JULY 31, 2004 Young and Smart |
土曜日の夕方。友人らとステーキを食べに行く約束をしていた。ちょっと気取った店で、「要ジャケット&タイ」のドレスコードがある。ステーキを食べるのに正装なんて……とブツブツ言いながらも、夫はシャツを着て、タイを締める。最近の夫は「衣装持ち」だ。それはわたしが日本から、父が着ていたシャツやタイをもらってきたから。父は夫よりも体格がよく、肩幅が広かったけれど、夫はその分、腕が長いから、細かいところを気にしなければ、ちょうどぴったり。シャツには父のイニシャルのモノグラム入りもある。「僕の名前とY.S.は、全然関係ないよねぇ」「それはさあ、YoungでSmartだってことにしておけば?」 プライム・リブという名のその店で、プライム・リブを食べた。数週間寝かせた骨付きの大きな肉塊を、特製オーブンでじっくりと焼き、一人前ずつに切り分ける。1人前は24オンスもあるから2人分にわけてもらう。恭しく供される、柔らかくジューシーな肉。お店が勧めるセントラル・コーストのカベルネ・ソーヴィニョンは、少し甘いけれど、牛肉の風味を引き立てておいしかった。だから父も一度くらいはアメリカに、来ればよかったのだ。背もたれの高い、黒い革の椅子。この店の雰囲気は、白髪混じりの男たちがよく似合う。ちょうど父のような。 |
JULY 30, 2004 夏空 |
アメリカの日差しは、日本のそれよりも、鋭く感じる。 けれど、例えば、夕陽に向かって運転をしているときでもない限り、 ほとんどサングラスをかけない。 自然のままの、風景の色を見るのが好きだから。 |
JULY 29, 2004 特大 |
びっくりするほど大きなブルーベリーのパック。手に取ると、どっしりと重い。 そのまま食べるにしても、きっと追いつかないから、冷凍にしたり、あるいはソースかジャムにしたり、 |
JULY 28, 2004 記憶 |
10年たっても、20年たっても、忘れないものは、忘れない。 10秒後でも、20秒後でも、忘れるものは、忘れる。 好むと好まざるとにかかわらず。 |
JULY 27, 2004 Send me! |
ボストンで行われている民主党大会(Democratic
National Convention)。 「今夜は一市民として話す」と言いながら、とても一市民ではありえない、あふれんばかりの存在感。 |
JULY 26, 2004 ジューシー・フルーツ |
一年のうちで、一番フルーツが輝いている季節。 そんな時節の我が家のブームは、フルーツあれこれたっぷりのブレックファスト。 「このピーチは甘いね」とか、「ブルーベリーは酸っぱすぎるね」とか、「ハチミツかける?」 |
JULY 25, 2004 30年のあいだに。 |
日本語教授法の通信教育をやっている。当初予想していなかった発見がある。「発音」の項を勉強しながら、自分の英語の発音を省み、今更ながらアメリカン・アクセントのトレーニングのテキストとCDを購入して、勉強を始めた。「方言」の項を勉強しているとき、松本清張の『砂の器』のあらすじが、参考資料にあった。テキストを放りだし、書棚の、色あせた背表紙を目で追う。内容を、もう全く覚えてはいないけれど、確か持っていたはず。あった! 上下巻2冊。読み始める。昭和48年初版発行。昭和55年30刷。30年前の日本。まだ20歳代の、男性の語尾が「〜ですな」。女性の語尾が「〜ですわ」。37歳の妻と10歳の息子を持つ、多分40代の男が「老練」刑事と形容される。「あなた」「おまえ」と呼び合う夫婦は、妻に温泉行きをせがまれると「定年退職したあとに」とあしらう。この、名作と呼ばれる推理小説の推理を楽しむよりむしろ、この30年の間の、日本人の暮らしぶりの変遷、日本国内の距離感(夜行で20時間かけて東北に行く)、日本語表現の移り変わり、人々の精神年齢の若年齢化、そういうことの方に興味をそそられて、週末のうちに一息で読んだ。ことごとく、渋い気分になった。 |
JULY 24, 2004 森の道を歩く午後。 |
この間、見つけた森の道を、探検に行くことにした。 ときどき、本当にときどき、ジョギングする人や犬の散歩をする人と擦れ違うばかり。 |
JULY 23, 2004 常備チョコ。 |
数カ月前、日系の食料品店で、夫が何気なく買ったロッテのガーナチョコレート。 その味を気に入って、日本に行ったときに買いだめ、ニューヨークに行ったときに買いだめ……。 甘い物を、好きだけれど普段はあまり食べない。アメリカの甘い物は、甘さが強すぎるから。 だからむしろ、日本に帰ったときの方が、「ほどよい甘さ」に誘惑されて、お菓子をたくさん食べた。 1列分4ブロックを、丁寧にパリンと割り、まるで高級な粒チョコを食べるみたいに、 少しずつ、味わいながら、「オイシイ……」とつぶやきながら、賞味する夫が、かなりかわいい。 |
JULY 22, 2004 高校時代。 |
1学年下のその子とは、ほとんど言葉を交わしたことがなかった。コートの反対側から、眺めるだけだった。パスをしたあとの指先の余韻。フェイントをかけるときの視線。走り出す瞬間の背中の角度。タオルで額の汗を拭うときの首の傾き。シュートをする瞬間の膝の伸縮……。彼の動きのひとつひとつの、そのすべてが大好きだった。「あいつのどこが、そげんいいとや?」クラスメイトのバスケ部男子に聞かれた。「わからん。わからんけど、好きなもんは好きったい!」誕生日に送った空色のタオル。そのタオルを、彼が首に巻いて体育館に入ってきた瞬間のときめき! 人生バラ色!! もし彼も、わたしのことを好きだと思ってくれたら……と考えるるだけで、熱が出そうだった。結局、何事もないままに、卒業式を迎えたけれど。 うちの向かいの学校の校庭の、バスケットコートにボールが落ちているのを見つけ、久しぶりにコートを駆け、シュートをし、あっというまに息を切らしながら、あのときめきを思い出す。 |
JULY 21, 2004 もうひとつの書斎。 |
「今日は、夜遅くまで仕事をするから、ミホもRestonに来ない? 一緒に食事をして帰ろうよ」 朝日が照りつけるハイウェイを走り抜け、夫をオフィスでおろした後、わたしは7マイルほど先のホテルへ。ゴルフ場を併設したこのリゾートは、眺めよく、雰囲気もいいと、噂に聞いていたのだ。もしもスパの予約をすれば、プールやジムを10ドルで利用できると聞いていたので、水着も持ってきていた。あいにくフェイシャルの予約がいっぱいだったので、仕事に専念することにする。 ラウンジは静かで、ゴッホみたいなひまわりがあって、椅子もソファーも座り心地がよく、インターネットにもアクセスでき、電源もある。緑の山並みを眺めながら、ダイニングでランチを食べた後も、しばらくここで仕事をし、読書をした。いつもよりも、時間が丁寧に流れていくような気がする。また来ようと思う。 |
JULY 20, 2004 1ドル札には…… |
ランチタイムのフレンチビストロ。 隣のテーブルの女の子は、フランス語と英語を混ぜ合わせてしゃべる。 |
JULY 19, 2004 一日のはじまりに。 |
わたしたちは、毎日欠かさず、朝ご飯を食べる。時折の、とても早く起きねばならない翌朝のために、とても早く眠ることもある。目を覚ましたら、顔を洗い、歯を磨き、1杯の水を飲む。そして、静かにヨガをしたあと、シャワーを浴びる。あるいは半身浴をする。それから、生姜をすりおろし、はちみつを加えた湯、もしくは好みのハーブティーを、その日の気分に合わせて、飲む。新聞を読んだり、ぼーっとしたり、しながら。そのあと、今までなら、ヨーグルトとフルーツで作ったスムージーとともに、トーストやパンケーキ、シリアルを食べていた。 最近、新しいメニュー「ニンジンジュース」が登場した。日本の雑誌の記事でそれを知った。オーガニックのニンジン、リンゴ(フジ)をゴシゴシ洗って適当に切り、皮のままをブレンダーに入れ、レモンの絞り汁と、アップルジュースを少し加えて濃厚なジュースを作る。「飲む」というより、「食べる」という感じ。フルーツのスムージーよりもはるかに、身体いっぱいにビタミンなどの栄養素が行き渡る感じがして、とても気持ちがいい。当分は、このジュースが朝の習慣になりそうだ。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: ジェファソン・プール |
ホテルからの帰り道。 Warm Springs という村にある、古くて小さな温泉場に立ち寄る。 「1時間、浸かってください」 そう言われたけれど、ものの10分で退散。 やっぱり温泉は、日本が最高。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: たいせつなじかん |
ホテルの敷地内を散歩する。まるで羊の群のような、あじさいの群生。 近寄れば、ひとつひとつがとても大きくて、それらがぎゅうぎゅうくっつきあって、微笑ましい。 夫と二人、テラスのロッキングチェアーに座り、語り合いながら風景を眺めるひととき。 7月18日。今日はわたしたちの、まだ3度目の結婚記念日。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: 目移りする、あれこれと朝食。 |
朝食のダイニングは、この広々としたホテルのゲスト全てを招き入れる、やはり広々とした場所。 スクランブルエッグにハッシュドポテト、ソーセージ、ベーコン、ハム(ポーク)、コーンビーフポテト、オートミール、フレンチトースト、マフィンなどなど。いかにもアメリカンなメニューがずらりと並ぶ。 まずは、たっぷりのフルーツを。それにしても、このブラックベリーの、なんて大きいこと。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: 温泉の湧く場所 |
そのスパは、ホテルのメインビルディングから少し離れた場所にある。 石のベンチに腰掛けて、靴を脱いで、温泉に足を浸しながら、 ただ、この足先を、温泉に浸している、というだけで、 |
JULY 2004, HOMESTEAD: いい香りのするものたち |
いくつものブティックが並ぶショッピングアーケードにて。 この間、インドで買ってきたアーユルヴェーダの石鹸やボディシャンプーが、 そう自分に言い聞かせて、なんとか思いとどまった。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: リゾートライフ |
雨が降ったけれど、そんなにはがっかりしない。屋内でも、リゾートライフは楽しめるのだから。 やがて、スパへ出かける。ミストサウナで身体をホクホクに温めたあと、 |
JULY 2004, HOMESTEAD: サリーちゃん! |
2泊3日の滞在なのに、サリーを4着も持参した。 初日は初めての「着付け」に手こずったけれど、2日目は慣れて、うまく着られた。 ちなみに初日のサリー姿は、まともな写真がなかったので、後ろ姿を。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: 大自然のなかで。 |
そのリゾートは、ヴァージニア州の「ホットスプリングス」という村にある。 |
JULY 2004, HOMESTEAD: エレガントに |
広々とした車寄せに、車を停める。ホテルマンたちがきびきびと、トランクから荷物を運び出す。 エントランスに足を踏み入れると、そこは高い天井の、壮麗なホール。 お洒落に着飾った人々と、カジュアルなファッションの人々とが、入り交じって歩いている。 こういう場所に来たときは、できるだけ、エレガントにしていたいと思う。 だから、早くチェックインして、ジーパンとTシャツから着替えなくては! |
JULY 2004, HOMESTEAD: ハイランド・リゾートを目指して。 |
ルート66をひたすら西へ走る。シェナンドア渓谷のあたりで、I-80に乗り換える。 前方に見えていた山並みが、やがて右手に、そしていつのまにか左手に見え始める。 やがて、日が傾き始めたころ、森を走り抜けた果てに、ようやく、ホームステッドのサインが。 |
JULY 15, 2004 有閑マダムな日 |
思わずどこまでも歩いていきたくなるような、軽い風が吹く晴れた日。Rio Grande Cafeというメキシカン・レストランのテラスで、友人とランチ。彼女はポークリブを、わたしはビーフのファヒタをオーダー。マルガリータを飲み、トルティーヤをつまみ、互いの近況などを語り合う。やがてテーブルに届いたポークリブのボリュームに、度肝を抜かれて笑いが弾ける。「はじめ人間ギャートルズみたい!」という彼女の言葉に、マンモスの肉を思い出してまた大笑い。まるで箸が転げてもおかしい年頃と化して。料理はとてもおいしくて、予想以上によく食べた。 そして夜は、我が家のアパートメントビルが主催するお料理教室に参加した。1階のラウンジに著名レストランのシェフが訪れ、スペイン料理の前菜などを披露。グワカモレにガスパッチョ、セビーチェ、ブレッドプティングなど。作りながら、食べながら、おしゃべりしながら、のカジュアルなクラス。今日はよく食べた一日。 |
JULY 14, 2004 カルチャーショック |
そのカフェのメザニンは静かで、勉強をするのにいい。今日は幸い、読書をする静かな人たちが数人いるだけ……。と思った矢先、若い男女がやってきた。フランス語でトゥルトゥルしゃべりながら。男が女の足許に跪いて、唇にキスしたかと思えば、今度は膝に抱き上げて、背中にキス。延々と、ちゅうちゅう、ぶちゅぶちゅ、トゥルトゥル、ちゅうちゅう……。ああもう気が散るったらありゃしない! よほど「自分の家でやりなさい」と言いたかったが、それはいかにもお節介だわ、他国の文化を尊重すべきよね、と思いとどまった。わたしだって、たまにはハニーとベタベタするけどさ。その粘着度は比べものにならないよ。そして夕食の時、夫に報告する。 |
JULY 13, 2004 49日 |
外出の帰り道、スーパーマーケットの花屋さん。 買い物を、する予定ではなかったけれど、レジの近くでみつけたもぎたてのキュウリを手に取る。 父が死んでから、今日は49日目。 |
JULY 12, 2004 ワイルド・ライス |
頑なになっているわけではないけれど、同じ手間をかけるなら、健康的なものを身体に取り入れたい。 |
JULY 11, 2004 狐につままれる。 |
今日もまた、一段と蒸す夏の昼。日焼け止めを塗り、つばの広い帽子を被り、ボトルの水を持って外に出る。我が家は、マサチューセッツ通りとウィスコンシン通りが鋭角に交差する丘の上にある。いつもはウィスコンシン通りを「南下」してジョージタウンへ行く。あるいは、両脇に各国大使館が林立するマサチューセッツ通りを下ってデュポンサークルへ行く。でも今日は、ウィスコンシン通りを「北上」して、テンリータウンの方へ行く。ジョギングをする人あれば、テニスをする人がある。見ているだけで汗だくになる。途中の日本料理でランチを食べる。わたしはざるそばを、夫は鮭カマの塩焼き定食。そうして寂れた映画館へ行く。まるで学校の教室みたいな小さなシアターで、「Super Size Me」を見る。改めて、ファストフードは食べちゃならんと思う。いつもとは違うホールフーズで、新鮮な野菜や果物を買う。ウィスコンシン通りを歩きつつの帰路。「内側の静かな道を通って帰ろう」と夫が言う。細い道を通り抜けたら、緑の広場に出た。そこに伸びる一本の小径。ジョギングの女の子たちが森の方から出てきて、Uターンして行った。この道はどこに続くのだろう。行ってみる? 突然に森の道。買い物袋を下げて、木漏れ日の中を歩く。途中のせせらぎで休憩する。水面に反射する光が、あたりの岩や切り株や植物の葉裏に反射して、ゆらゆら、ゆらゆら。犬を連れたお兄さんがやってくる。犬は気持ちよさそうに水に浸かる。再びてくてく、小径を歩いて行く。やがて視界が開けて、再び緑の広場に出た。目の前にはマサチューセッツ通り。見慣れたご近所。こんなところに、こんな森への抜け道があったなんて! |
JULY 10, 2004 土曜日夕暮れ散歩道 |
日の高いころは一日、部屋の中で過ごした。 夕食を、友人らと食べに行く約束をしていた。 コネチカット通りの、テラスを出した店が並ぶあたり。待ち合わせ先はインド料理の店。込み合う土曜の夜。 |
JULY 9, 2004 サイクリング・サイクリング |
サイクリング・コースの多いこの街では、バスが自転車を運んでくれます。 |
JULY 8, 2004 雲と蝉 |
無闇に湿度の高い午後。 水分をたっぷりと含んだ雲が、空にプカプカ。 木々を彩るオレンジ色は、花ではない。 そのあたりだけ、枯れている。 17年蝉の仕業。 |
JULY 7, 2004 素材の力 |
週末に買っておいたオーガニックの野菜を使って、今日はバーベキュー的オーブン料理。オリーブオイルを塗った天板に、ジャガイモ、ニンジンを載せ、上からやはりオリーブオイルと粗塩をふりかけ、オーブンへ。それから皮を剥いたニンニクをたっぷり、アルミホイルに入れてオリーブオイルをかけ、包み焼く。火の通りやすいアスパラガスやトウモロコシは途中からの参加。そしてメインはスペアリブ。数時間、たれに付け込んでいたものを、野菜とは別の天板にタマネギのスライスとともに載せてオーブンに入れる。あとはご飯のスイッチを入れて、焼き上がり、炊きあがりを待つばかり。我々の「出会い記念日」の今日。少し上等の赤ワインを開け、くすんだオレンジ色の薄暮の空を眺めながら、乾杯。カリフォルニア産のゴールデン・ポテトは、まるでサツマイモとジャガイモを合わせてクリーミーにしたような、甘さと滑らかさがあり、ただ焼いただけなのに、ことのほかおいしい。ぴちぴちした歯ごたえのトウモロコシ、緑の風味が鮮やかなアスパラガス、甘みが際だつニンジン……。主役のスペアリブも、脂身がほどよく、タマネギと、ペースト状のニンニクとの相性も抜群。いつしか二人とも手づかみで、ワイングラスもベタベタで、なんだかお行儀はよくないけれど、身も心も満たされた、力強い食卓だった。 |
JULY 6, 2004 この国の人々 |
コーヒーを買おうとレジに並んで待っていた。わたしの前には、髪とヒゲをぼさぼさに伸ばした中年の男性。みすぼらしい服装をした、しかしがっちりとした体格で、だが目つきに落ち着きがなく、少し精神を病んでいるように見える。「僕は今、お金を持っていない。だけど腹が減っているんだ。コーヒー1杯と、なにか食べ物をくれないか?」彼の頼みに、戸惑う若い男性店員。「マネージャーに相談します」と言う彼の声をさえぎるように、わたしの後に立っていた中年の女性が小声で言った。「I'll take care...(わたしが払うわ)」。かくして空腹の男性は、熱いコーヒーと、チョコレートブラウニーを手にした。そういえば、さっきのバスでもそうだった。小さな子供を二人伴った母親が、ストローラーや荷物で手一杯になっているところに、年輩の女性が声をかけ、子供の一人を自分の膝の上に載せて、あやし始めたのだった。まるで旧知の間柄のように、語り始める彼女ら。 わたしはこの国に住んで長いが、この国の人々の、臆しない、あまりにも自然な、厚意や親切に直面するにつけ、今でもハッと、目が覚める思いをさせられるのだ。 |
JULY 5, 2004 Japanese Cypres |
夕暮れ時の散歩道。いつものように、ビショップス・ガーデンへ行く。 |
JULY 2004, NEW YORK: 遠い家路 |
連休の最終日は込み合うだろうからと、あえて一日前に帰るチケットを予約していたというのに、列車の爆破予告があったとかで、あらゆる便が全体に1時間遅れ。無論、1時間前の便に切り替えて、わたしたちは5時にマンハッタンを離れた。DCまでは3時間余り。多分アパートメントの屋上から、独立記念日の花火を見られるだろう。と思っていたら、途中のフィラデルフィアで列車は止まる。この先のボルティモアの発電所が落雷に遭い、電力供給がストップしたのだという。再開の目途は立たないとのアナウンスが繰り返されるばかり。わたしたちは、カフェカーでビールとホットドックを買い、ジャンクフードの夕食。ホームをうろうろ歩いたりもして(全然関係ないけれど、夫がバッグに付けている小さなキーホルダーは、福岡空港で買った「長崎カステラ」ちゃん。日本って、本当に、こういうチマチマしたキュートなものがたっくさんあるのね。カステラ好きの夫を思い、衝動買いしました)。なんとか1時間後にはゆるゆると列車は走り出し、よかったよかったと思っていたのだが、デラウエアを過ぎ、ボルティモアに到着した途端、「これ以上、列車は先に進めません」とのこと。もう! あとちょっとなのに! 乗客は列車を下ろされ、駅に待機せよとのこと。改札の時刻表の時計はすでに9時2分を示し、DELAYEDの文字が連なる。このままじゃ、いつまで待たされるかわからない。同じDCを目指す他の乗客(カップル)と相乗りで、DCまでタクシーを飛ばした。そして10時半。ようやく我が家に到着。花火はすっかり終わってしまい、がっかりしながらも、2時間遅れくらいですんだのは、幸運だったかもしれないと、殊勝にも思いながら、バスタブに深く浸かり、終わる長い一日。 |
JULY 2004, NEW YORK: ノスタルジア |
街を歩きながら夫が言う。「マンハッタンは、本当に、いいね。DCよりも、ずっと楽しい」 この、バーンズ&ノーブルのスターバックスカフェの、手前の柱の、右側のテーブルで、彼の前に空席を見つけ、「ここに座ってもいいですか?」と尋ねた、わたしたちが出会った、8年前の七夕の夜のことを思い出しながら、しかし次は、もう違う場所に、わたしは最早、住みたいのだ。 |
JULY 2004, NEW YORK: セントラルパーク |
セントラルパークは、本当にいい。 セントラルパークのないマンハッタンなど、わたしには考えられない。 この公園があったから、この街で暮らしたいという気持ちが増したのだと、今でも思う。 懐かしい風景のなかで、また夫と二人でここへ来るのはいつだろうか。 毎日のように、ここをジョギングしていたころが、遠い遠い昔のことのようだ。 |
JULY 2004, NEW YORK: ニーハオ! |
今日はダウンタウンを歩こうと、サブウェイに乗る。ソーホーのSpring
Streetでサブウェイを下りるつもりが、 |
JULY 2004, NEW YORK: 光あふれる場所 |
まばゆい光の洪水。人々の洪水。タイムズスクエア。 ベン・スティラー主演の「ドッジボール」。わざわざ、劇場で見る価値はあったか、というような、 連休ただ中のタイムズスクエアは、まるで縁日のような賑わいで、我々は人混みに辟易し、ホテルに戻る。 |
JULY 2004, NEW YORK: 矛盾 |
たとえばミッドタウンの、主に日本人駐在員ばかりを顧客にしていた日本料理店は、悉くつぶれていた。 |
JULY 2004, NEW YORK: 余裕。 |
それはもう、DCの街を歩いているときの比ではない。確かにたっぷりと歩いているけれど、それにしたって、こりゃすごい。ネイルサロンに入り、スパ・ペディキュアをしてもらおうとサンダルを脱ぎ、自分の素足を見て驚く。足の裏が、まるで裸足で歩いた後のように、見事に真っ黒なのだ。そんな足を、ソルト入りのお湯につけてほぐし、ふくらはぎのあたりからマッサージしてもらう。足のむくみもすっきりと、ネイルもピカピカにしてもらい、さあ、またサンダルを履いて、足取り軽やかに、街を歩こう。 一日の終わりにホテルに戻り、バスタブに浸かってみるとやはり、再び、汚れきった足。そんな足の裏を。ゴシゴシ、ゴシゴシと擦りながら、この街に住んでいたころのわたしは、こんなに足の裏の汚れを気にしていたかしら。ひたすらに、闊歩するばかりだったころは。 |
JULY 2004, NEW YORK: ボンジュール! |
滞在先は、44th Street, between 5th and
6th Avenues にあるSoftel。 通りに面した、光いっぱいのダイニングで、 |
JULY 2004, NEW YORK: マンハッタンまでの光景 |
出張先のボストンからマンハッタン入りした夫と二人で、夕暮れのマンハッタンを歩く。「アンニョンハセヨ〜」と、コリアタウンで遅めのランチのあと、ミッドタウンを彷徨。今年の2月にオープンしたタイムワーナービルのショッピングモールを巡り、昔住んでいたアパートメントのビルに立ち寄った。こんなことをするのは、この街を離れて以来、はじめてのこと。わたしたちが住んでいたころと同じドアマンが笑顔で迎えてくれ、フロントにもまた、懐かしい顔が。しばらく世間話をして、それから近所のハドソン・ホテルへ行く。ビリヤード台のあるライブラリー・バーで、わたしはモヒト(甘さ控えめ、ミントを多めにお願い)と、夫はマルガリータ(氷入りで)をオーダーし、時に、互いのドリンクを味見しあい、とりとめもなく語り合い、置かれた写真集をパラパラとめくり、それから下手くそなチェスをして、訳のわからないままわたしのキングは奪われ、それからふらふらと、いい気分で、ミッドタウンあるホテルに戻った。 |
JULY 2004, NEW YORK: 変貌する街 |
初めてこの街に降り立った1996年から、みるみる変貌を遂げる街の様子を、つぶさに見てきた。ミッドタウンから、昔住んでいたあたりを歩く。この59丁目からそびえ立って見えたアパートメントが、コロンバスサークルにできた、この二棟のビル<タイムワーナービル>に遮られて、谷間に小さく。それにしても、何が悔しいって、このビルの地下に、全米最大の「WHOLE FOODS MARKET」ができたこと。現在の我が家の食卓は、ジョージタウンのWHOLE FOODS MARKETに支えられているといっても過言ではない。我々の食生活の鍵を握っている、オーガニック食品も豊富なスーパーマーケットのチェーン店なのだ。精肉コーナー、魚介類コーナー、お総菜のコーナー、どこもかしこも、実に豊かな品揃えで、この店が、あと6年、早くオープンしてくれていたなら、ニューヨーク時代の我が食卓が、もっとヘルシーに、もっと充実していたに違いないと、「く〜っ!」と思いながら、店内を一巡する。 |
JULY 2004, NEW YORK: 摩天楼までの寂寥風景 |
むしろ、雑木林や、だだっ広い平原や、無辺の農耕地や、豊かに水を湛えた川など、自然の方がいい。 |