叫べない (7/23/2000)
マンハッタンの街角でよく見かける風景のひとつ。タクシーをつかまえようと道路に出て手を掲げ " Hey! Taxi!!" と叫ぶ人々。手を掲げるだけで十分だと思うのだが、多くのニューヨーカーは男女を問わず叫ぶ。喧噪のマンハッタンにあって、車中のドライバーが叫び声に気づくとも思われないのだが……。まあ、一種の気合いのようなものだろうか。
私はいままで、叫ぶ必要がないと思っていたから、いつも手を掲げるだけだった。しかし、昨日は違った。20メートルほど前方に、客を降ろしているタクシーが見える。夕暮れのタクシーがつかまりにくい時間帯だったので、逃したくなかった。急ぎ足でタクシーに向かう。降りる人がドアを閉める前に叫べば、ドライバーが気づくに違いない距離だった。ところが叫ぼうとしても躊躇して声が出ないのだ。タクシーは気づかずに去った。
私自身、かなり積極的な性格だと自覚しているが、時々こういう現象に見舞われる。生まれ育ったのは日本。ニューヨークに暮らして4年。自分では違和感なくこの街に暮らしているが、こういうときに自分はつくづく日本人だなあと思う。エッセイの「バスの中の風景」にも書いているが、ニューヨークは叫ぶべきシーンが日本に比べるととても多い。日本にいたころは「声がでかい」だの「よくしゃべるヤツ」だの言われていた私だが、ここでは何とも、控えめなものである。(M)
蛍 (7/17/2000)
文章を書くことを生業のひとつとしているが、オフィスにこもってコンピュータに向かうのは、あまり好きではない。取材などをすませたら、できるだけ短時間で書き上げたい。しかし、頭が冴えないときや気分がだらけているときは、作業がなかなか捗らず、外出もままならない。最近、その状態に陥っている。ホームページの更新もオープン当初に比べかなりスローダウンしているが、どうしても他の仕事やmuse new yorkの作業が優先されてしまい、なにかと不完全燃焼である。
だから、週に3回は、セントラルパークを走る。不完全燃焼の思考を整えるため、そしてもちろんデブ防止のため。なにしろ太りやすい体質に加え、アメリカでの食生活で肥満度が恒常的にアップしているのだ。かなりまずい。マンハッタンにはジムがたくさんあるけれど、外の新鮮な空気を吸う方がずっといいからジョギングをする。
セントラルパークは本当に、マンハッタンに欠かせない、偉大なる空間だとつくづく思う。仕事のコピーやアイデアは、走っている途中に思いつくことが多い。無理に考えなくても、突然ひらめく。書きたい文章も次々に浮かんでくる。走っている間に頭に組み立てた文章が、そのまま自動筆記のようにコンピュータ上に記録されたらどんなにいいだろうと思う。走っている間にひらめいた文章を、オフィスに戻って再現するのは時間もかかるし鮮度も落ちる。テープレコーダーでも持って、文章を読み上げ、録音しながら走ろうかしら、なんて真剣に考えてしまう。
今日は、いつもよりやや遅めの夕方走り始めた。だんだん日が暮れてくる。すると、あたりの草むらに、小さな光が点々と浮かんでは消えるのが見えた。一瞬、なんの光かわからずに驚いて足を止め、次の瞬間、蛍と気づいた。よく見れば、あっちの草むらにも、こっちの草むらにも、無数の蛍が飛び交っているではないか。それにしても、なんとはかなく美しい光を放つことか……。セントラルパークって、本当に、いいなあと思う。(M)
日本の掃除機 (7/12/2000)
昨日、また、掃除機が壊れた。掃除機をかけている途中、電気の焼け付いたようないやな匂いが立ちこめ、「あらっ、どうしたのかしら?」と思った瞬間に絶命した。スイッチを切っても入れても、もはやウンともスンともいわない。買ってまだ半年もたっていないというのに……。
アメリカの悲劇的な電化製品については、ニューヨーク・エッセイの欄の「電化製品とのつきあい方(1)」でも触れているが、今回はさすがに寿命が短すぎる。今度はきちんとしたものを探そうと、今日、家電ショップへ出かけた。
だいたい、アメリカの製品は品質のいい物と悪い物との落差が激しすぎる。しかるべき値段のものを買わなければ、安かろう悪かろうだらけである。今日は、少し高くてもいいから、品質のいい物を買おうといつもとは違う店に出かけた。
さて、掃除機のコーナーに行く。案の定、並んでいるのは巨大な掃除機ばかり。郊外ならまだしも、マンハッタンは不動産が高くて狭い部屋に住んでいる人が多いのだから、小さい機種を展示すればいいのにと思う。店のお兄さんに「小型で性能がよくて、騒音の少ない掃除機を探しているのだけど……」というと、「先週、新しい商品が入ったんだよ! すごく性能がいいよ」といって、奥の倉庫から箱を抱えてきた。SHARPの掃除機だ。日本の標準サイズは、こちらではかなりの小型である。早速中身を取り出してあれこれと確認する。小回りは利くし、音は小さいし、パワーはあるし、いうことなし。260ドル程度。合格である。
隣のレジにいた店員の女の子が、丸っこくて小さいその掃除機を見て
「まあ、なんてかわいいの! これ、掃除機?」といいつつ撫でている。日本の家電は本当によくできていると、つくづく思う。(M)
引責辞任 (7/6/2000)
雪印乳業の石川社長が辞任するのだという。日本の場合、会社がこういう事態に追い込まれたとき、たいていの場合、役員が辞任する。日本に住んでいる頃から、わたしはこの風潮がどうしても理解できなかった。たとえば、役員その人に問題があり、たとえば法に触れることを行った場合などは、辞任するのが当然だろう。しかし、会社が何らかのミスや不手際などにより、窮地に立たされているとき、それをリーダーシップでもって救いだし、再生させるのが社長の仕事ではないのか?
やめて、いったい、だれが、どう、なにをするのだろう。非常時に不在でも構わない社長というのは、ではいったいそれまで何をしていたのか。「辞任する」といえば、一見潔さそうで、責任をとっているように見えるけれど、土壇場から逃げているだけではないか? 例えば、自分の管理不行き届きで不祥事を起こしたのだから、給料などいただけません、というのなら、会社が信用回復されるまで、ただ働きででも、会社が再生されるまで尽力するのが筋なのではないか。
深々と頭を下げ、申し訳ありませんでした、辞めます、というパターン。その結果、こんなニュースが登場する。
「茨城県東海村の臨界事故とH2ロケット8号機の打ち上げ失敗の責任を取り、昨年11月、科学技術事務次官を辞任した岡崎氏が、科技庁所管の特殊法人日本原子力研究所の副理事長に近く就任」
信じられない人事である。引責辞任が聞いて呆れる。
なぜ、世論は、責任を取って働け、解決するまで逃げるな、という流れにならないのか。それも不思議である。(M)
7月4日 独立記念日 (7/3/2000)
明日、7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日(Independence Day)。アメリカ人はこの日をJuly Forthとも呼ぶ。独立戦争の最中、独立宣言が採択されたのが、1776年7月4日のことだった。わずか200年ほど前までは、この大陸は欧州列強の植民地だったのである。アメリカの歴史を紐解くにつけ、この国が移民の国であるということを認識せずにはいられない。
さて、明日は、全米各地で派手なイベントやパレード、それに打ち上げ花火などが行われる。去年は、muse new yorkの創刊号で紹介したミスティックにいた。夕食を終えてレストランを出た頃、彼方から轟音が響き渡り、私たちは花火を目指して車を飛ばした。郊外で、住宅はそんなに密集していないのに、あたりは黒山の人だかり。住民が一人残らず花火を見に来たという感じだった。
マンハッタンでは毎年恒例、イーストリバーでの打ち上げ花火が行われる。イーストサイドに暮らしている知人が、花火見物のパーティーを開くからと招かれた。浴衣でも着て出かけようかと思う。(M)
足を洗う (7/1/2000)
キーボードをたたく爪が、深紅に輝いている。それだけで、なんだか手元がずいぶん美しくなったようでうれしい。
今日は久しぶりにネイルショップに行った。マンハッタンには、たくさんのネイルショップが点在していて、わたしの家からも、歩いて5分以内の場所に2件ある。ほとんどのネイルショップは、クリーニング店や24時間営業のデリと同様、コリアンによって経営されている。
夏はサンダルを履くことが多いから、ペディキュアも塗ってもらうことにした。どの店でもそうだが、マニキュアを塗ってくれるコーナーの奥に、数台、足用のジャグジーが備えられた椅子が並んでいる。ここでまずは、温かいお湯に足を浸す。それだけでも随分気持ちがいい。お湯で柔らかくなった足を、コリアンのお姉さんがひょいと持ち上げ、まずは角質を削ってすべすべにしてくれる。店によっても内容は異なるが、この店の場合、レギュラーコースだと、このあとペディキュアを塗ることになるのだが、今日のわたしはちょっと奮発して「ヨーロピアンコース」を頼んだので、足のマッサージがついていた。ふくらはぎまでたっぷりと海草入りクリームをたっぷりと塗ってもらい、足の裏から丁寧にマッサージ。なんとも気持ちがいい。しかし、なにが「ヨーロピアン」なのかは、今ひとつわからなかった。働いている人みな、かなり体当たりの英語力なので、ちょっとひねった質問をするとまっすぐの答えが返ってこないのだ。多分、察するに、ヨーロッパのクリームを使っているのだろうと思う。
「足を洗う」となんだか頭まですっきりするから不思議だ。マッサージが終わった後、ペディキュアを塗ってもらい、そしてマニキュアを塗ってもらって終了。チップを含めて全部で45ドルくらい。いい気分転換になった。(M)