JULY 31, 2004  Young and Smart

土曜日の夕方。友人らとステーキを食べに行く約束をしていた。ちょっと気取った店で、「要ジャケット&タイ」のドレスコードがある。ステーキを食べるのに正装なんて……とブツブツ言いながらも、夫はシャツを着て、タイを締める。最近の夫は「衣装持ち」だ。それはわたしが日本から、父が着ていたシャツやタイをもらってきたから。父は夫よりも体格がよく、肩幅が広かったけれど、夫はその分、腕が長いから、細かいところを気にしなければ、ちょうどぴったり。シャツには父のイニシャルのモノグラム入りもある。「僕の名前とY.S.は、全然関係ないよねぇ」「それはさあ、YoungでSmartだってことにしておけば?」

プライム・リブという名のその店で、プライム・リブを食べた。数週間寝かせた骨付きの大きな肉塊を、特製オーブンでじっくりと焼き、一人前ずつに切り分ける。1人前は24オンスもあるから2人分にわけてもらう。恭しく供される、柔らかくジューシーな肉。お店が勧めるセントラル・コーストのカベルネ・ソーヴィニョンは、少し甘いけれど、牛肉の風味を引き立てておいしかった。だから父も一度くらいはアメリカに、来ればよかったのだ。背もたれの高い、黒い革の椅子。この店の雰囲気は、白髪混じりの男たちがよく似合う。ちょうど父のような。

 

JULY 30, 2004  夏空

アメリカの日差しは、日本のそれよりも、鋭く感じる。

けれど、例えば、夕陽に向かって運転をしているときでもない限り、

ほとんどサングラスをかけない。

自然のままの、風景の色を見るのが好きだから。

 

JULY 29, 2004  特大

びっくりするほど大きなブルーベリーのパック。手に取ると、どっしりと重い。
いつものパックの、軽く4倍は入っていて、4.99ドルと随分リーズナブル。
こんな大きなパックを見るのは初めてだ。
多分、「旬の極み」の一時期に、農家が「太っ腹」になって、特大サイズを売り出すのかもしれない。
その時期は多分、とても短くて、だから去年や一昨年は、気づかなかっただけかもしれない。

そのまま食べるにしても、きっと追いつかないから、冷凍にしたり、あるいはソースかジャムにしたり、
ともかくは、なんとかしなければならない量。
甘い実と酸っぱい実が混じっていて、一粒一粒食べながら、「あたり」「はずれ」と心でつぶやく。

 

JULY 28, 2004  記憶

10年たっても、20年たっても、忘れないものは、忘れない。

10秒後でも、20秒後でも、忘れるものは、忘れる。

好むと好まざるとにかかわらず。

 

JULY 27, 2004  Send me!

ボストンで行われている民主党大会(Democratic National Convention)。
初日26日の最後を飾ったのは、ウイリアム・J・クリントンのスピーチ。
25分間、メモには殆ど目を走らせることなく、よどみなく、力強く、高らかに、語る。
彼の一語一句に、熱を帯びる観衆。

「今夜は一市民として話す」と言いながら、とても一市民ではありえない、あふれんばかりの存在感。
あれだけのスキャンダルを起こしておきながら、それが取るに足らないことだったと思わせるがごとき、
余りにも爽快な口調。その堂々たる風情。カリスマ性、炸裂。迂闊にも、見惚れてしまう。
スピーチは、技術であり、訓練であるとは思うけれど、それにしても、強い。
強いが余りに、肝心のジョン・ケリーが、かすむ。大いにかすむ。

 

JULY 26, 2004  ジューシー・フルーツ

一年のうちで、一番フルーツが輝いている季節。
チェリー、ネクタリン、プラム、ピーチ、ブルーベリー、ブラックベリー、ラズベリー、キウイ……。
スーパーマーケットに並ぶどれもが、今を旬とばかりに香りを放っている。

そんな時節の我が家のブームは、フルーツあれこれたっぷりのブレックファスト。
お茶を沸かす間、キャロットジュースをブレンダーにかける間、洗ったり、切ったり。
ちょっと手がかかるけれど、わずか5分ほどの違い。だから面倒くさがらずに。と自分に言い聞かせつつ。

「このピーチは甘いね」とか、「ブルーベリーは酸っぱすぎるね」とか、「ハチミツかける?」
とか言いながら食べる。朝からとても、いいことをしているような気分になる。

 

JULY 25, 2004  30年のあいだに。

日本語教授法の通信教育をやっている。当初予想していなかった発見がある。「発音」の項を勉強しながら、自分の英語の発音を省み、今更ながらアメリカン・アクセントのトレーニングのテキストとCDを購入して、勉強を始めた。「方言」の項を勉強しているとき、松本清張の『砂の器』のあらすじが、参考資料にあった。テキストを放りだし、書棚の、色あせた背表紙を目で追う。内容を、もう全く覚えてはいないけれど、確か持っていたはず。あった! 上下巻2冊。読み始める。昭和48年初版発行。昭和55年30刷。30年前の日本。まだ20歳代の、男性の語尾が「〜ですな」。女性の語尾が「〜ですわ」。37歳の妻と10歳の息子を持つ、多分40代の男が「老練」刑事と形容される。「あなた」「おまえ」と呼び合う夫婦は、妻に温泉行きをせがまれると「定年退職したあとに」とあしらう。この、名作と呼ばれる推理小説の推理を楽しむよりむしろ、この30年の間の、日本人の暮らしぶりの変遷、日本国内の距離感(夜行で20時間かけて東北に行く)、日本語表現の移り変わり、人々の精神年齢の若年齢化、そういうことの方に興味をそそられて、週末のうちに一息で読んだ。ことごとく、渋い気分になった。

 

JULY 24, 2004  森の道を歩く午後。

この間、見つけた森の道を、探検に行くことにした。
家のそばの、カテドラル・アベニューから、
木立の道を下りて行く。
途中、大きな道に分断されながら、その南北に伸びる森の
トレイルは続いている。
今日は、風が涼しい曇り空で、森の中は
ひんやりと、心地のよい風に包まれている。
水辺では、水すましが、水面に
水玉模様を映し出しながら、スイスイと泳いでいる。

ときどき、本当にときどき、ジョギングする人や犬の散歩をする人と擦れ違うばかり。
本当に
静かなトレイルで、ここが本当に、この国の、狭い首都のど真ん中だということが信じがたい。
やがて、ジョージタウンのハーバーにつながる道に出た。
ハーバーのテラスで、行き交う人々を眺めながら、ビールを飲んだ。

 

JULY 23, 2004  常備チョコ。

数カ月前、日系の食料品店で、夫が何気なく買ったロッテのガーナチョコレート。

その味を気に入って、日本に行ったときに買いだめ、ニューヨークに行ったときに買いだめ……。

甘い物を、好きだけれど普段はあまり食べない。アメリカの甘い物は、甘さが強すぎるから。

だからむしろ、日本に帰ったときの方が、「ほどよい甘さ」に誘惑されて、お菓子をたくさん食べた。

1列分4ブロックを、丁寧にパリンと割り、まるで高級な粒チョコを食べるみたいに、

少しずつ、味わいながら、「オイシイ……」とつぶやきながら、賞味する夫が、かなりかわいい。

 

JULY 22, 2004  高校時代。

1学年下のその子とは、ほとんど言葉を交わしたことがなかった。コートの反対側から、眺めるだけだった。パスをしたあとの指先の余韻。フェイントをかけるときの視線。走り出す瞬間の背中の角度。タオルで額の汗を拭うときの首の傾き。シュートをする瞬間の膝の伸縮……。彼の動きのひとつひとつの、そのすべてが大好きだった。「あいつのどこが、そげんいいとや?」クラスメイトのバスケ部男子に聞かれた。「わからん。わからんけど、好きなもんは好きったい!」誕生日に送った空色のタオル。そのタオルを、彼が首に巻いて体育館に入ってきた瞬間のときめき! 人生バラ色!! もし彼も、わたしのことを好きだと思ってくれたら……と考えるるだけで、熱が出そうだった。結局、何事もないままに、卒業式を迎えたけれど。

うちの向かいの学校の校庭の、バスケットコートにボールが落ちているのを見つけ、久しぶりにコートを駆け、シュートをし、あっというまに息を切らしながら、あのときめきを思い出す。

 

JULY 21, 2004  もうひとつの書斎。

「今日は、夜遅くまで仕事をするから、ミホもRestonに来ない? 一緒に食事をして帰ろうよ」
朝食のとき、夫が言った。パソコンや資料、本などをバッグに詰め込み、わたしも一緒に出勤する。

朝日が照りつけるハイウェイを走り抜け、夫をオフィスでおろした後、わたしは7マイルほど先のホテルへ。ゴルフ場を併設したこのリゾートは、眺めよく、雰囲気もいいと、噂に聞いていたのだ。もしもスパの予約をすれば、プールやジムを10ドルで利用できると聞いていたので、水着も持ってきていた。あいにくフェイシャルの予約がいっぱいだったので、仕事に専念することにする。

ラウンジは静かで、ゴッホみたいなひまわりがあって、椅子もソファーも座り心地がよく、インターネットにもアクセスでき、電源もある。緑の山並みを眺めながら、ダイニングでランチを食べた後も、しばらくここで仕事をし、読書をした。いつもよりも、時間が丁寧に流れていくような気がする。また来ようと思う。

 

JULY 20, 2004  1ドル札には……

ランチタイムのフレンチビストロ。
あちこちのテーブルから、フランス語が聞こえてくる。
もしくはフランス訛の英語が聞こえてくる。

隣のテーブルの女の子は、フランス語と英語を混ぜ合わせてしゃべる。
「ねえねえ、お母さん、この人、ジョージ・W・ブッシュ?」
1ドル札に描かれた、ジョージ・ワシントンの肖像画を指さして言う。
周囲のテーブルから笑い声がこぼれる。
「ジョージ・W・ブッシュはまだまだよ」「お札にはなってほしくないわねえ」
と、大人たちは、口々に。

 

JULY 19, 2004  一日のはじまりに。

わたしたちは、毎日欠かさず、朝ご飯を食べる。時折の、とても早く起きねばならない翌朝のために、とても早く眠ることもある。目を覚ましたら、顔を洗い、歯を磨き、1杯の水を飲む。そして、静かにヨガをしたあと、シャワーを浴びる。あるいは半身浴をする。それから、生姜をすりおろし、はちみつを加えた湯、もしくは好みのハーブティーを、その日の気分に合わせて、飲む。新聞を読んだり、ぼーっとしたり、しながら。そのあと、今までなら、ヨーグルトとフルーツで作ったスムージーとともに、トーストやパンケーキ、シリアルを食べていた。

最近、新しいメニュー「ニンジンジュース」が登場した。日本の雑誌の記事でそれを知った。オーガニックのニンジン、リンゴ(フジ)をゴシゴシ洗って適当に切り、皮のままをブレンダーに入れ、レモンの絞り汁と、アップルジュースを少し加えて濃厚なジュースを作る。「飲む」というより、「食べる」という感じ。フルーツのスムージーよりもはるかに、身体いっぱいにビタミンなどの栄養素が行き渡る感じがして、とても気持ちがいい。当分は、このジュースが朝の習慣になりそうだ。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: ジェファソン・プール

ホテルからの帰り道。

Warm Springs という村にある、古くて小さな温泉場に立ち寄る。

「1時間、浸かってください」

そう言われたけれど、ものの10分で退散。

やっぱり温泉は、日本が最高。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: たいせつなじかん

ホテルの敷地内を散歩する。まるで羊の群のような、あじさいの群生。

近寄れば、ひとつひとつがとても大きくて、それらがぎゅうぎゅうくっつきあって、微笑ましい。

夫と二人、テラスのロッキングチェアーに座り、語り合いながら風景を眺めるひととき。

7月18日。今日はわたしたちの、まだ3度目の結婚記念日。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: 目移りする、あれこれと朝食。

朝食のダイニングは、この広々としたホテルのゲスト全てを招き入れる、やはり広々とした場所。
カンファレンスで訪れるビジネスマン、ヴァケーションで訪れる
ファミリー
大勢のゲストがひしめきあうように、ブッフェの周囲に集っている。

スクランブルエッグにハッシュドポテト、ソーセージ、ベーコン、ハム(ポーク)、コーンビーフポテト、オートミール、フレンチトースト、マフィンなどなど。いかにもアメリカンなメニューがずらりと並ぶ。

まずは、たっぷりのフルーツを。それにしても、このブラックベリーの、なんて大きいこと。
絞りたてのオレンジジュースが、ことのほか、おいしい。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: 温泉の湧く場所

そのスパは、ホテルのメインビルディングから少し離れた場所にある。
そこには花々が咲く小さな庭があり、一画に温泉が湧く場所がある。

石のベンチに腰掛けて、靴を脱いで、温泉に足を浸しながら、
冷たくてクリーミーな、ピナコラーダを飲む。

ただ、この足先を、温泉に浸している、というだけで、
身体がとても癒されていくような気がするから不思議。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: いい香りのするものたち

いくつものブティックが並ぶショッピングアーケードにて。
フレグランスやソープを扱う店は、なぜかとても
魅惑的
石鹸も、シャンプーも、フレグランスも、なにもかも、特に買わなくても間に合っているのに、
ついつい、
美しい容器や、かぐわしい香りに、購買欲をそそられてしまうのだ。

この間、インドで買ってきたアーユルヴェーダの石鹸やボディシャンプーが、
まだまだたくさんあるじゃない。また買ってどうする。使い切れないよ。

そう自分に言い聞かせて、なんとか思いとどまった。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: リゾートライフ

雨が降ったけれど、そんなにはがっかりしない。屋内でも、リゾートライフは楽しめるのだから。
小さな
ボーリング場で、久しぶりにボーリングをし、ガーター連発、それはもう散々なスコア
そのあとは、温水プールで、しばらくスイミング。
晴れているときは屋外プールで泳いでいた子供たちが、一斉に屋内プールにやってきて、
次々に飛び込んで、ゆっくりと泳げやしない。だからプールサイドで雑誌などを読みつつ。

やがて、スパへ出かける。ミストサウナで身体をホクホクに温めたあと、
極楽気分のマッサージ。さらにミストサウナでオイルを身体に浸透させて、あとは熱いシャワー。
バスローブにくるまって、ゆったりソファーに横たわり、しばしまどろむ至福のひととき。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: サリーちゃん!

2泊3日の滞在なのに、サリーを4着も持参した。

初日は初めての「着付け」に手こずったけれど、2日目は慣れて、うまく着られた。
まずはバスルームで
自己撮影。プリーツがきれいに折れて、とても満足。
パーティーに出かける前に、ドアの前で
記念撮影。後ろ姿はこんな感じ。

ちなみに初日のサリー姿は、まともな写真がなかったので、後ろ姿を。
近寄ると、
布地はこんな感じです。本当に、サリーって、きれいでしょ?
あるものすべて、お見せしたい。そんな気分です。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: 大自然のなかで。

そのリゾートは、ヴァージニア州の「ホットスプリングス」という村にある。
隣村の「ウォーム・スプリングス」に温泉が発見されたのは1751年のこと。
温泉を訪れる湯治客のために、
1766年にオープンした小さな宿が、このリゾートの始まりだった。
ときは独立戦争以前。それからは、米国の歴史とともに、このリゾートもまた、数々の歴史を刻んできた。
プレジデンツ・バーでは、歴代大統領の肖像画が、あちこちに掲げられ、そこからの眺めがまた見事。
歴史に名を刻む人々の
写真が、いくつも飾られたラウンジもあり……。

チェスのテーブル、読書にふさわしいラウンジ……
ホテルの至るところに、くつろげる場所があるのが、本当に、いい。

 

JULY 2004, HOMESTEAD: エレガントに

広々とした車寄せに、車を停める。ホテルマンたちがきびきびと、トランクから荷物を運び出す。

エントランスに足を踏み入れると、そこは高い天井の、壮麗なホール。

お洒落に着飾った人々と、カジュアルなファッションの人々とが、入り交じって歩いている。

こういう場所に来たときは、できるだけ、エレガントにしていたいと思う。

だから、早くチェックインして、ジーパンとTシャツから着替えなくては!

  

JULY 2004, HOMESTEAD: ハイランド・リゾートを目指して。

ルート66をひたすら西へ走る。シェナンドア渓谷のあたりで、I-80に乗り換える。
そして今度はひたすら南へ走る。

前方に見えていた山並みが、やがて右手に、そしていつのまにか左手に見え始める。
歌を歌いながら運転する。ひたすらひたすら走る。
延々と続くトウモロコシ畑。果てしない
牧草地。鬱蒼と茂る森の蛇行する山道。

やがて、日が傾き始めたころ、森を走り抜けた果てに、ようやく、ホームステッドのサインが。
彼方に
見えてきた、どっしりと構えた建物に歓声を上げながら、5時間あまりの長いドライブが終わる。

 

JULY 15, 2004  有閑マダムな日

思わずどこまでも歩いていきたくなるような、軽い風が吹く晴れた日。Rio Grande Cafeというメキシカン・レストランのテラスで、友人とランチ。彼女はポークリブを、わたしはビーフのファヒタをオーダー。マルガリータを飲み、トルティーヤをつまみ、互いの近況などを語り合う。やがてテーブルに届いたポークリブのボリュームに、度肝を抜かれて笑いが弾ける。「はじめ人間ギャートルズみたい!」という彼女の言葉に、マンモスの肉を思い出してまた大笑い。まるで箸が転げてもおかしい年頃と化して。料理はとてもおいしくて、予想以上によく食べた。

そして夜は、我が家のアパートメントビルが主催するお料理教室に参加した。1階のラウンジに著名レストランのシェフが訪れ、スペイン料理の前菜などを披露。グワカモレにガスパッチョ、セビーチェ、ブレッドプティングなど。作りながら、食べながら、おしゃべりしながら、のカジュアルなクラス。今日はよく食べた一日。

 

JULY 14, 2004  カルチャーショック

そのカフェのメザニンは静かで、勉強をするのにいい。今日は幸い、読書をする静かな人たちが数人いるだけ……。と思った矢先、若い男女がやってきた。フランス語でトゥルトゥルしゃべりながら。男が女の足許に跪いて、唇にキスしたかと思えば、今度は膝に抱き上げて、背中にキス。延々と、ちゅうちゅう、ぶちゅぶちゅ、トゥルトゥル、ちゅうちゅう……。ああもう気が散るったらありゃしない! よほど「自分の家でやりなさい」と言いたかったが、それはいかにもお節介だわ、他国の文化を尊重すべきよね、と思いとどまった。わたしだって、たまにはハニーとベタベタするけどさ。その粘着度は比べものにならないよ。そして夕食の時、夫に報告する。
「だいたい、フランス人はそうなんだよね〜。僕が高校のころ、交換留学でフランスの生徒たちが来たんだけど、カップルが学校の中で抱き合ったり、授業中にキスしたりするんだよ。も〜う、びっくりしたよ〜。あれは本当に、カルチャーショックだった。っていうか、刺激的だった〜。先生たちも、びっくりしてた」
生真面目なインドの進学校で、ベタベタいちゃいちゃするフランス人の生徒たち。あっけにとられて見守るインド人の生徒及び教師たち。想像するだに、おかしい。

 

JULY 13, 2004  49日

外出の帰り道、スーパーマーケットの花屋さん。
アレンジメントの花々が、黄色いもの、橙のもの、白いもの。
その白っぽい花の集まりが、とても優しく見える日。

買い物を、する予定ではなかったけれど、レジの近くでみつけたもぎたてのキュウリを手に取る。
大きな大きな、この国のキュウリを2本。これは「浅漬け」にして、パリパリと食べよう。
どっしりとしたキュウリの袋を左手に、白い花束を右手に持って、坂道を上る午後。
照りつける日差しに、汗をにじませながら。

父が死んでから、今日は49日目。

 

JULY 12, 2004  ワイルド・ライス

頑なになっているわけではないけれど、同じ手間をかけるなら、健康的なものを身体に取り入れたい。
今日は、カリフォルニアの農場産、ワイルド・ライスを炊いた。
長粒米、短粒米、黒米など、いくつもの種類の米の「玄米」がブレンドされたパッケージ。
今日は七種類の米が使われているという、ピンクの方を炊いた。
レシピには、水で洗ったあと、鍋に水とバターを入れて炊く、とあったけれど、
わたしは米国仕様の象印炊飯ジャー(玄米炊飯対応機種)にて、炊く。
バターのかわりに、質のいいヴァージン・オリーブオイルを数滴垂らして。
炊きあがる間際、電気釜から、香ばしい、ポップコーンのようないい香りが立ちこめてきた。
炊きあがりもなかなかだ。味見をすれば、プチプチとした歯ごたえで、思ったよりもおいしい。
肉料理によく合いそうだ。この季節、トウモロコシなんかとあえて、サラダにするのもおいしいそう。

 

JULY 11, 2004  狐につままれる。

今日もまた、一段と蒸す夏の昼。日焼け止めを塗り、つばの広い帽子を被り、ボトルの水を持って外に出る。我が家は、マサチューセッツ通りとウィスコンシン通りが鋭角に交差する丘の上にある。いつもはウィスコンシン通りを「南下」してジョージタウンへ行く。あるいは、両脇に各国大使館が林立するマサチューセッツ通りを下ってデュポンサークルへ行く。でも今日は、ウィスコンシン通りを「北上」して、テンリータウンの方へ行く。ジョギングをする人あれば、テニスをする人がある。見ているだけで汗だくになる。途中の日本料理でランチを食べる。わたしはざるそばを、夫は鮭カマの塩焼き定食。そうして寂れた映画館へ行く。まるで学校の教室みたいな小さなシアターで、「Super Size Me」を見る。改めて、ファストフードは食べちゃならんと思う。いつもとは違うホールフーズで、新鮮な野菜や果物を買う。ウィスコンシン通りを歩きつつの帰路。「内側の静かな道を通って帰ろう」と夫が言う。細い道を通り抜けたら、緑の広場に出た。そこに伸びる一本の小径。ジョギングの女の子たちが森の方から出てきて、Uターンして行った。この道はどこに続くのだろう。行ってみる? 突然に森の道。買い物袋を下げて、木漏れ日の中を歩く。途中のせせらぎで休憩する。水面に反射する光が、あたりの岩や切り株や植物の葉裏に反射して、ゆらゆら、ゆらゆら。犬を連れたお兄さんがやってくる。犬は気持ちよさそうに水に浸かる。再びてくてく、小径を歩いて行く。やがて視界が開けて、再び緑の広場に出た。目の前にはマサチューセッツ通り。見慣れたご近所。こんなところに、こんな森への抜け道があったなんて!

 

JULY 10, 2004  土曜日夕暮れ散歩道

日の高いころは一日、部屋の中で過ごした。
ランチのあと、リビングにいたはずの夫は、気づけばベッドに横たわり、すやすやと寝ていた。

夕食を、友人らと食べに行く約束をしていた。
車で行こうか、とも思ったけれど、30分ほどの道のり。歩くことにした。蒸し暑いのに。
あちこちの庭先で、オレンジやピンクのユリ、黄色や赤のグラジオラス、時折コスモスやポピーなど。

コネチカット通りの、テラスを出した店が並ぶあたり。待ち合わせ先はインド料理の店。込み合う土曜の夜。
7時半に店に入り、飲んで、食べて、ひたすらおしゃべりをしているうちに、時計は11時半をさしていて、
ふと気づけば、店の中は、がらんとなっていた。

 

JULY 9, 2004  サイクリング・サイクリング

サイクリング・コースの多いこの街では、バスが自転車を運んでくれます。

 

JULY 8, 2004  雲と蝉

無闇に湿度の高い午後。

水分をたっぷりと含んだ雲が、空にプカプカ。

木々を彩るオレンジ色は、花ではない。

そのあたりだけ、枯れている。

17年蝉の仕業。

 

JULY 7, 2004  素材の力

週末に買っておいたオーガニックの野菜を使って、今日はバーベキュー的オーブン料理。オリーブオイルを塗った天板に、ジャガイモ、ニンジンを載せ、上からやはりオリーブオイルと粗塩をふりかけ、オーブンへ。それから皮を剥いたニンニクをたっぷり、アルミホイルに入れてオリーブオイルをかけ、包み焼く。火の通りやすいアスパラガスやトウモロコシは途中からの参加。そしてメインはスペアリブ。数時間、たれに付け込んでいたものを、野菜とは別の天板にタマネギのスライスとともに載せてオーブンに入れる。あとはご飯のスイッチを入れて、焼き上がり、炊きあがりを待つばかり。我々の「出会い記念日」の今日。少し上等の赤ワインを開け、くすんだオレンジ色の薄暮の空を眺めながら、乾杯。カリフォルニア産のゴールデン・ポテトは、まるでサツマイモとジャガイモを合わせてクリーミーにしたような、甘さと滑らかさがあり、ただ焼いただけなのに、ことのほかおいしい。ぴちぴちした歯ごたえのトウモロコシ、緑の風味が鮮やかなアスパラガス、甘みが際だつニンジン……。主役のスペアリブも、脂身がほどよく、タマネギと、ペースト状のニンニクとの相性も抜群。いつしか二人とも手づかみで、ワイングラスもベタベタで、なんだかお行儀はよくないけれど、身も心も満たされた、力強い食卓だった。

 

JULY 6, 2004  この国の人々

コーヒーを買おうとレジに並んで待っていた。わたしの前には、髪とヒゲをぼさぼさに伸ばした中年の男性。みすぼらしい服装をした、しかしがっちりとした体格で、だが目つきに落ち着きがなく、少し精神を病んでいるように見える。「僕は今、お金を持っていない。だけど腹が減っているんだ。コーヒー1杯と、なにか食べ物をくれないか?」彼の頼みに、戸惑う若い男性店員。「マネージャーに相談します」と言う彼の声をさえぎるように、わたしの後に立っていた中年の女性が小声で言った。「I'll take care...(わたしが払うわ)」。かくして空腹の男性は、熱いコーヒーと、チョコレートブラウニーを手にした。そういえば、さっきのバスでもそうだった。小さな子供を二人伴った母親が、ストローラーや荷物で手一杯になっているところに、年輩の女性が声をかけ、子供の一人を自分の膝の上に載せて、あやし始めたのだった。まるで旧知の間柄のように、語り始める彼女ら。

わたしはこの国に住んで長いが、この国の人々の、臆しない、あまりにも自然な、厚意や親切に直面するにつけ、今でもハッと、目が覚める思いをさせられるのだ。

 

JULY 5, 2004  Japanese Cypres

夕暮れ時の散歩道。いつものように、ビショップス・ガーデンへ行く。
あら、入り口の扉が、新しくなっている。
と思いつつ、門をくぐれば……
あれ! この匂いは……?! 
ヒノキ、ヒノキだわ!
どうしてこんなところに、ヒノキが?
あ〜、ヒノキのお風呂に入りたくなるじゃない〜!
滑らかな表面を、しみじみと撫で、くんくんと匂いを嗅ぎ、
故国の浴槽に思いを馳せて、ちょっぴり挙動不審な我。

 

JULY 2004, NEW YORK: 遠い家路

連休の最終日は込み合うだろうからと、あえて一日前に帰るチケットを予約していたというのに、列車の爆破予告があったとかで、あらゆる便が全体に1時間遅れ。無論、1時間前の便に切り替えて、わたしたちは5時にマンハッタンを離れた。DCまでは3時間余り。多分アパートメントの屋上から、独立記念日の花火を見られるだろう。と思っていたら、途中のフィラデルフィアで列車は止まる。この先のボルティモアの発電所が落雷に遭い、電力供給がストップしたのだという。再開の目途は立たないとのアナウンスが繰り返されるばかり。わたしたちは、カフェカーでビールとホットドックを買い、ジャンクフードの夕食。ホームをうろうろ歩いたりもして(全然関係ないけれど、夫がバッグに付けている小さなキーホルダーは、福岡空港で買った「長崎カステラ」ちゃん。日本って、本当に、こういうチマチマしたキュートなものがたっくさんあるのね。カステラ好きの夫を思い、衝動買いしました)。なんとか1時間後にはゆるゆると列車は走り出し、よかったよかったと思っていたのだが、デラウエアを過ぎ、ボルティモアに到着した途端、「これ以上、列車は先に進めません」とのこと。もう! あとちょっとなのに! 乗客は列車を下ろされ、駅に待機せよとのこと。改札の時刻表の時計はすでに9時2分を示し、DELAYEDの文字が連なる。このままじゃ、いつまで待たされるかわからない。同じDCを目指す他の乗客(カップル)と相乗りで、DCまでタクシーを飛ばした。そして10時半。ようやく我が家に到着。花火はすっかり終わってしまい、がっかりしながらも、2時間遅れくらいですんだのは、幸運だったかもしれないと、殊勝にも思いながら、バスタブに深く浸かり、終わる長い一日。

 

JULY 2004, NEW YORK: ノスタルジア

街を歩きながら夫が言う。「マンハッタンは、本当に、いいね。DCよりも、ずっと楽しい」
DCに移りたてのころのわたしがそう言うたびに、怒っていた癖に。
「僕がまた、この街で仕事を見つけたとしたら、もう一度マンハッタンに住みたい?」
No。確かに、この街は魅力的だけれど、多分わたしたちの心に占めているのは、ノスタルジア。
この3日間というもの、思い出の場所を<無論、なにもかもが思い出の場所なのだが>ばかり歩いた。

この、バーンズ&ノーブルのスターバックスカフェの、手前の柱の、右側のテーブルで、彼の前に空席を見つけ、「ここに座ってもいいですか?」と尋ねた、わたしたちが出会った、8年前の七夕の夜のことを思い出しながら、しかし次は、もう違う場所に、わたしは最早、住みたいのだ。
あるいは20年後、あるいは30年後、再びこの街に暮らすかもしれないけれど、取りあえず今は。

 

JULY 2004, NEW YORK: セントラルパーク

セントラルパークは、本当にいい。

セントラルパークのないマンハッタンなど、わたしには考えられない。

この公園があったから、この街で暮らしたいという気持ちが増したのだと、今でも思う。

懐かしい風景のなかで、また夫と二人でここへ来るのはいつだろうか。

毎日のように、ここをジョギングしていたころが、遠い遠い昔のことのようだ。

 

JULY 2004, NEW YORK: ニーハオ!

今日はダウンタウンを歩こうと、サブウェイに乗る。ソーホーのSpring Streetでサブウェイを下りるつもりが、
「ランチは点心にしようか?」ということで、次の駅、Canal Streetで下りる。相変わらず、ここはごった返す人々が歩道からあふれ出ていて、なかなか先に進めない。果物の屋台には、今が旬のライチーやチェリーがたっぷりと。ライチー好きの夫は、まず1粒を味見して(1ドル也)、それから1ポンド購入(4ドル也)。きれいなものを選ぼうとするわたしたちに「選んじゃダメ!」と言いながら、ライチー鷲掴みでビニールに詰め込む店主はさすがチャイナタウンの迫力。苦笑しながら顔を見合わせる我々。小籠包を食べた後、ライチーを食べながら、ソーホーを歩き、夫は新しい靴を買い、わたしは人混みに酔い、カフェでしばしの休憩。それからまた、ワシントンスクエアを目指し、途中で中国人経営のサロンで21分のリフレクソロジー。ここで再び元気を盛り返し、イーストヴィレッジを歩き、お気に入りの日本料理店「えびす」で夕食を食べ、日本酒を飲み、ふらふら、ふらふら、グラマシーを通り、エンパイアステイトビルの麓を歩き、そうしてホテルにたどり着いた。図らずもまた、ものすごく歩いた、一日だった。

  

JULY 2004, NEW YORK: 光あふれる場所

まばゆい光の洪水。人々の洪水。タイムズスクエア。
特に何かを観劇する予定もなく、ただ街を歩き、金曜の夜はどのシアターも込み合っていて、
でも映画でも観ようかと、スケジュールを眺め、15分後に上映の映画を見つけ、チケットを買う。

ベン・スティラー主演の「ドッジボール」。わざわざ、劇場で見る価値はあったか、というような、
かなりくだらない内容ではあったけれど、結構笑えて、楽しかった。
それにしても、ドッジボールとは、あんなルールだったのか? かなりアグレッシブなのね。

連休ただ中のタイムズスクエアは、まるで縁日のような賑わいで、我々は人混みに辟易し、ホテルに戻る。

 

JULY 2004, NEW YORK: 矛盾

たとえばミッドタウンの、主に日本人駐在員ばかりを顧客にしていた日本料理店は、悉くつぶれていた。
一方で、新しくてクールなことが好きなニューヨーカーを意識した、新しい日本料理店が増えていた。
ソーホーやイーストヴィレッジには、新しく、日本のコンビニエンスストアのような店もオープンし、
一歩店内にはいると、もう、ニューヨークにいるような気がしない。
いや、そんな多国籍な、無国籍なところが、ニューヨークなのか?
不自由することなく、祖国の物が手にはいるのは、便利と言えば便利だけれど、スリルがない。
日常生活にはスリルよりも利便性。なのだろうけれど、でも少し、つまらない。
なんていいながら、日本食の好きなわたしたちは、滞在中二度も、日本食を食べに行った。
日本酒を飲み、寿司を食べ、刺身を食べ……、だって、ヘルシーで、テイスティなんですもの。

 

JULY 2004, NEW YORK: 余裕。

それはもう、DCの街を歩いているときの比ではない。確かにたっぷりと歩いているけれど、それにしたって、こりゃすごい。ネイルサロンに入り、スパ・ペディキュアをしてもらおうとサンダルを脱ぎ、自分の素足を見て驚く。足の裏が、まるで裸足で歩いた後のように、見事に真っ黒なのだ。そんな足を、ソルト入りのお湯につけてほぐし、ふくらはぎのあたりからマッサージしてもらう。足のむくみもすっきりと、ネイルもピカピカにしてもらい、さあ、またサンダルを履いて、足取り軽やかに、街を歩こう。

一日の終わりにホテルに戻り、バスタブに浸かってみるとやはり、再び、汚れきった足。そんな足の裏を。ゴシゴシ、ゴシゴシと擦りながら、この街に住んでいたころのわたしは、こんなに足の裏の汚れを気にしていたかしら。ひたすらに、闊歩するばかりだったころは。

 

JULY 2004, NEW YORK: ボンジュール!

滞在先は、44th Street, between 5th and 6th Avenues にあるSoftel。
フランス系のホテルだから、ご挨拶は「ボンジュール!」
リノベーションをしたばかりなのか、客室は真新しく快適で、バスルームもピカピカ。
居心地のいい3泊4日を過ごすことができた。

通りに面した、光いっぱいのダイニングで、
絞りたてのグレープフルーツジュースと、香ばしいクロワッサンと、
そして濃いめのコーヒーで、ゆっくりと、時間をかけての朝食。
エディット・ピアフの歌声に包まれて。

 

JULY 2004, NEW YORK: マンハッタンまでの光景

出張先のボストンからマンハッタン入りした夫と二人で、夕暮れのマンハッタンを歩く。「アンニョンハセヨ〜」と、コリアタウンで遅めのランチのあと、ミッドタウンを彷徨。今年の2月にオープンしたタイムワーナービルのショッピングモールを巡り、昔住んでいたアパートメントのビルに立ち寄った。こんなことをするのは、この街を離れて以来、はじめてのこと。わたしたちが住んでいたころと同じドアマンが笑顔で迎えてくれ、フロントにもまた、懐かしい顔が。しばらく世間話をして、それから近所のハドソン・ホテルへ行く。ビリヤード台のあるライブラリー・バーで、わたしはモヒト(甘さ控えめ、ミントを多めにお願い)と、夫はマルガリータ(氷入りで)をオーダーし、時に、互いのドリンクを味見しあい、とりとめもなく語り合い、置かれた写真集をパラパラとめくり、それから下手くそなチェスをして、訳のわからないままわたしのキングは奪われ、それからふらふらと、いい気分で、ミッドタウンあるホテルに戻った。

 

JULY 2004, NEW YORK: 変貌する街

初めてこの街に降り立った1996年から、みるみる変貌を遂げる街の様子を、つぶさに見てきた。ミッドタウンから、昔住んでいたあたりを歩く。この59丁目からそびえ立って見えたアパートメントが、コロンバスサークルにできた、この二棟のビル<タイムワーナービル>に遮られて、谷間に小さく。それにしても、何が悔しいって、このビルの地下に、全米最大の「WHOLE FOODS MARKET」ができたこと。現在の我が家の食卓は、ジョージタウンのWHOLE FOODS MARKETに支えられているといっても過言ではない。我々の食生活の鍵を握っている、オーガニック食品も豊富なスーパーマーケットのチェーン店なのだ。精肉コーナー、魚介類コーナー、お総菜のコーナー、どこもかしこも、実に豊かな品揃えで、この店が、あと6年、早くオープンしてくれていたなら、ニューヨーク時代の我が食卓が、もっとヘルシーに、もっと充実していたに違いないと、「く〜っ!」と思いながら、店内を一巡する。

                  

 

JULY 2004, NEW YORK: 摩天楼までの寂寥風景

むしろ、雑木林や、だだっ広い平原や、無辺の農耕地や、豊かに水を湛えた川など、自然の方がいい。
しかしマンハッタンまでの、200マイルの、線路沿いに広がる風景はさにあらず。
たとえば、こんな、廃れた工場のあと。
たとえば、錆び付いた、落書きだらけの、橋の欄干。
たとえば、歪んだ煙突を突きだして並ぶ、壁の剥げ落ちた集合住宅。
かつて東西ドイツが統合したばかりのころ、東ドイツを列車で走った。
そのときの、車窓からの光景と、酷似しているそれら。
『モダンタイムス』の時代が終わった後、そのままに打ち捨てられた、産業の残骸。
そんな風景の果てに、煙突や鉄塔の向こうに、
マンハッタンが見えてくる。
エンパイアステイト・ビルディングが、見えてくる。

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