8/15/2000 夏がくれば思うこと 今日は終戦記念日。子供の頃、夏と言う季節は、戦争の名残りを嫌が応にも感じさせられ、切迫感を伴う季節でもあった。もちろん、戦争を体験したわけではないけれど、抜けるような青空と真っ白い入道雲、そして蝉時雨が揃った時、過去の記憶をたぐりながら、私は胸が詰まる。 小学校の頃、夏休みの間、3、4日の出校日があった。そのうちの1日が、終戦記念日だったように思う。蒸し暑い体育館に集められ、戦争の話を聞かされ、私達は2曲の歌を毎年歌った。曲名は忘れたが、歌詞は以下のようなものだった。 メロディーが短調であった上に、この歌詞である。子供心にかなりぐっときた。一方は、長調で、明るい未来を誓うイメージ。 毎年、夏の出校日に歌うだけだったが、今でもはっきりと覚えている。 小学校6年の時の修学旅行で、長崎の原爆記念館に訪れた時には、ほとんどの展示物を正視できず、ずっとうつむいていた。今でも恐い映画(流血ホラーものはもちろん、スリルやサスペンス、バイオレンスなど)、とにかくドキドキする映像がものすごく苦手である。そんな映画と原爆記念館を一緒に語るのははばかかられるが、とにかく、虚構でなく現実である分、もう、見ていられない。恐くて恐くて、仕方なかった。周りの友達が、恐いと言いつつもきちんと見ているのには本当に驚いた。だから、展示の最初の方にあった、原爆投下時刻のまま止まった時計とか、歪んだアルミの弁当箱くらいしか見ていない。あとは、もう、写真なども全然見ることができなかった。 夏が恐い理由にはもうひとつある。なんと言ってもノストラダムス。わたしが小学校2年生の夏、ブームは絶好調だった。「ノストラダムスの大予言」という映画が上映されていた。その夏、「東映まんがまつり」だか何かを映画館に見に行ったのだが、予告編でノストラダムスの大予言を見ただけで、恐怖恐怖。確か由美かおるが出ていた。お母さんに「私これ、見たくない」を連発し、「予告編だからすぐ終わるわよ」といわれても、また出てくるかもしれないという恐怖で、見に行った映画の内容は全然覚えていないのに、あの短い予告編のことだけをよく覚えている。 どこに暮らしていようとも、どんなに月日が流れても、子供の頃に受けた強烈な印象は、脳裏にくっきりと刻印されて、消えることはない。
身寄りの骨埋めし焼け土に。
今は白い花咲く
ああ、許すまじ原爆を、
三たび許すまじ原爆を、
われらの街に
戦争終えたその日から
母と子供の思いを込めて、
広島の野に萌えている
空に太陽が、輝く限り
告げよう世界に原爆反対を