言葉はありませんよね)といった感じでした。傘をなくして、なんとなく2本目の傘を買うことに躊躇していた私は、どこから見ても“ドブねずみ”といったくらい濡れていました。

読んでくださっている方の中でゴルドバに行ったことある人は分かると思うのですが、ゴルドバの街中には非常に狭い道がクネクネと入り組んでいます。その狭いクネクネ道を、地図を頼りに歩くのですが、雨が激しいせいで、途中に水没している道があるのです。こうなると地図通りには歩けません。あっちに回り道、こっちに回り道としている間に、私は指先からもしずくが落ちるくらい濡れきってしまいました。傘を買おうとしても、お店はないし、もう濡れるしか方法はありませんでした。

今まで私は決して雨男ではありませんでした。(絶対に違うと思っていた)でも今回の旅行で、もしかしたら・・・と思い始めてしまいました。いや、きっとそうなのでしょう。何故なら、スペイン アンダルシア地方は晴天の日の方が多いはずなのですから。

 

●12月29日(金) マドリッド

やっとマドリッドに帰ってきました。少しホッとした気分です。この日のマドリッドは、天候は曇りでした。雨が降っていないだけマシだったといえるでしょう。(なんという旅行なのだろう・・・)最後の晩御飯は少し贅沢にしようと思い、ガイドブックを見て、なかなか良いところを探し出しました。午後9時(開店時間)になって、その店に行きました。するとどうでしょう。ここにも試練が待ちうけていたのです。

なんと、私が店に入ると同時に、日本人団体客が30人くらい入ってきました。当然、彼らは予約済です。彼らが席につくと、店は満席になってしまいました。私も含めて予約のない客は、店に入れないのです。ヘレスでは日本人団体客を羨ましく思いました。しかし、ここマドリッドでは恨めしく思いました。

『日本人団体客なんかホテルで飯食って、寝ろ!!』

 

●12月30日(土) マドリッド発

この日、空港に向かうタクシーの窓から見えた空には雲ひとつありませんでした。

ずっと雨が降っていて最悪だった私の旅も、帰る日には快晴だったのです。これが私にとっての20世紀の締めくくりなのでしょう。この瞬間、何故だかとっても悲しい気分でした。

(旅の名残惜しさなんてものは、まったくないですよ!)

空港に到着し、やっとこれでNYに帰れると思った瞬間、また来ました。悪魔くんが!チェックインカウンターで言われた言葉。

『このフライトはキャンセルになりました。振替のフライトが決まり次第、お知らせします。しばらくお待ち下さい。』

この言葉を聞いた私は、足腰の力が抜けて立っているのが精一杯でした。やっぱりもう1回言わせてください。

『あーーやっぱりスペインなんか、大嫌いだーーー!!!!』

待つこと約2時間。やっと振替の飛行機が決まって、なんとか帰れることになりました。

私は、とにかく一刻も早く、スペインを後にしたいという思いでいっぱいでしたので、チェックインの後、どこにもよらず、一目散に搭乗ゲートに向かいました。

私の願いが叶って? 予定と通り飛行機は飛び立ちました。あと8時間もすればNYに着くという思いだけが、私を幸せな気分にさせてくれました。(まったくなんていう旅なのでしょう)

飛行機は無事に到着し・・・・・・・・・・と書きたいのですが、これがまだなのです。

この日12月30日のNYは大雪でした。飛行機がNY上空に差し掛かったとき、機長からのアナウンスが入りました。

『現在、NYが悪天候のため、空港が閉鎖されています。このまましばらくNY上空にて待機いたしますが、場合によってはボストンかワシントンに着陸することもあります。』

私は飛行機があまり好きではありません。狭い椅子に長時間座っているのが嫌なのです。このアナウンスを聞いたとき、私は『ボストンでもワシントンでもどこでもいいから早く下ろして!』思っていました。しかし、下降することなく、そのままの状態でNY上空を旋回すること約2時間。もう、気分も体力も底をつくかと思われたその瞬間、やっと空港が空いたとのアナウンスが入り、NYに着陸することになりました。

なんとか飛行機は着陸しましたが、当初の予定から5時間以上も遅れました。私にとってのスペインは名実ともに?ほんとうに遠い国のようらしいです。

大雪のため、空港から市内までのタクシーがなかなかつかまりませんでした。この状況では1人1台ということは出来ず、1台のタクシーで同方面にむかう4人づつが相乗りをすることになりました。当然、私も相乗りです。

スペイン人3人に私1人だけ日本人という車中になりました。車内はスペイン語だらけです。スペインからやっとの思いで抜け出してきて、やっと我が家のあるNYに帰ってきたというのに、ここNYでもまたスペイン語とは・・・・・・・

すっかりスペイン嫌いになっていましたが、もしかしたら私とスペインはなにか強い縁があるのかも・・・・・?逃げられない縁のようなものなのかも?

かくして私の苦行旅行は無事に?幕を閉じました。道中は本当にいろいろなことがありましたが、モノを取られたり、健康を害したりしなかったのが何よりもよかったと思っています。こうした苦行旅行は何年か後になって、とっても楽しい思い出になるのかもしれません。しかし、今ではまだ苦行の思い出として記憶されています。

みなさんの旅行の中にも、様々なことが起こっていることと思います。

旅行とは、予期せぬ出来事が起こることが楽しいのだ、などと言う人もいるかもしれません。確かに一理ありますよね。しかし私は、今回の旅行を終えて、2つ決めたことがあります。

1.次は必ず余計な移動などの必要のないリゾート地に行く。

2.一人旅はもうしない。

以上の2点です。

 

みなさんはどんな旅行をしたいですか?

“苦行もまた楽成り!”という方にはスペイン一人旅もお勧めですよ。・・・?

ではまた。


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