坂田マルハン美穂のインド通信

Vol. 143 11/21/2005 


●11月9日、カリフォルニアを離れ、南インドのバンガロア(バンガロール)に移った。現在は、A男の出張に伴い、ムンバイ(ボンベイ)に滞在中だが、明日には再びバンガロアへ戻る。10日ほどホテルに滞在しつつ、家財道具を調え、今月中には引っ越しを完了したいと思っている。

インド移住にまつわる諸事を、なるたけ記録しておこうとホームページに書き綴っていたのだが、この頃、サーバーの具合が悪く、速やかに更新できないため、BLOGを使用することにした。思うところあり、BLOGには手を出したくなかったのだが、慣れると更新も楽なので、当面はここに、日々を記そうと思う。

「今しばらくは、インドにて」

 

●米国からインドへは、東海岸発だと大西洋を超え、欧州経由で入るのが普通だが、西海岸の場合、シンガポール航空が太平洋を超え、シンガポールを経由する便を出している。今回、二人ともビジネスクラスに搭乗できたため、少々遠回りでもシンガポール航空を利用することにした。

サンフランシスコ国際空港から、まずは香港まで14時間。香港で1時間の給油休憩を経て、更に4時間後、シンガポールに到着。ここで1泊2日の滞在を楽しんだ。わたしはかつて旅行誌の取材でシンガポールに訪れたことがあったが、A男は初めてで、清潔な街並み、おいしい料理に感激していた。

インド行きに際し、直前までなにかと困惑していた彼にとって、シンガポールでの滞在は、米国からインドへ移る途中の精神的な「架け橋」となった様子。シンガポールからはバンガロアへの直行便が出ており、翌日深夜にバンガロア入りした。

シンガポール滞在の写真と文は、ホームページに掲載しているので、ご覧いただければと思う。

 

●バンガロアに到着した翌々日の土曜より、アパートメント探しを開始したが、早くも初日に「住みたい!」と思える部屋を見つけた。部屋の壁には、サイババの写真が貼られていた。呼ばれていたのかしらん、と思った。

月曜には不動産業者に連絡、火曜日に大家夫妻と対面、水曜日には契約書を交わし、金曜日には「引っ越しの儀式」を済ませ、とんとん拍子に事が運んだ。やっぱり、呼ばれていたようだ。

「引っ越しの儀式」とは、宗教精神たっぷりの大家夫人が企画したもので、わたしたちも、参加を要請されたのだ。ヒンドゥー教の司祭を招いてのその儀式は、わたしたちの結婚式のときよりも本格的だった。

マルハン家では「幸いにも」味わうことのない、濃厚なインド文化の一端を垣間見られ、非常によい経験だった。それにつけても、マルハン家の面々は、通常のインド家庭に比べ「あっさり」していて、本当によかった。

無論、義父ロメイシュ、それからその妻ウマ(夫の実母は他界)は、わたしたちの到着に合わせてデリーからバンガロアに来てくれており、引っ越しの契約時や銀行の開設時など、立ち会ってくれた。また、バンガロアには義姉のスジャータとラグヴァン夫妻が住んでいるので、なにかと心強い。

 

●今月末には、米国より夫のボスや関連会社の主要メンバーがインドを訪れ、夫は再び、ムンバイ、デリーと出張に出る。で、妻もまた、同行する可能性大で、定住するまでにはまだしばらくかかりそうだが、慌てることもないので、少しずつ、生活基盤を整えて行こうと思う。

ひと段落したら、自分の仕事を始めたいと思っている。主にはインドと日本を結ぶ仕事。具体的な内容は模索中だが、久しぶりに仕事らしい仕事に着手できる予感がしており、楽しみだ。

 

●インドに到着して以来、「来るべくして来た」という、漠然とだが、しかし強い感情が自分を支配している。書き連ねることが憚られるほど、インド移住にあたっては、さまざまな軋轢の連発だったが、その厄介を乗り越えてまでも、何としても、わたしはここへ来なければならなかったのだ、という気がしている。

 

●未来は未知なる世界だが、その未知への道が光に満ちていると信じて、今は夫と力を合わせ、独走せぬよう気を付けて、進んで行こうと思う。一日一日を、慈しみながら。

(11/21/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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