夕方、外出の際などにエレベータフロアに出ると、決まって夕食のいい匂いが立ちこめている。匂いの源は数カ月前、隣に引っ越してきた、新婚のインド人夫婦のお宅だ。以前、エレベータでこの夫婦と一緒になったとき、世間話をした。夫いわく、「彼女はまだ若いし(22歳)昼間は遊んでも仕事してもいいけれど、夕食だけは毎日作ってくれ、と頼んでいるんですよ」。そう言ったあと、知的で穏やかそうな夫は妻を優しく見つめ、妻もまた、やさしい笑顔を見せた。 私には、匂いだけではどんな料理か想像はつかないのだが、ボーイフレンドのA男は、さすがにインド人だけあり、すぐにわかるらしい。「あっ、今日はBiryani(焼きめし)だ!」とか「ん〜、Tikka
Masala(トマトとクリームのカレー)かなあ」といいながら、エレベータに向かう足を止め、隣の家のドアの隙間に鼻をくっつけている。 ところで、うちの向かいの部屋に住む白人の独身男性(多分40歳くらい)は、しょっちゅう違う女性、それもすごくきれいな人ばかりを部屋に連れ込んでいる。なぜか私がゴミ捨てなどで外に出た時、絶妙のタイミングで、女性が出入りしているところに出くわすのだ。まさに「家政婦は見た」状態である。彼は私を認めると、ちょっと気まずそうに笑う。A男にその話をすると、「どうしてあの男、大して格好良くもないのに、もてるの?」と素朴な競争心を燃やしている。 うちの斜め向かいには、ヒスパニック系の母子が暮らしている。ぼってりと太った母は学校の先生。18歳くらいの息子は筋肉質のスポーツマンタイプ。この2人の声がまた大きい。彼らの会話騒音には、同じフロアの人みなが閉口していることであろう。Studio(1部屋)に2人で暮らしているせいもあるだろうが、しょっちゅう喧嘩している。通常の会話でも2人の声は筒抜けなのに、喧嘩となると、もうエレベータフロアいっぱいに罵詈雑言が響き渡る。喧嘩の理由がまた、くだらない。「あんた、何なのそのズボンは!そんなダボッとしたもの、みっともないでしょ。店に返してきなさい!」「えー、いやだよ! ほっといてくれよ、俺はこれが好きなんだよ」「だめ! 私に恥をかかせないでちょうだい! みっともないって言ってるでしょ!!」私としては、この騒ぎそのものが、みっともないと思うのだが……。 さて、話が横にそれたが、マンハッタンの多くのアパートメントには、換気扇がない。アパートの高級・低級に関係なく。最近では換気扇付きも増えてきたようだが、築10年以上の我が家にはない。キッチンの上部に換気口があるだけだ。不動産会社をやっている友達にその理由を聞いたみた。彼女いわく「ニューヨーカーは料理しないからよ」 そう。ニューヨーカーの多くはまともにを料理をしない。いや、彼らにとっては、缶詰を鍋に空けて温めるだけでも「料理」なので、日本人とは基準が違うのだが……。日本人、中国人、コリアン、インド人その他、アジア系の多くは、普段から料理をこまめにやる方ではないかと思う。それに引き替え、いわゆる白人女性(アメリカ人)の多くは、本当に料理をしない、というかできない人が多い。包丁もろくに扱えない人が多いのだ。だからスーパーマーケットには冷凍食品やできあいのおかず類がたくさんあるし、多くのレストランが出前を行っている。マンハッタンには、独身や夫婦共働きのカップルが多いから、なおさら「家庭で料理」という人が少ないのだと思う。 通常、アパートのキッチンには、ガスコンロが4つ、大きなオーブン、そして大きな冷蔵庫、食器洗浄機が備え付けられている。最近では電子レンジがついているところも多い。郊外の一軒家は別だけれど、アパートメントの場合は、日本のように自分で好みの家電を購入する必要はないのだ。それら家電の性能については、電化製品とのつきあい方(1)でも紹介しているが、日本のように繊細な機能を備えたものはない。すべてが大ざっぱで大きくて、騒音が激しくて、ここ数十年、何ら進歩していないものばかり。最初はあらゆる家電の音の大きさに辟易していたが(ジューサーミキサーに至っては、ドリルでアスファルトに穴を空けているかのような音がする)、最近はもう、慣れてしまった。(M)