UNFORGETTABLE VISIONS
UPLOADED: MARCH, 2004

Vol. 61 - 90


61. GENT, BELGIUM, 1999

ベルギーは、旅をするのにいい。小さい宝石箱のような国だ。
東フランドルの州都、ゲント。ここは『青い鳥』の作者、メーテルリンクのふるさと。

聖バーフ大聖堂へ、ヤン・ファン・アイクの祭壇画『神秘の子羊』を見に行った。
ひどく長い時間、見入ってしまう、それはとても魅惑的な作品だった。
600年近く前に描かれたのにもかかわらず、遠くに見える建物の風景が、現在と同じようだという。
そのことにもまた、感嘆する。


62. MIAMI, FLORIDA, U.S.A. 2000

ハバナ・シガーの店。
葉巻の葉の、独特の香りに包まれた店。
その奧のカフェで、コーヒーを飲む。

ここがどこの国なのか、錯覚させてくれるほど、
独特の空気を持っていた。


63. UBUD, BALI, INDONESIA, 1992

ウブドゥの朝市は、女たちであふれていた。
野菜や、肉や、果物や、魚や、もう、ありとあらゆる食べ物が、そこらじゅうに。

魚をおろすことはできるけれど、ニワトリをしめることは、わたしにはできない。
ここに生まれ育っていたなら、きっとやっていただろうけれど。


64. ARLES, FRANCE, 1991

南フランス、アルル。晩年のゴッホが移り住んだ場所。
黄色い家があった場所。
わたしは、ゴッホの絵の、「オーヴェールの教会」と「星月夜」が好きだ。

アルルは、ローマ帝国時代の首府だったところで、壮麗な古代劇場や、円形闘技場がある。
闘技場のてっぺんまで登った。
オレンジ色の甍の波と、彼方にコート・ダジュールの青い海が見渡せた。風が気持ちよかった。

闘技場では、闘牛士が、濃いピンク色の布を翻しながら、ひとりポツンと、静かに、練習をしていた。


65. BARBOA ISLAND, LOS ANGELES, CA, U.S.A., 1985

初めての海外旅行、ロサンゼルス。この写真を、どこで撮ったのか覚えていなかった。
先月末、ロサンゼルスへ行ったとき、4年ぶりに友人と再会した。
天気のいい午後。彼女はわたしをドライブに連れていってくれた。
太平洋を望む桟橋のダイナーでハンバーガーを食べ、ビールを飲み、たくさん話した。
それから彼女は、バルボア・アイランドへ連れていってくれた。

今、アルバムに貼られた、この古い写真を見て、はっとした。ここはもしかして……?
先月末、
撮った写真を開いてみると……、やっぱり、ここだった!
19年前と、ほとんど変わらない風景。心なしか、ヤシの木の背が、高くなっているような気がする。


66. EVORA, PORTUGAL, 2000

キリスト教会という存在は、考えてみれば、かなりおどろおどろしい。
十字に架けられたイエスキリストをはじめ、矢で打ち抜かれた人、首を切られた人、
血なまぐさいモチーフに取り巻かれている。

おどろおどろしい域を超え、これはいくらなんでも、あんまりな、ポルトガルのエヴォラにある教会。
「死を思え」というフランシスコ派の教義に則った果ての、
この壁
引き取り手のない約5000体の遺骨が、壁全体に埋め込まれている。
そそくさと、去る。


67. BLUFF, NEW ZEALAND, 1992

「最南端」とか「最北端」とか「最西端」とか「最東端」とか。
そういう場所は、何かと「行っておきたく」なるから不思議だ。
ここはニュージーランドの最南端、インバーカーギルという港町にあるブラフ岬。
寒い風が吹く日、土地の人々は「南極の風が吹いてきた」と言うらしい。
ニュージーランドは、実に起伏に富んだ豊かな自然に恵まれた、すばらしい景観が広がる国だった。
最南端の風景を撮っているのは、フォトグラファーのウチダ氏。
思えばわたしが、写真を撮ることの面白さを知ったのは、この取材のときだった。


68. BARCELONA, SPAIN, 1998

バルセロナ。ここもまた、濃厚な魅力に満たされた、味わい深い街。
この街のシンボル的な建築物を手がけたのは、アントニオ・ガウディ。
この聖家族教会(サグラダ・ファミリア)を初めて見たときの、驚嘆。
ここへは3度訪れ、3度とも、この高い塔に上った。
エレベータを使わずに、螺旋階段で、息を切らしながら、頭をクラクラさせながら。
塔のてっぺんから市街を
見下ろすときの、その気持ちよさ。肌で風を感じる心地よさ。

ずっと前から建築中で、ずっと先まで建築中。わたしたちが生きている間にはできあがらない。
その不条理な感じがまた、人の心を奪うのだ。


69. KYOTO, JAPAN, 2000

市場が楽しいのは、何も異国でばかりじゃない。日本の市場もまた、楽しい。
京都の錦市場はしかし、別の国を訪れているような発見があって、本当に心が躍った。
まるまるとした賀茂ナス。山盛りの鰹節。いろんな種類の漬け物。
中でも好きな店の一つが、包丁や調理器具を扱う「有次」。1560年、戦国時代に創業した店だ。
刀を作る鍛冶屋として誕生したという。
まるで芸術作品のように、美しく、頑丈に、簡潔に仕上げられた調理器具の数々。
この「卵焼き」用のフライパンもまた、実に美しかった。買っておけばよかったと、今になって思う。
そのときは、京だし巻き卵の店で、あまりの香りのよさに引き込まれ、ついつい買って、宿で食べた。
おばさんたちが、慣れた手つきで、フライパンを操り、器用に箸を使って、テキパキと焼き上げていた。
そんな様子を眺めるのも、楽しかった。ああ、いますぐにも食べたい。


70.KEYWEST, FLORIDA, U.S.A., 2000

ここはアメリカ合衆国の最南端。フロリダ州の、キーウエストという島にある。
SOUTHERN MOST POINT。
やっぱり、こういう場所は、取りあえずは見ておきたいと、誰もが思うらしく、
わたしたちは、このすぐ近くのホテルに泊まっていたのだけれど、
いつも記念撮影をする人々で、ここは賑わっていた。

ヤシの葉ごしに、水平線の彼方へ沈んでゆく夕日を眺めた。
ミントの葉がたっぷり入ったカクテル、モヒトのおいしさを知ったのはこの島。


71. DEABORN, MICHIGAN, U.S.A. 2001

「聖地を訪ねる」というテーマの取材だった。
ベースボールの聖地、クーパースタウンと、ここ、自動車の聖地、デトロイトを訪れた。
デトロイト郊外、フォード社の拠点であるディアボーンという町で、
オールドカーが集う、年に一度のフェスティバルが行われていた。
参加者たちは、気が遠くなるほどの時間を費やし、手塩にかけてレストア(修復)した愛車を披露する。
亡き夫の趣味を引き継いで、孫娘と二人で参加する老婦人。幼いころから毎年、父親と参加している娘。
18年前から家族全員で参加している大家族。年に一度、顔見知りの家族と再開する楽しみ。
写真の二人は、最近結婚したばかりの、まだ初々しい熟年カップル。
集う人たちそれぞれが、「オールドカー」という絆によって、強く結ばれていた。


72. MONGORIA, 1992

一人で旅をしていた。ホテルで日本人の男性に出会った。モヤシ会社を経営している人だった。彼は、モンゴルの大地が豆の栽培に適しているかを調査するため、何人かで訪れていたのだった。農業の研究家で知られる永田照喜治さんも一緒だった。郊外の村へ調査に行くという彼らに誘われ、わたしもアルガランタ村へ行った。彼らが仕事をしている間、わたしは子供たちと遊んだり、羊の解体を見たり、草原の風に吹かれたりした。やがて、ゲルに村人が集い、ぐつぐつと羊を煮る鍋を囲みながら、宴が始まった。ゲームが始まり、それは複雑なジャンケンのようなもので、負けたら馬乳酒を一気に飲み干す。飲み干せない人は歌う。わたしは歌った。村長さんも歌った。その村長さんの声は、本当に深く、しかし軽く、大地に響き渡るような、それはそれは美しい歌声で、鳥肌が立った。毅然としていた村長夫妻だった。彼の歌を、もう一度、聴きたい。


73. KOTA KINABALU - SANDAKAN, MALAYSIA, 1991

ボルネオ島。荒れたラフロードをひたすら走って、サンダカンを目指していた。
そんな道路のための四輪駆動車。丈夫なはずのランドクルーザー。途中で、動かなくなった。
動かなくなったのが、小さな集落でランチを食べたあとだったのが、本当に幸いだった。
昼寝をしていた、エンジニアだというおじさんに見てもらう。どうやら致命的なトラブルのようだ。
まさに頭を抱える編集者のわたしと、どうしたもんだと表情険しいライターのソガベ氏。
レンタカー会社のスタッフに引き取りに来てもらうと同時に、新しい車を持ってきてもらうことにした。
待っている時間はないので、乗り合いのバスに乗り、サンダカンを目指す。土地の人たち話しながら。
車は欠陥車だったようだ。348キロ先まで届けてもらった新しい車は、乗り心地のいい日本製4WDだった。


74. CARLSBAD, CALIFORNIA, U.S.A. 1999

見渡す限りの花畑!

ラナンキュラスの花畑!


75. TOKYO, JAPAN, 1998

初めての日本。銀座のホテルに泊まった。
時差ボケなのか、ただ張り切っているのか、
アルヴィンドは早朝に目を覚まし、築地の市場に行こうという。
眠い目をこすりながら、寒い町を歩いてゆく。
活気に満ちあふれた市場。さまざまな、さまざまな魚介類。
次の朝も、また早朝に目を覚まし、もういいよ、というわたしを無理矢理起こし。また行った。

そして、マグロと一緒に、記念撮影……。


76. BROOKLYN, NEW YORK, 2000

ニューヨークで最も有名なステーキハウス、ピータールーガー。いつもザガットの上位にある老舗。
一度は食べておこうと、ブルックリンまでタクシーを飛ばす。
同行者は、アルヴィンドとその父ロメイシュ、そして姉のスジャータ。
普段、インドでは牛肉を口にしない彼らだけれど、ヒンドゥー教徒の彼らだけれど、ステーキ大好き。
テーブルで切り分けられる巨大なステーキに、瞳を輝かせるロメイシュ。
しかし、アメリカのステーキは、なぜにこんなにも、表面を焦がすだろう。
肉汁たっぷり、歯ごたえばっちり、確かにおいしいけれど、ちょっときめが粗すぎて、硬すぎる。
ちなみにわたしが好きなステーキハウスはマンハッタンでは
ポストハウス
ワシントンDCでは、
プライム・リブ。柔らかくてジューシーなステーキが味わえます。


77. LOURDES, FRANCE, 1991

南フランス。ピレネーの麓。ルールドと言う名の聖地。
100年以上まえ、とある少女がここの洞窟で聖母マリアと出会った。
そのときから、聖なる泉が湧き出で始めた。
以来、ここの水は、多くの人々の傷や痛みを癒してきた。
それは奇跡だと、言われ続けている。

巡礼者の絶えないこの地。
わたしも、小さなボトルに水を詰めて、持って帰った。


78. WARTHING, U.K., 1995

英国の海辺の町で語学留学をしたとき、ホームステイしていた家のお母さん。
彼女は夕食前のスープを飲まなかった。なぜなら「スープを飲むと太るから」。
けれど、アイスクリームにケーキにクッキー、食後のデザートは欠かさなかった。
彼女はいつだって、米国に対して、とてもシニカルだった。
「アメリカ人はどうしてあんなにも、ポップコーンを食べるのかしら?」
そう言いながら、ポテトチップスをパリパリと食べていた。
「アメリカ人はどうして、ピーナッツバターなんてものが好きなのかしら?」
そう言いながら、トーストに、トーストと同じくらいの厚さのジャムを塗りつけていた。
なにか違うぞ! と思いながらも、何も言えなかった。


79. VENEZIA, ITALY, 1994

ヴェネツィアの迷路。
青空が爽やかな昼下がり。
太陽が照りつける路地の、その光と影。
あちこちの窓辺に吊された、洗濯物が風に揺れる。
空を見つめて、石畳を見つめて、途方に暮れる昼下がり。


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