反戦デモとメディアの実態

北川のぞみ NOZOMI KITAGAWA
(10/20/2001)

 


9月11日に起きた大惨事は人々の生活を物理的にも精神的にも大きく変えた。犠牲者やその家族の方々はもちろんのこと、直接的な被害を受けなかった人々にも計り知れないトラウマを与えた。筆者はメンタルヘルスの仕事をする者として何かしなくてはと思ったが、自分自身が悲しみに圧倒され、しばらくは何もできなかった。事件当時NY市内にいなかったため、筆者の安否を気遣うメールや留守電のメッセージなどに対応したり、逆に友人の安否を確認するのに3〜4日を費やした。

その後はひどく落ち込んでしまい、TVを見たり街中に貼られた行方不明者を探すビラを見ては泣いていた、という有り様である。事件から2週間以上経った頃、ようやく筆者はアートセラピストとして何ができるかということを考え始めた。PTSDの治療にもアートセラピーは使われるが、筆者はトラウマなどを表現してもらうよりも何か人々に希望を与えるようなことがしたいという思いに至った。

ユニオンスクエアは大惨事直後から市民の祈りの場と化しており、キャンドルや犠牲者を悼む絵、写真はもとより反戦のメッセージやアラブ系の人々やイスラム教徒を気遣うメッセージなどが貼られていたため、筆者が考える活動に一番適した場所と思われた。そのユニオンスクエアにキャンバスとオイルパステルを持ってゆき、道行く人々に平和を願う絵を描いてもらった。29日に行われたワシントンDCでの反戦デモに持って行くという目的もあった。

3時間の間に30人ほどの人が参加してくれ、美しい絵が出来上がった。絵を描きながら「自分のアパートの窓からWTCが爆発して崩壊するまでの一部始終が見え、とてもショックだった」と話し出す人や、犠牲者を悼む話をする人もいれば、「反戦デモには私も行きたかったけど、都合で行けなくなった。私の分まで行ってきて」とか「これはすばらしいアイディアだ」と励ましてくださる方もいた。筆者のために水を持って来てくれる人や、「一緒に写真を撮らせてください」という人もいた。

参加はしなくても多くの人が立ち止まって無言で絵を眺めていた。武力行使を肯定する人も「武力行使は必要だと思うけど、君のやっていることは美しいと思う」と言う人もいた。参加した人は皆描き終わると「ありがとう」と言って去って行った。そこには人々の温かい心のつながりがあった。参加者の氏名、住所は残してもらったので、お礼と共に完成した作品の写真を送付するつもりだ。この活動は筆者にとって大きな癒しになった。結局は自分のためにやったのである。

29日、筆者はこの絵を持ってワシントンDCでの反戦デモに参加した。すさまじい人で、主催者側は2万5千人が参加したと言っていたが、本当にそのくらいの人がいたように思う。後ろを振り返ると最後列が見えないほどだった。デモ行進は平和的に行われ、ここでも筆者は癒されたような気がした。

これ以上の犠牲者は出したくない、イスラム教徒やアラブ系の人々に対する人種差別を容認してはならないと考える人がこれほど沢山いるのだ、ということで安心させられたのである。(もちろん自分たちの勝手な主張をするために参加していた自称「人権団体」なども参加していたが・・・)

世論調査で「9割の人が武力行使に賛成している」というTVの報道は初めから信じていなかったが、今回のデモででっちあげだと確信した。ブッシュ政権のメディア操作は思ったよりもひどく、日本の朝日、読売新聞でも「1万人」と報道されたデモの参加者数がNY Timesでは「200〜300人」になっており、「群集をコントロールするのにペッパースプレーが使われ、11人が逮捕された」と書かれていた(これもおそらくでっちあげと思われる)。

おまけに記事は非常に小さく、掲載されたセクションは「A Nation Challenged」である。反戦デモに参加するような者は非国民ということらしい。見出しも「Protesters Urged Peace With Terrorists」となっていた。誰もテロリストと仲良くしようなどと考えているわけではない。デモ参加者は戦争ではない平和的な解決を望んでいただけだ。

それだけではない。記事の横にデモに反対する人のプラカードの写真が掲載されていた。「Osama Thanks Fellow Cowards For Your Support」というデモ参加者を臆病者呼ばわりする皮肉な内容である。

同時にNY市内、ロス、サンフランシスコでも反戦デモが行われたのだが、これも一切報道されていない。これが「自由の国アメリカ」のすることなのか、と気が滅入ったが、政府と一般市民は違うのだからと、自分自身をなだめた。

救いはデモに参加していた多くの人が筆者の抱える絵の写真を撮ってポジティブなコメントをくれたこと、この絵についいてマイナーではあるがラジオ局や雑誌の取材を受けたことである。筆者はこういう小さなメディアに期待をかけたい。

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