MAY 3, 2004 緑の匂い

おとといの昼過ぎ、インドから戻ってきた。わたしが大西洋を超えているころ、父の病状が悪化した。
荷ほどきをする間もなく、成田経由福岡行きの航空券を手配する。そして明日の朝、日本へ向かう。
昨日は、洗濯機を何度も回したり、掃除機をかけたり、郵便物を整理したり、買い物に行ったりした。
今日月曜日。サンフランシスコに出張する夫を送り出し、仕事の関係者に連絡をし、航空券を取りに行き……。
雨が降る中、「福岡への航空券は電子チケットが発券できない」とのことで、しぶしぶ向かった旅行代理店。
ワイパーが揺れる窓越しに、なんて鮮やかな緑、緑、緑。留守にしていた間、街は緑に埋め尽くされていた。
ああ。なんて美しいのだろう。ほんとうに、なんて美しいのだろう。
この街の、この生まれたての緑を見られるのは、今日しかない。だから夕方、小雨の降る中、散歩した。
ツツジが、あそこにも、ここにも、そこにも。アジサイも、アヤメも、雨に打たれて。
心を和らげるためには、自分への働きかけが大切なのだ。
だから、朝晩、半身浴をする。ヨガをする。料理をする。散歩をする。空を見る。空を見る。空を見る。
大空の、果てしない余裕を、心の中に吸い込みながら。

 

MAY 4, 2004 朝。

緑は朝風にゆらゆらそよぎ、

朝日は緑にさらさらこぼれ落ち、

ゆらゆら、きらきら。

24時間ののちには、福岡です。

1年半ぶりの日本です。

行ってきます。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 故郷

物心ついたときから、高校を卒業するまでの17年間、暮らしていた。

日本の、九州の、福岡市東区の、名島、千早、香椎のあたり。

懐かしいと言うよりは、やりきれない閉塞感。

さもなくば、喪失感。

空は同じように、広いのに。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 病院

父が運ばれたのは、香椎にある個人病院だった。その6階の、老人患者ばかりのフロア。
老人に紛れて、やや若めの、血色のいい、体格のいい、末期肺がん患者は、何をどう治療されるでもなく。

カーテン越しに、よぼよぼの、おじいさん二人。一人はニコニコ好々爺。一人は入れ墨、やくざに悪態。
隣室からは、日がな一日、老婆のわめき。「博多どんたく。後夜祭の歌を歌います!」と、歌声も混じり。

14年間、意識のない夫を支え続けている妻、という女性もいて。14年間?

看護婦さんらのピンクの白衣。給湯室の洗面器。プラスチックの食器。便座のウォシュレット。嗚呼!

 

MAY, 2004 FUKUOKA カルチャーショック

病院のそばには、商店街や、ロイヤルホストや、ダイエーなどがある。
病室を抜け出て、買い物を兼ねて、ふらふらと散歩をする。電化製品の店の、携帯電話のその賑やかさに目を見張ったり、書店の、冬のソナタの韓国人俳優の雑誌の多さに呆れたり、100円ショップの見事な品揃えに見入ったり、パン屋の多さに、そして味の付いたパンの多さに戸惑ったり、メロンパンだけを売る店が存在していることに驚いたり、道行く母子の、母の多くが、自分より若いことがくっきりわかることに歳月の流れを確認したり。

ちなみに、この京都風(?!)のメロンパンは、表面がまるでクッキーのように香ばしく、中身はフワフワ、とてもおいしかった。なんだか、極まっていたメロンパンだった。

 

MAY, 2004 FUKUOKA おそうじ

欧州的デコラティブなインテリアがお好みの母。実家はヴィクトリア調の家具や小物、それにアートフラワーやら何やらかんやらに彩られて華やかだ。しかし、部屋を飾り立てるものでびっしりの部屋は、同時に埃をためやすいもの。きれい好きの母も、父の世話でここ数カ月、掃除に手が回らなかったようだ。かといって、わたしが掃除を受けて立つパワーもなく、ダスキンの「メリーメイドサービス」にお掃除を依頼する。
「こんにちは〜! ダスキンで〜す」の声も朗らかに、見積もりに来てくれた女性。メイドサービスの本場アメリカ、ロスやニューヨークで現地スタッフと実地研修をしたらしい。が、足でドアを開けたり、椅子をズズズッと引きずったり、「お客様」の靴を平気で踏みつけたりする現地スタッフの一挙手一投足に驚き、研修と言うよりも、奇妙な体験だったとか。サービス業のきめこまかさは、やっぱり日本が一番だ。彼女らが掃除をしてくれたあとの部屋は、どこもかしこもピカピカで、気持ちまですっきりさっぱり。何もかも自分でやろうと懸命にならず、ときどきプロに任せれば、その後のお掃除も楽ちんなのです。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 何はともあれ、おいしいものはおいしい

わたしにとっては、わずか10日間弱の日本滞在。だけれど、母はこの数カ月、父に付きっきりだった。
特に父が入院してからは、妹夫婦も巻き込まれ、いくら家族とはいえ、やはりそれは、たいへんなこと。
父の病は最早、長期戦。今となっては父よりも、むしろ周りの家族が心配。
病人の負の威力に巻き込まれて巻き込まれて、元気な人までも病気になってしまってはいけない。
元気に生きている人が、元気でいつづけられるよう、やはりおいしいものを食べよう。
というわけで、今日は母と妹夫婦の4人で、おいしくてリーズナブルと評判の、新宮にある寿司屋に行った。
お造りに始まり、アワビ、サザエ、鯨の刺身、カニ1杯。茶碗蒸しに赤出汁、にぎり寿司……。
出されるもの、出されるもの、おいしくて、こ〜りゃたまらん。
父を案じ、最初は「行かない」と言っていた母も、「やっぱり来てよかった」と、寿司を頬張る。

 

MAY, 2004 FUKUOKA ファイト!

高校時代の通学路。
ゴミ浮く汚い香椎川。
自転車押して、歩く道。
回転饅頭、かき氷。
部活の帰りの、夏の道。

ファイト! ファイト! ファイト! ファイト!
際限なく叫ぶあの掛け声は。
いったい何と、闘っていたか。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 歳月

歳を重ねていくさまを、一瞬のうちに見る。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 進化するパン屋。

そのパン屋もまた、すっかり様変わり。

天然酵母のパンなどを置く、お洒落なベーカリーになっていた。

そして、見るからにおいしそうな、ケーキたちの群れ。

この国のケーキの、なんて几帳面で、端正で、規則正しいことだろう。

お見事。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 魚屋さん。

商店街の魚屋さん。

安くて新鮮な魚がたっぷり。

この一画を、ワシントンDCに持ち帰りたい!

 

MAY, 2004 FUKUOKA モールにて

昔は海だった香椎の浜に、イオンというショッピングモールができていた。
アメリカンなモールだった。でも、アメリカよりも、レストラン街が充実していた。
母と妹と、沖縄料理を食べた。沖縄料理を食べるのは、これが初めてだった。
こんなロウの
見本も、日本ならではだなあと、しみじみ、見入ったりする。しかし分厚いトーストだ。
アメリカが本場という、だけれどわたしは行ったことがない、酸素バーで酸素吸入体験。
マッサージサロンもいくつかあって、しかも結構リーズナブルで、3人それぞれにトリートメント。
「お力の加減は、いかがですか〜?」 部位がかわるたび、何度も尋ねるそのきめこまかな対応ぶりに、最初は感心していたが、だんだん煩わしくなり、やがて寝入った。
それにしても、そこここのブティックに並ぶ服がどれもこれも小さくて、
「ここは全体に、子供服売場か」と思う。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 何を見ても。

なにはともあれ福岡では、寿司と焼き肉を食べるのだ! と、あらかじめ、決めていた。

不謹慎というなかれ。たとえ父が病んでいようとも、わたしの命は漲っている。

然るに、母と妹と3人で、焼き肉を食べに行く昼下がり。とろけるようなカルビ、ホルモンに舌鼓。

お向かいには櫛田神社。「山笠があるけん、博多たい!」の、山笠に初夏の香り。

「お正月、お父さんと二人でここに来たのよね……」と涙ぐむ母。焼き肉が、消化不良を起こすよ。

これから先、しばらくは、こういう心の繰り返しだろうか。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 充実の食料品

妹と、天神に出かけた。岩田屋が新しくなっていた。「どこが不景気?」というくらい、きらびやかな街。
ことにデパートの食料品店街。これまで何度も書いてきたけれど、日本のデパートの食料品売場は世界一。
しかも地下1階と2階。どちらもが食料品で埋め尽くされている。
光に照らされた、数々の和菓子、ケーキ、チョコレートにパン……。おそうざいに、生鮮食料品……。
回転饅頭のいい香りに誘われて、白あんを一つ、歩き食い。しっとりとした皮の香りがたまらない。
キャナルシティでとんこつラーメンを食べ、スターバックスでカフェラテを飲み……。
帰宅後は、お見舞いのメロンやおはぎや千鳥饅頭を食べ、普段よりもぐっと糖分の摂取が多くなり。
アメリカのお菓子は度が過ぎた甘さだから敬遠するけれど、
日本のお菓子はほどよい甘さだから歓迎してしまうのだ。

 

MAY, 2004 FUKUOKA 直通

すぐこの先に、ワシントンDCとか、バンガロールとかにつながる道が、あればいいのに。

わたしだけが走り抜けられる、秘密の道があればいいのに。

 

MAY 15, 2004 ひよ子

夫へのお土産に。好物のカステラ(福砂屋)や、パリパリ麺の長崎皿うどん、ひよ子などを買ってきていた。

「このお菓子、やわらかくて、おいしいねえ」
「これはね、ヒヨコって言うんだよ。ヒ・ヨ・コ。言ってみて。ヒ・ヨ・コ」
「ヒ・ヨ・コ。 ヒヨコって、アザラシっていう意味? これ、アザラシだよね?」
「……」
「この、中身はポテト? これもおいしいねえ」

何もかも違うけれど、おいしいのなら、それでいい。のか?

 

MAY 16, 2004 17年目の空蝉

14日夕刻、DCに帰り着く。15日朝、爽やかに目覚めたものの、午後から使いものにならなくなり、寝る。
今日16日、日曜日。夫と二人、DCに横たわる広大な森、ロック・クリーク国立公園へ出かけた。
途中で、サンドイッチとポテトチップス、それからジュースを買う。
公園の、
ピクニックエリアでランチタイム。メキシカンの家族が、バーベキューをしているいい香り。
森の中を歩く。木々はすっかり
夏の緑だ。新鮮な酸素を全身で吸収する……
と、蝉の
抜け殻が。あ、が。あ、脱皮の最中? 
蝉の抜け殻を見るのは初めてだという夫に、「蝉は蛇と同じで脱皮するんだよ」などと講釈する……
と、あれ、ここにも、あそこにも、あちらこちらに、うわ、気持ち悪いくらいに、蝉の抜け殻が! 蝉が!
そう。今年は「17年蝉」が地中からもぞもぞと這い出してきて、羽化する年なのだ。
猛烈な蝉時雨が聞ける夏。17年前のわたしは、大学4年生だった。17年後のわたしは、何だろう。

 

MAY 17, 2004 いちご

久しぶりのスーパーマーケットは、生鮮食料品売場の様子が違った。旬の果物が目立つところに並んでいる。
今は、ベリー類が盛りだ。特にいちごやブルーベリーが安くて新鮮。
それから大好きなアメリカン・ダークチェリー。一粒、二粒、口に放り込み「味見」をしながら袋に詰める。
ハニーデューメロンやピーチ、マンゴーもある。
マンゴーはインドで格別の味を経験したばかりだから、しばらくは買わずにいよう。

大粒で、形のよい、大きないちごをたっぷりと買ったので、いちごジャムを作った。
子供のころから好きだった、明治屋のMY JAMみたいに、粒を残した感じで。
あまり煮詰めず、軽くソースのように。出来上がりは、パスタソースやオリーブの空き瓶に詰める。
ヨーグルトに入れたり、ジュースに使ったり、アイスクリームに添えたり、もちろんトーストにも。
こんがりと焼けたトーストに、バターといちごジャム。やはり子供のころから、大好きな組み合わせ。
あのころは、先にミミの部分を食べてしまい、
最後の一口、ジャムとバターがたっぷりの、やわらかな部分を頬張る瞬間が、幸せだった。

 

MAY 18, 2004 金柑

遠い昔、我が家の小さな庭先に、小さな金柑の木があった。
小さな金柑の木になる、小さな金柑の実を、大切なもののように、一粒、二粒、食べた。

Kumquats。近所のスーパーマーケットで見つけた金柑。そもそもは、中国から来た果実。
まんまるいものと、紡錘形のものと、ふた種類、あるという。
この国でも、カリフォルニアやフロリダあたりで、栽培されているのだそうだ。

黄金色の果実に惹かれて、カートに入れた小さなパック。洗って、そのままを頬ばり、噛む。
強烈な酸味が口中に広がる。目が覚める。そして、皮を噛みしめると、懐かしい、甘い味がした。

 

MAY 19, 2004 蝉だらけ。

夕暮れどき。風が心地よかったので、早めに帰宅した夫と散歩をする。
ビショップガーデンの
バラが、満開だった。わずか一カ月のうちに、みるみるうちに。

それにしても、街路は、蝉だらけ。
17年蝉の、蝉時雨はほとんど聞こえない。鳴き声は予想していたより静からしい。
日本のミンミンゼミとかアブラゼミとかツクツクボウシとかのほうが、よほど騒がしい気がする。
鳴き声よりも、むしろ見た目が強烈で。草花も、
抜け殻の花。歩道にも、残骸転がり痛ましい。
とにもかくにも、至るところに抜け殻、
抜けたて、蝉、交尾中(失礼!)などが転がり。
確かに気持ち悪いけれど、だけれど、それにしても、なぜ17年? という不思議な気持ちが勝り、
こういう光景を見るのは一生に一度のことと思われ、敢えて見入ってしまう。気持ち悪いのに。

 

MAY 20, 2004 泉

触れれば溢れ出しそうな、その泉までの道。

いくつもの、塀や、柵で塞ぎ、辿り着けないようにする。

しばらくは、泉があることを、忘れている。

 

MAY 21, 2004 割り切れない数字

その響きを、どう表現したらいいのだろう。単調だけれど、ウワンウワンと鳴り響く、不思議な音。
回り続ける天井のファンの羽音のような。洞窟で奏でられる尺八のような。古い冷蔵庫の、電子音のような。
17年蝉の蝉時雨に包まれて、木漏れ日の公園で、ピクニックの準備をする母ら。駆け回る子ら。

「彼らは、わたしがまだ若かったころからそこにいて、17年間、姿を消していた。そして今、さまざまな思い出と共に戻ってきた。まるで、SF小説に拠らない、タイムマシンのように」
「この蝉時雨は、ある種、禅の響き、である」(ニューヨークタイムズの記事より)

たとえば2年、あるいは5年の周期を持つ他の昆虫がいるとするだろう。
17という割り切れない奇数は、他のどんなサイクル(年数)を持つ昆虫とも、シンクロすることがない。
つまり、17年ごとに、彼らの独壇場が、延々と繰り返されているのだ。

 

MAY 22, 2004 音。

またいつ、日本へ戻るともしれないから、尚更に大切な、週末。
青空がまぶしい土曜の朝。
焼き立てのパンでサンドイッチを作り、チェリートマトやレモネード、スナックなどをバッグに詰める。
帽子を被って、少し汗ばむ手をつなぎ、緩やかな坂を下っていく。
ダンバートン・ガーデンは、もう、バラが終わりかけていて、今年は季節に追い抜かれていく。
太陽から逃れて、木陰のベンチで、「禅の響き」を聞きながら、いつも、ここに来たときの遊び。
……今、いくつの音が聞こえる?
幾種類もの、蝉の合唱、鳥のさえずり、葉音、子供の歓声、飛行機のエンジン音……。
そして、わたしたちの、規則正しい、呼吸の音。

 

MAY 23, 2004 FAR FAR AWAY

映画の趣味が異なるわたしたち。
二人ともが大好きな映画は限られていて、多分一番は、「BLACK CAT, WHITE CAT」。
そして、新しいところでは、「シュレック」。
公開されたばかりの「シュレック2」を観に、金曜の夜、劇場へ行った。
本当に、楽しくて、温かい映画で、思わず土曜の夜も、見に行った。
二日も続けて、同じ映画を劇場で観るなんて、初めてのこと。
でも、また観たいと思えるくらい、楽しかった。
今日、ふと郵便物の消印を見たら、シュレックと、ドンキーのスタンプが。
GREETINGS FROM Far Far Away……
DVDを買おうかな。

 

MAY 24, 2004 More than five thousand miles away

今日もまた、蝉時雨の、夕暮れの、木漏れ日の、散歩道。

風のそよぎが、切りたての髪、襟足を滑り抜けて、ほのかに心地よく。

5000マイルの、その先で、

父がどんどん、死んでゆく。

 

MAY 25, 2004 東西南北の人

明日はまた、機上の人となりて。

東西南北の人になる。

 

「みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる (斎藤茂吉)」

かの時代の五百哩は、この時代の五千哩と等しいか。

 

MAY 27, 2004 エントランス

幾つもの死を見送るエントランス。

父もまた、幾つものなかの、一つとなりて。

筆圧をこめてしたためる、死亡届の文字。

 

MAY 28, 2004 

音楽を、とめよ。

旋律を、とめよ。

沈黙のなかに沸き上がるものをのみ、

両てのひらで、受け止める。

まるで水を掬うみたいに。

 

MAY 29, 2004 

    

MAY 31, 2004 つばくらめふたつ、はりにゐて

「のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり」

(またしても斎藤茂吉)

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