最新の片隅は下の方に

APRIL 1, 2005  4月1日のできごと

今朝、ベッドの上で瞼を開いたら、窓の向こうに広がる、澄んだ青空が目に飛び込んできました。とてもよい眺めでしたので、しばらくは起きあがらずに、その青空を見つめていました。すると、まるで空から溶け出したみたいに、青い小鳥が現れて、わたしたちの窓辺へ舞い飛んで来ます。

わたしは起きあがり、静かに窓辺へ歩み寄りました。小鳥はその黄色いくちばしに、小さな緑色の葉っぱを、くるくると回すようにしながら、くわえていました。わたしがそのさまを見つめていると、小鳥は葉っぱを窓辺にはらりと落とし、「ピョロロ」と一声、かわいらしく鳴いたあと、ハタハタと、また青空に溶けこむように飛んでいきました。

夫はまだベッドですやすやと眠っています。わたしは窓を開けて、その葉っぱを見つめました。つやつやとした、黄緑色の新芽です。葉っぱの中ほどに小さく、"Spring" と読めます。葉っぱを拾い上げたら、その文字が、さらさらと金色の粉になって、風に舞い飛びました。きらきらと朝日を受けて、あたりが一瞬、ぱあっと明るくなりました。ようやく、春が来たのです。

わたしは弾むようにベッドに飛び乗り、「春が来たのだから、起きてください」と、夫をゆさゆさと揺り動かし、冬眠から起こしました。それからわたしはキッチンへ行って、今日のために用意していた茶色い卵を籠からたくさん取りだして、ゆで卵を作りました。湯気が立ち上るあつあつの卵の殻をむき、大きなボウルに入れて、胡椒をふりかけ、マヨネーズと混ぜ合わせます。

それから食パンを、丁寧にスライスして、数え切れないくらいの卵サンドイッチを作ります。サンドイッチと紅茶のポット、それからナプキンを何枚か、バスケットに入れて、出発です。今日はスイセンの合唱を聴きに行くのです。春が来た日、スイセンは歌います。それを卵サンドイッチを食べながら聴くのが、毎年の、わたしたちの「ならわし」なのです。

街では早速、春の準備が始まっています。水色や黄色の家々は、ペンキの塗り替えが行われています。その様子を眺めるのは、とても楽しいものです。街を抜けて、運河を渡り、しばらくは木漏れ日の中を歩きます。やがて緑の丘の、木のふもとから、スイセンの歌声が聞こえましたので、今日はそこで過ごすことにしました。

黄色や白の、スイセンのハミングを聴きながら食べる卵サンドイッチは最高の味です。パンもいい具合に焼けています。途中から赤い小鳥もやってきて、ときどき一緒に歌います。「もうたくさん」というくらい、食べ終えるころには、ポットの紅茶もぬるくなって、夕陽が丘の向こうに沈んでいきます。

赤い小鳥たちは、ぷるるんと身震いをして、夕陽に向かって飛んでいきます。瞬きをする間にも、紅色の空に溶けこんで、もうすっかり、見えなくなってしまいます。わたしたちも、立ち上がって、洋服に付いたパンくずを、たんたんとはたいて、スイセンにお礼を言い、手をつないでハミングしながら、家に帰ります。

 

APRIL 2, 2005  アフリカの木

アメリカの、ことに冬の空気はとても乾いていて、だから渡米して間もなかったころの冬は、肌荒れに悩まされた。歳を重ねるごとに、身も心もこの国になじみ、今では乾きにも慣れたけれど、冬のハンドクリームは欠かせない。

いろいろなハンドクリームを試してみた末に、ようやく出合った。これが、今は一番のお気に入り。アフリカの、シアという木の、実からとれる油脂「シアバター」がたっぷりと入ったクリーム。塗ったあとはしっとりと、いつまでも潤っている。優しい匂いがする。肌がふわふわする。しばしば塗りたくなる。

 

APRIL 3, 2005  サマータイム

夏時間が来た日。
まだ明るいうちの夕餉。

雲間から琥珀色の夕陽がこぼれて、
彼方の街を、照らしているさまを、
あつあつのスープを、
ふーふーしながら、
食べながら、眺めながら、

もう今年は、春を飛び越して夏が来てしまうんじゃないかしら、

などと言いながら、
日が長くなり始めるこの日は、
もう目に見えて空気が違ってしまい、
大切な贈り物をもらったみたいに、
不思議なくらいにわくわくとした、
気持ちにさせられるのだ。

 

APRIL 4, 2005  本当

「この間は、ピクニック、楽しそうだったわね〜」 と母が言う。

「え? いつの?」

「卵サンド持って行ったんでしょ?」

「やだ〜! お母さん、本気にしてたの? あの4月1日のできごとは、作り話よ! エイプリルフールでしょ!」

「え〜! そうだったの?!」

受話器の向こうとこちらで、大笑い。

母がどのあたりまでを、本当と思っていたのかは定かではないけれど、
あの日の出来事は、すべては作り話。

けれど母と話をしているうちに、
あんなことが起こっても、あまり不思議ではないな、この場所にいると、
という気もしてきて、

最早、過ぎてしまったことは、本当かそうでなかったかなんて、
問いたださなくてもいいことが、たくさんあるようにも、
夕暮れのカテドラルのあたりを歩きながら、思った。

 

APRIL 17, 2005  

ほんの少し、目を離していた間に、春が世界を包んでいた。

咲く花あれば、散る花あり、散る花あれば、咲く花あり……。

春の波動が一面に、広がって広がって、

生き物らはみな、沸き上がる衝動のままに、諸手で日差しを受け止める。

(今日の光景)

 

APRIL 18, 2005  歩く日

窓から差し込んでくる朝日が、もう本当に、黄金色をしているのだ。
そのきらきらとした光のもとで、ゆっくりとヨガをして、一日を始める。
掃除をして、洗濯をして、きれいになった部屋に風を送りながら、
すがすがしい心持ちで、窓の外を眺めながら、さて、机に向かおうとするけれど、
もう、まるで落ち着きのない子どものように、いても立ってもいられない思いで、
歩きやすい靴を履き、帽子を被って、町へ出る。もう、どこまでも歩いて行けそうだ。
日ごとに彩りを変えながら、春から初夏へと続いていく光景を、脳裏に焼き付けながら。

(今日の光景)

 

APRIL 19, 2005  あなたにも

このように美しいものらを、

ただひとりで眺めるのはもう、

もったいないほどなのだ。

(今日の光景)

 

APRIL 20, 2005  かわいいところ

一列にきちんと並んでいるところ

背筋をしゃんとのばしているところ

背丈がそれぞれ少しずつ違うところ

万歳するみたいに葉をひろげているところ

(今日の光景)

 

APRIL 23, 2005  ガーデンパーティー

インド人夫妻の家に招かれて、郊外まで。
広々とした庭を見下ろすバルコニーで、インド料理のガーデンパーティー。
ビールを飲みながら、チキンカレーにマトンのカレー、スパイシーな料理を味わう。
会話のあいまに、庭を散策。
木立に囲まれた子供のプレイグラウンド。
こんな広い庭があることが、決して珍しいことではないこの広い国。
わたしがもしも、こんな場所で育っていたならば……
と、しばし無意味な、けれど楽しい夢想をしてみる。

 

APRIL 24, 2005  見逃せない

去年の今ごろは、インドに行ったり日本に行ったりで、この街の春から初夏にかけての美しさを、楽しむような心境ではなかった。今年はもう、ここで迎える最後の春だから、だから美しきものをできるだけ、見逃したくはないと思う。国立樹木園のツツジも、散ってしまう前に見に行こう。曇天で、肌寒いにも関わらず、出かけた日曜の国立樹木園。まだツツジは七部咲きで、満開までは数日というところ。小雨がパラパラそぼ降る中を、時に傘を差しながら、静かに歩く。

この次は天気のいい日に、お弁当を持って、もう一度来よう。やっぱり日曜日は、晴れている方がいい。

(今日の光景)

 

APRIL 25, 2005  旅の名残

わたしたちの幸運は、食べ物の嗜好がとても似ていること。そのほかのことがらはともかく、食べ物のことで意見が噛み合わないことはほとんどない。英国に行ったとき、食料品店でWalkersのショートブレッドを目にした。

「ぼく、これ子供のときから、大好きなんだ!」
「わたしも! 帰りに空港で買って帰ろうね」

結局、空港ではチェックインに怖ろしく時間がかかり、手荷物検査も長蛇の列で、買い物をする暇がなく。帰国して、近所の高級デリで、わざわざ英国の味を購入する。熱い紅茶を入れて、ショートブレッドを少しずつ、囓りながら、味わいながら、いくつもの写真を眺めながら、旅の余韻に浸る午後。

 

APRIL 26, 2005  百年後

夕暮れの散歩。終着点のビショップス・ガーデン。ベンチに腰掛けて、聞き慣れたいくつもの小鳥のさえずりを耳に、見慣れたリスの姿を目に、思い思いに、それぞれのことを。
「このカテドラルは、本当にきれいだね」
「うん。ほんとに。」
「あと百年たったら、もっと美しくなるんだろうね」
「そうだね。イギリスの、あの古い教会みたいに」
「このカテドラルはまだ、新しいからね」
「百年後のきれいな姿を、わたしたちは、見られないね」
……人の命は、短いだろうか。

(今日の光景)

 

APRIL 27, 2005  ほんとうに。

買ったばかりの、つばの広い麦藁帽子を被って、買い物に出かける。
ポケットに1ドル紙幣と25セント硬貨。バスのために。
けれど結局は、バスを待たずに、歩き出す。

いつもの大通りを逸れて、住宅街を縫うように歩く。
寄り道、回り道、遠回りが楽しい午後。
水色の家に続いて、今日は黄色の家も、ペンキの塗り替えをしていた。

(今日の光景)

 

APRIL 28, 2005  いつもとは違う道。

角を曲がるたびに、視界が変わるたびに、緑の中に浮かび上がる、色、色、色。

あっちにも、こっちにも、と、吸い寄せられていく。

この街で迎える、四度目で最後の春。今までで一番、美しい春。

(今日の光景)

デュポン・サークルのMARVELOUS MARKETで、パンを買った。Whole Wheat(全粒小麦)の食パンと、渦巻き状のパン。全粒小麦は朝、トーストにしてみた。耳がパリッと焦げるくらい焼いて。意外に柔らかな歯ごたえで、バターにも合う。オリーブオイルにも合う。そして渦巻き状のパン。お店の人は、イタリアのパンだと言っていたけれど、名前がわからない。調べてみたけれど、見つからない。スペインはマヨルカ島の菓子パン、エンサイマーダには似た形(この写真は粉砂糖過剰)。エンサイマーダは、トロリとしたチョコレートドリンクを飲みながら食べるのがおいしいのだ。ともあれこの渦巻きは、菓子パンではない。その構造上、適度な湿気が保たれていて(米国では、うっかりするとすぐにパンがパリパリに乾燥してしまうのだ)、歯ごたえと粘りけがある、しっかりしたパンだ。今までは、なぜかこの店ではブリオッシュやクロワッサンを買うことが多かった。もっと早く、このおいしいパンを試してみればよかったと、今更のように思う。

 

APRIL 29, 2005  二人三脚。

夫にとって、一つの幕が閉じた日。
それは同時に、わたしにとっても。
そしてあしたには、また、次の幕が上がる。
わたしは、夫ではない。夫は、わたしではない。
当たり前のように、その異なる二人が、共に歩くときには、
先へ行ったり、後へついたり、ぶつかり合ったり、
足並みが揃わず、つまづいたり、転んだり、
けれど、共に歩くのだと決めた以上は、歩き続けるのだ。
二人三脚。使い古された言葉が、身に染みる。

 

APRIL30, 2005  雨の土曜日。

目覚めればしとしと雨模様。
こんな季節の週末の雨は憎らしい。
平日はあんなに、晴れていたのに。
先週、ツツジを見に行っておいてよかった。
大きなパックのイチゴを買っていたので、夕べ軽く煮詰めた。
ジャムよりは浅く、ソースよりは深く。
今朝はワッフルを焼いて、そのイチゴソースをかけて食べた。
せめて食卓だけでも、晴れ晴れしく。

日がな一日、家で過ごす日。
コーヒーを切らしていて、いただきもののヘーゼルナッツ風味のコーヒーを淹れた。
フレイヴァーコーヒーは、好みじゃないのだけれど、意外においしいこれは、
とコーヒーカップを片手に、映画「
THE MOTERCYCLE DIARY」を観て、
若かりしころのチェ・ゲバラを知り、この俳優はキュートだ。
それから、なんとなく書棚の前に立ったら、
安部公房の「砂漠の思想」が目に止まって、
ものすごく久しぶりに、初めて読む気分でそれを読み始めて、
彼にとってルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」は最高の映画だと知り、
ルイス・ブニュエルといえば、「
アンダルシアの犬」で、
「アンダルシアの犬」といえばサルバドール・ダリだ。
今度はサルバドール・ダリの画集を取りだして読み返し、
画集つながりで、小学館の「西洋美術館」を取りだしてパラパラとめくり、
この間、ロンドンのナショナルギャラリーで見た、
ヤン・ファン・エイクの「
アルノルフィーニ夫妻の肖像」にまた目を奪われ、
次いでは、その隣にあった「お菓子大百科」を引っぱり出して、お菓子を作りたいな、と思い、
でも、今日はやめておこう、アイスクリームにしておこうと思い直し、
ひとまずはお腹が空いたので、夕べの残りのトンカツで、カツサンドを作って、
「ランチタ〜イム!」と大声で夫を呼んで、
キャベツのスープの残りと一緒に食べて、
映画「
CLOSER」を観て、ALICEって、いい名前だな。と思い、
この間、オックスフォードのクライスト・チャーチで買った
「不思議の国のアリス」の冒頭を何ページか読む。
夫はベッドで、ニューヨークタイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマンの
"THE WOLRD IS FLAT"を読んでいて、
わたしもそれを読破したいけれど、分厚くて躊躇していて、
そういえば彼の"THE LEXUS AND THE OLIVE TREE"も読みかけで、
ちゃんと読んでしまおうよ、と自分に言い聞かせながら、
そういえば、「90秒」のことをメールマガジンに書きたかったのに、
ニューヨークタイムズに載っていた尼崎の列車事故の記事に、
言いたいことがあれこれあるのに、まとまらなくて結局、
どうでもいい「体重のこと」なんか書いてさ、だめだだめだ。
夕方には雨が止んで、夫とジョギング&ウォーキングに出かけ、
夫がフィールドを走る間、わたしは歩き、カテドラルの鐘が鳴る鳴る。
雨上がりの夕暮れの、雨の滴にうつむく花々を眺め、
父の枝垂れ桜のたもとに紫色の花が咲いているのを見つけてうれしい。
バラ園のバラの新芽が伸びていて、つぼみさえ育っていて、その成長の速さよ、
それにしても、このボタンの見事な咲きっぷりよ。
サーモンと貝柱とアスパラガスとマッシュルームとチェリートマトとオリーブの実、
で夕食を作り、ワインも切らしていたのでビールで乾杯して、明日は買い物に行かねば。
ウディ・アレンの「EVERYONE SAYS I LOVE YOU」を観ながら、
夫は"Do you miss New York?"と問い、"Not really." と答える。
ちょっと甘いものが食べたい。ほんの少し生クリームをホイップして、
チョコレート二かけに少しミルクを入れてレンジで温めソースを作り、
バナナ1本をスライスして、ヴァニラアイスクリームとそれらを盛り付けて、
即席バナナ・スプリット。「おいしいね〜」と素朴なデザートを味わいながら、
夫は今、"
SATURDAY NIGHT LIVE"を観ながら笑い転げていて、12:00。土曜日が終わった。

 

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