アフリカの家庭 (4/27/2000)

muse new york の連載にMy Mother My Motherland (私の母、私のふるさと)という記事がある。ニューヨークに暮らす移民たちを訪ね、彼らの祖国や幼少時代を母親との関わりを通して語ってもらうというものだ。毎回、自分の友人や、知人のつてなどで取材する人を探すのだが、これがなかなか一苦労。不法滞在の人、政治的に顔写真を出せない人、父親が暗殺された人、母親が自害した人など、なにしろ波乱に満ちた歳月を送ってきた人が多いのである。

ようやく、知人の友人でカメルーン出身の男性に出会うことができた。先日、彼とその妻子が暮らす家を訪ねた。初めて会う彼らはとても自然な笑顔で迎えてくれ、夕食もごちそうしてくれた。彼の祖国では、親戚、家族みんなが集まって暮らし、互いに助け合って生活しているという。誰かが頼りにして訪ねてくれば諸手を広げて迎える。

それにしても、家族みんなの仲のいいこと! 妻はレバノン人で英語は流暢だが、夫の方はフランス語の方がうまく、英語はいまひとつ。そんな彼を助けるように、妻と15歳の息子が代わる代わる話を繋いでくれる。

お父さんの幼少時代を、息子が克明に語るのも印象的だった。詳しくは次号の記事に譲るが、温かい家庭でひとときを過ごし、とても幸せな気持ちになったことを記しておきたい。(M)

 

セントラルパークを走る (4/22/2000)

次号のmuse new york はスペイン・アンダルシア特集。マンハッタンで楽しめるスペイン料理のレストランを紹介しようと何軒も食べ歩く。Enjoy Living in NYというコーナーがあるのだが、そこでもついついレストランや食べ物ばかりを紹介してしまう。記事は偏り、私の体重は増える。

今年に入って初めて、セントラルパークをジョギングした。「暖かくなったら走ろう」なんて言っている間に4月も末である。去年の夏、自分自身のデブさ加減に業を煮やして、走り始めた。最初は1キロも走るとへとへとだったが、徐々に記録を伸ばし、だいたい週に2,3回、平均7キロ程度を走っていた。走ると体重の増加にブレーキが掛かり、血行がよくなるせいか肩こりも緩和される。なかなか身体にいいのだ。

今日は曇天ながらも、公園は大にぎわい。イースターのイベントが開かれていて、家族連れで大騒ぎである。しかし、少し大通りをはずれると、静かな山道になり、野鳥たちが愛らしい鳴き声でさえずる森になる。桜か桃か、あるいは杏かわからないが、濃いピンクや薄いピンク、白い花をつけた木々が緑に浮かび、とても美しい。つやつやと、そして柔らかな新芽を付けた木々の梢は、瑞々しく空を目指す。

久しぶりのジョギングだったので、ほんの少し走っただけで息が切れてしまった。また、一からのやり直しだ。少しずつ、走り始めよう。

 

黄色 (4/20/2000)

春物のシャツを買おうとブティックであれこれと商品を見比べていた。気に入ったデザインのものが見つかったが、濃いピンクと薄いピンク、どちらにしようか迷ったので、そばにいた店員に尋ねた。40代くらいの白人女性である。
「ねえ、どっちのシャツが私に似合うと思う?」
しばし、シャツと私の顔を見比べた彼女はこう言った。
「あなたの顔の色は黄色が入っているから、薄いピンクだと顔色が悪く見えるわね……」
たまにこういう人がいるのである。必要以上に「黄色」という人が。「濃いピンクの方が似合うわよ」の一言でいいと思うのだが……。いつだったかファンデーションを選ぶときも黒人女性に「あなたの顔は黄色だから」と、やたら濃い色を勧められ、塗ると具合の悪そうな顔になった。

一般にわれわれは黄色人種と呼ばれるが、黄色とはこういう色のことをいうのであって、私の肌のどこが黄色かろうと思っていた。でも、白人や黒人と並んで見比べると、確かに黄みがかってみえるのである。不思議なもんだ。まあ、面と向かって黄色を指摘されても別に気分を害することでもないので聞き流しているが、なんだか妙な気分ではある。ま、ニューヨークならではの体験であろう。

ちなみに黄色は私の好きな色でもある。(M)

 

不況なのか、豊かなのか……? (4/14/2000)

ここしばらく、次号のmuse new yorkの制作をはじめ、他の業務に時間を割いているため、ホームページへの情熱がやや薄まっている。5月中旬には全体的に華々しく更新しますので、いましばらくお待ちください。

さて、私の日課の一つ。夕方4時頃、ビル1階のロビーに日本の新聞の衛星版を受け取りに行く。仕事が立て込んでいるときはコーヒーを、少し余裕があるときにはワインやビールなどを飲みながら、日本のニュースにじっくりと目を通す。衛星版なのでリアルタイム。翌日の日本の朝刊を読めるのである。東京で仕事をしていたころは、常に時間に追われていて、ゆっくり新聞を読む余裕が時間的にも精神的にもなかったから、むしろ今の方が日本の情報に精通しているかもしれない。

記事を通してだけではなく、広告やテレビ欄を見ることでも、日本の世相がつかめる。それにしても、面白いのは縁起物商品の広告。「幸運を呼ぶ絵画」「金運を招く噂の護符」など、体験者のコメントもあやしく、読んでいて笑えるというか妙にほのぼのとした気分にさせられる。売れるから広告が出せるのだろうと判断すれば、日本という国は、なんだかんだと言って余裕があるなあと思う。それにしても、今日見つけた「十八金製御鈴」の広告には唖然とした。御鈴とは、仏壇に置いて「ちーん」と鳴らすやつである。その値段がすごい。現金一括払いで970,000円なのである。思わず、桁を指で数えてしまった。そばには「ご先祖のご供養に18金製御鈴を」というキャッチコピー。なんとも贅沢な供養である。

ちなみに、ニューヨークタイムズに、このようなコンセプトの商品広告は、もちろん、ない。(M)

 

気象と気性の関係 (4/10/2000)

おとといの土曜日は、初夏を思わせる爽やかな一日だった。道行く人もTシャツ姿。通りや公園は日差しを浴びようと外へ繰り出す人たちでいっぱいだった。そして昨日。目覚めて窓の外を見るや唖然とする。雪が積もっているのだ! しかも激しく吹雪いている。この国の気候に「緩やかな変化」はない。メリハリがきつく大ざっぱである。アメリカ人の気性と、とてもよく似ている。

地理的要素が人々の精神に与える影響ははかりしれない。例えば、微妙に推移する四季が日本人の繊細な感覚を育くみ、降り注ぐ日差しが開放的なブラジル人の気質を育むといった具合に。一年の大半を暗い冬に閉ざされた北欧に自殺者が多いというのも頷ける。

いつだったか、旅行ガイドブックを作るために、シンガポールを訪れたことがあった。とある日系企業のマネージャーが語ってくれた言葉が今でも印象に残っている。「マレー系の従業員がてきぱき働いてくれないから、ある日、きつく叱ったんです。するとこう言われたんです。“あなた方駐在員にとっては、たかだか2、3年の夏でしょう。でも、わたしたちにとっては、永遠の夏なんです。そんなに慌てて仕事をするつもりはありません”と。ハッとしましたね……」

その国の気象になじみ、溶け込むことは、その国の人たちの気性を知るひとつの手がかりなのかもしれない。

 

10日間のあいだに (4/7/2000)

ちょうど日本に帰っている間、桜が開いた。病院から外出許可をもらった父を連れ出し、母と妹との家族4人で郊外へ桜を見にドライブに出かけた。こうして家族そろってドライブするなど、何年ぶりのことだろう。もしも父が病気にならなければこの先もなかったに違いない。薬の副作用で食欲がないはずの父だが、露店で買った草餅をばくばく食べていた。病を癒すのは、決して病院の薬だけではないことを痛感する。海外に暮らしていると、そう気軽に帰郷できるものではない。周りを見回せば、ビザの都合で出国できず、親の死に目にあえなかった人、休暇が取れず病床の母を見舞えない人……、とみなそれぞれの事情を抱えている。自分の志を成就させるためには、気持ちのなかで折り合いをつけなければならない、さまざまな問題がある。当然のことだけれど、頭が痛い問題である。

さて、10日ぶりのニューヨーク。JFK空港からタクシーでマンハッタンへ。東側から西側へ走るストリート沿いの街路樹が、真っ白い花をつけていた。桜並木のような風情で何とも美しい。知人によれば梨の一種らしいが、定かではない。今度調べてみよう。部屋から見下ろすセントラルパークも、枯れ木色から淡い緑に変わっていた。木々がついに芽吹き始めたようだ。公園の散策が楽しい季節のはじまりである。(M)

 


Back