坂田マルハン美穂のDC&NY通信 Vol. 131 3/6/2005 |
【怒濤インド旅。人生ゲームのコマとなりし我らの一週間】 ●アリタリアで行くインド。なんだか「いやな感じ」な空の旅の幕開け ※旅の写真はこちら
昨日、土曜の午後、A男の出張に同行してのインドから戻ってきました。先週の日曜に出発したのでちょうど1週間の旅でした。 それにしても、インドは遠く。目的地であるバンガロア(バンガロール)には3泊、経由地ムンバイに1泊という、そもそもから短い滞在予定だったのが、トラブルに見舞われてバンガロアにはわずか2泊という猛烈な短さになってしまいました。 つまり、旅行の7割方を「移動」で費やしたことになります。これまで色々と、旅をして参りましたが、今回はさまざまな面において、特異かつ思い出深い旅となりました。 帰国したばかりで、荷ほどきもそこそこに、洗濯機を回したり、買い物に出かけたりする合間を縫って、一気に長大な文章を書き上げました。 大したことをしなかった旅なのに、そうとう言いたいことがあったらしいと、我ながら呆れつつも、書きあげてすっきりとした気分です。お時間の合間を縫って、お読みいただければと思います。
【怒濤インド旅。人生ゲームのコマとなりし我らの一週間】 「急だけど、日曜日から一週間、インド出張に行くことになったよ」 カリフォルニアのサンノゼに出張中のA男から電話があったのは、先週木曜日のことだった。 A男の勤める会社が、バンガロア(バンガロール)にあるIT企業に投資をすることになり、その現地視察が急遽決まったという。最近、出張が多い上、転職を目前にして多忙な彼である。できれば出張に同行して身辺の世話をしたいというのが妻の心情である。 というのは建前で、寒いDCにいるよりも、わずか1週間とはいえインドへ出かけた方が楽しそうだと思い、「もしもチケットが取れたら、わたしも行くよ」と言った。A男も喜んでOKした。 最近は、米国からインドへ出張するビジネスマンが激増し、休暇シーズン以外でも航空券を取るのが難しくなっている。ことに、欧州からバンガロアへの直行便を出しているのはドイツのルフトハンザ航空だけとあり、このチケットを取るのは困難だ。 時期によって航空券の値段も大きく上下する。これまでインドを訪れる際、だから毎回、異なるルートで旅して来た。ヴァージンアトランティックでロンドン経由、KLMでアムステルダム経由、エアフランスでパリ経由、ルフトハンザでフランクフルト経由……。 そして今回、アリタリアでミラノ→ムンバイ経由でバンガロアに入ることになった。 出発の前日、つまり先週の土曜日、我々はお隣メリーランド州にあるインド系旅行代理店へ行き、チケットを受け取った。この代理店オーナーでもある初老のラメイシュは、いつもぎりぎりで手頃なチケットを手配してくれる上、ホテルも一定枠も確保しており、これまでも何度かお世話になった。 A男はビジネスクラスで行けるのだが、わたしは自費なのでコーチ(エコノミークラス)である。しかし、二人で別々の席に座るのもなんでしょうからと、行きは二人ともコーチ、帰りは二人ともビジネス、というシートの振り分けを、ラメイシュは手配してくれた。 フランクフルトからムンバイに到着するのは深夜なので、ムンバイに1泊せねばならず、従って空港近くのホテルに予約を入れた。しかし翌日から3泊するバンガロアのホテルがとれない。 近年、バンガロアは急激な海外資本の増加に伴い、欧米各国およびインド国内のビジネスマンが常時、詰めかけるようになり、慢性的なホテル不足に陥っている。新しいホテルが次々に建設されているようだが、とても需要に追いつかない。 加えて道路交通事情の悪さ、排ガスの蔓延など、インフラストラクチャーの不備が顕著で、さまざまな面において、急速な近代化によるひずみが生じている。 ところでインドの場合、特に出張で使用するとなると、高級ホテルに滞在するのが必須の条件である。わたしたちも、欧米諸国ならともかく、インドでは高級ホテルにしか滞在したことがない。 サービスの善し悪しもちろん、部屋のクオリティやビジネスセンターの有無など、中級以下のホテルでは全く期待できないし、それどころか「何が起こるかわからない」危険性をはらんでいる。快適にシャワーを浴び、安眠できる環境を確保し、有意義な出張を実現するためには、ともかくは高級ホテル、なのである。 にもかかわらず、バンガロアの高級ホテルは、どの部屋もどの部屋も満室。空室のある高級ホテルは「グランド・アショカ」だけである。アショカホテルとは、数年前まで国営だったホテルの系列で、インドの主要都市に点在している。現在は「五つ星」を謳っているけれど、芳しい評判を聞かない。 インドにおける「国営」の施設は、ともかく、ひどい。色々な悪しき例を耳にしたが、ここで詳細を書き連ねていると終わらないので割愛する。さて、アショカホテルの一部はインターコンチネンタルに買収されたようだが、バンガロアのホテルは国内のホテルグループに買収されたとのこと。いやな予感がするものの、ほかに選択肢はなく、予約を入れた。 チケットとホテルを確保した我々は、帰宅して荷造りをし、翌日、旅立ったのだった。そのときは、自分たちがこれから「ひどい目に遭う」ことなど予想だにしていなかった。
●アリタリアで行くインド。なんだか「いやな感じ」な空の旅の幕開け そもそも、最初から、変だった。DC郊外のダラス国際空港で手荷物検査、出国手続きをすませたあと、専用ゲートへ行くためのシャトルバスを、待合室で待っていた。しかし、待てど暮らせどバスは来ない。 搭乗時間ぎりぎりになって、ようやくバスが来た。おかしいな、と思っていたら、それはそのまま「飛行機」に直行した。つまり、アリタリアの便には専用ゲートがなく、乗客は「免税品のショッピング」や「出発前のビール1杯」あるいは「コーヒー1杯」も楽しむことなく、いきなり飛行機に乗り込まされるのである。珍しい展開である。 さて、窓際の2人がけシートを確保するも、うち一つのリクライニングが壊れている上、ライトもつかない。8時間ものフライトで座席を倒せないのは苦痛だ。空席は中央の3人席しかないが、シートを倒せる方がましだろうと、しぶしぶそちらへ移る。 それにしても、周囲のグループ客が騒がしい。ギリシャからの熟年ツアー客で、始終、機内をうろうろと歩き回り、友達に手を振ったり、大声で話しかけたりと、落ち着きがない。 更には、隣席のギリシャのおばさんの香水がきつい。その上、足や腕をわたしの領域にぐいぐい押し出してくる。"Excuse me"と言いながら、しっかり「押し返す」のだが、彼女にはどうやら悪気はないらしく、他人の邪魔になっているという自覚もないらしく、従って何度も同様の行動を繰り返し、態度を改めない。 しまいには、パンツのベルトをはずし、ジッパーを開け、腹部を5センチほども露出させる始末で、甚だ目の毒だ。これならば、シートが倒れずとも、もとの席の方がよかった。戻ろうかとも思ったが、すでに他の乗客1名が移って熟睡している。 長時間の不快なフライトを経て、ようやく翌日の午前8時頃ミラノ上空へ。やっと鬱陶しい空間から解放される! と思った矢先、機長からのイタリア訛のアナウンスが流れた。 「ミラノ空港は雪のため現在閉鎖されております。従ってジェノア(ジェノバ)へ着陸します」 な、なに? わたし、何か聞き間違えた?! A男の顔を見ると、呆然としている。次の瞬間、乗客から次々に声があがる。 「ジェノアってどこだ?!」 「どうやってミラノに行くんだ?!」 「乗り継ぎはどうするんだ!」 ジェノアには昔、取材で出かけた。フランスの国境にほど近い、地中海沿岸の港町だ。「母を訪ねて三千里」のマルコ少年が住んでいる町だ。ミラノからは少なくとも100キロは離れているはずだ。 機内誌の地図を広げて確かめる。やはり遠いぞ。どうするんだ。と思った矢先、乗務員が叫ぶ。 「ジェノアからミラノへは、バスで移動します。所要時間2時間です」 バス〜?!! ちょっと勘弁してよ〜。インドに行くのに、なんでイタリアでドライブしなきゃならないの〜? 休暇での旅行ならまだしも、今回はA男の出張である。それも超短期間である。イタリア郊外のドライブを楽しんでいる場合ではないのである。 あれこれと矢継ぎ早に質問をする乗客に 「ここでは何もわかりませんから、飛行機を降りてアリタリアのスタッフに質問してください」 我々のムンバイ行きの便は午前10時40分発。その便の出発が遅れたとしても、移動に2時間もかけていたら間に合わないだろう。どっと押し寄せる疲労感と困惑に苛まれながら、飛行機を降りる。 夏のバンガロアへ行く予定の我々は薄着である。荷物を減らそうとコートも持参していない。ミラノの寒風にさらされることなど予期しておらず、大いに凍えて途方に暮れる。 寄る辺なき心で空港の出入国管理へ。数百人の乗客がひしめき合うなか、パスポートチェックをするスタッフは2名のみ。時折アナウンスが流れるが、途中から面倒になったのか、英語訳は入らずイタリア語のみ。時折、乗客の中から起こるブーイングの掛け声。 「何て言ってるのかわからない!」 そう叫ぶわたしたちに、若いイタリア人カップルが英語で説明してくれた。乗客は作業の遅い出入国管理の人たちに向かって "Shame(恥)!" と繰り返し叫んでいるのだと。そんななか、乗客の間で最新情報が流布される。 「ミラノの雪は1センチしか積もってなかったらしい!」 「昨日が日曜だったから、今朝、空港整備をする手配が遅れて、空港閉鎖になったんだって」 そうこうしているうちにも、すでにミラノ空港は再開したとのニュースが飛び交う。我々の「荷物」だけは、別の飛行機で運ばれるとのこと。ならば我々も先ほどの飛行機で引き返すべきだと乗客が叫べど、「他のフライトに使われるためダメだ」とのこと。なぜ、荷物だけが飛行機で戻り、人間がバスに乗るのだ?! うんざりした顔で、先ほどのイタリア人カップルが言う。 「僕らはイタリアの、こういうサービスの悪さや仕事の不手際さ、いい加減さが本当にいやで、この国を離れたんだ。で、今、僕らはオランダに住んでいるんだよ」 旅行先としてはとても魅力的なイタリアという国。わたしにとってイタリアは、いい思い出の方が断然多い。それはどの国にも言えることだが、それぞれの国に長所と短所があり、旅人としてそれらのいずれを体験することになるかは、運次第だな、とも思う。 さて、30分以上たって、ようやく我々の番が近づいてきた。わたしは日本人だからイタリアには無条件に入国できるが、A男はどうなるのだろう? インド国籍の彼は、通常ヴィザなしでは欧州に入国できない。 案の定、A男は出入国管理で足止めを食う。 「インド、クロアチア、チュニジア、マケドニア……。あなたがたはヴィザ無しでは入国できません。臨時ヴィザを発行しますから、パスポートを持ってこっちに来なさい!」 隣接するポリスオフィスから女性のポリスが叫んでいる。 その女性ポリスはA男はじめ、数十名のパスポートを回収し、オフィスに消えた。ポリスオフィスには、他に数名のスタッフがいるものの、ヴィザ発行の作業をしているのは彼女一人だけ。なぜか子供を抱えたおばさんがカウンター内にいて、他のスタッフと世間話をしていて、だらだらとした雰囲気を醸し出している。 膨大なパスポートの束を前に、個人情報を「手書きで」一つずつ台帳に記入していく女性ポリス。たまに雑談に参加してその手を休めたりする。そのとてつもない遅さと真剣味のなさに愕然とする。 オフィス内の緩慢な作業をガラス越しに睨むように見つめながら、やはり傍らで作業を見守っているマケドニアから来た青年と、互いの不満をぶつけ合うように語り合う。 彼は昨日、マイアミからミラノ経由でマケドニアに帰国する予定だったのが、マイアミからの便がトラブルに遭い、なぜかワシントンDCで足止めをくらい、予期せぬ1泊をして、今日ようやく帰国の途につけたと思いきや、この事態。「俺はいつになったら家に帰れるんだ!」と、大いに腐っていた。 30分ほど待って、ようやくA男のヴィザがとれたため、バスに乗るべく外に出る。ところが今度はバスが来ない。乗客の世話をするアリタリアのスタッフは1名しかおらず、その彼女も適切な案内をするわけではなく、ただ「外でバスを待て」の一点張りで、荷物や乗り継ぎのことなどは一切わからない。 仕方なく外に出る。外は氷点下の寒さだ。わたしは薄いジャケット、A男はシャツにセーター姿。寒いことこの上ない。機内が冷え込んだときのためにと持ち込んでいたパシュミナのストールを二人で巻き付けて暖め合うも、風が吹き付け寒くて凍える。
●ジェノアからミラノまで2時間のバスの旅。目前で飛び立つ飛行機に呆然 待てど暮らせどこないバスに、人々はうんざりとしている。ようやく30分ほどして1台のバスが到着するが、そこに人々が押し寄せて危険な状態に陥る。これが休暇なら、先を競って乗車したりせず、次のバスを待つところだが、わたしたちにそんな余裕はない。 人々と押し合いへし合いしながら、我先にとバスに乗り込むときの気持ちといったらなかった。後方から子供の泣き声、女性の叫び声が聞こえてくる。自分たちが浅ましく思えていたたまれない。 A男は先にバスに乗り込んだものの、わたしはなかなか乗れず、バスのドアは閉じようとしている。「夫が乗っているからわたしも乗せて!」と叫べど、なぜか一人のイタリア人のおじさんが、わたしを外へ押し出そうとする。そもそも英語が通じてないから、夫がどうのこうの叫んだところで意味はなかったのである。 それでもなんとかぎりぎりでバスに乗り込み、A男が確保していた席になだれ込む。大変な疲労感が込み上げてくる。 ジェノアからミラノまで、2車線の狭いハイウェイを、バスはのろのろと安全運転で進んでいく。澄み渡る青空が美しい朝。A男は眠っているがわたしは神経が高ぶって眠れない。放心したように、まばゆすぎる青空が広がる、窓の外の風景を眺める。 そして午後1時半、バスはようやくミラノ空港に到着した。出発便の案内を見るが、我々のムンバイ行きの便は見当たらない。すでに出発したのだろうか。アリタリアのスタッフを探すが、どこにもいない。 ジェノアから来た乗客はそれぞれにあちこちを歩き回るが、みな、誰一人として、スタッフを見つけられず、それぞれに途方に暮れている。 仕方なく、アリタリアのチェックインカウンターで長蛇の列の先に並んで待っていると、出発便の案内にさっきはなかったはずのムンバイ行きが出ている。しかも、出発まであと5分で「搭乗手続中」とある。 もう、我々の荷物はどこにあるかわからないし、ここで待っていても埒があかないから、荷物はあきらめて、ともかくは飛行機に乗ろうと決め、A男と二人、搭乗口へ向かって駆け出す。 手荷物検査も出国審査も、列を飛ばして先に割り込ませてもらい、出発ゲート「B10」に向かって走る走る! 息を切らしながら走る。そしてたどり着いた「B10」のゲートには「搭乗手続中」の表示が出ているが、スタッフはいない。 無人のドアを突き抜けて、飛行機へ続く通路を突っ走る。警報がピーピー鳴り響くなか、飛行機に向かって走る我々。隣のカウンター「B11」の、ブリティッシュエアウェイのスタッフが、後ろから追いかけてくる。 「ちょっとあなた方! その便の搭乗手続きは終了してるんですよ! 戻ってきなさい!」 「だって、そこにまだ、飛行機がいるし、サインは搭乗手続き中になってるじゃない!」 「ともかく、もう、スタッフは引き上げたのですから、搭乗できないんです!」 無常にも、搭乗を拒まれた我々。 直後、ガラスの向こうでゆるゆると動き出す、ムンバイ行きアリタリア機。 それを呆然と見送る我々……。 あと5分、いや、あと3分、早く着いていたら……と思うと、もう、やけっぱちな気分である。だいたい、もっと早い時間にムンバイ行きが出発していれば諦めもついたのだ。 なのになぜ、こんなにも「ぎりぎり」な感じで乗り損ねなければならないのか。ドラマ的な演出効果が高められすぎているというものだ。 二人して、途方に暮れながらも、喉の乾きに気付く。思えば午前8時にジェノアに着いてからというもの、この5時間、食べ物はおろか、水一杯も口にしていない。その上、ターミナルを走ったものだから、喉がからからに乾いていた。 ひとまずは、カフェで水を買い、喉を潤す。椅子に座り込んで「どうしようか」と相談する。 いずれにしても、出張が1日縮まったのはこれで確実となった。ひとまずA男は関係者へ電話を入れる。それから、今後の動きを確認するため、ともかくアリタリアのカウンターを探して、情報を得ることにする。 どこもかしこも長蛇の列だが、もうこうなったら待つしかない。そこでまたしても長時間待ち、明日の分のボーディングパス(搭乗券)を発行してもらう。 「ところでわたしたちの荷物はどこにあるんですか? それから今夜の宿泊施設は手配してもらえるんですよね?」 するとスタッフの女性は答えた。 「荷物は10番カウンターに届いています。それから、今回の遅延の原因は天候不順ですから、わたしたちには、宿の手配はできません。あ、それから、奥様はイタリアに入国できますが、ご主人はもうすでに、一度入国なさってますから、ターミナルの外には出られません。そのヴィザは入国を一回しか許可していませんので」 呆然として顔を見合わせる我々。 「ちょっと待って下さいよ! 飛行機に乗り損ねたのだから、もう一度ヴィザを発行してもらえるよう、ポリスと交渉してくださいよ! ターミナルで一晩を明かせというんですか?」 「ヴィザの再発行は不可能です。奥様は外に出られますから、荷物は奥様がお受け取りになってください。もちろん、奥様だけは、町のホテルに宿泊できます。それから荷物は再チェックインしてください。でも、ご主人は外に出られませんので、あしからず」 思いやりのかけらもなく、愛想もなく、まるでA男が犯罪者でもあるかのような口調に怒りが込み上げる。 「せめて、ブランケットとか枕とか、用意してくれるんでしょ?」 「そういうことは、こちらでは手配できません」 そういいながら、まだ話しも終わらぬうちから彼女は帰ろうとする。 「わたしの今日の業務はこれで終わりですから。それでは」 見るに見かねた隣のスタッフが、わたしたちに声をかけてくれる。なんでもアリタリアのスタッフはジェノアに6人、ミラノに16人しかいないから、サービスが行き届かず申し訳ありませんとのこと。 いやもう、これはサービスが行き届くとか行き届かないとかの問題ではないだろう。 その、掃き溜めの鶴のような彼女もまた、A男のヴィザを一瞥したあと、「奥様のみ出国できますが、ご主人はターミナルから出られません」とのこと。 トム・ハンクス主演の映画『ターミナル』じゃあるまいし。なにがどうして、空港に寝泊まりせねばならないのだ。わたしはともかく、A男はこういう「不快適」な環境にめっぽう弱いのだ。可哀想にもほどがある。 公衆トイレで洗顔して、身体を拭いて、それからどこかのカフェで食事をして、夜は椅子で寝るしかないのか。椅子には肘掛けが固定されているから横になることはできないぞ、などと思いながらターミナルを見回す。 ミラノ空港のばか。アリタリア航空のばか。もう、二度とイタリアになんて来ないぞ。などと、つぶやいてみるものの、埒はあかず。二人してまたしても、途方に暮れる。しかし、こんなときに落ち込んでいては余計に運が悪くなるというものだ。 こんなときこそ、気持ちを前向きに持っていくことが肝要である。 深呼吸をして、「よしっ!」とふんどしの紐を締め直す勢いで椅子から立ち上がり、A男と待ち合わせの場所を決め、わたしは一旦外に出て、荷物を受け取り、チェックインをして、再びターミナルに戻ってくることにする。 それでも諦めきれないA男は、だめでもともとと、わたしと一緒に入国管理の列に並ぶ。今生の別れを控えているかの如く、二人はしっかりと手を握り合っている。 やがて我々の番となり、入国審査官に事情を説明し、すでに使用済みのヴィザが貼られたパスポートを提示すると、「ちょっとお待ちください」とA男のパスポートを持って、彼はポリスオフィスに消えた。 「期待するのはよそうね」と言い合いながら待つこと数分。 再び入国審査官が現れ、我々にパスポートを提示しながら言った。 「このヴィザは出入国が一度だけの条件となってますが、先ほど出国の際に押されたスタンプをキャンセルとしましたから、もう一度出られますよ。但し、有効期限は明日までです」 思いがけず、外に出られるとわかった我々の、そのときのうれしさと言ったら! その入国審査官がまるで天使のように見えた。
●そして、ミラノのオーベルジュに一泊。長い長い一日が、ひとまず終わる インド到着が1日遅れるという事態はなんら、変わったわけではないのだが、わたしたちは随分、幸せな気分になり、10番カウンターで自分たちのスーツケースを見つけたときは、「よかった! 見つかって!」と、更に幸せな気持ちになった。 A男に至っては、「僕、トイレに行って来るね!」と言いながら、にこやかに駆け出す始末である。滅多に駆けたりしない男が、喜びのあまり走り出しているのである。 さて、ターミナルを出た頃には、すでに午後4時を回っていた。空腹に気付いて、カフェでエスプレッソとクロワッサンを買い、一息つく。 A男は再び公衆電話から関係者に電話をいれ、一段落したところで、ホテルはやはりアリタリアに手配してもらうべきだと思い直し、改めてカウンターに並ぶ。 交渉の末、ホテルクーポンをもらったものの、蓋を開けてみれば、空港からホテルまでは車で1時間以上、さらにシャトルバスは1時間に1本しか出ておらず、他の乗客たちもすでに詰めかけているから、わたしたちは少なくとも次の便を待つしかないという。 ホテルに到達するまでに2時間以上も費やしていられないから、ホテルに最も近い宿を見つけようと、ツーリストオフィスへ行く。もう、この際、自腹でも何でも構わないから、便利なところへ行くに限る。 窓口で、空港から10分ほどだという小さな宿を手配して貰い、迎えの車も10分で来るからと待合室で待つ。そこで出会ったターバン姿のシーク教徒のおじさんと世間話をする。 カナダのトロント在住の彼は、息子と二人でやはりミラノ経由でニューデリーに入る予定だったが、同じようにジェノアからバスで到着し、まだ明日の搭乗券すら手に入っておらず、息子が奔走している最中だという。 それにしても、今日は多くの乗客たちと言葉を交わしたが、みな一様にアリタリアの対応のひどさ、というか、対応の「なさ」に憤怒していた。 「二度とアリタリアには乗らない!」 「お金を払ってでも、アリタリアには乗るなという新聞広告を出したいくらいだ!」 「今まで40年間、飛行機に乗ってきたが、こんなひどい対応は初めてだ!」 「こんな無様な航空会社はイタリアの恥だ!」 など、各所でさまざまな声が聞かれた。 「雪のために空港が閉鎖される」という事態は決して珍しいことではないだろう。ただ、ここまでお客が放り出されるケースは、珍しいのではないだろうか。 さて、わたしたちは10分で来るという迎えのバスを40分待ち、ようやく乗り込んだ。バルセロナ在住のフランス人女性も同乗する。彼女はバルセロナとミラノを行き来するビジネスをしているらしいが、両国のサービス業の悪さをしきりに嘆いている。 さて、車は出発したかと思ったら、ドライバーの携帯が鳴り「あと3名の予約が入ったので、空港に引き返します」と言ってUターンする。早くホテルにチェックインしたいから近くのホテルを選んだのに、これじゃ意味がないじゃないかと文句を言えども、車は引き返す。 空港に戻ったら、3人の若い日本人の女性が乗り込んできた。一瞬、A男の顔がほころんだのを、わたしは見逃さなかった。彼女たちは日本からスペインのバレンシアに行く途中だという。 さて、我々が到着したのは、個人が経営する小さな宿だった。それはレストランが主体の、つまりはオーベルジュ(宿泊施設付きのレストラン)であった。宿は質素で簡素だが、ターミナルに寝るよりはましである。 シャワーを浴びたあと、階下に下りて夕食をとる。ワインでも飲みたいところだが、疲労感が増しそうな気がして、水だけにする。ミネストローネと魚のグリル、マルガリータのピザを注文し、A男とシェアする。味覚が淀んでいて、おいしいんだかそうでないのか、よくわからない。 食後に、店の自慢だというティラミスを一つ注文し、やはり二人でわけた。これは、とってもおいしかった。その柔らかな甘みは、神経のとがりや肩の凝りをほぐしてくれるようだった。 (おいしいデザートには、心身を癒す力があるのだなあ……) と、感心しながら食べた。 部屋に戻り、10時にはベッドに入った。A男は瞬く間に寝息を立て始めたが、わたしは階下の騒音が耳について眠れない。月曜だというのにレストランは込み合っているようで、常連客らしき人々の大声での会話が間断なく聞こえてくる。 酔っぱらいの歌声、千鳥足で階段を上り、部屋に向かう足音、ドアを乱暴に開け閉めする音……。遠い日、安宿ばかりを転々としながら旅をしていたころ、フィレンツェやベネツィアの宿で、やはり人々の騒ぎ声で眠れなかった夜のことを思い出す。 そんなうちにも、午前1時を過ぎたころには静寂に包まれ、わたしも眠りについた。
●早朝、空港へ。ようやくムンバイへ。しかしまだ、バンガロアは遥か遠く 宿のレストランで、クロワッサンとカプチーノの朝食をすませたあと、他の宿泊客とともにシャトルバスに乗り込む。イタリア人ビジネスマン一名と、スキー旅行のためイタリアに来ていたというスペイン人のカップル。彼らも昨日、飛行機を乗り過ごし、ここで一泊する羽目に陥った面々だった。 つつがなくチェックインをすませ、遅れることなく飛行機は出発した。ミラノからムンバイの便は空席が目立ち、昨日に比べると乗り心地もいい。かなりリラックスした気分で約8時間を過ごす。 ムンバイには予定通り、夜の11時ごろ到着した。飛行機を降りた途端、スパイスや白檀やジャスミンが入り交じったような匂いと、湿気を含んだ熱く重たい空気に包まれる。空気が乾ききった場所から瞬時に高湿度に放り出されて、顔がベタベタとするのがわかる。一気に毛穴が広がる感じだ。 出国管理を通り抜け、空港の外に出ると、ホテルのスタッフやドライバーらが外でひしめき合っている。わたしたちが滞在するリーラ・ホテルのスタッフとドライバーはすぐに見つかった。 "Good evening, Sir" "Good evening, Madam" 丁寧な口調でスタッフが言い、我々の荷物を手際よく運んでくれる。ほっとする。ムンバイの空港周辺には現在高級ホテルが次々に誕生し、多くのビジネスマンらは市街に入らず、ホテルで打ち合わせなどを行う。 ムンバイの市街は混沌の極みで、交通渋滞は日常茶飯事、街に入るだけ時間の無駄なのだ。空港近くでのオフィスビルの建築も進んでおり、そこだけ都市景観が異なる。 ボロボロの空港ターミナル、そして路上の貧しい人々、バラックのような家並みを眺めたあとに、高級ホテルの門をくぐる。まさに、天と地ほども違う、その景観の差異である。 インドは大理石が採掘されることもあり、高級ホテルといえばたいてい、四方八方、大理石がふんだんに使われている。その冷たく滑らかなフロアを歩いて、チェックインする。 わたしたちは一般の部屋を予約していたのだが、客室が不足していたのか、スイートルームに通された。そこはもう、昨日のオーベルジュとはまたしても「雲泥の差」の、わずか8時間しか滞在できないのが惜しいくらいの快適かつ優雅な部屋だった。 広々としたリヴィングルームにはソファーのセットと大きなビジネスデスク。テーブルの上にはウェルカムフルーツとクッキー。一画には大画面のプラズマテレビもある。 ベッドルームには、肌触りのいいリネンでまとめられたベッド、柔らかなバスローブやスリッパ、そしてここにもプラズマテレビ。 バスルームは広々としたバスタブにシャワールーム、洗面台も2つあり、シャンプーなどのアメニティ類が美しく並べられている。 わたしは早速バスタブにお湯を張り、ゆっくりと湯船に浸かって長旅の疲れをいやす。しかし、それにしても、だ。まだわたしたちは目的地であるバンガロアに到着していないのである。 ワシントンDCの家を出て、いったい何十時間たったのだろう。もう、計算する気力もないが、遠い。遠すぎる。永遠に辿り着けないんじゃないだろうかという気さえする。 だいたい、1週間のうちに、飛行機を乗り降りすること6回、機内食を食べること10回、加えてバス旅行1回というのは、考えてみればあんまりである。あんまりだが、仕方ないのである。ともかくは、寝心地のいいベッドで睡眠をとる。 空気が乾いているせいか、風邪のせいか、わたしは明け方から咳が止まらず、A男を起こしたら可哀想なので、しかたなく起きて隣室でヨガをやる。短期旅行でもヨガマットは持参しているのである。こんなときこそのヨガである。 夜が明けて、再びバスタブに浸かり、カフェで朝食のブッフェを楽しむ。これまでもインドの旅日記「インド彷徨」で何度も書いてきたけれど、インドの高級ホテルの朝食ブッフェは、とても充実していて、わたしは気に入っているのだ。 けれど、疲れているときに食べ過ぎはよくないから、フルーツとヨーグルトで軽くすませる。
●何十時間かを経て、ようやくバンガロアへ。泥沼に咲く蓮の花 ムンバイの国内線空港は、国際線空港に並んで、おんぼろである。これだけ経済が急成長しているのだし、利潤を享受している企業各社は協力しあってなんとか政府と交渉できないものかと思うのだが、インド政府及び政治家の「一筋縄ではいかなさ」は、半端ではないようで、A男曰く、 「インドの政治家は大半が犯罪者だから」などとにべもない。 殺人などの犯罪を犯したわけではないにしろ、詐欺だの賄賂など、まあ、いろいろあるのだろう。ともかく、政治家の質は低く、先見性もなく、だから企業は政府と極力関わり合いを持ちたくないというのが本音らしい。 さて、今回、バンガロアへ行くのに利用したのはJET AIRという民間の国内線航空会社だった。JET AIRは先頃、株式上場したばかりの航空会社で、近々国際線にも進出するのではないかと言われている。 JET AIRのサービスは、非常にいい。これまでも何度か利用したが、地上、機内ともにサービスはてきぱきとしており、国際線として十分に通用する。通用するどころか、米国の無愛想なサービスの航空会社や、アリタリア航空なんかに比べたら遥かにいい。 スタッフの女性も「きれいどころ」が多く、がんばればシンガポール航空みたいな地位を築けるのではなかろうかと思う。などと言ったらフェミニズムに反するか。 わたしたちは、ビジネスクラスを予約していたので、出発までの時間をラウンジで過ごすことにした。エレベータは壊れ、薄汚く、薄暗い階段を上ってラウンジのドアを開けると、そこは別世界であった。 そこだけが、美しく近代的、快適なラウンジなのである。なんというか、「泥沼に咲く蓮の花」である。どうしてここまで、あからさまに「天国と地獄」がこの国には同居しているだろうか、とまたしても思う。 わずか1時間半のフライトながら、エコノミークラスも含め、毎度食事が出る。いらないくらいだけれど、出る。みんな親切でホスピタリティーに満ちている。日本のサービスに比べたら、特筆すべきことはないかもしれないが、米国の雑なサービスに慣れている身としては、非常にありがたい。 飛行機は出発が40分ほど遅れたものの、無事にバンガロアに到着した。A男は直接、打ち合わせ先の企業に向かい、わたしはスーツケースとともに、ホテルに向かう。
●やっぱりダメな、かつての国営ホテル。新旧がでたらめに混在する空間 そのホテル、グランド・アショカは、広告では「五つ星の最高級ホテル」を謳っていた。しかし実態をすでに怪しんでいたわたしとしては、だからホテルに到着し、中途半端にガランとしたロビーを見ても驚かなかった。 オレンジ色と赤のグラデーションが妙な感じのネクタイに、紺のブレザーを着用したスタッフがカウンターに並んでいる。昨今、インドのホテルは改装が進んでおり、このホテルも例に漏れず、どこからか工事の音が響いてくる。 「ミスター、マルハンの名で予約を入れているものです。これがパスポートです。キングサイズベッドの、改装済みの新しい部屋をお願いします」 「マダム。新しい部屋はすでに満室です。旧館しか空いていません」 「旧館はいやです。新しい部屋をお願いします。キングサイズのベッドがなければ、ベッド二つで構いませんから」 「でも、部屋がないんです。まあ、ともかく、旧館の部屋を見て下さい」 スタッフに導かれて、旧館へ進む。エレベータはガタガタで、ボタンも点滅せず、いったい何階にいるんだかわからない。 その部屋は、想像を遥かに上回る、いや下回るひどい部屋だった。だいたいベッドが一つだけ、しかもクイーンサイズである。全体に古くさい家具調度品で、バスルームも薄暗く、バスタブにはヒビが入っている。タイルも剥がれ落ちている箇所があるなど、ユースホステル以下である。論外である。フロントに戻る。 「部屋を見ましたけどね。話になりません。第一、ベッドはキングサイズじゃなくてクイーンですよ。それにバスルームも汚いし。あんな部屋に一晩250ドルも払うなんて、考えられません。マネージャーを呼んでください」 最近のホテル不足で、バンガロアのホテルは猫も杓子もレートを上げ、この半端な設備のかつての国営ホテルも、一泊250ドルから300ドルという信じがたいレートを設定しているのだ。 ちなみに昨夜ムンバイで泊まったホテルよりも高いのである。ニューヨーク並み、いやそれ以上である。 マネージャー各位、4、5人のスタッフが集まってきて、コンピュータに向かい、ああでもないこうでもない、と話し合っている。絶対に、一部屋くらい、きれいな部屋が空いているはずなのだ。そこに入れてくれない限りはチェックインしない構えである。 何度も「部屋がありません」と言われるのを「そんなことはないでしょう。一部屋くらいあるでしょう。もしも掃除中の部屋があるのなら待ちますから、ともかくきれいな部屋に通してください」 そう強く押し通すと、マネージャーが思い直したように 「わかりました。それではカフェでお食事などなさっていてください。料金はホテルで支払いますので。部屋が準備でき次第、お呼びいたします」 と、急にサービス精神旺盛になるから不思議である。すでに機内食を食べていたので、コーヒーとクッキーをいただくことにし、30分ほど待ったところで、スタッフがやってきた。 その部屋は、旧館と新館の、まさに「はざま」の位置にあった。部屋は改装済みで一見、とてもきれいだ。ベッドのスプリングも悪くない。ところがバスルームだけが、改装されておらず、ボロボロなのである。 やはりバスタブの底はひびだらけで、タイルはつぎはぎ、一部がはがれおち、洗面台も薄汚い。バスタオルも全般にグレイがかっている。しかし、最早交渉するエネルギーはなく、わずか2泊だからもういいや、と諦めてベッドになだれ込む。そのまま、2時間ほど寝てしまった。 やがてA男が戻ってきた。疲労してはいたものの、ひとまずは難なく打ち合わせを終えた模様。よかったよかった。荷物を下ろし、バスルームに入るなり、A男叫ぶ。 「なにこれ!? 汚い!! 古い!! 新しい部屋に移ろう!」 わたしはかくかくしかじかを説明し、もう面倒だから我慢しようというのだが、A男はゆずらない。またしてもフロントに交渉する。A男、わたしよりもさらにしつこく、「部屋もバスルームも改装された部屋に移らせてくれ!」と詰め寄る。 最初は「ありません」「あなたの部屋が最後です」などと言っていたのに、やはりあるのである。完全に改装された部屋が。またしても下見に行き、改装が完全なことを確かめて、部屋の移動である。 ポーターの青年が荷物の移動を手伝ってくれる。が、エレベータが我々の階である7階を通過して、9階まで行ってしまう。ポーターはおかしいな、という顔をして再び7階を押す。ところが今度は6階に止まる。二度三度上下を繰り返すうち、業を煮やした我々は6階から階段で上ることにする。 その間、ポーターと打ち解けた我々は、このホテルの改装手順の悪さなどを話す。そのうちポーターは我々に耳打ちした。 「実は、今日、初めてお客さんにお話しするんですけどね。このエレベータ、壊れていて、決して7階では止まらないんですよ」 「ちょっと、それいつから、壊れてるわけ?」 「1年半前からです」 インドの神髄を見る思いである。最早天晴れ、という気分である。 新しい部屋は、全体に改装済みではあったが、やはり新館と旧館の狭間にあり、最寄りのエレベータは旧館にある。遠回りをして新館のエレベータを使いたいところだが、新館の7階はレストランになっているため客室と断絶されている。 つまり、いずれにしても、7階の客は階段を使わねばならないのである。ひどいものである。でも、部屋がきれいなので、もういいのである。 夕食はホテル内のインド料理店へ。ここはまた妙に美しい空間で、洗練された雰囲気だ。人々の食べている料理もおいしそうだ。 気を取り直していつものビール「キングフィッシャー」で乾杯する。そうして、魚のタンドーリグリルとナン、豆の煮込みを注文する。我々は疲労困憊ながらも、まずは一日の仕事を終えたことを祝福し合った。 それにしても、このホテルの玉石混淆な有様はいったいなんなんだろう。
●移動のない唯一の日。植物園やらショッピングモールやらスパやらに出かける 朝、ホテルのブッフェで朝食を食べる。料理のクオリティは悪くない。というか、いい。フルーツを食べたあと、マサラ・ドサ(米粉で作られた巨大なパンケーキに、スパイスで味付けされたポテトがくるまれている南インドの朝食メニュー)を焼いてもらう。これも香ばしくておいしい。 食事のあと、いつものように、南インドのコーヒーを頼む。それも"Decoction"で。コーヒーの粉を煎じるようにして濃くいれたコーヒーに、温めたミルクを注いだもので、濃厚だけれどまろやかな、とてもおいしいインド風「カフェラテ」である。 朝食を終え、A男を送り出したあと、部屋に戻って日焼け止めを塗り、帽子を被ってフロントへ。いつもならオートリクショー(三輪車)で街に出るところだが、今回はわずか一日しかないうえ、排気ガスにやられるのはいやだから、ドライバー付きの車を借りることにする。 1時間8ドルだと言い張るホテルのスタッフではあったが、それは高すぎるから、安くしてくれと交渉し、1時間5ドルまで値切って半日、借りることにした。大した設備も整っていないホテルなのに、値段だけは超一流並みを主張するホテルがどうにも気に入らないのである。だから値切るのである。 さて、車に乗り込み、まずは今まで出かけたことのないバンガロア名物の植物園へ出かけた。この季節、街角では紫色や黄色、ピンクの花をつけた木々があちこちに咲いていて、とても美しい。 町中は排気ガスで煙たく、緑を愛でる心境にはならないが、そもそもバンガロアは「グリーン・シティ」と呼ばれる緑豊かな街である。デカン高原のただ中にあるから気候もよく、今が一番暑い時期らしいが30℃もなく、風が軽くて心地がいい。 植物園はあいにく、春の花が美しい季節をはずしていたせいか、花はあまり咲いていなかったけれど、緑一杯の広大な敷地内をしばらく散歩して、いい気分転換になった。 そのあと、バンガロアで最も大きなショッピングモール「フォーラム」へ出かける。ここは米国のモールとあまり変わらない雰囲気で、ファッションブティックやフードコートなどがある。最上階には映画館があり、欧米の映画も上映されている。 ここをしばらく散策し、ケンタッキーフライドチキンでチキンサンドを食べ(意外においしかった)、お気に入りのローズウォーターの化粧水などを購入し、車へ戻る。 その後、ドライバーに頼んで、高級住宅街をいくつか回ってもらう。いつかここに引っ越すことになったときのための、下調べである。 バンガロア周辺は近年、次々に「欧米風」の分譲住宅地などが建設されているほか、高級アパートメントビルディングも建築ラッシュのようである。 白亜の高層ビルのふもとに、スラム街が連なる、まさに天と地ほども暮らしぶりのことなる世界が混沌とある。 また、バンガロア郊外には、欧米やインドのIT企業のキャンパスが点在している。広大な敷地は瑞々しい芝生が敷き詰められ、近代的なオフィスビルが点在し、噴水などが配され、まるで米国のシリコンバレーとそっくりの景観である。 しかし、一歩キャンパスを出ると、そこにはやはり埃っぽい混沌の道路と、薄汚れた人々が行き交う街が広がっているのである。 「わたしは、本当に、ここに住みたいのだろうか?」 と、またしても自問しながら、車窓からの風景を眺める。どうして、こんなハチャメチャな国に、住みたいと思うのか。今よりも大変な思いをするのはわかっているのに、どうしてこんなに惹かれるのか。自分でも本当に、わからない。 いくつかの街を巡ったあと、ホテルに戻り、それからグランド・アショカの近くにあり、かつて滞在したことのある「ウィンザーマナー・シェラトンホテル」の隣にあるスパへ歩いて行く。 ここでマッサージをしてもらい、マニキュア・ペディキュアを施して貰い、しばしリラックス。ホテルへ戻ったころ、A男も戻ってきた。
●スジャータ宅で手作りの夕食。初物マンゴーを味わい、心休まるひととき 夜は義姉スジャータとその夫ラグバンの家へ出かける。彼らの家はラグバンが教鞭を執っているインド科学大学(IIS:Indian Institute of Science)のキャンパス内にある。 スジャータは相変わらず、手作りの料理でもてなしてくれた。インドにしては珍しく、ポークの煮込みカレーとダル(豆の煮込み)、野菜のグリルなど。そしてデザートに、スジャータ特製のマンゴータルト。 ちょうどマンゴーのシーズンが明けたばかりで、これが「初物」だったらしい。甘みの濃厚なとてもおいしいマンゴーで、彼女の焼いたタルト皮に、各々がクリームとマンゴーを載せて食べる。心のこもった優しい味の料理に、ほっとする思いだ。 さて、ゆっくりとくつろぐ間もなく、わたしたちはホテルへ戻る。明日の夕方の便で、ムンバイへ飛び、ムンバイを深夜出発する便で、再びミラノ経由でDCに戻るのだ。
●そして早くも、出発の日。決してグランド・アショカには泊まらないでください A男は今日も打ち合わせである。わたしは朝食をすませた後、荷造りをし、連日咳き込んで睡眠不足のため、2時間ほど眠る。昼過ぎに、A男が打ち合わせから戻ってきた。部屋に入るなり、ニコニコと笑いながらしゃべりだす。 「さっき、エレベータで英国人のビジネスマンに会ったんだけどね、ひどいめにあってるらしいよ」 A男いわく、彼は妻とともに1カ月の予定で2週間前よりバンガロアを訪れているという。このホテルは高級だと聞いていたにも関わらず、最初はボロボロの旧館に通された。 工事の騒音に悩まされたり、ハチの巣の駆除のために撒かれた薬剤が空調を通して部屋に流入したり、リネン類がボロボロだったりと、問題続きで、部屋を転々とすること3、4回。 最悪だったのは部屋に置いていた300ドル相当のルピー紙幣が何者かに盗まれたこと。ホテル側は全く非を認めず、セーフティーボックスを設置するよう頼むが聞き入れられず。 毎日イエローページを開いてバンガロア中のホテルに電話をかけているが、どのホテルも満室で、「もう、これ以上ここにいると、僕らは神経衰弱になってしまう……」と、泣きそうだったという。 「彼らに比べると、僕らはずいぶん、ましだよね〜」と言いながら、A男は人の不幸話に楽しそうである。そんなこんなで、遅いランチをすませた後、ホテルをチェックアウトする。 ちなみにホテルには日本人客の姿もちらほら見られた。ガイドブックなどにも大々的に紹介されているので、うっかり予約する人が絶えないのだろうが、それは、飛んで火に入る夏の虫である。 バンガロアへ行く予定のある方、決して「グランド・アショカホテル」には近寄らないでください。
●帰国直前。ムンバイの高級ホテルで優雅な夕食。この世界の混沌は、何なのだろう 夕刻、バンガロアを立った飛行機は、日が暮れころ、ムンバイ上空に到達した。下降を始める飛行機の窓から、ムンバイの街を見下ろす。暗闇に浮かび上がる道路が目に飛び込んでくる。 車が行き交う道路に、無数の人々の行き交う様子が見える。世界中で一番、人口密度の高いムンバイだけあり、昼夜を問わず、道路には人があふれているのだ。まるで蟻のように、小さな人々がひしめき歩くさまを、不思議な思いで眺める。 国内線空港に到着した我々は、国際線の出発まで4時間ほどあるので、途中にあるハイアット・リジェーンシーホテルで夕食をとることにする。 空港周辺の道路は、あちこちで拡張工事が行われている。作業員は、薄汚れた衣類に身を包んだ老若男女を問わぬ貧しい人々だ。サリー姿の裸足の女性が、頭上に瓦礫を入れた籠を載せて、ゆっくりと運んでいる。 あたりは車のホーンの洪水、渋滞の渦、舞い上がる埃……。 やせ細った子供たちが、信号待ちのタクシーのドアをどんどんと叩き、我々に物乞う。もうすっかり慣れてしまったこの光景の、しかしすさまじいことよ。 そうして我々の車は、光り輝くホテルのエントランスに進入する。そこはやはり、別世界である。 ピカピカに磨き上げられた大理石のフロア、どの先進国の、どのホテルにも負けない、高級感に満ちあふれたロビー。ゆったりとしたラウンジ。オープンキッチンのダイニング……。 この国が、どうこうというのでは、多分ないのだと思う。 この国には、世界中の森羅万象が、集結し、共存しているだけなのだ。この国を訪れる者は一目で、世界の天と地を目撃できるのだ。改めて、そんな思いが脳裏を駆けめぐる。 あまりにもキラキラとしたそのホテルのダイニングで、わたしたちは軽く夕食を食べて、それから国際空港へと向かった。
●二度と乗りたくなかったはずなのに。ビジネスクラスは快適で、幸せな帰路だった 「アリタリアには、金輪際乗りたくない!」 「もう、ミラノ空港には一生行かない!」 そう言っていたはずなのに、ビジネスクラスは快適だった。サービスもよかった。なにしろ、ビジネスクラスの機内食が、予想以上においしかったのだ。 ビジネスクラスには、JALと全日空、エールフランスにしか乗ったことがないからあまり他社と比べられないが、食事は最もよかった。エールフランスはフォアグラやらステーキや、魚のクリーム煮やらと、カロリーの高いものが多かったのだが、アリタリアは違った。 新鮮なサラダ類やスモークサーモン、フルーツ、それにズッキーニやフェネル、ナス、マッシュルームなどの野菜のグリル、トマトソースのパスタ、白身魚のグリル……と、出される料理がいずれもヘルシーで、味わいもいい。 ワインなどのアルコールのセレクションもよく、おつまみに出されるチーズもさすがイタリアだけありおいしいのである。 行きの不幸とは雲泥の差の環境である。ゆったりとしたシートで眠り、ミラノでの乗り継ぎもスムースに済んだ。ミラノからDCへの便では、A男は出張中のレポートの大半を仕上げることができた。 それにしても、「終わりよければ全て良し」と言ってしまうにはあまりにも複雑な心境である。 一時はターミナルで夜を越すことになりそうだったことも、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、あっさりと「仕方なかったんだよ」ですませようとしている自分たちが怖ろしくもある。 今回、もしもわたしが同行しなければ、A男はアリタリア航空を選んでおらず、となるともっと楽な旅ができたのかもしれない。そう考えると、同行したがった自分が悪かったのか、などと思ったこともあったけれど、そういうことを悔いるのは信念に反するので即やめた。 A男も、「ミホが一緒に来てくれてよかった!」と言ってくれたし、ものすごく濃密だったけれど、ただDCにいたのでは決して経験できなかった色々な思いができた。 善し悪しを問わず、非日常的な体験ができること。それこそが「旅の醍醐味」なのだと思う。 今回の旅を通して、わたしはまた多くを学んだ気がする。窮地に立たされたときに、冷静な判断をすることがいかに大切か、パニックにならず、慌てないよう精神を調整することがいかに大切か、ということなども。 それから、頑なに何かを拒むことや、固定した否定的価値観に囚われることは、自分を幸せにしない、ということも。 アリタリア航空にもミラノ空港にも、インドにも、日本にも、米国にも、いいところもあれば、悪いところもある。 限りある個人的な経験をもとにして、「木を見て森を見ず」の、主には否定的な判断を下すことは、できるだけ避けたいものだとも思った。 何だか大袈裟な締めくくりとなったが、そんな心境の日曜の夕暮れである。 (3/6/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan |