最新の片隅は下の方に

OCTOBER 1, 2005  ナパ・ヴァレー。ブドウ畑とワインの週末。<土曜日>

土曜の朝。今日はナパ・ヴァレーまでドライヴだ。ナパそしてソノマは、カリフォルニアワインの産地として有名な場所。サンフランシスコの北、数十マイル先にある。

「ぼくは日曜、仕事をしなきゃならない」

夫が言うので、本当は1泊したかったけれど、日帰りにした。けれど出発前、「万一のこと」を考えて、こっそり着替えと歯磨きセットをバッグに詰め込む。もちろん夫の分も。

本当は、2時間もあれば到着するはずなのだが、うっかりベイブリッジを渡ってサンフランシスコ市街に向かう渋滞に巻き込まれたり、Uターンしようと下りたベイブリッジの中ほどにあるトレジャーアイランドで、ぐるぐる道に迷ったりして(でも、トレジャーアイランドからのベイブリッジとサンフランシスコ市街の眺めは格別だった)、結局3時間近くも費やした。

助手席で、レストランのリサーチ担当者である夫が、ガイドブックをめくりながら、予約の電話をかけている。「ともかくは、眺めがいいところに行きたい。料理がおいしいこともさることながら」というのが、わたしのリクエスト。すでに午後2時だというのに、第一候補のレストランは満席とのことで、第二候補のイタリアン「ドン・ジョヴァンニ」へ。

ブドウ畑のただ中にある、中庭の美しいレストランのテラス。まずはスパークリングワインで乾杯。前菜は、シーザーサラダ、それからカプレーゼ(トマトとモッツアレラチーズ、ベイジルのサラダ)。カンファレンスに参加するため、フロリダから来たという隣席の男性二人は、食事を終えて幸せそうな顔。心を込めて「おいしかった〜」と、口々に。彼らの勧めに従って、パスタを。

挽肉入りのフェトチーネとアサリのトマトソーススパゲティ。これらがもう、格別! 普段はパスタばかりを2皿頼んだりはしないのだけれど、これはもう、頼んでよかった! さもなくば、奪い合いになるところだった。イタリアの、小さなパスタ会社から取り寄せているパスタだというそれは、歯ごたえがすばらしい。しゃきっとさえしていている。こんなおいしいパスタ、イタリア以外で食べるのは初めてだ。

もう満腹だけれど、デザートも試さずにはいられない。ティラミスを一つ頼んだ。運転担当のわたしはダブルエスプレッソを飲み、酔いをさます。

あまりにものんびりと食事をしていたせいか、すでに時計は4時をさしている。南北に伸びるルート29を北上しながら、目にとまったワイナリーに車をとめ、庭を歩いたり、テイスティングルームをのぞいたり……。

以前取材で訪れたことのある、BERINGERのワイナリーへ再び。ワイナリーのツアーとテイスティングに参加することにした。最終のツアーは4時45分スタートで6時ごろまで。すでに夜になってしまう。

「今日、一泊していこうよ」
「でも、着替えがないでしょ」
「大丈夫、持ってきてるよ」
「ほんと!? じゃ、泊まろうか?」

すっかりいい気分の夫はもう、仕事のことは忘れたらしい。とはいえ、土曜日。空室はあるだろうかと、ワイナリーでもらった小冊子をめくりながら、ツアー開始までの15分間、あちこちの宿へ電話をする。どこも満室であきらめかけていたところ、ダウンタウンのホテルに空室があった。即、予約をいれる。

BERINGERのワイン蔵を巡り、ブドウに触れ、4種類のワインをテイスティングし終えたころには夕暮れ。ランチタイムに飲んだスパークリングワインみたいに、空はほんのりピンク色。ダウンタウンへ向けて車を走らせる。

河畔のホテルにチェックイン。ランチをたっぷり食べたせいか、いつまでたってもお腹が空かず、今夜はもう、ワインだけを楽しもうと、暖炉の傍らで、赤ワインを。秋の始まりに、よく似合う色をした夜。

よかった。着替えを持ってきていて。

 

OCTOBER 2, 2005  ナパ・ヴァレー。ブドウ畑とワインの週末。<日曜日>

朝、窓を開くと、青空に熱気球が浮かんでいる。あの気球に、いつか乗ってみたいものだ。川を見下ろすテラスで朝食。

ルート29に並行して伸びる、今日はシルヴェラド・トレイルを走る。ここもまた、ワイナリーの点在する眺めのよい道。

まずはLOS DU VALというワイナリーへ。ここで4種類のワインをテイスティング。それから、スパークリングワインで知られるワイナリー、MUMMへ。テイスティングは無料のところもあるけれど、有料のところで、ゆっくりと味わうのがいい。

MUMMは他のワイナリーと違い、ぶどう畑を望むテラスのテーブル席で、ゆっくりワインを味わうことができる。

「ここのテイスティングのサーヴィスはいいですね」とウエイターに言ったところ、彼曰く、通常、ワイナリーはワインを買ってもらうための「テイスティング」はさせられるが、テーブルでワインを供すると、それは「バー」という概念になるため、そのためのライセンスが必要になるのだという。それはカウンティ(郡)の法律によって、定められているのだとか。

MUMMは、そのライセンスを持っているから、こうしてテーブルでサーブすることができるのだという。ゲストにとっては、この方がはるかに気分よく、テイスティングできていい。ゆっくりと味わって、気に入ったスパークリングワインを1本買った。

いくつかの、眺めのよいワイナリーで車を停め、見学をしたあと、昨日のランチで行きそびれた第一候補のレストラン、「オーベルジュ・デュ・ソレイユ」へ。

「こういうところに、来たかったのよ!」

という、そこはまさに、理想的な場所にあった。小高い丘の上から、ぶどう畑を見下ろすダイニングルーム。緑の匂いがする風が吹き込んでくるテラス。

白ワイン。トマトスープ。ウズラのグリル添えサラダ。フィレステーキ。ウサギ肉のグリル……。

食事も、情景も、気分も、何もかもがすばらしいランチだった。

ここは、我が人生、心に残るすばらしいランチ(レストラン部門)ベスト10に入る。

「僕は、運転しないよ」

「わたしもしたくない。っていうかできない」

水を飲み、エスプレッソを飲み、テーブルで長々と過ごし、それからオーベルジュの庭を散策する。そうしてようやく、車に乗り込む。シルヴェラド・トレイルをまだしばらく北上して、ぶどう畑を歩き、それはいけないことなのかもしれないけれど、ぶどうを一粒二粒、口に入れて、それがまたおいしくて、本当に気分のいい午後。

結局は、わたしが運転をし、夫は助手席ですやすやと。家に着いたのは夜の7時で、夫はそれから仕事を始めた。

思いがけず、すばらしい週末だった。

(ワイナリーの写真は、後日、アップロードします。)

 

OCTOBER 3, 2005  LUCKY!

最近じゃ、びっくりするほど高い値段のジーンズがある。それはもう、ジーンズでありながら、ジーンズではない。それを履くと脚が5センチは長く見えるとか、ヒップがきれいに見えるとか、明らかな利点があるならまだしも、あれこれ試着してみるが五十歩百歩だ。そんなわけでいつもは、ジーンズらしいリーズナブルさと履き心地のよさから、リーヴァイスで買う。でも今日は、以前、夫が買ったラッキーブランドのジーンズがとてもよさそうだったので、レディスはどうだろうかと試してみることにした。店の人が選んでくれた一本を試着したら、あらまあピッタリ! 値段はリーヴァイスの倍だけれど、こんなにしっくりくるのなら悪くない。いざ支払いの段になって、「このデザインは今、半額セール中です」と彼女。あらまあ、それはラッキー! 家に帰り、紙袋から取り出す。ポケットに何か入っている。中国料理店で出されるフォーチュンクッキーのおみくじを模した紙切れ。「自分の判断を信じて。幸運はあなたと共にある」「ラッキーナンバーは08、14、24、31、36、37」。わたしの誕生日も入っている。四つ葉のクローバーが愛らしい。ジーンズ1本に、なんだかとても、縁起を担いでもらっている気がする。

 

OCTOBER 4, 2005  THANK YOU!

KEEBLE & SHUCHAT
PHOTOGRAPHY

290 California Avenue,
Palo Alto, CA 94306
650-327-8996

http://kspphoto.com/

カメラを買って2カ月もたたないのに、写真に汚れが見えるようになった。レンズにではなく、内部のセンサーにゴミがついてしまったらしい。込み入った被写体だとわからないけれど、青空を撮るとそれが見える。コンピュータ上で加工することはできるけれど、いずれにしてもきれいにしたい。説明書を見るが、自分で掃除をするのにはリスクを伴うから、CANONのサーヴィスセンターに持っていくよう勧めている。とはいえ、サーヴィスセンターなど近くにない。いくつかのカメラ専門店に行ったが、別の工場に送られるとかで、4週間から8週間かかるという。値段は75ドルとか100ドルとか。CANONに送るとオーヴァーホール扱いとなり200ドルだという。みんな、こんな汚れをどうしているのだろう。

昨日訪れたカメラ店のお姉さんが言った。KEEBLE & SHUCHATなら、掃除をしてくれるかもよ。早速、車を飛ばす。そこは、プロ写真家が利用する写真・カメラ専門店だった。修理部門に持っていったら、「これはサーヴィスでやりますよ。でも担当者は今日、休みですから、仕上がりは明日になります」

今日、カメラを受け取りに行った。「本当に、助かりました。無料では申し訳ないので、いくらかお支払いします」と何度も言うのに、温厚なそのおじさんは、「うちは修理ではお金を取るけれど、クリーニングはサーヴィスなんです」と、受け取ってくれない。カメラ片手にゴーグルみたいなメガネをかけた職人気質のおじさんが背後から、「今回だけ無料。次はちゃんと払ってもらうよ!」と笑顔。「では、この次から、何かあったらここに来ます。それから、ここで買い物もします」と宣言した。早速、カメラを保護するカヴァーを買った。今度から、埃をつけないように、気を付けようと思う。

店を出て、シャッターを切る。……淀みない青空!

 

OCTOBER 5, 2005  チョコレート工場

夫の帰りが遅くなると言うので、一人で映画を見に行くことにした。隣町、サンタクララの映画館。"Charlie and the Chocolate Factory"。ジョニー・デップが好きだから、という以上に、ものが作られていくさまを眺める「工場見学」が好きなので、 見ておきたいと思っていたのだ。もちろん、チョコレートも好きだしね。

チケットを買って、少し時間があったから、ファストフードで夕食。たまにはこんな「アメリカンな夜」も楽しい。ポップコーンを買って、シアターに入る。すでに公開開始からずいぶんとたっているせいか、お客は全部で5組ほど。まるでホームシアターのよう。

ユニークで、楽しい映画だった。

ただ、「拾ったお金」で買ったチョコレートに、チョコレート工場への招待券が付いていたことに、違和感を覚えた。「拾ったお金を迷わず自分のものとする」ことが、至極当然のように描かれているシーンを見て、そこはかとない抵抗感を抱いた自分を、果てしなく日本人だなと思う。

それにしても、あの「とろとろと、とろけるチョコレート」の様子は、なぜあんなにも、魅惑的なのだろう。

 

OCTOBER 6, 2005  何を撮っているの?

バルコニーから見える、サニーヴェール・ホテル。
それはおよそ、ホテルと呼ぶには似つかわしくない、建物。
長逗留する人たちの、下宿のようなたたずまい。
ヘルメットを被ってマウンテンバイクと共に出てくる人や、
スーツを着て出てくるビジネスマンや、
時間を持て余している風の、煙草片手のだらしない服装の人が、
出入りしているのを、ときどき見かける。
そのホテルに、カメラを向けるおじさん。何が見えてる?

 

OCTOBER 7, 2005  日本

サンノゼ日本町にあるジャパニーズ・アメリカン・ミュージアムへ行った。ここでは、1900年代初期に移民として訪れ、この地に根付いていった日系アメリカ人たちの歴史の断片を垣間見ることができる。

展示品の多くを占めているのは、真珠湾攻撃から半年後、1942年5月から終戦までの、3年以上に及ぶ強制収容所での暮らしをしのばせるもの。

当時、太平洋に面した州、つまり西海岸一帯に暮らす十数万人の日本人は、全米十カ所の、荒野のただ中に造営された粗末な収容所に送られた。

しかしここで見られるのは、苦悩や悲哀ばかりではない。逆境のただ中にあり、しかし前向きに生きる当時の人たちの、生き生きとした生命力が漂っている。

案内をしてくれたヴォランティア・スタッフのミスター・テラカワは、京都出身の日系二世。3歳のときに日本を離れたから、日本語ではなく英語が母国語だ。彼は戦時中、内陸部に住んでいたから、強制収容所行きは免れた。けれど、"Jap!" "Jap! "と蔑まれ、困難の日々を送ったのには違いない。

戦時中はまだ12歳だったから、出征はしなかったものの、当時22歳の兄はアメリカ兵として戦い、命を落とした。

彼自身は、朝鮮戦争に行った。その帰りに京都へ行った。それ以来、日本へは帰っていない。彼の息子は、湾岸戦争に行った。常に戦争が身近にある人生。けれど彼は、始終屈託がなくて、悲劇を説明するにもユーモア混じりで、たとえば当時の女性たちのヘアスタイルを見て、「みてごらん、これ、ハイスクールの卒業写真。おかしいね〜」と笑いながら、説明する。確かにすごく、おかしいのだけれど。

閉館の3時を過ぎる頃まで、狭いミュージアムを、しかしゆっくりと、ミスター・テラカワの話しを聞きながら、1時間以上かけてまわった。

帰りに、和菓子屋でお饅頭を4つ買った。それから、サンノゼ豆腐に寄った。なみなみと水が張られた大きな流しに、整然と並ぶ白い豆腐。そのさまの、懐かしいこと。豆腐を1丁と、それから油揚げと、おからを買った。本当は、他に立ち寄る場所があったのだけれど、豆腐が悪くなったら困るから、ハイウェイを飛ばして一旦、帰宅した。

冷蔵庫にしまうまえに、豆腐を少し、お皿に取り分ける。一口食べてびっくり。それはそれはおいしいのだ。NIJIYAでサンノゼ豆腐を何度も買ったけれど、同じ豆腐のはずなのに、味わいが格段にいい。できたてだから、だろうか。それとも、ミュージアムに行って、いろいろな感情が加味されたから?

滑らかで、濃厚で、風味のよい木綿豆腐。もう少し、お皿に取り分けて、生姜をすり下ろし、醤油をかけて食べる。

そうだ、と、油揚げをオーブントースタに入れる。パチパチと油のはぜる音。その香ばしく焼けたのを、軽く生姜醤油に浸してかじれば、ホワッと湯気があがり、これがまたおいしい! 相当においしい!

もうすでに、日本ですら味わえないような味が、こんなところに残っていることの奇妙さ。

自分の中の日本について、思いをはせながら、黙々と食べる午後4時のテーブル。

 

※ジャパニーズ・アメリカン・ミュージアムについては、後日「ヴァーチャル・カリフォルニアライフ」でレポートします。

 

OCTOBER 8, 2005  秋色市場でお買い物

涼しくてなお、日差しまばゆいカリフォルニアの秋。
ガーデナーな麦藁帽子を被り、あなたこそが農家のお方? 
お花売ります。果物売ります。という出で立ちで。

カートをガラガラ引きずって、土曜の朝のお買い物。

ポップコーンの、焼きトウモロコシの、香ばしい匂い。
売り切れる前にブリオシュとバケットを買いましょう。

ナシ、カキ、ブドウ……と秋の野菜や果物が並ぶ。
自然が織りなす暖かな色合わせ。

さて、来週の我が家に必要な食物を選びましょう。

橙色の、ボンボンみたいに愛らしき、菊かダリアか名を知らぬ花。

花はさておき、本日果物の主役は葡萄。
あれでもない、これでもないと食べ比べ、最後に見つけたこの葡萄。

皮が薄くて種がない、紫や薄緑の大粒の葡萄も悪くないけれど。
甘みいっぱいで、シャキシャキ歯ごたえ、それはそれでおいしいのだけれど。
それは葡萄とは、違う果物のようでもあるのだ。

けれどこのコンコード種(Concord)は、種もあるし、皮も厚い。
葡萄葡萄した味がする葡萄。
遠い昔、日本で食べた、懐かしい味がする葡萄。

まずは一房、分けて食べようと、冷水に晒し器に盛る。
ちょっと出遅れたしまったらもう、夫がほとんど平らげていた。

 

OCTOBER 9, 2005  おかしな木

もうあと一カ月もないと思えば、

行っておきたいところもやまほど。

今日はあのガーリックの町、ギルロイにあるボンファンテ・ガーデンへ。

ここには、おかしな形をした、サーカスツリーがいくつもあるのだ。

もちろん人工的に作られた、これらの木々。

こんな形ですくすくと育っているのが不思議。

 

 

 

OCTOBER 10, 2005  痛〜!

今日は月曜、お掃除日和。
洗濯機ガーガー、掃除機ゴーゴー、食器洗浄機グワングワン。何てうるさいアメリカの家電!

ピカピカの窓の向こうには、今日も青空ららららら〜。

ん? ん?? 何だこれは?
うわ〜っ。みごとな魚拓ならぬ鳥拓だ! 
痛かったろうにこの小鳥。さぞかし驚いたことだろう。
その後お加減いかがだろうか。

 

OCTOBER 11, 2005  パンプキン王国

この間、ハーフムーンベイに行ったとき「一生分のカボチャを見た」と思ったのに、

それどころじゃなかったこの界隈は。こんなにもパンプキン密度が高いとは。

ハロウィーンの夜は変装をして街へ繰り出すべきだろうか。

せめてパンプキンパイは食べておかなきゃね。近いうちに。

 

それはそうと、窓から身を乗り出しすぎですよ!

 

 

 

OCTOBER 12, 2005  微妙〜っ!

米国では、21歳未満の未成年者が酒類、煙草を購入してはならない。若そうに見える人には、ID(身分証明書)の提示が求められる。渡米したての30歳当時は、東洋人は若く見えることもあり、わたしも時に、提示を求められた。

夫が一時住んでいたヴァージニア州では、バーやレストランでも提示を要求された。ヴァージニア州やメリーランド州は未成年飲酒の取り締まりが厳しいのだ。未成年に酒類を提供したら、店も罰則を与えられる。実際、ポリスが巡回に来ているところを見たこともある。ちなみに両州は、酒類販売店も少ない。店側は念のため、どう見ても30歳過ぎと思しき中年の客にさえ、ID提示を求めていた。あるときIDを持たずに近所のレストランへ行ったわたしは、ビールが注文できずに、わざわざ家まで取りに帰ったこともある。

そんな話も今は昔。ここしばらくは、めっきりすっかり、尋ねられることもなく、そりゃ当然だ。そんな子供に見られてどうする。と思う反面、レジでちらっと顔を見られて、「ありえない」という表情で、ワインボトルをすいすいと右へ左へスキャンされると、少々つまらん。

前置きはさておき、初めて訪れた隣町のホールフーズマーケットのレジで、こんなサインを見つけた。

「もしもあなたが30歳以下に見えた場合、酒類購入時にIDの提示を求めます」

なにゆえに30歳? 幅を持たせたい気持ちはわかるが、微妙に問題を厄介にしてはいないか? たとえばわたしが29歳だったら。普通なら「ID見せて」と言われなくて当然だと思う。でも、このサインがあった上で聞かれなかったら、「わたしって、老けて見える?」と余計な自意識を働かせることになる。35歳くらいまでは、聞いてほしいものだと思うかもしれぬ。そんなことに思いを巡らせ、キャッシャーのお姉さんに「これって、なんか、微妙よね〜」と言ったら「そうなのよ〜」と笑いつつ、ビールを買うわたしに、半ば気を遣った様子で、やはり微妙な笑顔で、IDの提示を求めてくれた。人ぞれぞれ、気苦労があるのね。

 

OCTOBER 13, 2005  旅の途中。

あの、ガーリックフェスティヴァルのあった町、ギルロイには、ファクトリーアウトレットがある。
インド行きを控えて、カジュアルな衣類をまとめ買いしておこうと、車を飛ばした。
ポロ・ラルフローレン、ブルックスブラザーズ、バナナリパブリック、コーチ……
定番の、オーソドックスなデザインしかないけれど、いずれも激しく安くてうれしい。

帰りに、サンノゼのダウンタウンに立ち寄った。
夕食を済ませて帰ることにした。
通りかかったクラシックなホテルの1階。
窓の向こうにはイタリアンビストロ。

「一人なんですけれど……。窓際の席でもいいかしら」

そう尋ねても、いやな顔をされない程度の込み具合とカジュアルさ。
キャンティ・クラシコと、サラダとパスタ。

一人の夕食は、旅の途中の心を連れてくる。

28歳の春の、バックパックの列車旅行の、3カ月の孤独。
努力しても得られぬものがあった。叶わぬ思いに絶望しながら、ひたすら歩いた。
まだ見ぬ世界に光を求め、まだ見ぬ未来に望みを託し、
反芻する負の感情にやがて疲弊し、ただ前に向かって歩き続けるしかないのだとわかった。

アッシジの丘のレストランの、夕映えのウンブリアの大地見下ろしラム肉のシチュー。
アラッシオの海辺のホテルの、夕陽に染まるダイニングの白いテーブルクロス白ワイン。
噴水の縁に腰掛け頬張るサンドイッチ。こぼれ落ちるパンくずをついばむハト。

どこまでも、続く旅路。ただ前に向かって歩き続けるしかないのだ。

 

OCTOBER 14, 2005  静寂

このごろは日暮れも早い。

ひとひ24時間のうちの、

太陽の序章から終章までの時刻はいつだって、ほんとうにいつだって、

この場所は、うつくしい。

地球の呼吸が、町にあってなお、聞こえてくる。

朝な夕なに、バルコニーに立ち、ただ、じっと立ち、

その呼吸に、耳を澄ます。

 

OCTOBER 15, 2005  日本から来ました。

今日のファーマーズマーケット。

日本の梨と日本の柿を買った。

それと、先週の葡萄を。

もう一度、味見比べても、

やはり格別においしかった。

 

OCTOBER 16, 2005  うつくしい日曜日

サニーヴェール・サラトガアヴェニューを、ひたすら南西に向けて走る。

やがて木々が通りを包み込み、山並みが目前に迫ってくる。

サラトガの町を過ぎ、ほどなくしてロスガトスに。

いずれの町も、古くからある佇まいの家々、町並み。

車を停めて、しばらく町を散策する。

乳母車を押す若い夫婦。犬やオウムを連れた人。サイクリングで風を切る。手をつなぐ老夫婦……。

朗らかな笑顔をたたえた人々の間を縫い歩き、それから、ホテル・ロスガトスへ。

今日の午後は、ここのスパで過ごすのだ。

サンデーブランチのテーブルで、ミモザを飲み、主にはシーフードの前菜とサラダを。

それからエッグベネディクトを一つ。ほのかにレモンが香るオランデーズソース。

デザートにクレープを焼いてくれると言うので、それならばとベリーたっぷりのクレープを。

窓辺のテーブルで、コーヒーを飲みながら、予約の時間まで本を読む。

その、パティオが美しいホテルの、スパ。

少し早めにチェックインをして、シャワーを浴び、スチームサウナに入る。温かな霧。

そしてマッサージと、フェイシャル。

終えれば身体が軽く心地よく、外に出る頃には薄暮。

山あいから上るは大きな満月

いよいよ明日からは、インド行きに向けての準備を。

一つ一つを確実に、片付けていこう。もう、次の世界は目の前。

 

OCTOBER 17, 2005  キティはみんなの人気者

1985年。今から20年前。初めてこの国を訪れたとき、すでにキティは人気者だった。

英語の下手くそなわたしを、まるで「子分扱い」していたホームステイ先の4歳女児クリスタも、キティが好きだった。

「キティはね。日本から来たんだよ」

と教えても、

「嘘! キティはアメリカン!」

と、信じてはくれなかった。

そんな話はさておき、この1カ月、キティをあしらった車を何度か見かけた。

ライセンスプレートのフレームがキティの黄色いフォルクスワーゲン・ビートル。

バックミラーにキティをぶら下げた、ダークブルーの汚れた4WD。

給油口の扉に、シンプルなキティが目を引く、白いホンダ・アコード。

ニューヨークでも、ワシントンDCでも、一度も見かけたことはなかった。

西海岸は、何にしても、軽やかである。

 

OCTOBER 18, 2005  冷血

先週の木曜日の夕暮れ、一人で映画館へ行き、CAPOTEを観た。主人公は、"Breakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)"などの作品で知られる米国人作家トルーマン・カポーティ。実際に起こった農場主一家殺人事件に関心を持ったカポーティは、死刑囚となった二人組犯人のうち一人と深く関わり、犯罪の本質に迫るべくノンフィクション小説"IN COLD BLOOD(冷血)"を書きあげた。この映画は、カポーティが事件を知り、犯人らが死刑執行されるまでの5年間を再現したほぼノンフィクションだった。重く、かなり気が滅入った。と同時に、深く引き込まれる映画だった。だから、日曜日に夫が「僕も観たい」と言ったとき、わたしも再び、銀幕に向き合ったのだ。聞き取れなかった会話が多すぎたから「復習したい」という思いもあり。今度はもっと集中して観ようと思った。しかし二度目もまた、肝心な犯人の独白がよく聞き取れず、別の意味で気が滅入った。それはさておき、読んだことのなかったカポーティの作品を読みたいと思った。原作を読む根性・余裕がなく、今日サンノゼの紀伊國屋に行った折、訳書を買った。情けないが、何も読まないよりはましだ。これを読んで、もう一度、映画を観たいと思う。

 

OCTOBER 19, 2005  これでいいのだ。

日本では、本日10月20日。母の誕生日だ。

誕生日を祝うためにケーキを買った。

マンゴームースと、チーズケーキ。

お誕生日、おめでとう!

食後、母に電話をしたあと、紅茶を煎れて、夫と二人でケーキを食べた。

おいしかった。

……?

 

OCTOBER 20, 2005  青空たいよう風ひかり緑

この場所での日々をいつしか、

名残惜しく、思い返すならば、

いつだって晴れていた午後の情景。

 

もう何度となく記したけれど。

窓から吹き込む風。

木の葉のざわめき。

ゆらゆらと木漏れ日。

くっきりと光と影。

花瓶の中できらきらと、

光が揺らめくさまなど。

温かな日溜まりの中に身を置くときの、やさしげな気持ち。

 

 

OCTOBER 21, 2005  有朋自遠方来 不亦楽乎

明日土曜日、友人の結婚式に出席するために、ワシントンDCからシルヴィアとアンドレイがベイエリアへ来た。早朝の便で到着した彼らは、サンフランシスコ観光をしたあと、夕方、我が家へ。うちに2泊してゆくのだ。荷をほどき、一段落の後、プールサイドのジャクージーへ。アンドレイは明日のシャツにアイロンをかけるからと、部屋に残る。わたしとシルヴィアは、たなびく湯気に包まれて、お互いの近況報告を。いつしか空は薄紫色。部屋に戻ってシャワーを浴びて、ビールを飲む。ちょうどそのころ、夫も帰宅。サンタナ・ロウまで車を飛ばし、いつものシンガポール料理店で夕食。フルーティーなマティーニで、久々の会合に乾杯。ここに来て以来の4カ月、こうして友人と会う機会はとても少なかったから、特に仕事のことばかりだった夫は、気のおけない彼らと話しができて、ことのほかうれしそう。食事を終えて、家に戻り、しばしおしゃべりの続き。ジョージタウン、デュポンサークル……。ワシントンDCでの日々が、もう遠い過去。はっとするほど、懐かしい。

 

OCTOBER 22, 2005  Carmel-By-The-Sea 海辺の町で過ごす土曜日。

今朝は珍しく、雲が厚い。シルヴィアとアンドレイを送り出した後、ファーマーズマーケットへ。買い物を終えることには、青空が広がり、さてわたしたちも出かけることにしよう。

「海を見に行こう」

と、夫が言うので、以前、母が来たときに行ったモントレー半島へ行くことにした。あのときは曇天だったから、晴天の17マイルドライヴを、走ってみようと。

ルート101を南下して、海岸線へ向けて進路を西に変える頃、再び厚い雲が空を覆い始めた。あら。また曇り? うちの近所は晴れていたのに、わざわざ雲を追いかけて来たのかしら。17マイルドライヴを走るには、不向きな天気。

カーメル・バイ・ザ・シーに車を停めて、ここでしばらく過ごすことにした。

アンティークショップやアートギャラリー、ブティックやインが立ち並ぶ、チャーミングな海辺の町。まずは目にとまったイタリアンレストランへ。暖炉のそばのテーブルで、少し遅めのランチを。食事を終えても、空はまだ灰色で、今日はこのまま、晴れることはなさそうだ。

人通りの賑やかな町を、そぞろ歩く。小さなホテルの庭から、アフタヌーンティーのテーブルで、ギターと歌の演奏が聞こえてくる。そこでしばらく、音楽鑑賞。

店主の個性がにじみ出た、ファッションブティックや小物店やジュエリーショップを、のぞきながら、歩く。

菜の花畑の絵に、吸い込まれてギャラリーへ。Thomas Jessenというドイツ人男性画家の作品。

しばらく歩いて、それからカフェに行き、ソファーに深く身を沈め、カフェラテを飲みながら、窓の外を眺める。

今のわたしたちには、考えなければならないことが、ごまんとあるような気がする一方で、何もかもが無性に軽い気もする。

さて、シルヴィアとアンドレイが帰ってくる前に、わたしたちも家に帰ろう。

家に近づくほどに、夕空が澄み渡って、星が一つ、二つ三つと煌めいている。

やがて彼らも帰ってきた。この間ナパで買ったスパークリングワインを開け、赤ワインを開け……。

特にわたしは、誰よりも飲み、より一層饒舌になり、ずいぶんとご機嫌な夜だった。

 

OCTOBER 23, 2005  うつくしい日曜日ふたたび。

遅めの朝食を食べる。

4人は、ずっとしゃべっている。

それから、4人は、ロスガトスの町へ。

先週、ひとりで出かけた、山あいの、果樹園の町。

スペイン語で「猫」という名の町なのに、

なぜかむやみやたらと、犬が多い。

昨日とはまるで違う、この青空と暖かさ。

なんてゴージャスな日。

あちらこちらで、記念撮影をしながら、

町をそぞろ歩き、

ワインセラーと言う名のレストランで、ランチ。

食べ終わってもいつまでも、

心地いいテーブルから動けずに、

ただ、しゃべりつづけて、

やがて山の向こうに太陽が隠れると、

急に気温が低くなり、さて、そろそろ彼らも空港へ行く時刻。

この次にはどこで会えるだろう。

バンガロア?

ニューヨーク?

ロンドン?

福岡?

ブカレスト?

また会える日を楽しみに!

 

 

OCTOBER 24, 2005  熱狂インド

サンノゼの紀伊國屋で取り寄せを頼んでいた
週刊ダイヤモンドのインド経済特集が、日本から届いた。

インド家族からは、連日のように電話や電子メールが入り、
急速に、インドが近づいてくる。

折しもカリフォルニアは、急な冷え込みと日の短さが身に染みる、ガランとした静寂。
あらゆる密度の濃いインドへ行くには、ちょうどいい季節。

OCTOBER 25, 2005  このごろはくもり

あれほど、あきれるほど、青空だったこの地も、曇ることがやはりあったのだ。

ここ数日は、昼過ぎまで雲が晴れないこともあり、

それでもまだ、雨の日は一日しか知らないけれど。

雲が厚いと、気分も淀む。

 

雲間からこぼれる太陽が山の稜線を照らすさまや夕映えはしかし、

雲が空にあってこその、麗しき景観。

OCTOBER 26, 2005  死の名簿

イラクで死んだ米兵士が2000人に達したという。
うち995人の名簿が、ニューヨークタイムズに公開されていた。
若く、溌剌と、ほとばしる命が。
彼らに50人の身内・親戚がいるとして、50人の友がいるとして、
20万人が悲しみに打ちひしがれている。
そして米兵士の、何倍もの、いや何十倍もの人たちが、
いまでもイラクで死につづけている。
無数の悲しみが大地を覆っている。

OCTOBER 28, 2005  強力なねずみ

あたらしいマウスを買った。

ずいぶん、使いやすくなっていた。

Mighty Mouse。

なにしろ、強力なねずみ。

 

OCTOBER 29, 2005  青空

近所のインド系旅行代理店へ、航空券を取りに行った。スタッフの女性らはみな、ブルー系のサルワールカミーズを着ていた。我々のスケジュールの、変更に次ぐ変更。しかしそのたびに的確な対処をしてくれた担当者の女性。今日、初めてその担当女性に対面した。笑顔で挨拶を交わし、航空券を受け取り、ホテルのバウチャーを受け取り、しばしおしゃべりをして、オフィスを出る。直後、夫曰く、

「彼女、いい人だよね。知的で仕事ができるって感じで……。でも、ぼく、すごく美しい女性を想像してたんだ」

無念の表情でいったいあなたは、何を期待していたの?

見上げれば、椰子の木。そして柿の実

ランチを食べようと、隣町のマウンテンヴューまで車を飛ばし、タイレストランのテラス。今日もまた見事な空。

「みほ。この青空を、名残惜しいと思わないの? 本当に、インドに行きたいの?」

無念の表情でいったいあなたは、何を惜しんでいるの?

ここを離れる段になって、二言目には、"Third World(第三世界)"、とか、"Primitive Country(原始的な国)"とか、"Developing Country(発展途上国)"とか、"Dirty, poor(汚くて貧しい)"とか、母国を形容する彼。

このごろは、彼の葛藤もよくわかる。日本人であるわたしにとっては、インドに対する好奇心や興味が、諸々の不便や不都合を凌駕している。インド人である彼にとっては、敢えて脱出した母国に舞い戻るには、多分、確固たる大義名分が必要なのだ。ともあれ、互いの思惑に相違があって当然。

インドにだって、青空はあるよ!

 

OCTOBER 30, 2005  REMEDY/ WISH/ QUALITY OF LIFE

いつもは別々に出かけていた、近所のドクター・リー。台湾出身の、鍼のドクター。そもそもは、シリコンヴァレーで働いていたエンジニアだった彼は、思うところあって「脱サラ」し、鍼のドクターとなった。とても知的で、穏やかな人で、夫は彼に、「鍼治療」以上の治療を、受けてきた。

そんな彼のところへゆくのも、今日が最後。二人一緒の時間に予約を入れた。日曜の、朝の10時。

「早く起きて! ドクター・リーのアポイントメントが入ってるんだから」

温かなブランケットからゆっくりと抜け出して、ゆっくりとシャワーを浴びている夫。もう、待てないよ! 妻は、一足先に家を出る。……ん? なんだか町の様子が違う。日曜とはいえ、静かすぎる。駅の時計台の鐘が鳴る。ん? 9回? 携帯電話を取り出せば……。昨日でサマータイムは終わっていた!

「1時間」を受け取ったわたしたちは、近所のカフェへ。わたしは読みかけの『冷血』を、夫は新聞を読みながら、思いがけず、心静かな朝。

そうしてドクター・リーのところへいき、じっくりと治療をしてもらう。二人気だるくリラックスして、椅子に座り、3人で、我々の行く先を語り合う。仏教を学び、サンスクリット語を学んだドクター・リーは、いつか必ず、インドに行きたいのだと言う。

いつものように、彼はペンを取りだして、「これは易経 (I Ching) の言葉なのだけれどね」と言いながら、紙片にすらすらと、文字を書き始めた。

(易)窮則変 変則通 通則久

窮すれば則ち変ず、変ずれば則ち通ず、通ずれば則ち久し

壁にぶつかれば、方向を変えればいい。方向を変えれば、新たな道が拓け、未来に通じるかも知れない。何事も窮すれば必ず変化が生じ、変化が起これば必ず通じる道が現れる。通じる道が見つかれば、こっちのもの、である。

帰り道、マーフィー通りのチャイニーズでランチを食べる。それから、小さなブックストアへ立ち寄る。『冷血』は、夫にも読んでほしいし、やはり英語で読まなければだめだと思ったと悟ったので、最後の一冊となっていた"In Cold Blood"を買う。

「ゆんべ二時間と寝ていねえですだ。」と、東北弁をしゃべる小作人や、父親を「とっつぁん」と呼ぶ殺人者や、なにかにつけ「こちとら」という町の衆や、「二人とも首吊りになるべえよ」と言う死刑囚の父。翻訳されのが昭和42年とはいえ、会話の端々に脱力してしまってもう。

午後はそれぞれ、読書をしたり、仕事をしたり、片づけをしたり……。

やがて日が翳る頃。郵便物を取りに行こうと外へ出たら、紫色の空にオレンジ色のフェニックスが飛んでいた。大急ぎで部屋へカメラを取りに行く。

思えばここに到着する1週間前、サンタフェでも、空にフェニックスを見た。そして今日もまた、旅立ちを1週間前にして。まるで前途を祝されているように、その偶然を、しかしかけがえのない幸運のように思う。今日は日曜だから配達はないのだということを忘れて、郵便物を取りに行かなければ、見逃していた、ほんの一瞬の祝福。

人生の質を組成する要素は、「思いこみ」に拠っている部分も大いにあるのだということが、最近ではよくわかる。

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