SEPTEMBER 30, 2004  十五夜、いざよい、立待月

西から東へ、ハイウェイを走り抜け、夫は家路を急ぐ。
あるときは夕闇の中を。あるときは風雨の中を。あるときは夕映えを背にして。

スパイスの香りの中で、夕餉の支度をしていたとき、電話が鳴った。
「今、会社を出たところ。今夜の月は、見事だよ」
そうだおとといは中秋の名月だった。曇り空で、見られなかったけれど。
ラムのビリヤニを火から下ろし、蒸らすあいだに屋上へ出る。
もうすでに欠けはじめた、しかし大きく煌々と闇を照らす月。
わざわざ誰かに伝えたくなる、それがそうだと知らなくても、中秋の、特別な月。

 

SEPTEMBER 29, 2004  Bon Appetit

数カ月前、アパートメントの契約を更新したら、ウイリアムズソノマの商品券を贈られた。カタログとともに。これといった目的もなく、どれにしようかと迷いながら買う物を選ぶときは、いつになく真剣に、カタログの隅から隅までを眺めた。何かひとつを買うべきか、それともいくつかを細々と? 考えた挙げ句に、あれこれ少しずつを買うことに決めた。

中でも重宝しているのは、このペッパー&ソルトミル。以前友人から聞いていた。「ペッパーミルは、プジョー(Peugeot)がお勧め」と。胡椒の粒をしっかりと固定して鋭い刃ですりつぶすから、香りが際だつのだという。プジョーはフランスの、自動車でお馴染みのメーカーだ。このペッパーミルは1842年に製造が開始されたのだという。今までは調味料入れに入った挽き胡椒を、パラパラと振っていたけれど、食卓でガリガリと削りながら振りかけると、たいそう風味がいい。そして楽しい。料理の味もぐっと引き立つ。

 

SEPTEMBER 28, 2004  ナッツ

ナッツ類を、ときどき料理に使う。アーモンドの粉末はココナツミルクのカレーやお菓子に。アーモンドのスライスやレーズンは、インド風の炊き込みご飯にアクセントを添える。そういえば、インドのゴアで買ったカシューナッツとアーモンドは本当においしかった。ウォルナッツ(くるみ)やピカンは砕いてパンケーキに入れたりクッキーの生地に混ぜ込んだり。パインナッツ(松の実)は出番が多い。オリーブオイルでガーリックと共に炒めてこんがり焼き、軽くゆでたほうれん草を加えてバルサミコ酢などを加えると、イタリアの味が一丁上がり。これに鷹の爪やカリカリのベーコンを入れてもおいしい。パインナッツはチャーハンに入れたりもする。

ナッツ類の適度な摂取は健康にもいい。一番小さなジプロックのケースに、アーモンドとウォルナッツ、それにレーズンを入れて、ときどき夫のランチボックスに入れておく。仕事の合間にポリポリと、リスのようにナッツを食べていることだろう。そうそう。こんなにナッツを取りだしたのは、窓辺に置いていたら、またリスが遊びに来るんじゃないかしら、と思ってね。リスはどのナッツがお好みなのだろう。

 

SEPTEMBER 27, 2004  冒険者来訪

コンピュータに向かって、黙々とキーボードを叩いていたら……

視線の隅に、何か気配が…… 

窓の向こうに黒いリス! 

しばし、見つめ合う我々。

まあまあ、こんなところまで、ようこそいらっしゃいませ。

 

SEPTEMBER 26, 2004  日曜夕暮れ散歩道

「今日はフィールドを歩こうよ!」と夫。夕べの余韻が残っているらしい。
フィールドに入るやいなや「僕、走る!」と駆け出した。おおぅ。珍しい。
2周を回ったところで「もう十分だ!」と、肩で息をしながら。

「どう? 走ったら気持ちいいでしょ?」
「ううん。気持ちよくはない。息が切れるだけ」

とことん、スポーツマンからは、ほど遠い人。

 

SEPTEMBER 25, 2004  帰路

カムデンヤードを出ると、野外ステージではライブが行われていて、とても賑やか。ハーバーでも、土曜の夜とあって、ストリートミュージシャンや大道芸人がパフォーマンスをしている。

本当は、夜景でも見ながら夕食を食べて帰る予定だったけれど、もうホットドッグやビールやスナックでお腹いっぱい。

来年もまだ、ワシントンDCに住んでいたら、今度はヤンキーズ戦を見に来ようと思う。そのときは、あらかじめ、ニューヨークヤンキーズのキャップを用意して。濃紺のTシャツを着て。

 

SEPTEMBER 25, 2004  試合終了

写真を撮ろうと、ちょっと散歩。別のアングルからも一枚。バッターボックスの近くまでいく。こんな間近に選手を見られるなんて。こんなことなら、9月上旬のヤンキーズ戦に来たかったなあ。「松井さん、がんばって!」と叫びたかったなあ。ここからなら絶対聞こえるもの。その際、オレンジ色のシャツ着用じゃまずいよね。キャップもヤンキーズでなきゃなあ。

さて。ゲームは3対0でオリオールズの勝利。試合時間は2時間15分と、あっというまだった。試合開始時にはまだ明るかった空も暮れて、ライトのまばゆさが美しい。これといったファインプレーもなく、誰もホームランを打ってくれず、だから楽しみにしていたWaveもできず、ゲームそのものは、ちょっと物足りなかったけれど、雰囲気は十分に楽しめた。夫もとても、喜んでいた。

  

SEPTEMBER 25, 2004  Buy me some peanuts and cracker jack!

♪Take me out to the ball game. Take me out with the crowd!
7回裏、ホームチーム、つまりオリオールズの攻撃前、観客たちは立ち上がって、みんな一緒に「わたしをボールゲームに連れていって」を歌う。電光掲示板に歌詞が映し出される。この歌が作られたのは1908年のこと。一度もベースボールを見に行ったことのなかった詩人ジャック・ノーワースが、マンハッタンの地下鉄に揺られているときに閃き書いた歌詞だという。

100年前も今も、同じようにピーナッツ売りがいて、同じお菓子「クラッカー・ジャック」(キャラメルがコーティングされたポップコーン)が売られているという、その「変わらなさ」が、すごくいい。次々に新しいものに飛びつかない、理由はともあれ「変わらなさ」は、世代を繋ぐひとつの絆にさえなる。祖父も父も僕も息子も、ボールゲームで食べるはクラッカージャック。歌うはTake me out to the ball game。同じ色、同じ匂い、同じ音した懐かしさ。

 

SEPTEMBER 25, 2004  試合開始

いくつかの露店を見比べて、おいしそうなホットドッグを選ぶ。フライドポテトも買おう。ボールゲームと言えばピーナッツも忘れずに。もちろんビールも。席はフィールド・ボックス。大リーグのフィールドはフェンスがないから、より一層開放感がある。試合前から、すでに楽しい。ホットドッグはおいしいし、普段は飲まないバドワイザーもなぜかとてもおいしい。ちなみにこれは、スタジアム仕様のプラスチックボトル。そのうちにも選手たちがフィールドに現れ拍手。みな起立して、まずは国歌斉唱

初回でオリオールズが2点を先取。場内が一気に盛り上がる。オレンジ色のTシャツに身を包んだ食べ物売りがひっきりなしで、それもまた賑やか。ピーナッツ売り、綿菓子売り、ホットドッグにシャーベット。クラッカージャックもひょいと投げて。もちろんわたしも、オレンジ色。電光掲示板によれば、今日の観客は全部で19500人らしい。ファインプレイに上がる歓声が、まるで渦のように。

 

SEPTEMBER 25, 2004  試合前の準備

インナーハーバーの駐車場に車を置き、埠頭を散歩しながらスタジアムへ行く。カムデン・ヤードは1992年にできた新しい球場。けれど煉瓦の茶色とスタジアムの濃緑がクラシックな印象を与えるレトロ(復古調)スタイルの建築で、全米一美しいスタジアムとも言われている。ゲートを抜けたらまずはショップへ。記念にキャップを買うのだ。メジャーリーグの選手たちがフィールドで被っているという"59/50"というメーカーの「仕立てのいい」キャップ。今後、愛用しようかと思う。1954年に「ボルティモア・オリオールズ」の名でチームがスタートし、今年は50周年。あちこちのバナーで「50」の文字が踊る。ちなみにオリオールとは、メリーランド州の州鳥で、オレンジ色のムクドリのこと。「ムクドリたち」。かわいらしすぎるチーム名。勝てるのか、「虎たち」に。かのベーブ・ルースはボルティモアの出身で、彼が初めて入団したチームは、当時マイナーリーグだったオリオールズだったという。ボルティモアには彼の生家やミュージアムもある。さあ、ホットドックやビールを買って、席へ行こう。

 

SEPTEMBER 25, 2004  Take me out to the ball game!!

「美穂はベースボールの試合を見に行ったことがある?」「うん。1985年の夏に、カリフォルニアのドジャーズ・スタジアムに行ったよ」「どうだった?」「ものすご〜く、楽しかった。なんかね、試合そのものも、もちろん楽しいんだけど、雰囲気がね、エキサイティングなの。ほら、MCIセンターにNBA(バスケットボール)の試合、見に行ったでしょ。あんな感じの高揚感があって、でもスタジアムはもっと広いし開放的だから、よけいにわくわくするよ」「僕、一度も行ったことがないから、行ってみたいな」

月曜日、ボルティモアへ行ったとき、カムデン・ヤード(スタジアム)を眺めながら交わした会話。そろそろシーズンが終わるはずだ。行くならば今がチャンス。おととい、チケットを買った。ボルティモア・オリオールズ対デトロイト・タイガーズ。大リーグ情報に疎い我々だけれど、ともかくは雰囲気を楽しもう!

 

SEPTEMBER 25, 2004  宗教

きのうの夕食時。窓の向こうに打ち上げ花火がいくつも上がった。ジュイッシュの祝祭、ヤム・キッパーだ。部屋の灯りを消して、色とりどりの光の円を眺めながら食事をした。そして今日、土曜の朝の散歩道。いつもと違うのは、着飾った老若男女が、近所のあちこちを歩いていること。教会へ向かうジュイッシュの人々だ。人々の笑顔の向こうに、きりりとした緊張感があって、それはどこか日本のお正月にも似ている。散歩の途中、マーケットでバナナと野菜ジュースとパンを買い、スターバックスでカフェラテを買い、テラスで食べる。大きなハラ・ブレッドを、適当にちぎりながら食べるのがおいしい。

人々が、それぞれに、自分が信じるものを、なるたけ穏やかに遂行し、異なる世界を信じる人を尊重し、干渉せず、相容れぬ時には押しつけ合わず、互いの砦を傷つけ合うことなく、相手を学び、譲歩しあい、共存していくことができれば、どんなにかいいだろうに、けれど多分、それが世界で最も、難しいこと。

 

SEPTEMBER 24, 2004  油断大敵!

並んで売っていた。クレヨンみたいなベビーペッパーと、いたずらな顔をしたベビートマトの、そのかわいらしさに引かれて、一緒に買った。ベビーペッパーには"Sweet"と書かれているから、まずはそのまま食べてみた。瑞々しくてほんのり甘くて、まるでフルーツのようなおいしさ。生のままで、いくつか食べた。それから残りを料理に使った。今日のランチは、タマネギとマッシュルーム、エビ、それからこのペッパーを使ってのトマト風味リゾット。窓の外の景色を眺めながら、のどか〜に食べていたら……うわっ! 辛い! ものすごく、辛い!! どうやら辛いペッパーが、ひとつだけ紛れ込んでいたようだ。なんという不意打ち! 額から一気に汗が出る。目から涙がにじみ出る。タオルで汗をふきふき、前半の情趣とは異なって、急に活発、元気なムードの食卓に。

ひと仕事した気分のごちそうさま。

 

SEPTEMBER 24, 2004  リズム

8時すぎに家を出る夫に合わせる毎朝。6時に起きたら、6時5分にはヨガをはじめ、6時45分から7時15分までウォーキングして、その後朝食の準備をする。一旦、予定を決めたら、その通りに動きたいわたしに対し、夫はベッドを出るにも「あと5分〜」、ウォーキングに出るにも「あと5分〜!」 あらかじめ予定を伝えているのに、どうしても出遅れる。最近は「ちょっと待って〜!」と言う声を振り切って外に出る。いったいどちらが、時間通りに出勤する立場なのだ? 今日もまた「あと5分夫」を置き去り、いつもより長めに、森をくぐり抜けてカテドラルに至る45分コースを設定。20分ほど歩いたところで、向こうから夫が歩いてくるのが見える。わたしを見つけるや、満面の笑顔で「やっぱり、僕たちは出会う運命だったんだね!」と冗談なのか本気なのか。

先へあとへ、季節が行き来する時候。今朝は少し蒸し暑く、それでも、朝日が上りゆくのを雲間から覗き見ながら、カテドラルのグリーンハウスも、秋の花に彩られている。そして自分のリズムで。

 

SEPTEMBER 23, 2004  よき人生を!

近々日本へ帰国する友人と、またもやフレンドシップハイツのチーズケーキファクトリーへ。「アメリカの味」を堪能しようと、まずは前菜サイズのハンバーガー。小さいとはいえ4つもある。それから前菜のタイ風チキンのレタス巻き。主菜はジャマイカ風エビのスパイシーフライ。これらを二人で分けて食べ、残りは各々持ち帰る。

帰りのバスに揺られていたら、小銭を持たない老婦人が乗ってきた。「どなたか5ドル札、崩してもらえないかしら?」。財布を見たら1ドル札がちょうど5枚あった。両替をしてあげる。隣に座った彼女と世間話。「助かったわ。いつも1ドル札を財布に入れておかなきゃね。ありがとう」「どういたしまして。わたしはこの間、ニューヨークで似た経験をしましたよ。あそこのバスはお札さえ使えないでしょ? メトロカードも持っていなかったから、小銭に両替してもらうところを探すのに随分歩きました」「ほんと、あれはないわよねえ。お札を使える機械を設置すればいいのにねえ」「或いは両替機とか」「まったくだわ」……彼女はわたしより、一足先に下りた。帰り際、再び彼女は、"Thank you very much!" 一呼吸おいて"Have a good....LIFE!!"

 

SEPTEMBER 22, 2004  喜怒哀楽

スミソニアンのミュージアム群は、東西に横たわる芝生の広場を取り囲むように並んでいる。
そこに、いくつもの大きな特設テントが張られていた。
バナーには、「First Americans Festival」とある。
アメリカン・インディアン博物館の開館を記念して、数日間に亘りイベントが催されるようだ。
「ポトマック・ステージ」と記されたテントから流れ出てくる音楽に、人々は吸い寄せられる。
エクアドルの「アンデス・マンタ」というバンドによるパフォーマンス。
風や雲や大地や森を彷彿とさせる、軽やかで涼やかで、流れるような旋律。
温かで優しげな笑顔をいっぱいに、くるくると踊るインディオの女性ら。を見ていたら、
喜怒哀楽があってこその音楽。喜怒哀楽があってこその芸術。喜怒哀楽があってこその人生。
喜怒哀楽があってこその人間。とさえ思う。

 

SEPTEMBER 22, 2004  記録

庭園の噴水の向こうに見える、威風堂々たる建築物。無論、この界隈の建築物は、どれもこれもが、「威風堂々」と「巨大」で「壮麗」「壮観」「どっしりと」「格調高く」「ギリシャ神殿を思わせる」ものばかり。この威風堂々は、国立公文書館 (National Archives)。米国の独立宣言や、合衆国憲法、人権宣言などの原本をはじめ、米国にとってだけではなく、世界的に貴重な古文書類や画像、映像資料がたっぷりと収蔵されている。

日本に関しては、太平洋戦争終盤から敗戦後(沖縄戦や本土空襲、原爆投下、武装解除、米軍占領下の日本、外地からの引き揚げ、戦後の復興、マッカーサ元帥の統治、そしてサンフランシスコ講和条約あたりまで)にかけて、米軍が撮影した動画やスチール写真が大量に収められているという。たまにドキュメンタリーで、原爆投下直後の広島や長崎の様子が、驚くほど鮮明なカラー映像で映し出されて驚くことがあるが、かような映像資料はすべてここにあるのだろう。あれこれと、見てみたい。

 

SEPTEMBER 22, 2004  パリ? それともウィーン?

夕方、ヒンディー語のクラスがある。学校はモールのそば、ランファント・プラザのあたり。天気がいいので早めに家を出て、モールの中のカフェで宿題をしようと思う。

モールといってもお買い物のモールではなく、DCの"The Mall" は、連邦議会議事堂やスミソニアン博物館群、ワシントン記念塔、リンカーン記念館などが点在する、首都DCを象徴するような一帯のこと。

ここに国立絵画館がある。遥か高い天窓から、心地よい自然光が差し込んでくる回廊、そして美しいパティオを備えたミュージアム。お気に入りの空間。隣には、中央に噴水を据えた彫刻の庭園がある。前衛的で抽象的なオブジェクトは、あまり好きではないけれど、ここのカフェは悪くない。アールヌーヴォー様式のメトロ入口は、フランスのギルマール (Hector Guimard)の作品。ゲートをくぐっても、どこにも辿り着けないけれど素敵。

 

SEPTEMBER 21, 2004  詩とインド

アジア、そして世界における、近年発展めざましいインド経済の役割、インドと日本との連携などをテーマに行われたセミナー。メイン・スピーカーは中央に座るアフターブ・セット (Aftab Seth)氏。

前駐日インド大使で、現在は慶應義塾大学のグローバルセキュリティ研究所所長を務めているという。去年、一時学生をしていたときに「インドの新経済」をリサーチしておいたお陰で、内容を理解しながら聞くことができた。

セット氏は、講演の間に、タゴールの詩を2編、北川冬彦の詩を1編(『泡』)を引用した。タゴールのことが、最近気になっていたところだった。彼の本を買おうと、聞きながら思った。

 

SEPTEMBER 20, 2004: BALTIMORE  極上の夜のみかん月

そして夜。フレンチ・レストラン「Charleston」にて。まずは白ワインで乾杯し、再会を喜び合う。しっとりと森のような香りがする赤ワインを口にするころには、みな打ち解けた笑顔。前菜は店自慢のフォアグラを。軽い酸味があるリンゴのスライスの上に、ジュッとほどよく焼かれたフォアグラが。ほのかな甘みとこくと風味で、抜群の序章。夫のオイスターのフライも、カリカリと香ばしく。主菜は二人ともラムチョップを。ミディアムレアに焼き上げられた、滑らかで柔らかな肉。ほのかな苦みと甘みが溶け合ったソースと、温野菜との調和が秀逸。食後はチーズの盛り合わせを皆で少しずつ。フランス産、スペイン産ほか、地元産の計6種類。一つ一つを品評しあいながら、賑やかに。もう、何も入る隙間がないけれど、店からのサービスで、オリジナルのアイスクリームが一皿テーブルに。各々スプーンを持って少しずつ。バニラとシナモン・アップル、そしてミルク風味。温かいチョコレートソースをかけて食べるそのソースのまた、ふんわりと美味なこと! ダブルエスプレッソで、極上のディナーの幕は下り。スイスイとハイウエイを走りながら、ご陽気な帰り道。大きな大きな、橙色の半月を追いかけて、ビリー・ジョエルの "She's Always a Woman"を、聴きながら歌いながら。
"Oh, and she never gives out and she never gives in, she just changes her mind"

 

SEPTEMBER 20, 2004: BALTIMORE  発見

夫の会社近くのホテルで待ち合わせ。ところがそのホテルには、落ち着けるラウンジがなく。

界隈を、くつろげるカフェを求めて歩いては見るものの、見あたらず。

やれやれと思っていたら、向かいに、看板のない、しかし窓ガラスにThe Brewer's Art

入ってみると、素敵。クラシックなインテリアのバー、そして奧にはダイニング。

居心地のいい店を見つけてうれしい。ソファに腰掛け、トニックウォーターを飲む。

 

SEPTEMBER 20, 2004: BALTIMORE  水族の館

ボルティモアの水族館は、全米でも有数のすばらしい水族館と聞いていたので、楽しみにしていたのだけれど。入るなり、館内の生臭さにたじろく。建物が古くて、換気が悪いのだろうか。全体に薄暗くて <<無論、水族館とは薄暗いものなのだけれど>>、空気がとても淀んでいた。イルカのショーも、とても楽しみにしていたけれど、華のない、だらけたショーで驚いた。ジャンプもほんの少しだけ。あまり高く飛ばないし。多分、「動物愛護」の視点から、厳しい調教が許されていないのかもしれない。5月に日本に帰ったときに行った「海の中道水族館」のほうが、格段によかった。イルカのショーも、格段によかった。それから、カリフォルニアのモントレー水族館。あそこはきれいで明るくて、楽しい水族館だった。

今から20年ほど前、やはりカリフォルニアのシーワールドで初めてイルカのショーを見たときは、そのすばらしさに感嘆したのだけれど。今ではあのようなショーが、もう見られないのだろうか。

 

SEPTEMBER 20, 2004: BALTIMORE  静かに午後。

ハーバーに面したテラスのある店でランチ。寒くもなく、暑くもなく、心地よい。

ビールを飲みながら、サラダを食べる。夕食に備えて、いつもよりは軽めに。

食後。かつて工場だったという、この煉瓦造りのビル。の中のバーンズ&ノーブル。

このブックストアが醸し出す、特有の空気に浸りながら、この国では、どの街でも。

長いこと本を開いて過ごす。今日は主に、「水彩画」と「イタリアンクッキング」の本らを。

 

SEPTEMBER 20, 2004: BALTIMORE  初めての町へ

毎週月曜日。夫は本社のあるボルティモアまで行く。DCから車で北へ、約1時間ほど。
「いつかわたしも一緒に行くよ」……そう言いながら、早くも2年半。

今夜は彼の同僚 <中国系米国人と彼のフィアンセインド系米国人> と、夕食の約束。
ついにわたしも、初のボルティモア観光。昨日に引き続き、雲一つない快晴。運動会日和。

夫をオフィスでおろしたあと、市場好きとしては見落とせない、まずはレキシントン市場へ。
しかし、期待していたほどの活気はなく、食材もインパクトなく。
早々に引き揚げて、インナーハーバーで、今日は一日を過ごそうと思う。

 

SEPTEMBER 19, 2004 薔薇

日曜の夕暮れのセンチメンタル。

毎日のように通うビショップス・ガーデン。

あきもせず。

初夏のころから、背丈を伸ばしながら、次々と花をつけてきた、

ローズガーデンの薔薇も、いよいよ終わりの季節。

 

SEPTEMBER 19, 2004  日曜日

気圧の谷や、気圧の尾根を、ふらふらと

さまようみたいな天気から一転。

まるで舞台が変わったかのように、今日は、雲一つない空。

ゴミ屑みたいな白い点は、飛行機。

軽くて冷たい風がぁあ〜気持ちいい〜!

 

SEPTEMBER 18, 2004  見果てぬ空

曇ったり晴れたり雨が降ったり曇ったり晴れたりの一日。雲の流れは昨日に増して速く。
約束の場所に向けて、車を走らせる。南北に伸びる道を、南に向かって。
交差点を通過する瞬間には、夕陽が飛びかかってくるみたいに、車ごとを包み込む。
風はもうすっかり、まるで秋のただなかのような冷ややかさ。
水色の薄暮を透かした不安定な雲を照らす、夏と秋の境目の太陽。

レストランに入り、友らと抱擁し、マルガリータを飲み、石臼のグァカモレを食べるころには、
喧騒に溶け込み、語り、笑い、もうすっかり、夕暮れの感傷は消え失せて、
キャンドルの灯火さえも気づかれぬ、屈託なきテーブルに、夜が更ける。

 

SEPTEMBER 18, 2004  量り売り

日本のスーパーマーケットでは、「量り売り」をしているところは、最早ほとんどないと思う。けれど欧米では、今でも量り売りは一般的だ。だから野菜や果物も、ほんの少しずつを買うことができる。タマネギを1個、マッシュルームを1つ、チェリーを3粒、という具合に。もちろん、そんなへんてこな買い方はしないけれど。

ふだんスパイスは、インドの食料品店で買うけれど、今日はたまたま粒コショウを切らしていたので、いつものホールフーズマーケットで買った。スパイスもまた、量り売りがある。スプーンで好きなだけをすくって、備え付けのビニール袋にいれ、商品番号を書いたシールを貼る。そういう作業が何だかとても楽しい。他のスパイスも、ついつい買ってしまいたくなる。

 

SEPTEMBER 17, 2004  スパイス

珍しく、朝から喉の調子が悪い。そして頭が重い。どんよりと灰色の雲が垂れ込めていて、窓を開ければ湿気を含んだ重い風。窓を閉めれば暑い。冷房を入れると寒い。何をやっても集中できない。だめだ。ベッドに転がる。1時間ほどして目を覚まし、屋上に上る。雲が猛烈な速さで流れていく。部屋に戻り、ハーブティーを飲む。

やがて夕方。料理をしたくない。けれど外は大雨で外食するのも億劫だ。夫はインド料理が食べたいという。面倒だな。でも、タマネギとトマトの缶詰と、冷凍庫にはエビがあるから、エビのカレーでも作ろう。フライパンでオイルを熱し、次々に、スパイスの蓋を開けては入れ、開けては入れる。オイルに溶けだしたスパイスの、新鮮で鋭い香りが立ちこめる。パチパチと、マスタードシードのはぜる音が心地よい。次第に覚醒してくる。生姜とニンニクを加える。鼻がすーっと通る。タマネギのみじん切りを入れる。香りがまろやかになってくる。部屋の淀んだ空気が晴れてゆく。蒸し暑い国の料理は、蒸し暑い日によく似合う。スパイスは薬であり、カレーは薬膳であり……。玄関を開けるなり、夫も笑顔で「タダイマ! オイシソ!」

 

SEPTEMBER 16, 2004  インド接近

秋のヒンディー語クラスを取った。週に一度、3時間。今日は初めての授業だった。インド系アメリカ人の二世や三世、インド人を伴侶やフィアンセに持つ人、語学を学ぶことが好きな人、インドの文化に興味がある人、インド出張の折、現地の言葉を使いたい人、クライアントにインド人が多いから会話に花を添えるため学びたい人……、とそれぞれ理由を携えて集まる人々とともに。

あれよあれよと言う間に授業は進み、見よう見まねで文字を綴り、ノートは、英語、ヒンディー語、日本語の混沌。「はい、この発音は、つばを飛ばす感じで、ダッ!」「次はパッ!」「はいわかりましたねぇ、次!」……おばさま先生、マイペースで突っ走る。「この発音は豆料理のダァルと同じ、ダァ!」「ここは宿題」「8ページ開いて」「これも宿題」「42ページ開いて」「綴りの練習は自分で」「来週書いてもらいますからね」「シュークリア!(ありがとう)」……。来月のインドでは、町の看板を読めるようにはなっているだろう。意味はわからないにしても。

 

SEPTEMBER 15, 2004  あけましておめでとう

今日のニューヨークタイムズ。マンハッタンの有名デパートが、こぞってロシュ・ハシャナ (Rosh Hashanah)を祝う広告を出している。ロシュ・ハシャナとはジュイッシュ(ユダヤ教徒)の元日で、今年は今日の日没から明日にかけてがその日となる。ユダヤ暦(太陰太陽暦)によれば、今年は5765年。西暦に3761年を足したこの数字は、旧約聖書の天地創造に遡る数字なのだという。今日の10日後、つまり24日の日没から25日にかけてはヨム・キッパー (Yom Kippur)と呼ばれる大贖罪日。ジュイッシュの祝日でも最も大切な日で、人々は仕事を休み、断食を行い、シナゴーク(ユダヤ教会)で過ごすという。

今ごろ、ジュイッシュの家庭では、新年を祝する角笛の音が鳴り響き、ハチミツをかけたりんごが食卓に置かれ、「シャナ・トバ!」と、新年の挨拶を交わしているのだろう。

 

SEPTEMBER 14, 2004  収納感覚

「収納術」という言葉を、日本の主婦向け雑誌でよく見かけたものだ。きっと今でも使われているだろう。<そこまでするか> と思うようなアイデアもあり、しかし今思えばあれは、一種の「パズル」のようなものかもしれない。試行錯誤しながら片づけていく過程と、仕上がった後の「満たされた」達成感を楽しむための。
大ざっぱな収納感覚が一般的なアメリカにあって、しかしこの
Container Storeの品揃えは、そこはかとなく日本的。小さな物から大きな物まで、ありとあらゆる「コンテナ(箱、容器類)」が広大な店内に陳列されている。お茶の葉を入れるガラス製のコンテナを買った。デンマーク製のシンプルな物。アメリカにはHold Everythingという、やはり収納の専門店がある。カタログを見ると気づく。衣類も、キッチンも、「詰め込む」というよりは、「オーガナイズする(体系化する)」のが目的だと。無論、マンハッタンのような部屋の狭い都市部は別だけれど。物理的な「自分の領域」の広さ狭さは、人の心にいかなる影響を及ぼすだろう。いずれにせよ、大陸に住む人々と、狭い島国に住む人々との、感性が異なることに、なんの不思議もないと思う。

 

SEPTEMBER 14, 2004  十年一昔

ゴミ袋に入れようした古いノートの束から、こぼれ落ちたシングルCD。渡米直前の東京。近所のレンタルCDショップで、古いCDが安売りされていた。山田晃士という人が誰かも知らず、ただ「ひまわり」(1994年発売)というタイトルに引かれて買った。何度か聞いた気がするが、よく覚えていない。どんな曲だっただろう。と思いながらプレイヤーに入れる。
「ひまわりがぁ〜 揺れているぅ〜 風もなくぅ〜 うぉぉ〜!」
なんていい声! 深くて力強く、音域が広そうな、お腹の底からあふれだすような直球の歌声。相当にわたし好みの声! ジャケットの顔写真もいい感じ! どうしてこんないい声を聞き逃していたのだろう。この人の別の曲も聴いてみたい。今はどんな歌を歌っているのだろう。インターネットで検索してみた。たどり着いた
ホームページを見て絶句。顔つきが違う! なにしろCDのタイトルが「びらん」。曲名が「泥沼ジンタ」「血まみれ恥まみれ」……。「ガレージ・シャンソンショー」というのもやっているようだ。変貌ぶりには喫驚したけれど、同時に猛烈なシンパシーを感じた。ライブに行ってみたい。amazonで買えるかな、「びらん」。

 

SEPTEMBER 13, 2004  父がくれた

クローゼットの掃除をしなければ、しなければ、しなければ、と思いながら何カ月もが過ぎた。
いつもならさっさと片づけるのに、どうしてこんなに怠惰なんだろうと自分でも呆れていた。
今日、思い切って、日がな一日、クローゼットの中に籠もって、片づけをした。

今までなら、気にも留めなかったもの、ひとつひとつに、目が留まり、手が止まる。
遠い昔に、父がくれた鞄、父がくれた時計、父がくれたスカーフ、父がくれたイヤリング……。
父がくれたいろいろなものが、次から次から、こんなにも、出てくるとは……。

わたしは怠惰だったのではなくて、避けていたのか、と気が付いて、途方に暮れる。

 

SEPTEMBER 12, 2004  血縁

夕暮れの公園で、いくつかの家族がピクニック・ディナーをしている。語り合う大人たち。歓声を上げながら、楽しげに駆け回る子供たち。けれど少しだけ、何かが違う。子供たちの、肌の色、髪の色、顔の作りが、親たちのそれとは異なる。韓国や、ベトナムや、中国から来た、オリエンタルの顔をした子供たち。

この街では本当にしばしば、そういう親子を見かける。子供のできない夫婦の多くは、治療を試みると同時に、国際養子縁組についてを積極的に考える。養子をもらった途端に、何年もできなかった子供が授かる夫婦も多いらしく、双子用のストローラーに、人種の違う二人の子供が仲良く並んでいる様子もよく見かける。

「血縁」という言葉について、考えてみる。

 

SEPTEMBER 12, 2004  カボチャの季節

Crate and Barrel.
シンプルで、モダンな、キッチン用品や家具を売っている店。全米の至るところに、店舗がある。
初めて入ったのは、マンハッタンの60丁目とマディソン街の角にある店。
その広々とした店内と、整然と並ぶ、さまざまな形のワイングラスに見惚れた。
結婚式のお祝いなどを買うときに、或いはギフト券を贈るときに、この店をよく使う。
わたしは、少しデコラティブな傾向のものが好きなので、あまり自分のものは買わないけれど。
今日は何気なく、ドライブの帰りに見つけたので、立ち寄ってみた。
赤やオレンジ、茶色など、暖かな色合いが満ちあふれていて、すっかり秋の支度。
カボチャが似合う季節がやって来る。秋色のランチョンマットを買った。

 

SEPTEMBER 12, 2004  中南米の味

これはなんでしょう。9日のランチで食べた、ユカ(キャッサバ)です。

WHOLE FOODS MARKETで見つけたので一つ買った。なんだか灰汁が強そうだ。ただ切って揚げるだけではいけないような気がする。インターネットで検索してみた。決め手に欠くが、塩水やレモン汁に漬けておくといいようだ。そこで切った後、ライムの絞り汁と塩を入れた水にしばらく漬けておき、水気を拭き取ってから油で揚げた。ホクホクと、おいしく揚がった。

初めてこのユカのフライを食べたのは、マンハッタンの、ユニオンスクエアにあるABCカーペット(家具&インテリアのデパート。お気に入りの店)のその中にある、チカマ (Chicama)というペルー料理の店だった。揚げたてのポテトに、ガーリック風味の効いた、オリジナルのソースを付けて食べたのがとてもおいしかった。

 

SEPTEMBER 12, 2004  米国の味

アメリカの、国民的家庭的普遍的デザートといえば、着色料たっぷりのJELL-O。
粉をお湯で溶き、水を加え、冷蔵庫で冷やして作るゼリーだ。色んな味があるようだ。
学校のカフェにもある。デリのブッフェにもある。病院食にも欠かせないデザート。

今読んでいる"THE NAMESAKE"の主人公の母親も、出産のために入院した病院で食べている。

そのには、チョコチップクッキーや、チョコレートファッジ、ブラウニーなど、
やはりアメリカの国民的デザートの素がずらりと並んでいて、
もうすでに、箱の中から甘い香りを放っている。

 

SEPTEMBER 11, 2004  秋めいた風に乗って

薄暮の空を行くは風船。

 

SEPTEMBER 11, 2004  土曜日の朝

アフロ指。

 

SEPTEMBER 11, 2004  The September 11th.

多くの人々の耳に刻まれた月と日にちの名前。

耳にすれば浮かび上がる、澄み渡る青空と、崩れ落ちるビルディング。

いつまでも、いつまでも、街に漂っていた、焼けた建物と、焼けた人々の匂い。

延々と続いてきた殺し合い。延々と続いてゆく殺し合い。

プツプツ、プツプツと、消され続ける命。

 

SEPTEMBER 10, 2004  "Coffee, must be hot as hell, black as the devil, pure as an angel, and sweet as love.*

"Historic Coffeehouses Vienna, Budapest, Prague" 小さな書店で見つけた。手に取れば忘れ難きカフェ<ウィーンのCafe Central, Cafe Demel, ブダペストのCafe New York, プラハのCafe de Pari> のこともある。手に取り、初老の婦人が立つレジへ。「ここはすてきな書店ですね」「どうもありがとう」「こんなふうに、写真集や、建築物や芸術の本や、旅の本を眺めていると、色んなことがしたくなったり、色んなところに行きたくなったりして……人生が短いように感じられます」「本当にその通りね。あなたカフェがお好きなの」「ええ。とても。特に、この本にあるような欧州のカフェ」「ウィーンへは?」「一度行きました。カフェ・セントラルがすてきだった。通りの角にある高い天井のカフェ」「あそこは本当に、すばらしいわよね」「大理石の支柱、たくさんの雑誌や新聞、おいしそうなペイストリーと香りのいいコーヒー……」「また行けるといいわね。今度はこの本を持って」

書店の斜向かいに、新しいカフェを見つけた。illyというイタリアのコーヒーチェーン店。通りの角にある高い天井のカフェだった。やはりコーヒーは、紙コップではなく、こうして陶器で飲むのがおいしい。ひとり静かに。

*「コーヒーよ。地獄のように熱く、悪魔のように黒く、天使のように清らかで、愛のように甘くあれ。」

 

SEPTEMBER 10, 2004  甘すぎる誘惑

米国で最も人気のあるドーナツといえば、クリスピー・クリーム(Krispy Kreme)。創業1937年の老舗だ。スーパーマーケットでも買えるけれど、おすすめは工場併設の店でアツアツを買い、その場で食べること。渡米直後、NYのアッパーウエストサイドで、初めてこの「シュガー・グレイズド」を食べたときの感激! 甘くて、温かくて、ふかふか柔らかくて……。デュポンサークルに、新しい店がオープンしていた。その製造工程を見ていると(右端で回転しているのは全体的に砂糖)身の危険を感じるけれど、「一食」の価値はある。ところで近年、クリスピー・クリームは業績を上げ続け、優良企業として注目されていたが、昨年度は初めて成長率がマイナスになったという記事を目にした。原因は「アトキンズダイエット」。ご飯やパンやパスタやポテトやコーンが食べられないダイエットを実践する人がかなりいる。「低脂肪」「無脂肪」「人工甘味料」の食品が、大量に出回って久しいのに、肥満者が増え続けているこの国。そこへもってきて「低炭水化物」のまずいパンやパスタを生みだしてどうするのだ。味覚崩壊。次世代へと受け継ぐ食文化は、この国では育たないであろう。と話がそれたけれど。

 

SEPTEMBER 10, 2004  朝。

このごろは、ヨガを早めに切り上げて、散歩している。冬が訪れるまでの、限りある心地のよい季節は。

朝露に濡れた芝生の上を歩く。犬と歩く人がいる。夫婦で歩く人がいる。コスモスが揺れる。一人で走る人がいる。通勤のバスを待つ人がいる。車のホーンが聞こえる。新学期の校門をくぐる少年たちがいる。赤い木の実がきらめいている。木の幹がどっしりとある。大聖堂がはちみつ色に輝いている。リスが朝ご飯を食べている。影がみるみる短くなる。鳥が朝の歌を歌っている。

朝の光は、地上のありとあらゆる、森羅万象に等しく、降り注ぐ。みんなのもとに、朝が来る。

 

SEPTEMBER 9, 2004  不思議サンド

友人と、ジョージタウンのMie N Yuでランチ。悩んだ末に選んだのは、ツナのサンドイッチ。
分厚く切られた「ツナのたたき」が数切れと、キムチ、マヨネーズが挟まれている。
ゴマの付いた、こんがりつやつやのパンは、卵が入ったハラー・ブレッド (Challah bread)。
ジュイッシュ(ユダヤ人)のパンで、本来は大きな三つ編み状に成型されて焼かれる。
しかしこれは、サンドイッチ用に、丸く作られている様子。
ブリオッシュに似た軽さのあるパンで、少しパサッとした舌触り。
かなり奇抜なサンドイッチだけれど、予想以上においしい。キムチの辛さが本格的だった。
添えられているのはユカ(キャッサバ)のフライ。
中南米原産の根菜類で、繊維が多く、サツマイモとサトイモを合わせたような味。
これもパサッとした食感だけれど、歯ごたえと甘みがある。天ぷらにしても合いそうな味。
家についたら、こんな

 

SEPTEMBER 8, 200  毒入りスープ "toxic soup" の海

オリンピックのころは、楽しげな写真が踊っていたけれど、再び紙面を飾る重いニュース。
ロシアのテロのニュースの背後で目を引いたのはインドネシアのある漁村の悲劇。

「まず最初に、魚がいなくなりはじめた……」と、始まる記事。米国の「金」を採掘する鉱山会社が、海へ流し続けた工業廃水により、人口300人の小さな漁村が危機に瀕している。村人らは早い時期から、漁獲高の激減と、自分たちの身体の異変 <腫れ物ができる、皮膚が荒れるなど> に気づき、声を上げたが聞き入れてもらえなかった。鉱山会社 <Newmont Mining Corporation> は、工業廃水と村の異変の関係を否定し続けた。皺だらけの身体、腫れ物に覆われた赤ちゃんが産まれ、まもなく死んだことを機に、政府機関が調査に乗り出したがすでに時遅く。診察を受けた120人中、80%が過度の水銀と砒素を体内に含み、30人には腫瘍ができていた。漁業ができない。収入がない。子供を学校にやれない。命も危うい。採掘作業はすでに停止しているが、傷跡は残り続ける。鉱山会社の管理者曰く「海水は抜群の状態です。わたしは海に潜りましたが、すばらしかったですよ」……彼は、かのベストセラー "Our Stolen Future(奪われし未来)" を読まなかったか。直接に殺すも罪。間接に殺すも罪。

 

SEPTEMBER 7, 2004  カサブランカ

雨降りの週明け。掃除洗濯をすませて、机に向かう。なかなか集中できない。
冷蔵庫を探る。東南アジアの料理に使おうと買っておいたミントの束。
いくつかを、ぷち、ぷち、と、ちぎって洗い、一度湯を通してから、急須に入れる。
日本に帰国したとき見つけた、HARIOの透明の急須。茶こしもついている。お気に入り。
熱湯を注ぐとたちまち、いい香りがふわっと立ちこめる。す〜っ、とする。
はちみつを、少し入れて飲む。さわやか〜な味。少しモロッコな気分。


※本場モロッコのミントティーは、茶葉やハーブと、たっぷりのミントの葉のブレンドです。角砂糖を大量に入れた濃厚なミントティーは、小さなグラスに入れて飲まれます。

 

SEPTEMBER 6, 2004: LEWES  カニ三昧

12時。一番乗りで店に入り、カニを1ダース(それが最小単位)とトウモロコシを2本、注文。ところが数分後、ウエイターのおじさんが戻ってきた。「今日は時化で船の到着が遅れて、まだカニが店に届いてないんだよ。1時過ぎには届くと思うんだが……」 絶句する我々。カニ専門店が、カニなしで、店を開けるとは。しかも、カニがないのに、注文を受けるとは。早々から待っていたのに、どうしてくれよう。しぶしぶ駐車場に戻りつつ、ふと隣の敷地を見ると、小さな店がある。看板にカニのイラストがある。そこは、シーフードのテイクアウト専門店だった。迷わず直行。「たった今、まちがってカニを1ダース、ゆでたばかりだったの。普通なら20分かかるけど、5分でできるわよ!」と店員のおねえさん。なんて幸運な! 捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。コールスローとトウモロコシも買い、店先のピクニックテーブルでランチ。湯気が立ち上るスパイシーなケイジャン風味のカニを、二人黙々と食べる。見た目はかなり汚いが、身がたっぷりと入っていて実においしい。もう、悔いはない。夫の尽力により、今回は非常に恵まれた、まさに「味わい深い」2泊3日だった。残ったカニはお持ち帰り。明日もカニ料理だ。

 

SEPTEMBER 6, 2004: LEWES 何かが、違う。

そして帰り道。ランチには早い11時半。「カニ、食べてから帰る?」と夫。「そうしよう」とわたし。宿のスタッフに勧められていた、ルート1沿いにある「Lazy Susan's Crabs」へ。

開店までの十数分、店の隣のタトゥーショップへ。海辺の町には必ずある、ちょっと奇抜な入れ墨の店。そこで漢字の一覧を発見。意味は中国語に基づいているようだ。「愛: love」とか「心: heart」とか「樂: music」あたりはわかるとしてもだ。「貧: poor」「痛: pain」「逮: to seize」「囚: prisoner」っていうのは、穏やかじゃないな。「餃: dumpling」とか「薯: sweet potato」「蒜: garlic」あたりは、料理人向けか。鬱陶しいところでは、「蚊: mosquito」とか「蛾: moss」。「汗: sweat」「鼾: snore」なんて見た日には、近寄りたくないね。「酸: sour」っていうのもいただけない。「愚: stupid」も自虐的だし。「姉: older sister」とか「婿: son in law」といった続柄関係も、意図が掴めないなあ。なんだか、絶対に入れ墨したくない文字ばかりが目に付くのは気のせいか。いったい、誰が選んだんだ? この謎めいた漢字群。

 

SEPTEMBER 6, 2004: LEWES  ロシアの女子大生

今回宿泊したのは、目抜き通りに面した宿。オランダ語で「白鳥の宿」。前回よりずっと快適だった。

朝食をサーブするかわいい女の子は片言の英語。眉にピアスを開け、大きな花のついたビーチサンダルを履いている。皿を持つ手も、コーヒーをサーブする手もぎこちなく。けれど一生懸命だ。「どこから来たの?」と尋ねれば、ロシアのサンクトペテルブルクからだと言う。大学の交換留学制度を利用して3カ月間、ここに来ているのだとか。でも、勉強はせず、実生活体験をしているらしい。この町には、ウクライナやベラルーシからの学生も彼女と同様、交換留学で訪れているのだとか。とても大学生とは思えないあどけなさの残る少女だった。

お仕事の途中だったので、立ち入ったことは聞けなかったけれど、海外で母国の不穏なニュースを聞くのは、さぞかし心細いことだろうと思われた。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  美味なる夜

夜の町はとても静か。だけれど、ここだけは違う。街灯に群がる昆虫のように、手作りアイスクリームパーラーに群がる人々。かくいうわたしたちも食べたのだけれど。Butter Bricksが格別だった。

ドライブを終え、身繕いをして、Butteryへ。この間ブランチを食べた店だ。まずは赤ワイン(ピノ・ノワール)で乾杯。前菜は「海草とマグロのタルタル、ワンタンのフライ添え」。Japanese Styleと記されていた海草は、ワカメの茎の佃煮だった。米国の日本料理店でしばしばみかけるが、これはコリアンの佃煮。しかも細切れマグロの上に、スナック菓子の「グリーン豆(!)」がパラパラとあしらわれているあたり、主菜への不安がよぎる。が、トリュフのスライスとバジルのバターが載った「エイジド・ビーフ (Aged beef)のステーキ」も、「スクオッシュ(カボチャの一種)の花と茎の天ぷら、ジャスミンライスと野菜のソテー添え」も、どちらも美味! 特に、冷蔵室で2、3週間熟成されるエイジド・ビーフは、旨味が濃く、米国の一般的な牛肉と違ってきめが細かく滑らか。それを頬張り噛みしめる、至福のひととき。

 

SEPTEMBER 2004, LEWES  Field of Dreams

"If you build it, he will come."

"If you build it, they will come."

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  キャノンボール

1609年8月のある夜、ヘンリー・ハドソンによって、この地、ヘンローペン岬は「発見」された。
それから22年後、ここを理想的な捕鯨基地とみなした32人のオランダ人らが、移住した。
しかし、彼らは、ネイティブ・インディアンとの戦いに破れ、全滅する。

1682年、デラウエアはイギリスの地となり、ここは「サセックス州のルイス」となる。
しかし、安泰は続かず、その後、キャプテン・キッドをはじめとする海賊らがしばしば訪れる。

そして、1812年。米英戦争(1812年戦争、第二次独立戦争とも)の際には、
英国の海軍による砲撃を受ける。
そのときの、砲弾のあとが、今でも、ここに。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  WELCOME

町の中心にある、小さな教会。

OPEN MINDS
OPEN HEARTS
DOORS ALWAYS OPEN
ALL ARE WELCOME

200年を更に遡る、年号が刻まれた墓石が、庭いっぱいに。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  ようやく静かに

シャワーを浴びて、すっきりとしたあと、ようやく静かに、一人の時間。

カフェのある書店で、しばらく書き物などをする。

こういう時間が、とても心地よい。

と、1時間もしないうちに、アイスクリームを食べながら、夫がこちらへやって来る……。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES 食への情熱

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荒れた海辺で、波の花を踏んだりしながら遊んでいるうちに(夫は風に吹かれながら、いかにも海辺に似つかわしく、スタインベックの「真珠」を読んでいた)、早くも午後。すこぶるお腹が空いたので、近くのフェリー埠頭でランチを食べよう、というのに、「ファストフードはいやだ」と夫。前回の失敗が堪えているのか、決して妥協は許さぬ姿勢。全くもう。彼を置き去る勢いで、空きっ腹の底力。ぐんぐんと自転車を漕ぎ、町へ戻る。さて、今回夫が選んだのは、Rose & Crownというバー&グリル。わたしはギネスを、夫は地ビールのDogfish Headをオーダー。「あ、夕食の予約をして来なきゃ! ちょっと行ってくる」といきなり席を立ち隣の店へ向かう夫。数分後、ニコニコしながら戻ってきた。「予約はいっぱいって言われたんだけど、交渉して、8時45分に入れてもらったよ!」と得意気。いったいどうしたのだ、その情熱。

運動のあとのビールは、ことのほかおいしい! フィッシュ&チップスとクラブケーキサンドイッチをオーダーし、半分ずつ食べた。やっぱりファストフードにしなくてよかった。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  波の花

晴れの日ならば、アウトドアがいい。けれどこんな日はインドアがいい。にもかかわらず、「州立公園 (Cape Henlopen State Park)まで行こう!」と、張り切るマイハニー。町を出て、海に面した一本道を、公園目指して走る。猛烈な風に煽られて、ぜいぜい息を切らしながら、なにゆえに特訓の如く自転車を漕ぐかこんな日に。ズボンの裾をまくってまで。それでも州立公園に入ると、木々が生い茂り、風も和らぎ、自転車専用ルートも快適! アップダウン&カーブの道を、上り坂は立ち漕ぎでぐんぐん、下り坂は両足挙げてスイスイ。やがて海辺に到着。裸足で浜辺に屹立し、荒波眺めれば、「東映」の文字が浮かんでいけない。打ち付ける波間に、フワフワと舞い飛ぶは、波の花?! 初めて見る光景に感動す。波の花とは、波が泡立ち、白く砕け散るのを花にたとえた言葉。食塩の別称でもある。と、ここまで書いて、遠い遠い記憶を思い出した。午後だか夕方だかに塩を買うときには、「波の花をください」と言わねばならないということを。子供の自分が、近所のマーケットの一番奥の棚から、濃紺の文字で「食塩」と記されたビニール袋を手に取る映像が浮かぶ。わたしはおつかいで、波の花を買いに行ったことがあったのか? 「食塩」の文字を読めたのか。いや、読めないからこその「なみのはなをください」だったのか? いずれにしても、難易度の高いおつかいではある。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  張り切る人

このあたりでは、イルカが見られるらしい。そして運がいいときは、クジラも見られるらしい。
ドルフィン&ホエールウォッチングのクルーズに行きたいと夫が言う。

こんなにも、風の強い日。カフェでのんびりと読書でもしたいのだけれど……

と思いながらも、夫に付き合い船着き場へ。案の定、時化のため、ツアーは中止。がっかりとする夫。と、次の瞬間、「じゃあ、自転車を借りて、サイクリングしよう!」

こんなにも、雲の厚い日。カフェでのんびりと書き物でもしたいのだけれど……。

 

SEPTEMBER 5, 2004: LEWESS  風見天使

港町、だからだろうか。

家々の屋根には、風見鶏。

いや、風見ウマや、風見バッタ風見クジラなど、いろいろあります。

  

SEPTEMBER 5, 2004: LEWES  船大工の町

翌朝。やはり今日は、曇天だ。けれど雨が降っていないだけ、よかった。

古い家並みが続く、歴史的界隈 <Historic District>を散策する。
かつて、捕鯨の町だったここは、海を偲ばせるモチーフが、町のそこここに。
船大工の広場 <Ship Carpenter Square>を中心に、煉瓦と木で作られた、古い家が点在する。

そんな家々をとりまくさまざまを、ゆっくりと眺めながら歩く。
遠いところへ来ている気がして、束の間の、旅情。

※家々の写真は、こちらへ。

 

SEPTEMBER 4, 2004: LEWES  暮れ果てた空

夫が部屋でヤンキースの試合を見ている間(こんな夜に!)、わたしは一人、余りにも狭くて小さな、もうすでに何度も往復したルイスの目抜き通りを散策する。やがて夫と合流し、軽くドリンクと前菜でも、と思う。Second Street Grilleという雰囲気のいい店のバーカウンターに席を取る。アペタイザーの中から、選びたい2つを決めたとき、「リトルネック(アサリ)のスチームとサーモン・マリネのカルパッチョにしよう」と夫。食べ物の趣味が合うことが、我々の命綱だと今夜も思う。わたしは白ワイン(ソーヴィニョン・ブラン)、彼はモヒート(Mojito)を頼む。モヒートは、ミントとライムの果汁が効いた、ラム・ベースのカクテル。キーウエストに行ったときに覚えたキューバの味。バーテンダーの女性が、たっぷりのミントの葉をすりつぶしている様子を見て、隣席の老夫婦が「彼女はサラダでも作っているの?」と笑う。ドイツ移民の彼らと、しばし語らうも楽し。添えられたライ麦パンに薄くバターを塗り、サーモンを載せて食べたらおいしい! 「サシミ・クオリティだ!」とうなづきながら夫。旅先のおいしい料理は、より深く鮮明に、記憶の中に刻まれて、思い出に花を添える。

 

SEPTEMBER 4, 2004: LEWES  暮れ残る空

海辺からの帰り道。夕陽を追いかけて、車を走らせる。
行き止まり、引き返し、運河に架かる橋を越えて、また西へ。
みるみるうちに、太陽が落ちていく。
時折、木陰や、家並みの影から、橙色に燃えさかる太陽が、
サッ、サッ、と、見え隠れするのを、追いかけて、追いかけて、
やっと、見晴らしのいい場所へ到着したとき、太陽の姿は半分。
車を止めて、太陽のひとかけらが地平の彼方に沈みゆくのを
見送る

暮れ残る空の色を眺めながら、更に車を走らせて、この水辺までたどりついた。
こんな光景に、出会えたことの幸運。

 

SEPTEMBER 4, 2004: LEWES  海の思い出

海辺に転がる色とりどりの小石。波に洗われて、波間から現れて、それらはとても美しい。
ひとつ、ふたつと拾うわたしを見て、夫が語り出す海の思い出。もう何度となく聞かされた話。

彼が初めて海を見たのは10歳のころ。家族4人で、インド最南端のカンヤクマリへ行った。
アラビア海、インド洋、ベンガル湾という「3つの海」が交差する地点。茫洋たる大海が広がっている。
「海は本当に広くて、きれいで、一日中、遊んだよ。砂浜の、きれいな形の貝殻を拾い集めて、洗って、枕元に置いて寝たんだ。それがね、朝起きたら、貝殻が、ベッドの上や部屋の中、いっぱい散らばってるんだよ。びっくりしてお母さんを呼んだよ。……僕が集めたのはね、貝殻じゃなくて、生きてる巻き貝だったんだよ!」

聞くたびに、そのときの情景が、慌てふためく彼の姿が、ありありと目に浮かんできて、おかしい。

 

SEPTEMBER 4, 2004: LEWES  惜別の夏。

フロリダに、またしてもハリケーンが来ている。
その余波で、明日は多分、このあたりも曇るだろう。
だから、晴れ間のある今日のうちに海へ行こうと、ビーチ好きの夫は張り切る。
閉店間際の「海の家」で、ビーチパラソルを借りてきた。
「最初は断られたんだけど、明日、返却するから貸して欲しいって、交渉したんだ」と得意気に。
2週間前よりももっと、ここは秋めいた空となり。
マットの上に座って、海を眺める。寝転んで、空を見る。夫は
本を読んでいる
やがて、彼は本を投げ出して、ひどく冷たい海に入り、泳ぎ出す。

空は見るまに暮れなずみ、寂寞の陰影描き出し、終わり行く夏を惜しむ。

 

SEPTEMBER 4, 2004: LEWES  二度目の海辺へ。

昼前に、家を出た。午後2時を回ったころ、ルイスに到着した。この間、訪れたビストロ、Striper Bitesで、ランチを食べることにした。わたしは、軽くシーザーサラダとブルスケッタを、夫は魚のフライのサンドイッチをオーダーした。ブルスケッタとは、スライスしたパンにガーリックペーストを塗り、カリッと香ばしく焼いたイタリアの前菜。パンの上に、バジルやオリーブオイルが利いた新鮮なトマトのざく切りが載っていて、ワインにとてもよく合う。"Enjoy!"と言いながら、ウエイトレスが差し出した皿を見て「???」。サワードウのパンの上に、スライス&マリネされた黄色と緑のズッキーニ、トマトがどっしり、そしてチーズがたっぷりとろり! なんて拡大解釈されたブルスケッタ! 予想外のボリュームに一瞬動揺したけれど、まったく別の料理と思って食べてみると、おいしい。風味豊かなアシアゴチーズと、新鮮なハーブのペスト、バルサミコ酢との相性も、とてもいい。ランチは軽め、夜はきちんと、と思っていたけれど、二人とも、お腹いっぱいになってしまった。


※Lewesの発音が[loo-iss]だと言うことが発覚したので、日本語表記を「ルイス」に変更しています。

 

SEPTEMBER 3, 2004  次に読む本

歯科へ行った。待合室に置かれていた、New Yorkerをパラパラとめくっていたら、一つのエッセイが目にとまった。書き手はジュンパ・ラヒリ。ロンドンに生まれ、ロードアイランドで育ち、現在は夫と息子と3人でNYに暮らす、美しきインド人女性作家。彼女と、母親の作るインド料理との関わりを描いたそのエッセイは、ここにまでスパイスの香りが漂ってくる鮮やかさ。娘たちにレシピを残さなかった母親の在り方が、親しげに伝わってくる。どの国でも、受け継がれていく家庭料理は、目や、耳や、鼻や、舌や、指先……五感のすべてに、記憶されていく。彼女の著書は、わたしの書棚の「すぐにも読みたい本」の群の中--現在、その群の大半は、インドに関わる本--にあって久しい。『Interpreter of Maladies (停電の夜に)』そして、『The Namesake』。どちらもずいぶん前に、夫が自分のために買ったものだ。日本語の読書ばかりを優先しているうちに、The Namesakeの日本語訳も出版されてたことを、日本の新聞の書評欄で見つけた。『その名にちなんで』。とてもきれいなタイトル。この本を、明日、海辺に持っていこう。

 

SEPTEMBER 3, 2004  ブナの木のシャツ

いつのころからか、化繊の素材が肌に触れるとき、心地の悪さを感じるようになった。気に入ったデザインなのに、真新しいままクローゼットに眠っている服もある。そのかわり、綿や絹など、自然の肌触りの衣類を求めるようになった。そして、夏はといえば、人と会ったり、特別の日でもない限りは、綿100%のTシャツを着ている。すこぶるアメリカン。ここ数年のお気に入りは、J.CREWの、無地のTシャツ。ほどよく身体にフィットする、シンプルなシャツだ。たまに半額セールをやっていて、まとめて白や黒やオレンジやピンクなど、いろんな色を買う。綿は洗濯をすると傷みやすいけれど、古くなったらエクササイズ用にすればいい。

明日、ドライブに出かける。運転中の日焼けを防ぐには、ジャケットを着るよりも、長袖のTシャツが便利だな。と思ってJ.CREWに入ったら、いかにも望ましいものがあった。しかも肌触りがとてもいい! タグを見ると、コットン60%、モダール40%とある。モダールといえば8月13日のあのシーツ! 迷うことなく3枚まとめて購入。この秋は、これらを着回してしまうことになりそうだ。

 

SEPTEMBER 3, 2004  新たな味覚

外出中のランチタイム。パスタを食べたいと思ったので、ジョージタウンのイタリアンレストランへ行った。ゆっくりと、メニューを目で追う。パッケリ(PACCHERI )……。どんなパスタだろう。ウエイターには敢えて訊かずに、初めてのパスタを試してみることにした。
白いテーブルクロスと、その上で揺れる木漏れ日。よく冷えた白ワイン。黄金色のオリーブオイルと、香ばしくておいしいパン。まもなくテーブルに届くはずの料理を、心待ちにする気持ち。象徴的な、ひとつの、
幸福の情景。『街の灯』の、「ギリシャ旅情」みたいに。

"Bon Appetit"と、差し出されて目を見張る。パイプオルガンみたいなパスタ! ナイフで半分に切ってから、口に入れる。かなりしっかりとしたアルデンテ。魚介類の旨味が染み込んだトマトのソースが、軽く絡められている。噛みしめるほどに、残り少なくなるほどに、おいしさが増していく。うれしくなる。ソースもしっかり、パンで拭き取るようにして、きれいに食べてしまった。次に訪れたときも、また頼んでしまいそうだ。

 

SEPTEMBER 2, 2004  ついてない日は

午前中。書類申請のためインド大使館へ行く。インフォメーションにはなかったはずの資料の不備を指摘され、不本意ながらも出直しが必要となる。無駄足を踏んだ。午後、予約していたヘアサロンへ行った。けれど担当者は体調不良でお休み。またしても無駄足を踏んだ。夕方からは、英語の家庭教師が来るはずだったが、それもキャンセルになっていた。何もかもが、予定通りに進まない日。甚だ気持ちが腐る。やれやれどうしたものだ。と、ヘアサロンの外のベンチで、しばし脱力。このまま帰るのも、面白くない。食料品店のドアを開ける。今夜のおかずはインド風チキンカレーだから、ナンでも焼こうと思っていたが、ほどよい堅さのバケットが売っていたので、「これでいいや」と手に取る。おいしそうなお菓子もある。最近、甘い物をしばしば食べているから我慢しよう。と思いつつも、小さなチョコレートを一つ。と、赤いリンゴの器が目に入った。電子レンジにもオーブンにも、食器洗浄機にも対応するという、可愛くったって、たくましき米国産。いつもなら「必要ないから」と看過するところだが、一瞬の迷いもなく、買おうと思う。極めて小さな衝動買いで、少し気分が持ち直す。

 

SEPTEMBER 1, 2004  幾度めかの、はじまり

一つ歳を重ねた日。少し新しい気持ちで外に出た。飛行機が、彗星のように尾を引きながら空をよぎっているのを見たとき、27歳の春の日のことを思い出した。会社を辞め、フリーランスになった初めての日。わたしは一人で、二子玉川園のカフェテラスで独立を祝すランチを食べた。青空の下、まだ冷たい春風に吹かれながら、ビールを飲み、サンドイッチを頬張った。平日の昼間に定められた場所へ行く必要がない、ということの妙な感覚。不意に襲ってくる、叫びだしたいほどの、とてつもない開放感! 仕事は入ってくるだろうか。ちゃんと収入を得られるだろうか。踏み出すまでは、しばしば不安に駆られた。けれど、その日のわたしは希望に満ちていた。たくさん営業しよう。多くの人々に出会おう。あちこちへ取材へ行こう。様々な土地を踏もう。たくさんの原稿を書こう。お金が貯まったら、長い休みを取ろう。そして旅に出よう。

今日の空は、あの日の空に、よく似ていた。
あの日のような「はじまり」の高揚を、これからも、いつまでも、折に触れ。

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