犬を飼っているニューヨーカーはとても多い。都会の暮らしのなかで、動物との交流は心を穏やかにしてくれるものである。一人暮らしならなおのこと、帰宅したときにしっぽを振って出迎えてくれる犬の存在は、大きいに違いない。 アパートによってはペットを飼えないところもあるが、わたしの暮らしているビルは許可されているので、エレベータに乗ると、よく犬の散歩の行き帰りの人に出会う。このビルは、もっとも広い部屋で3ベッドルームしかないはずなのに、大型犬を3匹も連れていたり、小型犬と猫を合計4匹ほども飼っている人も見かける。 わたしは、犬や猫を飼ったことがない。小学校のころ黄色いセキセイインコを飼っていた。名前はピコちゃんといった。手乗りのとても愛らしいインコで、妹がわたしを呼ぶ声をまねて「ミホネーチャン」としゃべることもできた。不慮の事故でそのピコちゃんを亡くしたときのショックは相当なものだった。あんな小さなインコを亡くしてさえこれなのだから、もっと意志のはっきりした犬や猫だったらどんなに辛いだろう、そう思うとペットは飼いたくないと思ってしまうのだ。 そういうわけで、余り犬にも興味を示さず、犬の種類も詳しくないわたしだが、たまに純日本犬「柴犬」を見かけると、ついつい愛着を感じて飼い主に声をかけてしまう。 「まあ、なんてかわいいシバイヌ! これって日本の犬なのよね!」 わたしはなぜか得意気である。 背筋がしゃんと伸び、目がくりっとして、きつね色の毛をつやつやとさせた柴犬。容姿に無駄がなく、実にかわいい。 さて、アップタウンに住んでいる人たちの犬の散歩場所は、もっぱらセントラルパークである。週末ともなると、大小さまざまな犬を連れた人たちが公園を彩る。紐を解かれた犬が全速力で緑の上を駆け回る姿も見える。公園のリスたちは犬の格好のおもちゃ。しょっちゅう追いかけられては、大急ぎで木の上に避難している。 週末は自分たちで犬を散歩に連れ出せるニューヨーカーも、平日は忙しくてなかなか時間がとれない。夜遅く犬を連れて歩く人たちも見かけるが、犬の運動不足は必至だ。そんな人たちのために存在するのがドッグ・ウォーカー(犬の散歩屋)だ。少なくとも4〜5匹、多いときは7〜8匹の犬を引き連れて歩いている。見事なもので、よその犬同士が喧嘩することもなく、実におとなしく連れられている。 先日、外出から戻る途中、うちのビルの近くでドッグ・ウォーカーに出くわした。目の前を、7匹の犬が歩いていく。中型、大型犬がほとんどを占める中で、一匹だけ、小型のヨークシャーテリアが紛れていた。気の毒にも、周囲の犬と歩調が合わず、4本の足をめまぐるしい速度で回転させつつ、懸命についていっている。ドッグ・ウォーカーはじめ周りの犬たちは、そんな彼(彼女)に気づく様子もなく、家路を急いでいる様子。彼らはわたしと同じビルに入っていった。 このビルは、エントランスをくぐると、中のフロアはツルツルである。先ほどのテリアは、フロアに到達するやいなや、足の動きを止めた。歩くことを放棄した模様で、エレベータまでの20メートルほどの距離を、ズズズズーッと引っ張られていった。よほど疲れていたのだろう。まさにモップと化していた。 さて、犬の散歩で得るもの、である。 ある週末の午後、わたしとボーイフレンドはダウンタウンの住宅街を散歩していた。とある家から、全く冴えない風体の白人男性が、それはそれは本当にかわいらしい犬を連れて現れ、わたしたちの前を歩き始めた。犬の種類はわからないが、とても小さく、羊のようなくるくるの茶色い毛をした犬である。通常、柴犬以外は声をかけないわたしでも、つい近寄って触ってみたくなるような、ふわふわとしたかわいらしさである。 休日とあって、歩道は人通りが多い。するとどうだろう。すれ違う女性、すれ違う女性、少女から老婆に至るまで、彼の犬のもとに駆け寄るのである。 「まあ、なんてかわいい犬!!」 感情をはっきりと表現するアメリカ人である。かわいいと思ったら即、行動に出るのだ。 年はいくつ? なんて名前? 種類は? 皆同じような質問を矢継ぎ早に飼い主に浴びせる。冴えない男性はにこやかに答える。 別に急ぐ用事もなかった私たちは、彼らを追い越すことなく後ろからついて歩き、観察を続けた。結局、わずか2ブロックを歩く間に、彼は8人の女性たちに声をかけられたのである。 「ミホ、どう思う? あのギーキィな(おたくっぽい)男、犬がいなけりゃ、絶対、あんなかわいい女の子たちに声をかけられること、ないよね。犬のおかげでいい思いをしてるよね」 我がパートナーは腑に落ちない様子である。 ニューヨーカーの暮らしに、いかに犬が大切な存在かを改めて知った出来事だった。(M)