最新の片隅は下の方に

December 31, 2005  2005年。忘れ得ぬこの一年に。

山越え谷越え、夫と二人で、ひとまずはたどりついた、この地。
こうして、心地のよい家で、一年を締めくくり、新たなる年を迎えられることの幸せ。
日本に生まれて育ち、米国で長い歳月を過ごし、そして今、インドにきた。
天竺、と呼ぶにはあまりにも、あまりにも世俗の渦のなかで、誰も、先のことなど、知りはしないのだ。

だから躊躇などすることなく、
歩いてゆく足がある。
聞きわける耳がある。
嗅ぎ分ける鼻がある。
見極める瞳がある。
そして、つかみ取るこの手のひらがある。

自分を、慈しみ、たよりにしながら、
もっと強く、たくましく、やさしく、懸命で、ありたいと願う。

 

January 1, 2006  HAPPY NEW YEAR!

2005年12月31日午後11時55分。夫の観ているTVの声の、その遠い向こうから、ドン! ドン! ……ドン! と、重い響き。花火だ!カメラを持って、ほら、靴を履いて、外に出てみようよ。階段の窓から、見えるかもしれないよ! 回廊の、階段を、3階、4階と駆け上がる。ドン! ドドドドン! ドドドン! 窓越しの遠い闇に、小さな花が、一つ、二つと開く。

ペントハウスを通過して、あれ、まだ階段がある。突き当たりのドアを開けば、わ! 屋上だ! 暗いから、足下に気をつけて! わ! ほら、あっち! こっちのもきれい! ここは良い眺めだね。バンガロアが一望のもとだね。

マンハッタン西60丁目のPARK SOUTH TOWER。ワシントンDCカテドラルハイツのALBAN TOWER。どちらのアパートメントビルディングも、屋上からの眺めがすばらしかった。そしてバンガロアのEMBASSY WOODS。ここもまた、こんな見晴らしのいい場所だったとは。

「屋上からの眺めがすばらしい」という、この小さな偶然が、とても幸運な符号のように思えて、夜更けはすっかり冷たい風にひゅうひゅうと吹かれて、しかし沸き立つ心。

2006年1月1日午前0時。ひときわの、打ち上げ花火の轟き。けたたましい、爆竹の叫び。また、新しい年が来た。HAPPY NEW YEAR! あけまして、おめでとう!

 

January 2, 2006  天竺

この国の、天空より見下したるの、厳かな美しさ。

ナーランダ、ガンダーラ。

如意棒たずさえ、斤斗雲に乗って、孫悟空が眺めし下界は。

無論、ここは南インドの空ではあるが。

地上に蠢く諸々の生き物の、日々の営みはひと吹き。

やはり、ここは天竺か。

すべてが大きく、ずれて在る。

ひどく大きく、ずれて在る。

 

January 3, 2006  衝動

仕事でもないのに。
義務でもないのに。

歌いたい人のように、
奏でたい人のように、
描きたい人のように、
踊りたい人のように、

五感で吸い取ったもの濾過して、
コンピュータの中に封じ込める。
そしてそこから、地球に散らばる。

循環して、循環して、
血中インド値が、
みるみるみるみる、高くなる。

 

January 4, 2006  過程

「今日はリーシーとランチを食べたよ」と夫。リーシーは、夫のMBA時代のクラスメイトだ。ムンバイ出身の彼は、夫と同様、米国の大学に進学し、米国で就職した。そして我々より一足先の半年前、インドにビジネスチャンスを求めて、妻と二人の子供と共に帰国したのだった。

「仕事の話とは別に、僕は彼に、インドに移住して以来の心境について尋ねたんだ。彼は言ってたよ。最初のころは、気分が大きく上下する日が続いたって。なんでこんなところに戻って来たんだ! って、大声で叫びたくなる日もあれば、インドはやっぱり祖国だ、心地よい場所だと、思える日もある。

この半年間のうち、米国に3回、出張に行ったらしいんだけどね。三度目に訪れた時に初めて、"ああ、ここは異国だ" って思ったんだって。インドにいると、人は"人生のために生きている"という気がするけど、アメリカに行くと、人は"働くために生きている"っていう気がするんだってさ」

リーシーも夫も、人生の半分以上を米国で過ごした。その彼らが、それぞれに思いを抱き、故郷に戻った。今のインドには、彼らと似た経歴を持つ若い世代が、目まぐるしい勢いで増え続けている。彼らの働きが、この国の将来をどのように変えていくのだろう。これからの人生、わたしはその過程を、つぶさに眺めていくのだろう。

 

January 5, 2006  未来

米国のころの、インドの断片を拾うために、ここに繰り畳ねていた歳月を紐解いた。

一葉の、写真の向こうに広がる光景。綴られた、言葉の向こうに眠る感情。

正と負、陽と陰、光と影。寄せては返す波のごとくのはずだけれど。

ここに見えるのは、ひと粒ひと粒の、愛おしき日々。

今日一日の、不運だけを数えても事実。幸運だけを数えても事実。

まるで"Big Fish"のように。

お伽話の過去はいつでも、愉快で、不思議で、幸福なノスタルジー。

この瞬間から連なる未来のために、今を紡ごう。

 

January 6, 2006  結婚

Whartonのアラムナイのディナーパーティー。

20年前の秋、大学祭で打ち上げた花火を思い出した。

梅ヶ峠の闇夜を彩る無数の花火は、わたしたちの、漲る若さの、結晶だった。

お祭り騒ぎに無闇に夢中で、しかし肝要な学問は疎かで。

ああ、いったい何をやっていたのだろうか、わたしは。

ああ、それにしたって、花火は胸に迫る。

いつ米国に戻るかしらないけれど、よかった。インドに来て。

いつも諍いが絶えないけれど、よかった。この人と結婚して。

 

January 7, 2006  ムンバイ

英国人遺したるネオ・ゴチックの残骸散らばれりムンバイ。

今在る者、誰も知らぬ百年以前の麗しき都よ。

朽ち果ててなお気高き廃屋。

生い茂る木枝、鴉、犬。

蓄積の砂塵、身じろぎもせず。

時空歪めて、扉開けば、昔日の雑踏、現れり。

 

January 8, 2006  斜陽

朝の晴れやかな陽のさしこむころ。

夕の遣る瀬ない陽のさしこむころ。

此処がことのほかうつくしいころ。

 

January 10, 2006  今頃

インドに移住して、ちょうど2カ月。

ようやく、しばらく、ここにいられる。

風が気持ちいい午後。

生い茂る緑を見上げれば。

揺れていたのは、竹、だったのか。

ようやく、いまごろ、気がついた。

 

January 11, 2006  音楽

まっさきに、段ボールの中から取り出す。

変圧器を取り付けて、CDを装填して、スイッチを押す。

……音楽! なんて久しぶりの、音楽!

この小さな機械から溢れる音はしかし、

マーブルに反射して、響いて、響いて、

ここはなんてすばらしい音響だろう!

午後はずっと、旋律とともに、

歌いながら、口ずさみながら、荷解きをしていた。

 

January 12, 2006  名刺

一昨日、イラストレータ(ソフトウエア)で名刺を作った。

そのデータを、電子メールで印刷会社に送った。

仕上がりが、今日届いた。なかなかに素早い。

会社の名前も、肩書きもない、間に合わせの名刺。

その割には、500枚も。その割には、きれいに刷り上がって、うれしい。

また、出版や、広告の仕事をしたくなる。編集の仕事をしたくなる。

とはいえ、このごろは、逡巡が多く。まだ何も明らかにならない。

これから、どんな人たちに巡り会い、この名刺を配るだろう。

 

January 14, 2006  光る花

昨日、連れて来た緑が、今朝はここで、風に吹かれている。

朝日を透した白は、自ら光を放つ灯(ともしび)のよう。

 

 

January 15, 2006  朝。

目を覚ます。ヨガをする。シャワーを浴びる。水を飲む。

窓辺に座る。新聞を広げる。紅茶が届く。光がこぼれる。風が流れ込む。

ひらひらと舞う黒揚羽。木枝を走り抜けるリス。数十メートル向こうに喧噪。

冠をつけた黒い小鳥。そのうぐいすのような鳴き声。を遮る鴉の叫び。

隣家のヒンドゥー宗教音楽。改装工事の木槌の音。

朝。

命在る者が一斉に動き出す時刻。

すべてが振り出しに戻り、また始まる朝。

 

 

January 16, 2006  誕生

ここからは、遠い、遠い場所で、

産声をあげた君のこども。

山から吹き下ろす冷たい風が、

祝宴の馳走の香りを運ぶころ。

君は夜空を見上げて、

故郷の風をしのぶだろう。

甘くやさしいミルクの菓子を、

今宵ひっそり、噛み締めながら。

君の、その、かけがえのない人生。

 

January 17, 2006  樹上

日暮れどき。

無数の小鳥のさえずる声。

おもてを上げて、

書斎のバルコニーに出る。

大樹の上でひしめく小鳥。

あ、あんなところに橙色の花。

浅い冬のあとの、浅い春。

車のホーン。一斉に舞い飛ぶ。

 

January 18, 2006  薔薇(そうび)

人の渦。

埃の渦。

喧噪市場の一隅。

窮屈に束ねられた二十輪。

解き放てば、生気蘇り。

生ければ、馨しき香り放ち。

泥沼に咲く蓮華の如く。

優美に、可憐に、果敢に、薔薇は。

 

January 20, 2006  故郷

緑濃き山間の小さな家。

春の到来を告げるのは、

色とりどりに、揺れる花。

君の故郷の、庭の花。

 

 

 

 

January 21, 2006  マリーゴールド

朝。バルコニーが明るい。

午。バルコニーが明るい。

夕。バルコニーが明るい。

まばゆく光る、太陽の雫。

 

January 22, 2006  一年前

久しく使わずにいたハンドバッグ。

ポケットに眠っていた映画の半券。

GEORGETOWN 1/16/05

一年前。あの日は、寒かった。

凍てついた町の匂いが、瞬時、鼻先を掠める。

ジョージタウン。ジョージタウン。

春恋しく、冬は長く。手ぶくろ越しに手をつなぎ、肩を竦めて歩く運河沿いの小径。

なんて遠い、日。

 

January 23, 2006  夕暮れ屋上

街満たす、モスクのスピーカー、祈りの旋律。

サリー姿、たたずむ屋上。

翻る洗濯物、軒先。

クリケット少年ら、走る路上。

椰子の木、何の木、タマリンドの木。

空舞い飛ぶ、カラス、ハト、トンビ。

望郷のゆくえ知れず。

ただ、情感のみ揺蕩う。

 

January 25, 2006  町へ。

町へ出よ。砂塵舞い上がる埃の交差点。
町へ出よ。裸足の少年、少女、物乞い。
町へ出よ。牛に触れ、祈りながら行く。
町へ出よ。染みの壁、立ち小便の痕跡。

町へ出よ。古い油の匂いスナック露店。
町へ出よ。裸電球の下の色鮮やか果物。
町へ出よ。神々を称える唸り、声、鐘。
町へ出よ。二輪、三輪の傍らを掠める。

町へ出よ。天地清濁、併せ見よ。

この国の、泥と蓮。

その不確かな定義に触りながら行く。

January 27, 2006  黄色

うれしそうに開きはじめたバラ。

その黄色を確かめてみたい。

バルコニーに出せばたちまち、

いい香りに導かれて、

小さな昆虫、飛んでくる。

なんて豊かな色だろう。

黄色は。

January 28, 2006  黄色再び

夕暮れの日差しのもとでは、

物憂気な顔をしている。

この黄色もまた、気高く麗しく。

開き、散り行く過程を、

大切に見守る。

 

January 30, 2006  菓子を焼く。

城主がいない隙を狙って、キッチンへ潜入。

何かを作らずにはいられず、ありあわせの材料で、菓子を焼く。

インド料理用の鍋をボウル代わりに、卵白を泡立てて……

卵黄、小麦粉、砂糖、レモン汁、ヨーグルト……。

今日はあっさり、ヨーグルトケーキを。

ふんわりと焼き上げたあとは、少しさまして、

ミルクティーを煎れて、一緒に。

少し風邪ひきの夫と、窓辺のテーブルで、午後のおやつタイム。


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